塔
イスカンドリアから西に馬で十日ほどの山中。宿場町のある街道から離れて獣道を分け入りこと二日の森の中にその塔はあった。
ほぼ完全な円周に設計されたその建物は一切の歪む事無く地上層から頂上階にと到達している。
それを構成する石材はすべてがほぼ正確な正方形で建築されており、どう考えても人の大工の手で造られたとは思えなかった。
その塔の上層階。螺旋階段をおそらくは四フロアー分登った空間に二人の男がいた。
一人は小間物屋。もう一人は塔の主だという魔術師。
魔術師は変わった男だった。顔は脂肪の塊のような感じだというのに、体の方は、そう、首から下の胴体は足先まで金属製の全身甲冑を身に着けており、体格は非常によく見えた。
「素晴らしい!君は実に素晴らしいよ!」
魔術師は小間物屋の持ってきた商品を見てそう言った。
「私はね、十年間以上これを探し求めていたんだ!ようやく手に入れることが出来た!これで私の願いが、叶う!何度夢見見た事だろうか!」
「はは、そうでございますか」
小間物屋は魔術師の悦びぶりに正直退き気味だ。ともあれ、理由はなんであれこんなガラクタを買ってくれるというお人ならば目的は一切関係ない。この魔術師はきっと善人なのだろう。
「おっと。食事の時間だ」
魔術師は壁に飾れた時計を確認すると、鉄製の箱から黒い石を取り出し、齧りついた。
それは、小間物屋も見たことあるものだ。刀鍛冶屋が、刀剣を鍛えるのに使う炎の石。
「それ、石炭ですよね?食べられましたっけ?」
「昔妻に暴力を振るわれてね。今の私はこれしか食べれないんだ」
魔術師は鎧を身に着けた背中から白い煙を吐き出した。
先ほどより部屋が妙に蒸し暑い気がするのはなぜだろう。まるで台所で料理をしている、いやサウナにいるような気分だ。
「ああ。でも勘違いしないでくれたまえ。私は今でも妻を愛しているんだよ。そして私の夢というのは妻と、妻が産んだという娘を取り戻し、二人を愛して、アイシテ、あいして、哀詩て、亜依氏て、遭慰死手殺ルことなんだよ?」
「そうですか。ところで商品のお代の方ですが」
「そうそう。そこに表が見える窓があるだろう?」
「あちらですか?」
小間物屋は窓の方を向いた。
「ふむ。これが文献にある、『ロケットパンチ』とはこういうものか。実に素晴らしい!」
小間物屋は下半身を室内に残し、上半身だけ塔の窓から出ていった。
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ファンタジー世界にはしばしばやたら高い塔が登場する。
だが現実には技術的、建築資材の調達の問題などから高層建築物が大量に建てられるようになったのは近代になってからである。
なぜ高い塔が登場し、それらは邪悪な魔法使いの住処になっているのか?
階段の上り下り。水や食料の調達など、どう考えても生活には不便なだけである。
ライトノベル世界なら塔の下の方だけ攻撃魔法で吹き飛ばして内部の敵を倒そう。と考える連中がゴロゴロいてもおかしくはないだろう。
邪悪な魔法使いが塔に住む。という発想にはおそらくは現実の中世で塔を大量に建築した国の影響があると思われる。
ムハンマドの死後後継者が選ばれ、その王はアッバース朝という国を造った。
五〇〇年ほど栄え、広大な土地を支配したのだが、重要な問題が発生した。
「俺らイスラム教徒だからメッカの正確な場所を知らないとダメじゃん」
イスラム教は日に五回聖地メッカの方角を向いて祈る義務がある。そこでアッバース朝勢力下の各都市に高い塔が建てられた。
そこで天体観測がおこなれた。星の位置から、メッカの正確な位置を割り出そうというのである。
それを繰り返しているうちに天文学、占星術師達は気づいたことがあった。
「なんかさぁ。俺らの住んでる地面て平面じゃなくね?」
広大な支配地域の土地から集められる詳細な天文データを照らし合わせた結果、イスラム教徒たちは世界は平面ではなく、球体のようだということに気づいたのである。
七代カリフ、アル・マームーン(在位811~833)の頃には既に天体の位置から逆算し、地球の直径を図ろうという試みがなされていた。残念ながらマームーンは完成を見届けることなく没する。
つまりどういうことか。仮に日本に衛星軌道上の人工衛星を利用して地球上どこへでも戦略級破壊魔法を撃ちこめる魔法使いがいたとしよう。
千年前のイスラームの魔術師には人工衛星など不要だ。コンピュータも計算機もいらいない。砂漠の砂の上に棒で数式を書いて目標地点を計算すればいい。
なにしろx2=a+bxといった代数式を確立したのはウマル・アル・ハイヤーム(1048~1131)。千年前のバクダードに魔術師がいたのならば、機械の補助など不要なのだ!
と、ここまで読んでカチン、ときた人もいるのではないのだろうか。人間とは困った生き物で、自分と違う価値観の思想と遭遇するとどうしてもそれを受け入れがたいものなのである。
それが詳細なデータに基づき、真実ならばなおさらである。
アヴェロエス、というイスラムの天文学者がいるのだが、非常に功績があり、有名な人らしい。
が、その名前がヨーロッパのイタリアまで伝わった結果、聖トマス・アクイナスに敗北する悪の魔術師という伝承が産まれた。
おそらくこういうのが積み重なって『塔の上に邪悪な魔法使いがいる』ファンタジー世界のお約束が出来上がったのだろう。
なにしろ髭面の帽子をかぶった連中が星をぼんやり見ているだけで、「地面は動いて、太陽の周りを回っている。あと大地は水平じゃなくて、地球は丸いんだ」
と言っていて、それがキリスト教会の教えと違うにも関わらずどうやら真実っぽいのである。気に食わないわけがないだろう。
塔というの居住には不便ではあるが、その塔にあえて女子供を住まわせる場合がある。それは牢獄として利用する場合だ。
フランス革命の後、王妃マリーアントワネットとその息子幼きルイ十七世は処刑されるまでの数か月の間をダンブルの塔で過ごした。
下層階に鍵をかけてしまえば出ることはできない。ラプンツェルの十数年かけて髪を伸ばさなければ窓からの脱出も困難だ。
下手に飛び降りれば地面に叩きつけられて死ぬ。処刑の手間が省けただろう。
戦場では城攻めの際に攻め手が木製の簡易塔を造る事がある。城壁を越える際に使用する。はしごでよさそうな気もするが、それだと弓や鉄砲のまとになる。そこで簡素な壁を造り、登りきるまで兵士を守るわけである。直前に水をかければ火矢にも対抗できるだろう。
そのほかにはやはり戦争時に敵の侵攻監視する見張り台。船舶の安全な航行を約束する灯台などが考えられる。
これらは建築素材、建築技術から考えてあくまでも常識的な範囲の大きさ、高さであるべきだ。
旧約聖書には天国まで届くバベルの塔を造ろうとした人々の話が出てくる。あまりにも有名なお話なので、知りたい人は詳細は自分で調べてほしい。




