絵画
「悪趣味な絵だ」
聖アンジェリカ修道院の院長室に飾られた一枚の絵画を見ながら、
ジョン・ファストルフはそのような感想を口にした。
「修道院長が絵師に描かせたそうですが曰くつきのしろものでしてね。どうぞ。この修道院で採れた葡萄で造ったワインだそうです」
この修道院まで案内したイスカンドリア商会長のトワイニングは木製カップにワインを注いだ。
「頂こう」
こういう場合は飲むが礼儀作法というものだ。まぁファストルフ自身酒好きということもあったが。
「旨いな」
「ニシン将軍のお嫌いなエンプーサの娘たちが一生懸命造ったワインです」
「10歳の誕生日を迎えた両親に盛大に祝ってもらった。豚一頭を屠ってもらってな。次の日の朝、二歳年下の弟が自分も『たんじょうび』をいわってもらいと私に強請ったのだ」
「それで、どうなさったのですか?」
あまりいい思い出はなさそうだ。そう直感しながらもトワイニングは酒を飲む。彼の話に付き合わねばならない。
「虹色魚を知っているか?」
「冒険者時代に噂には。それを食べれば40日間腹が減らないとか、塩漬けしなくとも腐らないとか」
「釣れるかどうかはわからぬが、いつものように釣りに行った。今から思い返せば、弟を連れていけばよかったのだ。魚は連れた。七色に輝く、美しい魚が」
「それで、終わり。というわけではないのでしょう。帰りに魔物に襲われたとか?」
ニシン将軍はワインを飲み欲し、続ける。
「村に帰ってくると、すべてが灰になっていた。近くの街から兵が来ていて、砦の隙間をぬって魔王軍の魔物共の襲撃があったと」
ニシン将軍はからのコップをテーブルの上に置いた。
「その場で兵隊に志願した。この手で魔王を討ち取ると、すべての魔の者を葬り去ると決意してな」
「それで、その勇猛果敢な将軍がこの尼寺にどのような御用件でしょうか?」
院長室に一人の尼僧が入ってきた。ファストルフよりも高齢である。
「イスカンドリアの地下に、巨大な化け物が住み着いている。黒くて、巨大な鳥の姿をしているそうだ。既に何人もの兵士や、冒険者が奴に食われている。貴方に倒して頂きたい」
老僧は将軍をしっかりと見据えたまま、だがやんわりと答えた。
「お断りいたします。それはお国を護る貴方方軍人の役目で御座いましょう」
「この修道院で化け物どもの仲間を大勢匿っているのはわかって、いや知っている」
「化け物ではありません。エンプーサです。彼女たちは人間とほとんど姿形が変わらない事がよいこといい事に都合のいい時だけ『人間の夜の奴隷』として扱われ、そして不要とあらば魔物として処分される。そのような不安定な見の上なのです」
「それだけではなく貴方には魔物を集めて王都に反逆の意思あり。そう考える者も軍内部にはおりましてな」
「そのような事はこの白髪の一本にも御座いません」
「ではそれを行動で示して頂きたい」
老僧はわずかに沈黙し、
「承知しました。準備が整い次第出立いたします」
そう返答し、部屋から出ていった。
「それにしても悪趣味な絵だ」
改めてファストルフは壁に飾られた絵を見た。
それは戦いの一場面を描いた絵画だった。大勢の人と、魔物が描かれている。
血に倒れ伏した人。魔物。
そして中央にいるのはローブを纏った骸骨の魔導士に剣を突き立てたまま、息絶えている一人の剣士。
「マジノスの岡での最後の戦いを描いたものだそうです。描いた画家が大変苦労なさったとか」
トワイニングはファストルフのカップに改めてワインを注ぎながら絵画についての説明を始めた。
「苦労?人が多いからか?」
「いえ。依頼人のここの修道院長から、『タナカ・ショーイ』が死ぬ場面を描いてくれ、と」
椅子にどっかと腰を降ろし、ファストルフは鼻を鳴らした。
「ふん。かつてたった一人で魔軍大侵攻を食い止め、人類を救った救世主タナカ・ショーイが死ぬ場面を描けとな?魔王の手先という噂もあながち嘘ではなさそうではないか」
「それが、そうでないでもないのですよ。ニシン将軍」
トワイニングはカップを揺らしながら続ける。紫色の薫り高いワインが、木製の盃の中で波紋をうった。
「人間の領土で、家に火をつけ、金貨や食料を奪うのは何も魔軍の軍勢とは限りません。貧しさゆえ、あるいは手っ取り早く儲けられるからと冒険者から盗賊に転向する者多い」
「そのような不貞の輩はすべて騎士団が成敗しているではないか!」
「だいぶ前の事になりますが、ある村が盗賊団に襲われまして。いやもちろんすぐに将軍配下の騎士団が征伐してくれました。問題は襲われた村の方です。住人は無事だったのですが盗賊団に言われるままお金と食料をすべて差し出してしまったので、その年の種蒔きも出来なくなってしまったのです」
「だからと言って、毎度毎度女王陛下が施しをするわけにもいかんだろう」
「おっしゃる通りです。ところがその村には絵描き志望の若者と、彼の画材が残っていましてね。画材は金目の物じゃありませんでしたから盗賊に奪われなかったのです。そこで修道院長は考えたんですよ。ここの修道院には穀物蔵がありますからね。絵を一枚描く代わり麦を分けると」
「で、どうしてこういう悪趣味な絵なのだ?私なら絵師に勝利の凱旋とか、そういう場面を描かせるが」
「自分に対する戒めですよ」
「戒め?」
「修道院長は若いころタナカ・ショーイと共に魔王軍と戦った八英雄の一人だとか。ですが、この戦いがあった日、彼女は別の場所にいてタナカと共に戦わなかったそうなのです。ですからもし、この場面に自分がいればタナカ死なずに済んだ。絵を見る度に思い出すように、ね」
ニシン将軍ファストルフはワインを飲みほした。そしてこう言った。
「もう一杯」
「どうぞ」
「想像していたより面白い話だ」
なるほど。よくよくみれば、この絵画。人間の軍隊に弓兵や騎馬兵や槍兵や魔術師や暗殺者や大斧を持った戦士はいる。
そして魔王と刺し違えている剣士が人類を救った英雄、タナカ・ショーイ。
だが、英雄の傷の手当てをするべき修道女は。
一人も見当たらなかった。
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写真が発明されたのは十九世紀ごろらしい。坂本龍馬が写真を撮ったことをあまりにも有名だし、欧米視察の途中でエジプトのピラミッドの前で記念写真を撮った侍もいたそうだ。
それ以前の時代となると当然ながら人の姿を映し出す方法と言えば、絵を画しないわけである。
まぁ「俺の屍を超えてゆけ」みたいに平安時代と思われるのに何故か写真技術が存在する世界もあるが、そこらへんはもう、世界を創る「神様」(作者)次第になるのわけだが。
それはともかく人物画というのはお見合い写真であるとか、記念写真の代わりに描かれることが多かったようだ。
この際に依頼人の貴族は絵師に対して注文を出す。
貴族「私の妹が今度見合いするのですが、その見合い写真を描いて頂きたい」
絵師「はい」
貴族「妹はそれはそれは稀有な美少女で、その場にいるだけで注目を集めずにはいられない天性の女優、いえ女神というべきかな? 幼少時代よりも、毎日のように村中、いえ街中、それこそ国中の愚民どもから恋人押し付けられる生活を過ごしており魔術学校では廊下ですれ違うだけで歩行中の、あるいは教室にいる青少年が動悸と息切れを引き起こし、次々と担架で運ばれていく。それこそ生身の人間ではなく、青少年の願望が具現化した立体映像だと言われても信じられるほど世界的なトップモデルが裸足で逃げ出す美貌ブティックで試着すれば他の客が人垣を作り、店内がファッションショーと化してしまうのだよわかるかね君?神に愛されたのか悪魔と取引したのか、努力で手に届く次元ではない美しさ。ふ、違うな。私の妹こそが世界の創造主。神そのものなんだ。まさに性別を超えた美しさと言えるだろう。ああこれは文字通り性別不明という意味ではなく妹はちゃんと女性だからな。まぁ、こんな感じな妹なのだよ」
と、貴族が説明すれば二つ返事で、
絵師「はい。畏まりました。ではそのようにお描き致します」
と返答し、如何にもそのようにその貴族の兄上様が仰る通りの美しい妹様を描く。
画家としてはお客に気に入ってもらわねば商売にならないわけで、一族の数百年前の英雄と言わればそのように描き、伝説の美女を描いてほしい頼まれればやはりそのように絵を描く。
問題はそれが実生活に密着する場合で、「女神アテネに喧嘩を売ったメデューサ並に美しい女性の見合い写真」を冒険者が届けたとする。
それが実物と大きく相違していた場合、おそらくはの場合アピアランス値で下方方向に向かって、その責任の矛先が配達人冒険者に向けられかねない。
「美しいメヂューサ」本人の怒りは冒険者に向けられ、「醜いメデューサ」と見合いをさせられた相手の怒りの矛先もやはり冒険者に向かうだろう。
また絵画の後ろに隠し扉があったり、不死身のモンスターの魂が絵画の中に存在するという場合も考えられる。
怪物は本当に何をしても倒すことができず、絵の中の本体を攻撃しないと倒すことが出来ないのだ。
また宗教画というものもある。
これは聖書などの場面や登場人物を描いた絵画で、宗教施設などに多く見られる。
独自の荘厳さを感じさせる半面、人間的な柔らかさ、温かみはほとんどない。宗教画は基本的に平面的な物が多いが、これは描いて連中がそろいもそろって絵描きの才能がなかったのではなく、「宗教画ってそういうもんだから」という暗黙のルールが存在し、それを何百年も守り続けてきたせいだからなのである。
どのイコン絵師も鉛筆だけで描いたような細いイエスだのマリアだのを描いているが、これは彼らの信仰の対象、即ち人間を超越した存在である神だの聖人だのは肉体的な匂いを感じさせない方がいい。(少なくとも中世キリスト教徒にとっては)神は、人間とは別個の物なのだから。
また宗派は異なるがガブリエルから神の啓示を受けるムハンマドという絵画もあるが、こちらに至っては預言者ムハンマドの顔が後の人々に削り取られてしまっている。
宗教画は全体的に色彩豊かで、更に神は光なりということで金箔を贅沢に使うことも多い。
この傾向は日本の仏教でも同様である。




