016:オシャレでかわいいでしょ?
一刻も早く南エリアから退却したい。
その一心で、なりふり構わずネコ部屋のある小空間まで戻ってきた。途中でウサギモドキと出くわさなかったのは運が良かったとしか思えない。急ぐあまり必要最低限の警戒しかできていなかった感がある。
「……はぁ……はぁ」
ほんの少し足早に歩いただけで呼吸が荒くなった。
……血を流しすぎたかもしれない。先に応急手当をしておくべきだったろうか。いや、あの場所では流石に無理だ。隠れる場所もないし、それにウサギモドキにはもう会いたくなかった。
俺にとっての幸運はまだ続いていた。勢いよく飛び込んだ小空間にネコモドキの姿はない。本当に良かった。継戦能力はまだあるとはいえ、傷の手当だけは何とか先に済ませておきたい。
するべき事を明確にしながら比較的安全そうな場所まで必死に足を動かし続ける。
小空間を抜けたこの先、東北東の付近に休むのに便利そうなT字路と循環通路の組み合わせがある。ダンジョンの最端と思わしき場所で、ぐるりと渦を巻いたような位置にあるのでモドキもあまり近づいてこない気がした。そこで休息を取りつつ左耳と左頬の応急処置を施すつもりでいる。
ここにきて、ようやく循環通路の有り難みというやつを実感できた気がする。
広間とは違って身を隠せる物陰がある。見つかりそうになったら移動できる。すぐに元の位置に戻ってこれる。戦闘面でも有用だ。角待ちからの不意打ち、逃走からの時間差攻撃が可能とくれば、迷宮内でこんなに素晴らしい場所はないとすら思えてくる。
……だから早く。早くその素敵な場所に行かないと。
「…………ハァハァ」
逸る気持ちを抑えつつ、俺は急いだ。早歩き程度で走ってもいないはずなのに息があがって苦しい。……早く休みたい。
……途中、松葉杖代わりにしていた相棒が地面をつく度にコツ、コツ、と音を響かせていたことに気づいたときは本当に焦った。咄嗟にリストバンドを相棒の先端部分に2つ重ねてくっつけることで何とか音を抑えることに成功する。
……しかし今度は右腕のリストバンドがなくなったせいで短棒の固定がゆるくなり右袖から落ちそうになった。短棒が地面に落ちてカランコロンと音を立てる様を幻視する。もはや何も考えず無意識的に俺は左足の裾をめくり上げていた。
膝に被せていたサポーターをふくらはぎのあたりまで下ろして、そこに短棒を挟み込んだ。丁度ふくらはぎの側面を守る位置に短棒が収まっている。……咄嗟のアイディアにしては中々良いのではなかろうか。
そんなこんなで目的の場所までなんとか辿り着いた。
「…………あれ?」
色んな作業を慌ててこなしてきたせいか。それとも休憩場所に辿り着けて安心したせいか。急に目眩が襲ってきた。
……視界が……ぼやける。……意識が……朦朧と……ここで意識を失うのは流石に不味い。……下手をしなくても死ぬ。……俺は太ももに突き刺さっているウサギモドキの頭蓋骨にそっと触れてから、太ももにぐっと力を込めた。
「……うぐっ……痛ぅっ」
ズキッとした痛みとともに意識と視界に明瞭さが戻ってくる。これは早く応急処置をしないと手遅れになるかもしれない。俺はさっそく作業に取り掛かった。
ツインホーンを利用してスポーツウェアの両袖を破くことに成功した。……かなりパンクでロックな姿になったが俺の趣味ではない。……やむを得ない必要不可欠な処置だったのだ。
その両袖を繋ぎ合わせて簡易の包帯を作る。
左耳と左頬を包み込むように顔の輪郭にそって両袖を巻き付けた。頭の頂点で結ぶ形になってしまったので、何だかリボンかウサ耳のようにも見えなくもない。……ちょっぴり恥ずかしいがカレンしか見ていないので問題はなかった。
何だか意識がぼやけてどうでもいいことまで考えてしまう。……顔が終わったら次は太ももだ。
「……はぁ……ふぅ」
呼吸を整えるのもやっとな具合だ。
太ももの方は正直どうしようもなかった。……双角付きのドクロがまるでアクセサリーのように右足の太ももにくっついていた。……角が2本とも裏側まで貫通しているのでズボンを脱ぐこともできない。手を付けると出血が更に増してしまうかもしれない。
「……ふわぁ」
……眠い、あくびが出てしまった。……酸素が足りない? ……何考えてたっけ。……血が足りない? そうだった、下手に動かすと傷口を悪化させてしまう。……なので、ここは素直に放置せざるを……。
――ふふっ、ここに2本の角が生えたウサギモドキの頭蓋骨があります。このアクセサリーはね? 何と! 太ももにぶっ刺して飾るんだよっ。ねっ、オシャレでかわいいでしょ?
大腿骨に当たらないように気をつけてね。あと動脈や静脈の位置にも注意しないとダメだよ? 傷つけたら出血多量でショック死しちゃうもんね。
お値段はなんとっ……。
ふふっ、シズク? 何だか身体がほんわかしてるね。……身体の力が抜けてきたんじゃない? ほらっ、早く起き――。
「……うがっ、痛っ!」
右側頭部にごつんと衝撃が走った。
いつの間にか意識がぶっ飛んでいたらしい。俺はいま何を考えていた? 夢を見ていた気分だ。カレンが何かを売ろうとしていた気がする。いや、今の衝撃で内容はすっかり忘れてしまった。
慌てて周囲を見回すと、見慣れた通路の壁や床が目に入った。
どうやらここはセーフルームではないようだ。俺はミラクルベッドの上ではなく、通路の地べたにペタリと座り込んでいた。ダンジョン内で完全に意識を失っていたにも関わらず、まだ死んでいないという事実に驚いてしまう。
しかしまあ、一瞬とは言え睡眠を取ることができたおかげで妙に意識が覚醒している。頭の中がスッキリしていた。迷宮の壁に頭突きをかましたのが効いているのかもしれない。それとも夢に出てきたカレンのおかげなのだろうか。
カレンが妙なことを口走っていた気もする。でも口調はとても優しかったな。
と、夢にうつつを抜かしている場合ではない。
俺はすぐさま周囲を警戒してモドキの気配がないかを確かめた。10秒ほど耳を済ませたが物音一つ聞こえなかった。およそ、5マス分の範囲内にモドキの気配はないようである。
もしかするとここはモドキの巡回経路から外れている場所なのかもしれない。セーフルームならぬセーフエリアとでも呼称するべきだろうか。いや、流石にそれはまだ気が早いか。
「…………ふぅ」
安堵の吐息をこぼした。
何だか身体の調子が良い。でも、かなりお腹が空いている。何か食べたいな。チョコレートでもジュースでも何でも良い。肉体がエネルギーを求めて悲鳴をあげていた。短期的に動くことは可能だと思う。けれど、長時間の活動は恐らく無理だ。
さっさとセーフルームに戻ろう。
そのためにはまず、自分の状態を把握しなくてはならない。
傷の具合を確かめるために顔の左側をそっと触れた。
ビリリっとした電気的な痛みが生じる。けれど、それだけだった。完全に出血は止まっている。包帯代わりにした両袖が血に染まってカピカピだ。剥がしても大丈夫だろうか。
顔と巻き付けた両袖の隙間を広げるように恐る恐るペリペリと剥がす。うひー、めちゃくちゃ痛い。だが、ありがたいことに再出血する気配はなかった。
最後まで慎重にゆっくりと両袖を顔から引き剥がした。傷口が外気にさらされて少しヒリヒリしたが、どうやら大丈夫そうだ。
鏡がほしいな。今、俺の顔面はどんだけ悲惨な状況になっていることやら。ウサギモドキによって抉られた頬傷はなぜか塞がっている。千切られた左耳は……。
「……ぁ」
そういえば、千切れた耳を回収してないや。……まあ、いいか。なんとなくカレンが回収している気がする。
それはそうと、耳がなくてもちゃんと音を拾ってくれるのだろうか。鼓膜が破れたわけでもないし、大丈夫だよな?
俺は周囲の様子を確かめてから小さく「……ぁーぁー」と呟いた。よくわからないが、全く聞こえてない感じではない。幸いなことに右耳は無事だ。なんとかなるだろう、たぶん。
次に太ももに目をやると、少しだけ眉を細めてしまった。
ウサギモドキのアクセサリーが完全に俺の太ももと一体化している。右足を軽くあげて動かしてみると何の違和感もなくウサギモドキの頭蓋骨が一緒に付いてきた。グラグラと揺れる様子もない。
恐る恐るズボンの破けた穴から傷口を覗き込むと、2本の角を飲み込むようにして傷口がギュッと塞がっていた。……これはどういうことだ? 俺はどれくらい気を失っていたんだろうか。頬の傷の治り具合もそうだが、かなりの時間が経過していなければこうはならないはずだ。
いや、そもそも時間経過だけでここまで自然治癒されるのも正直どうかと思う。これもステータスやスキル効果なのだろうか。ちょっくら現実的な回復速度を超えているような気がする。
……少々ルール違反ぽくて嫌なんだが、俺がどれくらい眠っていたのかをカレンに尋ねてみることにした。
「……カレン、俺はどれくらい気を失ってたんだ?」
俺の問いかけにカレンの応答はすぐ返ってきた。
「んっとねー、大体3時間くらいかな」
「……なっ、3じ――」
本当かよとつい疑いたくなってしまうが、ここでカレンを疑う意味はない。これはもう確定しても良いのではないだろうか。ダンジョンの中にはモドキが立ち寄らないセーフエリアがある、ということを。
まあ、待て結論を焦る必要はない。ここで考えるのは一旦よそう。わかっているのはいま俺が死んでいないという事実のみ。勝手な思い込みも含めてセーフルームに戻ってから考察すればいい。
しかし、後にするべきかもしれないが、これだけはカレンに言っておきたかった。タイミング的に比較的安全な今しかない。通路を警戒して歩きながらカレンとお喋りする気はさらさらなかった。
「……カレン、さっきは助言してくれてありがとな。正直、かなり助かったよ」
いつもの俺なら死体をぶら下げたまま行動するという発想は浮かばなかったはずだ。カレンの助言がなかったらきっと傷が悪化したとしても死体を引き抜いていたに違いない。
「ふふっ、どういたしまして。別にボクのことはどんどん頼ってくれてもいいんだよ? ダンジョン内でシズクをサポートするのもボクの役目だからね。ボクの気分次第で決めているだけであってダンジョンには厳密なルールなんてないしさ。臨機応変な対応力がボクの売りだよ」
『ボクの気分次第』という部分に少しだけイラッとしたものの、カレンのお言葉は非常に有り難いものだった。とは言うものの、ここで素直に「ここってモドキが来ない場所なん?」なんて質問をするつもりはない。
それこそ、ダンジョン内における安全な場所くらい自分で見つけるのが当然だとすら思っている。
運も実力の内とまではいわないが、この場所に辿り着いたのは俺の行動力があってこそだ。3時間もここで待機できたという事実は、ここがセーフエリアとなり得る場所であることをかなり強い説得力を持って示している。
今はそれだけで十分だ。
俺は立ち上がって肉体の調子を確かめた。
ずっと同じ姿勢で気を失っていたせいか身体が凝り固まっている。血が足りていないのか、肌が吸血鬼のように青白くなっている。これでカレンとお揃いだな。なんて、無駄な思考ができるくらいには余裕を取り戻せているようだ。
右足を動かす度に太もも内部にズシっとした鈍い痛みが走るが、この程度であれば戦闘に支障はなかった。まったく、<耐える>様々である。これのおかげで先ほどもウサギモドキを倒すことができた。このスキルを最初に選んだ俺の直感はやはり間違っていなかったということになる。
これからはパラメータも大事だが、スキルの習得もしっかりと目を向けていこう。邪道だとかそんなことを言ってる場合ではないものな。これも必要性の把握だ。
次は装備を確認しよう。
相棒の先端からリストバンドを2つ回収してそれぞれの腕に装着する。左足の短棒は……そのままでいいか。邪魔だし。ふふん、今の俺にはウサギモドキからゲットしたツインホーンがあるのだ。
左手に相棒を、右手にツインホーンを持って準備完了だ。
ツインホーンをどちらの手に持つかで少々悩んだが結局こうなった。2本の角はそれだけで攻撃力が高いし、モドキをいなすのにも使えそうだったので右手で持つことにした。……また、アクセサリーとして右太ももにもツインホーンが刺さってることはあまり考えないようにしよう。
「…………」
良し、戻ろう。いつもならこの言葉も口に出して言っているが、そろそろ無口になる練習でもしておくべきだろう。そのかわり頭の中でいっぱい喋ろう。いやいや、探索に集中しろよな、俺。
「あ、そうだった。ねっ、シズクっ。太もものドクロだけどオシャレで可愛いねっ。ボクもお揃いで付けてみようかなー」
「……趣味わっる!」
直前にあれこれと考えていたことが全て吹っ飛んでしまった。まあ、そのおかげで頭の中がスッキリとして良い気分だった。カレンには心の中で感謝しておこう。
肉体は良好とは言えないが、動くことはできる。頭の調子も一眠りしたことで大分良くなった。このまま何事もなければスムーズにセーフルームへ帰還できるはずだ。
と、そんな期待をした俺が馬鹿だったことは言うまでもない。
途中までは良かった。
遭遇したモドキはどれも2体編成や単独行動をしていたおかげで比較的簡単に各個撃破できた。ツインホーンのおかげで一撃の殺傷力が増しているのも助かっていた。
それでも何かしらの行動を取る度に鈍い痛みが顔面と太ももに走った。歯を食いしばって顔が歪む程度の痛みだが、そんなものはひたすら耐えて無視した。ここまでは別にいい。
……それはいた。
セーフルームへと到る最後の一本道。
それに続くT字路の中央に一匹のモドキが居座っていた。その姿をかなり離れた通路の物陰から確認した俺は思わず息を呑んだ。……でかい。距離があってもひと目でわかるほどの巨体さだ。
先ほどノーマルモドキを倒してきたばかりなので、その差は歴然だった。
しかもそいつはまだ地べたに寝そべった状態でいる。立ち上がったらどれほどの威圧感を与えてくるのか想像もしたくない。ガッシリとした前足に付属する自己主張の激しい鋭く尖った5本の爪は殺人鬼のフレディを連想させる。
あれはもはや爪ではなくナイフだ。
もうネコじゃねえって。ネコモドキ半端ないって。ふざけているのか? ウサギモドキもそうだが、カレンにはもっと現実の動物の姿を参考にしてほしいところだ。いや、そうなったら逆に倒しづらくなりそうで困るかもしれないけどさっ!
さて、中型ネコモドキは探索者がセーフルームへ戻るのを悠々と待ち構えている。俺がセーフルームへ帰還するためには居座る中型ネコモドキをどうにかするしかない。
ここで俺が取るべき行動は……。




