011:ちょっとばっちいけどな
右ふくらはぎの側面に刻まれた裂傷を他人事のように見つめながら、俺は思考を巡らせた。
素直に考えればここは一旦引き返すべき場面だ。出だしから負傷し、今回の第一目標として掲げた最東端への到達及び東領域の調査は達成が困難であると言わざるを得ない。
仮にこの状態のまま最東端へ到達できたとしても、帰り道はどうするつもりだ? 移動や戦闘を行う度に傷口はどんどん悪化するはずだ。何らかの成果を獲得できたとしても、無事にセーフルームへ戻ってこられなければ何の意味もない。
いくら死んでもベッドの上で復活できるとはいえ、デスルーラーはそれこそ死んでも御免だ。長距離の往復はやめるべきである。
今日はまだ一回目の探索だ。
別に何回目の探索かは関係ないかもしれないが、無理をしてまで目標を達成する場面でないことは確かである。しかし、今すぐに帰還することはできない。
2つの問題があった。
一つ、まだ一定時間が経過していないこと。
二つ、俺の気持ちが収まらないこと。
俺がダンジョンを探索し始めてから、まだ『一定時間』が経過していない。その一定時間とは俺が定めた時間ではなく、カレンが「そろそろセーフルームに戻っても良いよ」と俺に許可を出してようやくわかる仕様だ。
仮に『一定時間』が経過する前にセーフルームの扉前に戻ったとしても、その扉が開かれることは決してなかった。その場に留まろうものならカレンがモドキの出現を調整してわんさかプレゼントしてくれる。
連戦に次ぐ連戦だ。ステータスが向上してある程度の実力がともなれば経験値稼ぎに良いかもしれない。だが、今はまだその時ではなかった。
そして一定時間が単純な時間経過ではないことは何となく察していた。
これは俺の推測になるが、『ダンジョン内で十分に力を発揮して探索できたかどうか』をカレンは判断していると思われた。つまり、ちょっとセーフルームから離れた通路の隅で時間が来るまでボケっと座っていても、永遠に一定時間を待ち続けることになるわけだ。
まあ、ダンジョン内でボケっと座っていられるなんてある意味凄いことなので、逆に帰還許可が出される可能性もなくはない。ここらへんはカレンの好み次第な気がする。
物は考えようだ。ダンジョン内における安全な休息の取り方を学んだと言えなくもない。それを試してみるのもありと言えばありだった。
しかし、2つ目の問題点がその選択を阻んだ。
これについては俺自身にも戸惑いがある。
……悔しい。予定通りに事が運ばなくて心底悔しい気持ちが俺の中で渦巻いていた。実際、俺はこのままダンジョンの最東端へ目指したい気持ちでいっぱいだった。
目的を完遂したい。やり遂げたい。気概はまだある。
でも冷静な自分は「いや、止めとけよ」と忠告していた。
今回の負傷は俺の集中力不足と判断力の無さが原因だ。戦闘直前にもかかわらず、あれこれと余計な事を考えすぎていた。それに、ネコモドキが変則的な動きをすることは最初からわかっていたことだ。複数匹を相手にするのが困難な相手であることも同様である。
つまり、2匹の鳴き声を聞いた時点で、例え合流する予兆を感じ取れなくても、その場から一時的に撤退する判断だってできたはずなのだ。
……だからこそ、悔しい。
「……傷口の見た目は酷いけど、この程度なら歩くのに支障はないし戦闘もできる」
一度思考から脱却して、俺は傷口の具合を確かめるために立ち上がった。痛みはある。血が流れ出ている。しかし、それだけだ。その場で軽く跳ねたり、屈伸したりしてみたが問題なく動ける。
ある程度の探索は続行可能だ。
「……良し、方針転換だ」
『ダンジョンの最東端を目指し、全体像を把握する』を改め『セーフルーム周辺の中央エリアを重点的に探索して脳内マッピングをモノにする』
まず、全力疾走すればいつでもセーフルームへと辿り着ける距離を保つ。その範囲内での詳細な調査を行うことに決めた。
中央付近に南へ繋がるルートは本当にないのか。モドキが単体で現れる割合は本当に高いのか。確実に西、北、東へと繋がる通路の選定。脳内マッピングの精度向上。
これらを主目的とした探索方針を定めた。
選択肢の中には、セーフルームから付かず離れずの距離で足の負傷を庇いながらモドキどもとじゃれ合いつつ、じっと『その時』を待つというのも候補にあった。しかしこれでは完全に受け身で消極的なダンジョン攻略方針である。
もっとやれる。何か成果を掴みたい。このまま何の成果もなくセーフルームへ戻れるかよ。そんな意気込みと熱意を無駄にしないためにも「中央エリアを完全にマッピングしてやる!」という積極的な攻略方針を俺は選んだ。
次に繋がる探索を。これがこの方針を選んだ決め手である。
方針を決めたとなれば、あとは行動するのみだ。
だが、いざ進もうとして俺はすぐに立ち止まることになる。歩く度にぐじゅっぐじゅっと俺の血を吸った靴下と運動シューズが音を立てるのだ。これでは音を忍ばせることなど到底できない。
「……俺だって本当は手当てとかしたいけど、道具がな」
思っていたよりも出血量が多い。もしかしてこのまま放置すると失血死してしまうのだろうか。いくら熱と痛みに耐えられても失った血は取り戻せない。
早急に対処しなければ。
そもそも方針云々の前にこちらを優先するべきだった。これは今までの探索の癖のせいだな。傷を負ったらひたすら無視する。それがつい先日までの俺の当たり前だった。傷の痛みなど考えても仕方がないと思考放棄していたのだ。
などと、今は反省している場合でもないぞ。さっさと頭を働かせろ。
傷口に何かを巻いておくべきところだが、道具の類である包帯や絆創膏等の持ち込みは許可されていない。……何か、巻くものか。
そこでふと思い出した。
映画や漫画では主人公のおっさんとかヒロインが自分の衣服をビリビリっと乱暴に破いて応急手当をするシーンをよく見かけたな、と。
「……それ、やってみるか」
実際に試してみることにした。いつもの休憩場所であるT字路の角に隠れてゴソゴソとスポーツウェアの上着を脱いだ。ついでに血まみれになった右足の靴と靴下も脱いでおく。
そして頑張ってみること一分。
「……や、破けない……だと? 丈夫過ぎだろ。……モドキの攻撃は簡単に通す紙防御力なのに」
ウェアの上半身左袖を千切ろうとして思いきり引っ張ってみたがビクともしなかった。俺が想定していた以上に衣服というものは頑丈に作られているようだ。
映画のシーンは元々ボロボロになった部分を引き裂いていたんだろうか? それとも主人公のぱぅわーが尋常ではないのか。
……はてさてどうする。何か、武器はないのか、とあたりを見回すと。一旦脱いでおいた真っ赤な靴下と運動靴に目が止まった。
ピーン! と閃くものが脳裏に浮かんだ。
周囲を警戒しつつ、その思い付きを実行してみる。
その数分後。
「……上手くいったな」
まず靴下の爪先部分を相棒で無理やり突き破って穴を開けた。
その穴をぐいっと広げて履きやすくしてから、ズズイっとふくらはぎまで引っ張っていく。傷口に触れたときは流石に痛かったがぐっと堪えた。靴下の半ばで折り返して傷口に当たる部分の厚みを増やす。
これで傷口が強く圧迫されるはずだ。
「……よし、これで簡易包帯の出来上がりだ。ちょっとばっちいけどな」
表現的には靴下を無理やりサポーターのように使った、が正しいかもしれない。
今度から膝や肘にサポーターを付けてこようか。トレーニングウェアや靴下が武装に含まれないのであれば、ちょっとしたリストバンドやサポーターも当然許されて然るべきだろう。今カレンにそのことを尋ねても良いが、緊張感を失いたくない。
無事にセーフルームへ戻ってから尋ねることにしよう。
素足に運動靴を履くのは少し嫌な感覚だが仕方ない。素足でモドキを蹴り飛ばすよりはマシなはずだ。
最初の怪我を除けば、その後の探索は良好としか評価のしようがないほど順調に事が運んだ。
まず、どうあがいても中央エリアから南側へと繋がるルートは発見できなかった。ある種の循環構造だ。
南へ進もうとすると必ずグルリと迂回するように北側へと誘導される。これは逆に言えば迂回できるルートが見つかったとも言えた。行く手に敵が阻んでいても、戦闘を避けて進みたい場合に活用できそうなルートだ。
そして改めて実感したことだが、中央付近ではやはり単体で行動しているモドキが多い。中央西ではネズミモドキ、中央北ではイヌモドキ、中央東ではネコモドキと出現分布も予測した通りに偏りがあった。
反省を活かしてモドキと出会ったら今度こそ油断せずにじっとりと観察しながら戦闘を行なった。予備動作をつぶさに注視する。
ネズミモドキはそもそもこちらの顔を見もしなかった。
執拗に足元だけを狙って特攻を仕掛けてくる。行動パターンを読むために回避行動を増やして何度も襲いかからせてみた。ネズミモドキは俺の上半身や顔の付近を狙ってくることもなく、ひたすら爪先や足首のあたりを狙い続けていた。
イヌモドキも似たような行動を取る。こちらがジャンピング攻撃を左右にステップを刻んで避け続けても、イヌモドキは俺の首以外を狙う行動には移らなかった。死んでも首を咬んでやるというイヌモドキの気概を感じたね。
唯一、ネコモドキだけが変則的なパターンを見せた。
顔への引っ掻きや四肢への咬み付きを俺は無心となって避け続ける。身を躱す足運びにも大分慣れてきた。ステップを利用した体重移動もかなりスムーズになったと思う。
俺に攻撃を躱され続けたネコモドキは一旦距離を取ると、動きを止めてジッと立ち止まった。かと思うと、すかさず俺の足に狙いを変更して襲いかかってきた。しかも怪我を負っていた右足ばかりを執拗に狙ってきた。
妨害のネズミモドキ、攻撃のイヌモドキ、変則のネコモドキとまあ随分と個性的な面々である。これにもう一種加わるかもしれないと思うと嫌になるね。南側への通路なんて見つからなければいいのに。
さらに、こいつらが中型化したら戦闘力や殺傷能力はどれほどのものになるのか。考えたくもない疑問だが、考えないわけにもいかない。直近の課題である。
戦闘訓練として、相棒を攻撃のためではなく、突進するモドキをいなして払う練習も始めた。跳ね上がるイヌモドキやネコモドキを中空でいなしながら、俺もまたステップを使って位置取りを変える。モドキどもが体勢を崩したところにすかさず蹴りをお見舞いしていった。
当たりどころが胴体だと一撃で殺しきれないことがあるので、やはり積極的に頭部を狙うべきだろう。それでも殺しきれない場合は、相棒でトドメを刺している。
自分でも不思議に思ったが、戦闘に際して足の怪我はたいして問題にならなかった。傷口がどんどん悪化していくかと思いきや、逆に戦闘を重ねる毎に痛みや熱も薄まっていくのがわかった。挙句の果てに、走っても飛び跳ねてみてもまったく苦にならなくなっていた。
正直、驚いている。
負傷した箇所を見ると、ブラッドソックスがふくらはぎを覆うようにしてカッチカチに固まっていた。原理はよくわからないが、これのおかげで悪化が防げたのかもしれない。
その後も中央エリアの脳内マッピングを続けながら、単独行動しているモドキとの戦闘を何度も繰り返した。そろそろ完全に中央エリアを掌握できたかな。そんな思考が浮かんだとき、タイミングよくカレンから「一定時間が経過したよー」とアナウンスがあった。
それを耳にした俺は一直線にセーフルームへと戻り始めた。
もはや通るべき帰還ルートを自然に選択できる。何だか最初の頃と比べてダンジョンがやけに狭く感じた。これが脳内マッピングの効果か。自分とセーフルームとの相対位置を完全に掌握できている。
前方の角を右に曲がれば、セーフルームへと繋がるT字路が見えてくるはずだ。俺は角で一旦立ち止まって警戒を深める。無音の迷宮で異質に響く物音に耳を澄ませた。
「……ふぅ」
ジリジリと足を進め、安堵の吐息をこぼす。そこに中型イヌモドキの姿はなかった。どうやら時間経過による出現ではなさそうだ。それでも緊張を解かずT時路を進んだ。
例によってそいつらは最後のL字角からぬるりと現れた。
「……ガルルッ」「……ガウゥッ」「……アウ?」
絶対にカレンの嫌がらせだと確信する。最後の一匹の表情に思わず脱力しそうになったが、ここで油断したら今までの苦労が泡となる。
瞬発的に気合を込めた。お前らはここで殺していく。
思考する必要性は既になく、身体が勝手に動いた。
まずは1対1にするべく、突進・相棒突きで1匹を仕留めた。前方に困惑イヌモドキが、後方に攻撃をスカさせたイヌモドキが控えている。
ふと、困惑顔のイヌモドキを無視して良いのだろうかと頭によぎる。しかし、後方の殺気は既に膨れ上がり、今にも飛び掛かってきそうだった。
当初の予定通り、困惑イヌモドキは無視して後ろに振り返った。
途端、俺は殺意によって板挟みにされた。
「ガウゥッ!」「グルルッ!」
やはり、こいつも変則的なタイプのモドキか! だが、俺が再び困惑イヌモドキに視線を戻すと「……アウ?」と殺意が消失した。
「走れっ!」
俺は自分に命じた。
まずは困惑イヌモドキに向かって全力疾走する。後ろのイヌモドキもすかさず俺を追ってきた。背中に殺気を浴びながら正確にその距離感を把握しておく。
困惑イヌモドキは俺が近づいてくるのを察すると、すぐさまL字の奥へと引っ込み姿を消した。なるほど、そう動くのか。
ならば俺がすべきことは一つ。
背後の気配を意識しつつ、角を曲がり切る前にステップを混じえて急停止、軸足を使ってクルッとターンを決めると、そのまま軸足に力をためる。
急停止した俺に追いかけてきたイヌモドキは飛び跳ねて襲いかかる。それに合わせるようにして俺も飛び跳ねた。イヌモドキの下顎に向けて強烈な蹴りをブチかます。
蹴り上げられたイヌモドキは宙空で一回転してからドサリと落ちた。今までの戦闘経験から今の一発で即死させられることはわかっている。
「よしっ、思った通りに身体が動いたな!」
一先ず、イヌモドキの遺体を無視して角を曲がった。
「……アウ?」
困惑イヌモドキが変わらず困惑顔で俺を見つめている。
「さて」
どうしたものだろうか。この困惑顔を相棒で滅多打ちにできる気がしない。どうしてもシバ君のあの顔が思い浮かんでしまう。
「……あっちへ行け!」
俺は相棒を追い払うように振るった。困惑イヌモドキはセーフルームとは反対側の通路へと走って逃げていく。死んだ仲間の遺体を通り越してその先の角を曲がったことを確認する。
念の為にドロップしないかと、嫌々ながらも遠目にイヌモドキの遺体を眺めていたが、時間経過によってスッと消えただけでその場に残るものはなかった。
それを見届けてから、俺はセーフルームの方へゆっくりと歩んでいく。
「ただいま、カレン。扉を開けてくれ」
「シズク、おっかえりー。今回も生還おっめでとぉー!」
カレンの祝福とともにパックリと開かれた扉を通って俺は悠々とセーフルームへと帰還を果たした。
……ただ、ちょっぴり物足りない。
正しい選択をしたはずなのに。探索の成果も十分あったのに。そう思いながらも、なんだか不完全燃焼で燻る気持ちがほんの少しあった。
しかしまあ、これも無事に生きて帰ってこれたからこそ抱ける気持ちだ。素直に喜んでおこうじゃないか。
今回の探索結果
* * * * * * ス テ ー タ ス * * * * * *
名前:中ノ森シズク 性別:男 年齢:19
パラメータ(アスリート:10 達人:15 超人:20)
生命力= 10(9)
耐久力= 8(7)
筋 力= 7
器用さ= 7
敏捷性= 8(7)
知 力= 8(7)
精神力= 11
スキル:<耐える> <突進・相棒突き> <ステップ>
探索回数:23 死亡回数:16 獲得経験値:99(1)
* * * * * * ス テ ー タ ス * * * * * *
獲得経験値 99=38+60+1
討伐経験値 計38
イヌモドキ : 6×3=18
ネコモドキ : 8×2=16
ネズミモドキ: 4×1= 4
探索経験値 計60
方針転換:5
警戒休息:5
応急手当:5
観察・考察:5
観察戦闘:5
負傷戦闘:5
消極的戦闘:5
死亡せずに帰還:15
中央エリア精査マッピング:10




