022:お、メシ食ってくか?
カレンの不機嫌状態は思った以上に長続きした。
学食でカレーを食べているときも、喫茶店でバイトをしている間も、自分以外のダンジョンに対する敵意や殺意といった感情がカレンの言動から滲み出ていた。
ようやくカレンの気持ちが収まってきたのはスーパーで買い物をしている最中だった。
『……ごめんね、シズク。ちょっぴり我を忘れてたかも』
『気にするな。誰にだってそんな時くらいあるさ』
俺なんて一週間以上も不貞腐れたことがあるぞ。父さんと些細なことで喧嘩になったときとかな。今思い返してもホントしょうもないことで言い争ったな。あれが反抗期ってヤツなのかもしれない。
カレンにそう返事をしながら俺はカップ焼きそばとカップ麺をカゴの中に入れた。別に今日は特売日でもないが、何となく食べたくなったのだ。
飲み物系は牛乳とサイダー、コーラも欲しいな。あと30本入の紅茶スティックも美味しい。朝食用の卵とベーコン、バナナ一房。肉系は豚のバラ肉と鶏のもも肉を購入する。
冷凍食品は土日の何れかに買ったほうがお得だ。まあ、家の冷凍庫に冷凍からあげが山ほど入ってるので買う必要はない。
スーパーを出ると、日が暮れ始めていた。冷房がキンキンに効いたスーパー特有の寒さから一転うだるような暑さが俺を襲う。
『そういえば結局バイト辞めちゃうんだね』
帰り道、エッサホイサと自転車を漕いでいると、カレンがそんな話題を振ってきた。俺、バイト辞めるってよ。
「ん、ああ。これからはバイトなんてしてる余裕はなくなると思ってさ。世界がどう変わっていくのかはわからないけど、とにかく自分のことに時間を使うことにしたよ」
喫茶店の店長にそんな感じのことを告げたら、「ほーん、頑張ってな」とあっさりと了承された。なんか、引き止められないのもちょっぴり悔しい。一応、今まで真面目に働いてきたつもりなんだけどな。バイトのスタッフなんてそんなものなんかね。
『えへへ、これでボクの中にいる時間が増えるね』
「それはどうかな。大学の図書室で本を読むのもありだぞ?」
『えぇー』
数分も掛からずにアパートへ帰ってきた。階段下の駐輪スペースに自転車を置いて鍵を掛けようとした、その時。
ポココン♪ ポココン♪ とスマホの着信音が鳴った。画面を見ると、『母さん 中ノ森カノン』と表示されていた。こんな時間に何のようだろうな。普段ならメッセージのやり取りだけで事足りてるんだけど、電話とは珍しい。
俺は気軽に通話ボタンを押した。
「もしもし、何か――」
「シズくんっ。シズカさんそっちに行ってない?」
どこか焦っているような声だった。
「来てないけど……」
「……そっか。本屋に寄ってから帰るってメッセージで貰ったんだけど、それからずっと帰って来ないの。電話もしたけど、電源が切れてて繋がらないし。その、最近いろいろと騒がれてて物騒でしょ。……もしもシズカさんに何かあったらどうしようって私……不安で」
いやいやいや。流石に取り越し苦労だよな。
「大丈夫だよ、気にし過ぎだって。本屋って国道沿いのとこだよね。ちょっくら行ってくるから母さんは家で待っててよ」
「ホント? シズ君ありがとう。シズ君はスマホの電源切らないでね?」
「はいはい、大丈夫だって。電池も十分あるから。それじゃあね」
「うん、シズ君ホントにありがと。お夕飯作って待ってるから今日は一緒に食べましょう。シズ君の好きな唐揚げだからね」
「わかったよ。んじゃまた後で。さっさと父さんと合流して帰るから」
通話終了のボタンを震える手で押した。
「……」
まさか、な。いやいや、うん。ありえないって。
「カレン」
『なあに?』
心臓の音がやけに大きく聞こえる。
「中野町にダンジョンって……」
『うん、あるよ』
……あるのかよ。
毎日のようにカレンのダンジョンを訪れていて、もはや俺にとってソレは馴染み深いものとなりつつある。だが、それはあくまで俺だけの話だ。地球がダンジョンに侵食されているなんて話を聞かされても俺の家族や知人にソレが関わってくるなんてこれっぽっちも思わなかった。
ダンジョンは、現実に。
日本に。
ここに。
侵食している。
俺はそのことをようやく実感することができた。
『まあ、発生したてのすっごく小さな野良ダンジョンだけどね。ビギナーダンジョンにも劣るざこざこダンジョンだよ。やーい、ざーこ♡ざーこ♡ってレベルだね』
俺が唖然としている間も、カレンは淡々と言葉を重ねる。俺は急いで自転車に乗って中野町の本屋を目指した。実のところ、実家とは大して距離は離れていない。大学生と言えば一人暮らしやろ、っと適当に大学に近い安アパートを借りただけだった。
正直なところ家賃とか光熱費、水道代、通信費、その他諸々の費用が勿体ないなとは思った。実家から通えばいいじゃんと思いつつも、一人暮らしを選んだのだ。
逃避なのだろうか。こんなどうでもいいことを考えるなんて。
「……父さんはそれに飲み込まれたと思うか?」
『さあー、どうだろうね。ボクは別にこの世の全てを掌握しているわけじゃないからさ。でもまあ、同族の位置くらいは把握してるよ? そうだなぁ、地球上には今のところ――』
「……ッ。そんなことより中野にあるダンジョンの詳しい位置を教えてくれ」
『……行ってどうするの?』
「もちろん、助けに――」
『駄目。絶対に許さない』
昼に感じた凄まじいプレッシャーが俺を襲う。今回は純然たる怒りだ。思わず自転車から転げ落ちそうになったが、なんとか姿勢を立て直した。
「……ハァッハァッ……それでも」
自転車を漕いでも疲れなかったのに、カレンのプレッシャだけで俺の呼吸が荒くなる。足はまだ動き続けている。ハンドルを握る手に力が籠もる。
「それでも、俺は行くからな」
俺の決意は変わらない。もう中野町には入っている。馴染みの本屋も近い。
『うん、行けばいいと思うよ』
「……ほえ?」
どうゆうことだ?
『ボクは別に行くのは止めないよ? あ、ダンジョンの入り口はその路地に入ってすぐだね』
「そ、そうか。教えてくれて助かったよ」
俺は本屋手前を左に曲がった。すると、セーフルームの中にいるような感覚がふと湧き上がった。なんの変哲のない小路地がそこにある。だが、気配が違う。空気が違う。重さが違う。
「……迷宮の気配だ」
『うん、そこが入り口だね。ホントに出来たてホヤホヤみたい』
どうしよう。ここまで来たけど、入っても大丈夫なのだろうか。でも、母さんともう約束しちゃったし。カレンはビギナーダンジョンより雑魚とは言うが、それでも何の武装もしていない一般人に何とかなる程度なのかは疑問だ。
『入ってみたら?』
「……いいのか?」
『うん、入ってみればいいんじゃないかな』
「……わかった」
俺は邪魔にならない位置に自転車を停めた。そして、ゆっくりとダンジョンの入口に近づき、そして……足を踏み入れ――。
……グシュッ……グサッ……グチュッ……ブチィ。
何だこれ。心底、不気味で不愉快な音がそこら中に響いている。
ギ……ギギッ…………。空間が歪むような音がして……止まった?
「うおっ、何だ!」
突如、凄まじい轟音が鳴り響く。地震か!?
地面や空間が丸ごと震えている。言うなれば崩壊現象。この場に押し込まれていたエネルギーが見えない何かに引き裂かれているみたいだ。
そして。
「うおっ、何だ何だ!? どうなったんだ?」
聞き馴染みのある声とその主が突如、目の前の空間から現れた。
俺の父、中ノ森シズカである。
「ん? おお、シズクか。奇遇だな、こんな所で。お、メシ食ってくか? 今日はお前の好きな唐揚げだってよ。カノンさんがそう言ってたぞ」
ボロボロになったスーツを身に纏いながら父さんはそんなことを宣った。




