『追想』 松野詩史×樹侑哉 編
反魔法・右翼団体『皇道』による、一連のテロ事件は『2065年事変』として、幕を閉じた。
彼らの行いは、政治的・社会的にも許されざるものばかりだが、これにより、国民は『魔法』というものの存在意義を考える良いきっかけになったと、私は思う。魔法を扱える遺伝子を持ちながらも、芽が出なかった者。芽を出すことはできたが、知識を蓄えず、努力を怠った者。そもそも、魔法を扱える遺伝子を持っていない者。今まで、共存し合えなかった者達が共に考え、行動した結果、政治・経済の観念さえも、変えてしまったのだ。
そして、日本における最有力な魔術士の家系であった『五大家』は、金城家次期当主・金城紘一の逮捕によって、一気にその確固たる地位は崩れ落ちた。だが、それでも絶対的な魔法力を持っている魔術士の集団というのは変わらない。あくまで、日本政府の見解としては、五大家を最優遇し、魔法適性遺伝子を持たない者への差別を撤廃する、というものである。
***
日本国内の変革を、この目で見てきた私は、『報告』のため、大韓民国・チェジュ島へ赴く。
2070年6月。約4年続いた『第二次朝鮮戦争』の最大の激戦地であったここに、私の『親友』であった青年は眠る。名前は、イツキ・ユウヤ(樹侑哉)。ただし、私達と同じ『人』ではない。国家プロジェクトの生体サンプルとして生を受けた『ヒト』である。
五大家の中でも最有力な家系・水無瀬家主導で、2010年、『次世代魔法技術士開発計画』は始動した。当時の日本は、米国などの西側諸国(魔法技術開発推進国)から、魔法工学などの魔法技術を取り入れていた。だが、元米国国防長官ベンジャミン・クラークからの通達『日米安保条約再改正』に伴い、このプロジェクトは始動したのだ。
ちなみに、水無瀬に代表される『五大家』というのは、五行説に基づく、エレメンツを冠する家系のことを指し、私の生家である松野家は、水無瀬の分家にあたる。従来は、このアプローチが有効とされていたが、魔術士(魔法技術士)のごく一部では、それを良しとしない人間がいたためである。その急先鋒が、金城家と水無瀬家だ。
この計画において、一番重要視されたのは、現代魔法という次世代の魔法構築方式を、長時間・複数回使用できるほどの身体能力と精神的なスタミナであった。これらから、サンプル作成においては、『優秀な遺伝子』を『健康な被検体』に組み込み、遺伝子操作。魔法の根幹を成す精神領域を拡張させることで、前述のそれらを克服するということである。
2020年。プロジェクト始動から十年経ち、生体サンプルであるSTR-2010は完成した。
元になる生殖細胞はというと、私の兄になるはずだった男性のもので、組み込む遺伝子は、『久我』という家系の遺伝子だ。この家は、私の従弟にあたる水無瀬悠佳の恋人・久我彼方の生家であり、彼を見れば分かるが、膨大で強力な魔法力を継承する血筋。それ故に、格好の材料にされたのだ。
水無瀬が所有する研究所で、彼は生成され、同年五月に私が生まれた。
実母ではなく、使用人と思われる女性の腕に抱かれたのを覚えている。勿論、そこに『彼』がいた事も。
***
2028年。私は八歳の頃、父に内緒で水無瀬所有の研究所に忍び込んだことがある。あの時は見るだけだった彼の姿が、八歳のこの頃はすぐ目の前にある。本来なら、私の兄になるはずだった彼の容姿は、物悲しさを湛えた美しさを持っていた。
――もしかして、君が、父さんの言っていた『あれ』なの?――
確か、私はこう話しかけていた。父が水無瀬の命令で、あのプロジェクトに参加していたので、あの手の話は全て知っていた。そして、彼のことも。
――ここにいて、寂しくない?――
何言っているんだ、と今では思う。彼はプロジェクトのためのサンプルとして開発されたのに、「寂しくない?」など。完全に私のエゴではないか。だが、当時の私は、五大家『水無瀬』の分家の息子と言えども、八歳の子ども。そこに関しての良識が欠けていた。
そんな私の無邪気で酷な問いに、彼は淡々とだが答えてくれた。
――寂しいって、何?――
――だから、一人でこんな場所にいて、寂しくない?――
あ、彼の顔が歪んだ。何か考えてる。
――寂しい……?――
なら、これを言えばいいのかな。
――僕が、友達になるよ――
――友、達――
目を丸くさせている。これはいい調子だ。
――そう、友達。僕がここで君と一緒に何かして遊ぶんだ――
最後のとどめとして、当時の私は、彼の手を握った。
――握手。僕の名前は、松野詩史。君は?――
――君は、と言われても――
ああ、ここでも気遣いが出来ていなかった。まだ、この時は被検体番号で呼ばれていたんだ、と。
――なら、次会う時に考えておくね――
これが、私と彼の出会い。
***
2032年冬。再び、彼のいる研究所を訪れた。
4年ぶりの訪問となったのには、理由がある。それは、数少ない知人である桐村智稀が暴走を起こし、水無瀬の元研究員の両親の殺害に至った事件が起きた際、私ともう一人の知人である都筑千歳が介入。都筑が加重魔法で桐村の体を地面に拘束、後に私が精神干渉魔法にて、侵食されている『良悪を判断する領域』を摘出してしまった。結果的に桐村の暴走は鎮静化したものの、侵食が著しく、その部分ごと摘出したため、人間に本来備わっているはずの罪悪感までも喪失させてしまった訳である。
それに加えて、プロジェクトの急遽中止だ。当初、このプロジェクトの問題点として、生命倫理・人権の保障などが挙げられたが、次世代魔術士開発の急先鋒である水無瀬家及び金城家は、それを黙殺して実行した。その事実が、公安にマークされてしまい、渋々プロジェクトは中止に追い込まれた。だが、サンプルとして連行された人間の解放や情報の処理までは手が回っていなかったらしく、この研究所内に匿われているらしい。
ある日、その話をふと盗み聞きした私は、暴走事件が片付いたのをいい事に、すかさず研究所にいる彼に会いに行こうと向かった。
研究所に着いたのは良かったものの、つい最近だろうか。公安の捜索が入った形跡があり、4年前とは雰囲気がまるで違っていた。
さらに奥に進む。水無瀬は公安が来ることを見越していたのか、証拠隠滅のために、サンプルを『殺処分』した形跡も見受けられた。『水の大家』である水無瀬だが、裏の研究は『精神領域の改造・操作による能力付与・向上』。そのため、生身の人間を使った実験を行っている。もし、逃亡してしまえば、この事実を漏洩させてしまうかもしれない。その危険性を疑った水無瀬は、実験に使った人間を『殺処分』することを選んだ。証拠として、血の匂い・肉の焼けた跡が続いている。
最奥にある『特別実験室』と記されている部屋は、プロジェクトに使用されているサンプル、つまりあの彼を『保管』しておく部屋として秘匿されており、水無瀬の中でも研究チームの人間しか存在を知らない部屋だ。なぜ、私がここに来ることが出来たのか。それは、幼い時の邂逅があったおかげである。ここだけは公安の捜索も入っておらず、資料は手つかずのまま残されていた。
「ここになら、いるかな」
私は、公安か水無瀬が来ても良いように、愛用の改装型ベレッタを二丁携帯する。
「機密といえども、いずれは捜索が入る。そうなると、水無瀬は証拠隠滅のために、真っ先に彼を殺す。なら、俺が守らないと……」
だが、いくら探しても、彼の姿はない。
「もしかして、もう……」
その『もしも』を想像してしまうも、すぐにそれは杞憂となった。
まだ一つ見てない場所があったからだ。
「『あの部屋』を見てない」
『あの部屋』というのは、私達で言う寝室だ。魔法の生体実験となると、被験者の精神状態が大きく影響する。そのため、リラックスできるように、ベッドが用意されている。
その部屋のドアを開けてみると。
「君は……、あの時の」
案の定、彼はいた。白いパジャマを着た彼は、外のことを知らない様で、柔らかく私に微笑む。
生きていて良かった。言葉にしなかったものの、すかさず彼の身体を抱きしめた。
「久しぶりだね。シフミ」
抱き返してくれる、彼の温もり。だが、外で起きている状況から、いつまでもここにはいられないことを伝える。
「プロジェクトは、中止か。知らなかった」
「だから、ここもいつ公安が搜索に来るか分からないし、水無瀬も、証拠隠滅をするために君を殺すはずだ。だから、私と一緒にここから出よう」
「よく分からないけど、一緒に行けばいいんだね」
彼は、事の重要さを理解しきれていない模様だったが、今はそれどころではない。
「そういうこと。だから、行こう」
そう。『彼と一緒に出る』事だけを、当時の私は考えていた。
これからは、水無瀬の、松野の目が及ばないところで、『サンプル』などではなく、『一人の人間』として生きるために。
***
水無瀬の研究所がもぬけの殻となり、季節は春になった。
私は私立研究所の附属機関である私立中学『魔法技術大学中等部』に進学。彼もまた、私と同じことがしたいということで、同じ学校の同じクラスに通うことになった。彼の名前は、便宜上の物であるが、『樹侑哉』と名付けることにしたのだが、彼自身「シフミが名づけてくれたものに文句は言わない」と言っており、気に入ってくれているみたいだ。
学校生活は、私が思っているほど混乱はなく、むしろ、松野家に独特の中性的な容貌と、サンプルとして使役されてきたが故の絶対的な魔法力の高さで、たちまち学校の人気者にのし上がっていった。
「侑哉って、やっぱモテるよな」
私とて、松野の血は嫌いだが、一応は誇りに思っている。このつぶやきは負け惜しみにしか聞こえないだろう。だが、それでも侑哉は、優しかった。
「そんな事ないよ。ほら、シフミを見てる人は多い」
「それは……」
二の句を告げない私。なぜなら、恋愛事に関する感情の機微に人一倍疎いからだ。
「もういいだろ。今日は俺と近代魔法史について教えるから、予習しておいてよ」
「ふふ、分かった。楽しみにしてる」
そう言って、侑哉は図書館へ向かった。
***
夜。放課後に交わした約束通り、私の自宅で近代魔法史の勉強を行った。終わったのは深夜零時過ぎで、侑哉の瞼はうとうと閉じかけていた。このまま机に突っ伏して寝てしまうのは、体勢が良くないので、いつも通り私のベッドに寝かせることに。ちなみに、私はソファで寝ることにしている。
「元生体サンプルでも、疲れる時はあるんだな……」
眠りに入ったであろう頃見てみると、彼はすやすやとあどけない顔で寝息を立てていた。今この瞬間や、学校での彼だけを見れば、誰だって、樹侑哉は普通の男子中学生だと言える。私も、過去さえ知らなければ、そう認識していた。だが、私は生体サンプルとして『管理』されていた、という事実を共有している。ならば、私は今の彼の日常を守っていかなければならない。松野の、水無瀬の罪を償う為ではなく、彼に同情している訳でもなく、ただ、彼に笑っていて欲しいから。
「侑哉って、本当に格好良いよな」
ふと、学校での彼を思い出してみる。クラスでは、いつも彼は輪の中心にいる。魔法教育において私立最高峰の学校だけれど、普通の生徒で、ああいうイケメンに目がない女子は少なくない。それは当然だが、彼は男子にも人気らしい。確かに、整った容姿に爽やかで柔らかく、少し儚げな印象だ。
それでも、クラスメイトはこの寝顔を見たことがないし、過去も知らない。
これは、私だけの特権と言っていいだろう。
「クラスメイトに嫉妬する俺って、何なんだ?」
好きなのかな。侑哉の事が。
同性同士の恋愛に偏見のない私だが、いざ当事者になるとは思わなくて。
「俺の好きは、そういう好きじゃない気がする」
それでも、彼の安心しきった顔をずっと見ていたい独占欲は人一倍強い。
「分からないな……」
***
『好き』。当時中学生だった私が、そういう感情があることを自覚したのは、あれから二年後、中学三年の十二月だった。
私の通っていた『魔法技術大学中等部』は、エスカレーター式であったために、受験の必要性がなかった。だが、進学試験があるため、皆一応は勉強をする。勿論、実技を中心に。当時の試験は、まだ新たな魔法構築方式が出来ていなかったため、旧式での試験だった。基本五属性が鍵となる試験なのだが、少なくとも私の血統は、精神干渉魔法のスペシャリスト集団であるが故に、その領域から脱してしまっていたのだ。対する侑哉は、現代魔法を使用する事を前提に生成されたのだが、(現代でいう)古典魔法も扱える『汎用型』として生成された。
ある日の放課後。自宅で、互いに苦手なところを教え合いながら、試験の対策を行っていた。
「シフミ、君はこれからどうするの」
ふいに訊く侑哉。
「俺? 分からないな。きっと、松野を継ぐんだと思う。侑哉は、どうするんだ」
「分からない。だけど、シフミと一緒にいたいとは思ってるよ」
「どうして」
「それは……」
途端、侑哉は私を強く抱きしめた。心臓が早い。切なげに声を震わせ、言葉を続ける。
「夕べ、シフミと初めて会った日の夢を見たんだ。あの時のシフミはとても純粋な目で僕を見ていた。眩しすぎて、光が強すぎて、全然分からなかったけど、僕に話しかけてくれた人は君だけだった。それが嬉しくて、僕はずっと待ってた。でも、待っている間が長すぎて――」
「侑哉」
「だけど、君は来てくれた。あの場所から連れ出してくれて、イツキ・ユウヤっていう、名前もくれた。忘れないでいてくれたんだ、と」
聞いたことのない、彼のあたたかな声に、私は彼を抱きしめ返す。
「侑哉……」
「今思うと、あの日から、そういう意味で、僕は君を好きになっていたみたいなんだ」
シフミ、君はどう? と訊かれる。
「そうだな。疲れて眠っている顔も、辛い過去も、知るのは俺だけだ。……知っているのは、俺だけでいい」
「シフミ」
一緒にいたい。息だけで伝えるものの、彼は疲れてしまったのか、眠りに落ちた。
「侑哉」
そう。このあどけない寝顔を知るのは、俺だけでいい。いや、俺だけのものだ。
ばかみたいな独占欲を自身の心に宿しながら、私は唇のキスだけに留めておいた。それ以上は、まだだ。
***
そして、高等部に進学した私達だが、別のクラスになってしまった。その代わり、桐村智稀暴走事件の折に共闘した都筑千歳と同じクラスになることに。
「千歳、お前も高等部に進学したんだな。てっきり別の高校に行くのかと思ってた」
それもそのはず、彼は私の様に魔法適性因子を持つ家系に生まれていない。だが、彼は『イレギュラー』と呼ばれる類であるため、魔術士のコミュニティ独特の陰気さを感じさせない。
「だってさ、無性にしいちゃんに会いたくなったんだもん」
「そんな理由でここに入るなんて、全く無謀というか、お前らしいな」
「で、しいちゃんは高等部出たら、どうするの」
「さあな。松野を継ぐかどうか迷ってる。水無瀬の分家と言えども、体裁はあるからな。だけど俺さ、一緒に生きていくって決めた奴がいるから」
「それって?」
さすがに侑哉の事を、彼に言う訳にはいかない。私は上手くはぐらかす。
「好きなやつが出来た」
さて、これでどうか。
「好きなひと? どっち?」
「どっちだと思う?」
「うーん、女の子?」
違う? と首をかしげてくる彼が、いい加減鬱陶しく思えてきたので、私は「そう思っておけ」と吐き捨てる。こうでもしなければ、しつこいからだ。
これで懲りたのか、彼はこれ以上詮索することなく引いた。
「そう言えば、俺この後用事あるんだった。じゃあな」
侑哉にまた勉強を教えるためだ。話の腰を見事に折ってしまったことは申し訳ないが、ひとまず退散する。
自宅へ帰り、いつもの様に侑哉に勉強を教える。魔法史、魔法工学、魔法理論、政治史、その他の教養。これらは全て、侑哉を『人』として生かしてゆくためのもの。水無瀬がしてこなかった事を、私は補完しているのだ。
その結果、彼は私よりも多くの物事を記憶していった。嬉しくもあり、羨ましくもあり、益々彼を愛しいと思うようになっていった。
高二の冬の事。
「侑哉、俺は羨ましいよ」
夜。いつものように侑哉を抱き込みながら呟いた。
「何が?」
「俺と君は同じ『人』なのに、どうしてか、君といると落ち着かないんだ」
「落ち着かないって?」
「君は、俺とこんな近くにいて、同じベッドにいるのに、全然表情が変わらない」
好きって言ってくれたあの夜は、一体。私は、女々しくもそう思わざるを得ない心情にいる。
「羨ましい」
ああ、本当に浅ましいな、私は。
「侑哉、君はあの夜の事、覚えてる?」
いつまでも、静謐な侑哉の瞳。揺らぐ事も、潤む事もない、『人』ならざる瞳。私は、この瞳が好きだったのに、この時ばかりは、焦れったくて仕方が無かった。
「ごめんな」
更に抱きしめ、唇にふわりと触れ合わせた後、焦燥感からか、彼に舌を入れるなどという行為に進んでいた。
「ん……侑哉……」
夢中で口腔を味わう。『人』ならざる彼の味はどんなものなのだろう。誰も知りえない奥深くを、私は今知ろうとしている。いつもの私らしくない行動だとは分かっていた。彼の気持ちを置いてきぼりにして、実に最低な事をしている自覚もある。それでも、私は彼を知りたい。
「ふぁ、んむ……」
くちゅくちゅ、といやらしい音を立てて、くまなく口内を味わう。
止まらない。止めたくても、止められない。
顎が痛くなっても、離すのは惜しい。
「好き、好きだ……」
好き、という気持ち。愛おしい、という気持ち。反して、浅ましさ、見苦しさ、そういう気持ちが、私の中をぐるぐる駆け巡る。
「こんな浅ましい姿、侑哉にだけは見せたくなかった。だから、この事は忘れてくれ」
唇を離した後に残る、侑哉との記憶を振り払うかのように、私はベランダへ向かった。
「君は所詮、俺の手に負えるヒトではない事は分かっているんだ」
***
樹侑哉と唇を重ねた夜から少しばかり経った、ある日の放課後。
『もしもし、風間冬樹です。今、時間は大丈夫かい?』
私達の生活を支援してくださっている、『五大家』の一翼、風間家の現当主、冬樹さんからの電話だった。
「何ですか?」
『それが』
一瞬声を詰まらせた冬樹さん。何かあったのだろうか。
『情報局の連中が、あの計画で脱走したサンプル、つまりユウヤ君の居場所を暴いた。多分、公安や計画の関係者がリークしたに違いない』
淡々と、感情を抑えた口調からは、冬樹さんらしくない激情が迸っていた。
十三歳の時に作成した『樹侑哉』という、今の彼の戸籍データが、遂に使い物にならなくなったという事である。いくら、私達が彼を『樹侑哉』と認識していても、公的には、次世代魔術士開発計画の生体サンプルSTR-2010なのだ。
「それで、今彼はどちらに?」
『風間の本邸で保護している』
本当は、私が守ってやりたかったが、仕方ない。
「……ありがとうございます」
『それと』
何か言いたげな口調。
「何ですか」
『ユウヤ君は、絶対に守るからね』
それだけを言って、電話は切れた。
「情報局……そう言えば、あいつも局に入っているんだっけ」
『あいつ』とは、桐村智稀だ。
「『あの部分』がないなら、リークしかねないな」
侑哉の存在が国家機関に公になった以上、私は彼に会いに行くのは、いささか危険だ。
この頃から、私は次第に彼を避けるようになった。
***
――どうして樹くんを避け続けるの――
――詩史、君はそれでいいの?――
***
高等部二年の冬。『魔法技術大学入学試験』を、いわゆる飛び級で受験。昔から興味のあった古典魔法学を早くから大学で勉強することができ、当時の私は浮き足立っていた。三年次の一年間は研修の為に、ドイツの魔法研究機関『ジルニトラ魔法学院』へ。この時、私の中では侑哉の存在は殆ど無いものに。さらに、大学へ入ればなおさら彼の存在は希薄なものになっていった。
本当は、彼の傍に居続けてやりたかった。だが、私は怖かったのだ。『人間』として接していた彼が、『兵器』になるかもしれない未来を想像するのが……。
***
2041年12月8日。
以前より魔法技術開発論争に中立的だった大韓民国が、遂に西側に加わったことに端を発した代理戦争『第二次朝鮮戦争』が勃発した。第二次世界大戦以後、長い時を経て、南北朝鮮は一昨年統一を果たしたのだが、それも二年という極めて短い期間で、再び南北に分断したのだった。大韓民国側に支援に入ったのは、アメリカ・イギリス・フランスなどの西側諸国。対して北朝鮮側には、ロシア・中国などの魔法技術開発慎重派、東側諸国。ちなみに、日本は言うまでもなく、西側諸国の支援だ。
当時大学三年だった私は、この出来事に関して、非常に冷静に受け取っていたのを覚えている。ああ、遂に始まったか、と。
来年は大学を卒業するので、それと同時に国防軍入隊に適うかどうかの適性検査を受け、半ば水無瀬の命令で、魔法技術開発研究所の特務研究員として、自分が持つ力を現代精神病治療発展に貢献する。私の前に敷かれたレールは、全てが完璧だった。
そんなある夜のこと。吉祥寺の自宅に着くなり、見覚えのある人物が玄関前に座り込んでいた。
「誰だ」
師走の寒空の下にも関わらず、薄手のコートにパンツという出で立ちの男は、力ない眼差しで私を見上げる。
「……シフミ」
感情が一切読めないのに柔らかな声色で私の名を呼ぶ男。知る限り一人しか思いつかなく……。
「侑哉?」
応えると、彼は目を大きく見開かせ、私をきつく抱きしめてきた。
「……会いたかった」
さっきまでくすんでいたアンバーの瞳に光が宿るように、彼の両目からは大粒の涙が滲み、頬を濡らした。
「シフミ、会いたかった」
そう何度も繰り返す侑哉を抱え、私は家に招き入れた。
「お風呂、ありがとう」
なんでもない日常の中の一コマなのに、なぜか私は動揺していた。
「何か、久しぶりだよね。こういうの」
高校時代のあの夜以来の再会だった為であるのと、大人っぽくなった彼の姿に戸惑いを隠せなかったせいだ。だが、そんな私の心中を知るはずがない彼は、何気ない動作で、私の隣に腰掛ける。
「そうだ。シフミ、入隊審査に合格したんだってね。おめでとう」
「ああ、ありがとう。侑哉も受けたんだろう?」
「まあね。でも、僕は戦いたくないなあ」
「どうして」
「僕は、戦争とか、人をモノとして扱われるのは嫌なんだ」
「自分が、『モノ』として扱われてきたから?」
「……分からない」
すると、急に彼から表情が消える。
「……僕がこうしてシフミの傍にいられるのは、今夜で最後なのは知っているから」
支離滅裂なことを私の胸の中でつぶやいた。
「だから、シフミの温もり、僕にちょうだい」
『今夜で最後』。この言葉通り、彼は私の前から姿を消した。
高校時代は、私が彼を遠ざけたが、今回は、彼が私から離れていった。
***
2045年。大学を卒業し、私は魔法技術士(魔術士)の最高ランクであるA級ライセンスを取得。正式に、魔法技術開発研究所の特務研究員として働く許可を得た。同時に、日本国防軍入隊の知らせが届き、編成されたばかりの『第83独立機動部隊』への配属も決定。階級は、魔術士ライセンスを買われてか、『大佐』となった。
また、2041年から続いている『第二次朝鮮戦争』も膠着状態に陥り、両陣営ともに死傷者が多数出る状況に陥っていた。一時は休戦もやむなし、と囁かれていたものの、6月25日に開始する予定だという作戦『済州島攻防戦
(済州島攻略作戦)』に私の所属する隊を投入すると発表。実際、その通りとなった。
6月25日8時15分。
私達『第83独立機動部隊』が済州島に降り立った時には、既に戦場独特の焼け野原となっており、豊かな自然あふれる済州島の姿は見つけられなかった。
「……あのチェジュが、消えてしまった」
中等部時代の修学旅行で訪れた済州島。当時の私を強く惹きつけた、あの海も、空も、何もかもが今はない。
「なあ、君はこの戦争をどう思っている?」
「この、戦争ですか」
たまたま近くにいた部下の魔術士:長谷に問うた。
「そうだ」
「俺は……、よく分かりません。だけど、魔法を持つ俺達が、持たない人達を殺すのには、意味はないと思います」
「そうか。ありがとう」
「いいえ。でも、どうしたんですか?」
「いや、何でもない」
そう言えば、侑哉はどうしたのだろう。彼も入隊審査をパスしたと言っていたが……。
そんな時だった。
『詩史、君達のいる西帰浦に、新スラブ軍の兵士が向かっている。気をつけて!』
無線の主は、私の友人:都築千歳だ。急遽この『第83独立機動部隊』に配属され、後方支援をしてくれている。
「了解」
心を落ち着かせ、目を閉じる。そして、右手に携えていたM-CADベレッタを空へ放つ。
中等部時代、陰陽師由来の古式魔術士:吉原清周から教わった魔法『望遠眼』だ。魔術士が常時放つ『粒子』を探知する膜を張り、その周辺情報を自身にフィードバックする、というもので、古式魔術士はともかく、私のような現代魔術士が習得するのは多くない。
話は戻るが、確かに、新スラブ軍――GRU(新スラブ連邦軍統合参謀本部)の兵士が、こちらに向かっている。加速魔法をループキャストによって増幅させているようだ。
「本当は戦いたくないが、仕方がない」
私は咄嗟に兵を拡散させ、真正面数十メートルに照準を合わせ、対抗魔法を発動する。
「……!?」
急な減速の衝撃で倒れたGRUの兵士の正体に、私は目を疑ってしまった。
「詩史、どうした!?」
後方支援にまわっていた千歳がこちらへ合流してくるのを確認。
「……この兵士は、私の古くからの親友だ」
なぜだ。なぜ、敵側に樹侑哉がいるのかが分からない。
「侑哉、久しぶりだな」
試しに話しかけてみる。私の知っている彼なら、あの柔らかな笑みを浮かべて応えてくれるはずだが……。
「この兵士の始末は、私に任せてもらっていいか」
「ああ、はぁ……」
そして、半ば強引に彼を背負い、東部へ目指す。
中学時代に訪れた、城山日出峰へ。
「ん……」
彼が目を覚ました時には、既に日も落ちていた。
「やっと目を覚ましたか」
安堵するのも束の間だった。
「誰だ、貴様は!」
高圧的な言動、明らかに私を拒絶する行動。私の知る『樹侑哉』ではなかった。
「俺か? 俺は、松野詩史だ。君こそ誰だ?」
「私は、新スラブ連邦軍統合参謀本部直属戦略級魔術士、コードネームSTR-2010だ」
STR-2010。かつて『2010年プロジェクト』の際に彼に付けられた個体識別番号だ。
「新スラブ連邦大統領より、『日本国防軍の松野詩史を殺害しろ』との命令を受け、ここにやってきた。……これより、任務を遂行する」
完全に『樹侑哉』としての人格は、全て消去されているようだ。『人型兵器』の如く、極めて俊敏な動き、M-CADの操作技術。
「俺との過去を、完全に忘れているわけか」
こちらも、ベレッタを二丁携え応戦する。
「貴様のことなど知らん!」
確かに、今の彼は身体能力もM-CAD操作技術も、Aランク相当の実力だ。だが、魔法という魔法を一切使っていない。……いや、使えていないように見える。きっと、能力向上のために、薬物や洗脳を使ったものと分かる。
ここはもう、『あれ』を使うしかないな。
水無瀬家及び松野家お得意の情動干渉魔法『凪心』を発動することにする。
「だけどよ、思い出してくれよ。『樹侑哉』」
ベレッタの銃口を彼の額にしっかりと当て、その引き金を引く。
***
「――そういうことか」
『凪心』の精神鎮静効果により、本来の人格を取り戻した侑哉から話を聞くと、彼は中央情報局の幹部から洗脳を受け、あの命令を実行しようとしたらしい。私に敵意を向ける人間など、魔術士の中にはいるだろう。私は、『五大家』の水無瀬家分家筋松野家の一人息子であり、『次世代魔術士開発計画』に唯一反対していた人間。そして、今目の前にいる元生体サンプル『STR-2010』に『人』としての人格を与え、生かした人間なのだから、狙われるのも当然だ。だが、なぜ彼は東側に送ったのかが理解できない。
「ごめんね。だけど、僕にも分からないんだ。僕はただ、『殺せ』という命令に忠実に……」
「分かった。それ以上はいい」
それでも、侑哉が再び私の前に姿を現してくれた。嬉しいことだ。
「思い出してくれて、本当にありがとう」
敵側に与する彼だが、今は昔からの親友だ。生きていてくれたことへの感謝、思い出してくれたことへの感謝が爆発した私は、戦場にも関わらず、彼を強く抱きしめた。
痛い、という彼の声も耳には届かず、安堵と愛しさで、力が強くなり、涙も、一筋――。
「侑哉、ありがとう」
「シフミ……」
「好きだ……」
心からの、初めての『告白』。まさか、こんな戦場でするなんて。
「シフミ。僕も、ずっと君が好きだったよ。だから、お願い」
「何?」
「シフミのその手で、僕を殺して欲しい」
頭が、言葉を拒否した。
「それって、どういう意味だ」
「言葉の通りだよ。僕を、『殺処分』して欲しい」
「でも、一体何で、そんな事」
私の困惑と戸惑いに反するように、彼は暖かな表情で語り始める。
「僕は元々、『次世代魔術士開発計画』の生体サンプルとして生成された。だから、計画が終わればそのまま殺処分されるはずだった。なのに、幼い時に君と出会って、外の世界を知って、『樹侑哉』という名前を貰って、僕は『人』になった。中学時代も、君と一緒に勉強して、修学旅行にはこのチェジュの海を見て感激して泣いて、人として君と一緒に生きる喜びを知ったんだ」
「……」
「でも、君は二度も僕の前から姿を消して、ひどく寂しくなって、一人で泣いた。泣いて、泣いて、泣き尽くした。そして、つい最近、僕は君に惹かれていることに、やっと気づいたんだ。僕は、君に恋をしている、と」
影を帯びた悲痛な叫びに、優しい涙がこぼれ落ちる。
「……だから、君の手で、僕を『殺処分』して欲しい」
涙に濡れたその笑顔は、とても輝いていた。もう、何も失うものはないとばかりに。
「侑哉は、それでいいのか?」
「うん、だから、早くして。今僕達は、敵同士。いつ他の兵士が来るか分からないから」
「……」
「早くして!」
初めて、詩史が私に反抗した。それなのに、私の心は高揚している。
「分かった」
いつになく震えるベレッタ二丁を、脳の中心にきっちりと当てる。
「侑哉、ごめんな」
「ううん。僕も、シフミに会えて、本当に幸せだよ」
最期になる淡いキスを交わし、引き金を引いた。
「……愛している」
水無瀬・松野両家秘匿魔法『紅涅槃』発動。これは、対象者の精神領域に直接干渉し、一瞬、対象者にとっての『涅槃』つまり天国のイメージを見せるが、すぐに強烈な『地獄』のイメージを見せることによって、身体機能にも影響を及ぼし、死に至らしめる魔法だ。死に顔が血によって赤く染まり、顔面の筋肉の弛緩から来る微笑みを浮かべることから、この名が付いている。
「『殺処分』完了。……さて、侑哉、行こうか」
血に濡れる侑哉を抱きしめ、私は『望遠眼』で敵の位置を確認する。
「――長谷、私だ。今敵魔術士を処分した。前方より、兵数百人規模で接近中。こちらで対処する」
さっきと同じように、今度は前方広域に術式を展開する。
「大丈夫だよ、侑哉。俺が、全部、殺す」
***
その後、私は山梨にある魔法技術大学付属病院に搬送され、目が覚めたのは2045年の暮れだったらしい。
済州島での記憶は殆ど失ってしまったが、周囲が覚えているのは、おびただしい数の兵士が全身から血を垂れ流す様と、微笑みを浮かべる死に顔。そして、狂乱状態になりながら兵を殺害する私。
「しいちゃん、やっと目が覚めたようだね」
目の前には、安堵した様子の千歳が座っていた。
「隊は三割の兵を失った。それで、上からの通達で作戦は終了。戦争は西側の勝利で終わったよ」
千歳は珍しくまじめに答えたが、私が聞きたいのは、
「……侑哉はどうしてここにいないんだ」
「……」
「ついさっきまで、俺の中にいたのに、どうして今ここにいないんだ」
「しいちゃん」
「教えてくれよ、千歳。お前もあの場所にいただろ」
彼の胸倉を掴み、問いただす。これでは、ただの脅しだ。だが、それでも知りたかった。
「本当に聞きたい?」
「何も知らないよりはいい」
ため息を小さく吐くと、千歳は極めてニュートラルに話し始めた。
「樹くんの遺体は、あの後風間の当主が軍の上層部と水無瀬とかけ合ってくれて、きちんとした手続きを経て、本邸に保管してくれている。勿論、『ひとりの人間』としてね」
「そうか……、侑哉は……」
彼の言葉で、私の緊張は一気に解けた。そのせいで、力が抜けた身体はベッドに崩れ落ち、安堵の涙がぽろぽろと溢れる。
「しいちゃん。辛いと思うけど、退院したらきちんと、帰る場所へ帰してあげよう」
ね? とウィンクする彼を見たら、何だか涙が引いていった。
昔から、都築千歳という人間はあっけらかんとしていて、清々しい程に楽観的だ。それが鬱陶しい時期もあったが、今となっては、私の心を落ち着かせてくれる、いわば『精神安定剤』のような存在になっている。
「ああ。早く退院して、侑哉を帰してやりたいな」
***
結局、私の退院は年明けて約4ヶ月後の4月中旬になってしまった。
『済州島攻防戦』にて魔法を酷使したせいか、以前と比べて、体力・精神状態共に著しく疲弊していたからである。
この現象は、精神構造に干渉する魔法を使用した際の副作用として、広く認知されており、精神医療に従事する魔術士にとっては、決して珍しくない副作用として有名だ。私の場合は、それがより顕著に現れていた為、治療に時間がかかった訳だが。
「それじゃあ、行こうか」
私は、千歳と共に風間邸へ向かった。
***
風間邸には、案の定冬樹さんと奥さんの結唯さんしかいなかった。それもそうだろう。『樹侑哉』という存在自体
本来あってはならない。だからこそ、ここにいるのは、献花に訪れる人でも、ましてや参列者でもない。私と、支援者であるこの若い夫婦だけなのだ。
「こう見ると、侑哉って綺麗な顔をしていますよね」
「そうだね。本来は君のお兄さんになるはずの人だからね。もしこの子が女性なら――」
「口説きませんよ。侑哉は、侑哉だからいいんです」
「はは、失敬」
「……それでは、行いますか」
綺麗すぎる侑哉の遺体を見ると、あの何でもなかった過去を思い出してしまう。
しばらくの間物思いに耽り、私は目の前で眠る彼を送る決意をすることが出来た。
私の血筋である松野家及び本家である水無瀬家は、天文・陰陽道を家業とする安倍氏の庶流でありながらも、血が断絶しなかった数少ない家系であるが、冠婚葬祭に関しては特定の宗教も決まりごともない。しかし、儀礼的であっても、侑哉を送り出すことはしたい、という私の気持ちを汲み取ってくれた風間夫妻は、『骨を残さない』という水無瀬家の慣習に則り、一旦国内で簡易的な火葬を行った後、済州島のあの岬にて散骨を執り行うことにしてくれたのだった。
***
そして、遂に散骨の日を迎えた。
6月25日。私が樹侑哉を『殺処分』した日であり、彼の『命日』。
風間所有のチャーター機に乗り込み、私と風間夫妻、そして大切な友人である『イレギュラー』都築千歳の四人は、かつての激戦地・済州島へ赴く。
「ここが、君達の約束の場所ってことか」
「ええ。一年前の今日、ここで俺は侑哉を殺しました。けれど、あいつは俺をきちんと受け入れてくれました」
「そう……」
「だから、もういいんです」
「何が」
「……内緒です。とても、大切な願いを、俺は今日叶えてやれるんですから」
「詩史君」
「もういいでしょう。早く始めましょう」
そうやって会話を終わらせた私は、侑哉の遺灰が入っている小さな壷をカバンから取り出す。
「ご多忙の中お集まり下さり、誠にありがとうございます。これから、故人・樹侑哉の散骨式を行います。なお、故人の事情が極めて特殊な為、喪主は彼の友人であります、私、松野詩史が務めさせていただきます」
事務的な挨拶に続いて、簡単な弔辞を述べる。
要約された紙を取り出そうにも、なぜか手が震える。
「侑哉、水無瀬の研究所で出会って、もうすぐ15年が経つ。だが、俺は長いと感じたことはなかった。お前はどうだ。長いと感じていたか。今となっては、もう答えを聞くことは出来ないが、俺と同じ答えにしておく。そう言えば――」
私の弔辞が続く。他愛のない高校時代の話から入るも、私の口下手さが邪魔をして、長く持たせることが出来ずにいた。そして、適当な所で締めることにする。
「――侑哉、今一度言っておくよ。俺は、これからもずっと君を愛している。だから、もう少し待っていて欲しい。俺も、いつか君の所に行きたいから」
弔辞を述べ終わった私。紙をしまい、最後の儀式・散骨に移る。
持っている壺の蓋を開け、
「風が北に吹いている。今だよ」
「ああ」
冬樹さんの合図で、私は南風に乗せて遺灰を放った。
「さよなら、侑哉。また会おう」
また……。涙を、出かけた言葉と共に堪える。そうでもしなければ、三人の前で泣き崩れそうだったからだ。
「詩史……」
千歳が私の背中を優しくさする。彼は聡い人間なので、肩を震わせる私の心を読んだのかもしれない。
普段なら、冗談半分に突っぱねるのに、この状況だからか、突っぱねることは出来なかった。
何だろう。背中をさすられてしばらくしたら、自然と心は落ち着きを取り戻していた。
「ありがとう。お前のお陰で落ち着いた」
「どういたしまして。いつまでも、プルプル肩を震わせていたら、こっちまで落ち着かないからね。しいちゃんは、いつもの仏頂面がお似合いだよ」
にひひ、とからかい混じりの慰めをお見舞いされた。仏頂面が似合うって、どういうことだ。すかさず、千歳に軽く肩パンをお返ししてやった。
「痛いよ! せっかく慰めてあげたのに!」
「ふん。どうせ俺は仏頂面がお似合いだよ」
散骨式の最中にも関わらず、昔みたいなショートコントを繰り広げていたが、風間夫妻は咎めることはせず、ニコニコと笑い合っていた。それにつられ、私達も笑い出す。
「不謹慎だと思うけど、やっぱり君達はそうしている方が自然だよね」
「ええ。悲しい顔は、誰も見たいとは思いませんよ。特に、この二人の場合は」
「死者の本心は誰も知らないが、きっと残された人には、笑っていて欲しいと思うよ。結唯、君は?」
「言うまでもなく」
風が弱まった頃には、壺の中の遺灰は全てなくなっていた。
これで、散骨式は終了となる。
「今日は散骨に立ち会ってくれて、ありがとうございました。侑哉も、きっと喜んでいます」
冬樹さん、結唯さん、そして千歳に感謝の思いを伝える。
「いつか、また会いに来ましょう」
長いこと済州島に滞在していたため、日が傾いて西日になっている。そろそろ帰らないと暗くなってしまう。
***
「詩史、聞いて欲しいことがあるんだけど、いい?」
吉祥寺の私の自宅に泊まっていくことになった千歳は、パジャマ姿で聞いてきた。
「いいけど、何だ」
「いつか、しいちゃんのように、大切だと思える人に会えるかな」
「どうしてだ?」
「今日、式に出ていて気づいたんだ。しいちゃんは、樹君を本当に大事にしていた。恋人とかそういう関係を超えた愛情を彼に注いでいたのが分かるくらい」
「……」
「正直羨ましいよ。ほら、しいちゃんと違って、ただの公立小学校出身だから、イレギュラーの私にとっては窮屈で仕方が無い。それに、『種無し』だけど理解者だった兄もいなくなって、寂しかったんだよ」
「……そうだったな。だけど、大切な人だったり運命の人っていうのは、出会うものじゃない。決めるものだからな。そこを勘違いするなよ。まぁ、俺の場合は特殊だけど」
「決めるもの……」
「そう。決めるものだ。この人だ、と思ったらとことん好きになれ。欠点さえも愛せるようになるまで。そこまでできたら、もう簡単さ」
「しいちゃんらしからぬ思想だね」
「そうか?」
「そうだ。あの樹侑哉を見初めた俺が言うんだから、間違いない」
「そう、かもね。しいちゃんが言うんだし」
何だかすっきりした面持ちで寝室に向かう千歳に、こう付け足す。
「自分が理解しようと努力しなければ前には進まないけど、自分からぶつかってみなければもっと前には進まないからな」
***
その翌年には、西側のトップである米国全権大使:エイミー・シールドと東側のトップである新スラブ連邦全権大使:セルゲイ・クルバトフにより、第二次朝鮮戦争の戦後処理が完了。同年3月1日付で私は魔法技術開発研究所の特務研究員の職を辞することにした。常駐の研究員は皆揃って反対した様だが、私自身、相手の頼みとはいえ、最愛の人であった樹侑哉を魔法で殺害してしまったことが、深刻な心の傷となり、魔法そのものに携わることに恐怖と嫌悪を感じていたからだ。
それは、2056年秋に、大学時代の恩師であった古典魔法学者:ラッセ・グランフェルト教授が、「国立高等教育研究所の所長を降りるので、その後を継いで欲しい」と、私を誘ってくれるまで続いた。彼がいなければ、今こうして全うに生きることは出来なかっただろう。
2059年には、私の従弟で水無瀬の次男の悠佳と、彼の幼馴染でかつて名を馳せた高名な魔術士:久我雅哉を祖父に持つ久我彼方が、母校の魔法技術大学高等部に入学。同時期には、古くからの因縁の人物:桐村智稀が、『久我彼方の監視』の為に、非常勤講師として潜入したこともあった。彼方が中学二年の秋に、倫理上禁忌とされている『心の影を現実に具現化する魔法』を使用した為である。だが、三年間の監視期間を終え、彼方には危険性が感じられないとの判断が下されたため、いともあっさり身を引いていった。
そして、『2065年事変』。反魔法・右翼団体『皇道』が起こした一連のテロ事件を総称してこう呼ぶ。首謀者は、なんと『五大家』でも水無瀬と並ぶ強硬派:金城家の次期当主であった金城紘一。魔法技術大学在学中、高等部の後輩で『種無し』――非魔法適性遺伝子保持者の俗称で蔑称。放送禁止用語となっている――として苛められていた北原薫を庇ったことがきっかけで、『皇道』を結成。武力と言論で、魔法による差別を無くすためにテロを起こし、現代魔法社会を震撼させた。当時、私は学会に提出する論文を執筆していたのだが、もうすぐ完成するという時に『皇道』の襲撃を受けた。当然、重要機密の論文も研究データも破壊され、今は現存していないが、私の記憶の中に論文の内容は大方収められているので、ひとまずは心配ない。それでも、防衛のために魔法も使ったせいで、体力・精神力共に落ちてしまったが、同年12月25日、『皇道』古参メンバーであった櫻井慶一と佐山晴樹が操縦していた小型機が皇居に墜落。自爆テロを起こしたのだ。これにより、皇太子陽仁親王と、当時中央情報局第一級諜報局員にして、彼の身辺警護全般を請け負っていた桐村智稀は出奔。公式には死亡したとされている。
このことを受け、内閣府・宮内庁・現天皇の協議の末、現天皇の弟君にあたる桜木宮貴仁親王が皇位を譲り受けることが決定。皇位継承に関しての問題は現段階ではクリアしたことになる。
***
五年後。いつか夢を見た折、侑哉に呼ばれた気がしたので、私は彼の元に赴くことにした。
長らくご無沙汰にしていた、彼の墓参り。生きていた事実を記す墓石は存在していないが、この岬と、岬から見える日本海が墓石の代わりだ。
「侑哉」
若き日に風となった彼の名前を呟くと、胸が暖かくなり、ありとあらゆる力が抜けていく。
立っていられなくなった。くらくらするとは違う。それでも、大事なものが砂の様に零れ落ちていく虚脱感に見舞われる。
へたり、と座り込む。朝日が眩しかったが、強烈な眠気が私を襲う。研究者としての重責、プレッシャー、その他諸々から解放された方が勝ってしまった為、この両まぶたは閉じざるを得なかった。
――しいちゃん、しいちゃん――
何か聞いたことのある声がする。でも、まだ瞼が重い。
――起きて。風邪引くよ――
そんな。もうすぐ七月だっていうのに。
「詩史! 起きてよ……」
一気に現実に引き戻される感覚。私の目の前には、端麗な顔を涙で濡らす千歳と、彼に寄り添う万里がいた。
「……どうして、俺の場所が、分かった」
「冬樹さんに聞いたよ」
悲痛な表情で怒鳴る千歳に、若干引きながらも、応えてやる。
「死にゆく俺に、お前は、あの魔法を、使う。それが嫌なんだ」
「え?」
知っている。千歳が、万里を迎え入れる際に起きた事件の折、自身にかけた魔法のことを。だからこそ…。
「もう、侑哉の所にいかせてくれ」
「しいちゃん?」
きっと、千歳達には、今の私の表情は諦めに見えるだろう。だが、私は心の中で穏やかに歓喜している。
「今なら、侑哉の、所に、いける……」
内に秘めていた歓喜が、涙となって湧き出てくる。
そんな時だった。千歳がM-CADを私に向けてきたのだ。
「……詩史の馬鹿! 絶対に死なせない!」
『あの魔法』を発動するようだ。これをまともに受ければ、私は千歳や万里の様に、不老不死になる。
「ち、とせ……」
――それを受けるのは、彼一人で十分だろう!――
間一髪のところで、万里が千歳のM-CADを奪い、空の彼方に打ち放す。
「千歳、やめてください。それは極めて強力なのは分かっているでしょう」
「ご、ごめん……」
「分かればいいんです」
そう言うと、万里は私に振り向く。
「松野さん。もう時間はないでしょうが、言っておきます。千歳さんは、貴方に代わって私が守ります。三雲の名とこの剣に誓って」
「ああ、頼んだ……」
万里がいるなら、千歳は大丈夫だ。きっと、二人で手を取り合い、永い時を共に生きていける。
――侑哉、今そっちへ行くからな……――
***
私の意識、身体もろとも、この済州島の全てに溶けていった。
2070年6月25日。48歳の生涯が、ここで区切られる。
公式には死亡したとされる、元中央情報局第一級諜報局員・桐村智稀と、元皇太子陽仁は、『第二次朝鮮戦争』最大の激戦地であった済州島を訪れた。
「もうすぐ、城山日出峰だよね」
「はい。足元にはお気をつけください」
桐村と陽仁は、もはや『一人の人間』だ。ここに主従関係も何もないはずなのだが、桐村からは一向に敬語が抜けない。あくまで彼は陽仁に仕える立場なのだと言ういじらしさが感じられ、嫌いではなかった。
***
「ここです」
城山日出峰に着く。今や穏やかな景勝地として名高いが、数十年前、ここは赤き血で塗られた戦場だった。
「昔、ここで智稀も戦ったんだよね」
「いいえ。ここでは、私の恩人であり、因縁の男が、日本・新スラブ双方の兵の血で染めた場所です」
「聞いたことある。水無瀬の分家で松野家の御曹司、詩史のことだよね」
「そうです。松野詩史。彼はここで――」
桐村はとある物を見てしまった。
「松野、詩史……?」
先ほど死亡した、松野詩史の遺体がそのまま残っており、死後硬直で固まったままになっていたのだ。
「死んだのか……って、あれ?」
詩史の懐には、誰かに宛てて書いたものだろう便箋が、封筒に入っていた。
何とか抜き取ると、宛名欄には、自身の名前が書かれていた。
『桐村智稀へ』と、端正な字で始まった文面には、詩史が生涯抱えていた、桐村への悔恨と懺悔、そして 過去の追想が端的に綴られていた。
――幼きあの日から、俺は君を憎み通すことも、赦すことも出来なかった。
君を、『ヒト』として生かすことに必死で、その後のことを全く考えられず、ただ徒に、君の蝕まれていた『心』を奪ってしまった。(中略)だが、もう心配も、憎む必要もないのかもしれない。君には、『家族』と呼べる人達がいる。もう、それだけで十分だ――
「何なんだ、これは」
桐村の想像していた、憎しみに満ち溢れた単語はどこにも見当たらなかった。
「松野詩史、君が大切にしていたイツキ・ユウヤを利用しようとしたのに、どうしてだ」
――俺がもっと力を使いこなせていれば、君の『心』は……――
――水無瀬が、君を、君のご両親を狂わせた――
「やめてくれ……! どうして手紙で謝る!」
詩史はもうこの世にはいない。分かっているはずなのに、無性に怒りが沸いてくる。桐村の心を騒がせる人は、永遠の忠誠を誓った元皇族・陽仁と、手紙の主である詩史だけだ。
「詩史、僕は君が大切にしていたあのサンプル――イツキ・ユウヤを殺したんだぞ。なのに、どうして憎まない。憎しみを手紙に書かない! 僕はてっきり君に憎まれていると思い込んでいた!」
「智稀! 落ち着くんだ! 彼はもうこの世にはいない」
「ですが……!」
半狂乱状態に陥る桐村。それを諌めたのは、陽仁の平手打ちだった。
「いい加減にしろ! 彼がもうこの世にいない以上、憎んでいるかどうかなんて私達には分からない。この手紙からしか分からないんだ。彼がこれに遺しているのが、本心と思うしかないだろう」
そうだ。結局、他人の本心など誰にも分からない。故人となれば尚更だ。
「彼が君を憎んでいないと言うなら、それで十分だろう?」
「そう、でしょうか」
「私はそう思うよ」
過去の罪は消すことは出来ないけどね、と付け加えられた陽仁の表情は、普段の優しげなものに戻っていた。
そして……。
――最後に、もし君に大事な人が出来たら、その人のことを思い切り愛して欲しい。君の持てる全てをかけて――
『松野詩史』と結ばれた厚い手紙に雫をこぼし、感情のセーブが効かなくなった桐村は、心臓を高鳴らせ、おもいきり嗚咽する。そのあまりにも痛ましい姿に、陽仁はかける言葉が見つからなかった。
いついかなる時でも、目の前の男は機械の様に完璧にこなしている。中央情報局での仕事も、陽仁の身辺警護も、何もかも。少なくとも、陽仁の前では本心を曝け出すことはしないのに、今はこうして泣き顔を晒している。
急に桐村が愛おしく感じてくる。故人の前で極めて不謹慎だが、陽仁の胸の中は優しく疼き、無性に桐村を抱きしめたくなった。
「陽仁、様……?」
「君が俺の目の前で泣いた所を見たことなくて、つい抱きしめてあげたくなったんだ」
「そんな……」
「遠慮しなくてもいいよ。もっと泣いて。俺がこぼれた涙を拭くから」
陽仁が微笑みかけると、ついに桐村の整った顔は涙でぐしゃぐしゃになり、子どものように泣きじゃくる。『鉄の男』と影で称される彼の情けない姿でさえも、今の陽仁にとっては大変嬉しいものだった。
――目の前の彼を、俺が幸せにしてあげたい――
純粋な愛情が、陽仁の中に灯ると、ハンカチで涙を拭き取り、そして唇に触れるだけの淡いキスをした。
「こういうのって、普通は異性にするものっていうのは分かってるけど、これで智稀の心を慰めてあげられるなら、俺は何回でもするよ」
もう一度、キスをする。今度はもっと想いを伝えるために、一段階深いキスを与えた。
「ごめんね。俺にはこれくらいしか出来ないけど……、元気出た?」
陽仁のキスは、効果てきめんだった。いつの間にか嗚咽が止まり、桐村は陽仁の想いを受け取ってくれた様で、今まで見たことがないほど優しい笑顔を見せてくれたのだ。
「はい。貴方のキスは、私の心を優しく溶かしてくれました。ですので、私からもお礼をさせてください」
姫に忠誠を誓う騎士の如く、桐村は彼に跪き、右の手の甲を取り、口づけ。その後、ふわり、と彼の頬を撫で、唇を重ね、
「私を、貴方の傍にいさせていただけますか」
真剣な目つき。答えは一つ。
「ああ。俺も、君とずっと生きていきたい」
どんな美しい指輪よりも、その誓いはかたく、優しく、桐村の心身を拘束するのであった。
END




