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生存の演算  作者: 端野ゼロ


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22/24

「亀裂の音と、凍りつく忠義」


金川城から報告が届くまで、時間はひどく粘り強く、退屈な速度で過ぎていった。


沼城の執務室には、ただ墨を擦る音と、時折窓を叩く風の音だけが満ちている。

直家は、相変わらず地図の前に座り、まるで駒を配置し終えた盤面を眺めるような、静かな眼差しを向けていた。


数日後。

宇喜多の忍びが、泥にまみれて執務室へと滑り込んできた。


「……金川城内にて、激しい論争が起きております」


忍びの声は、呼吸を整える間もなく、焦燥に駆られていた。


「松田元輝公が、重臣のひとりを密かに詰問し、そのまま投獄したとのこと。……『宇喜多と通じているのではないか』との疑念が、城内で急速に広がっております」


その報告を聞いても、直家は眉一つ動かさなかった。

ただ、手元の筆をゆっくりと置き、忍びの方を向いた。


「元輝はどうした?」


「……城門を閉ざし、家臣団の立ち入りを厳しく制限しております。身内をも疑い、もはや誰の言葉にも耳を貸さぬ様子……」


「そうか」


直家は、短くそれだけを呟いた。

そこに、勝利の昂揚感はない。あるのは、自分が仕掛けた方程式が、正確に答えを導き出したことへの、冷ややかな納得だけだった。


「職家」


直家が私を呼ぶ。


「人の『誇り』とは、かくも脆いものだ。守ろうとすればするほど、それは鋭利な刃となり、自分自身を傷つける」


直家は立ち上がり、窓の外、金川城のある方角を見つめた。

そこには、かつては盤石だったはずの組織が、自らの疑心暗鬼によって軋み、砕け散る前兆が漂っている。


「元輝は、己の正しさを信じている。だが、疑い始めたその瞬間から、彼は『自分以外のすべて』を敵と見なすことになる。……組織とは、長が誰を信じるかで形が決まる。誰も信じられなくなった組織に、留まる人間などいない」


私は、その言葉の恐ろしさに戦慄した。


彼は、武器を取る必要すら感じていない。

ただ、「疑う」という種を一つ落とすだけで、敵は勝手に自分たちの首を絞め、孤立し、自壊していく。


それが、直家の「戦争」なのだ。


「次は、さらに追い打ちをかける」


直家は静かに笑った。

それは、獲物を追い詰めた猟犬が、いよいよ喉笛を狙う直前の静寂に似ていた。


「……具体的には」


「松田の家臣団へ、偽の密書をばら撒け。『裏切り者の名簿』と称して、何人かの家臣の名前を適当に並べたものをな。……それだけで、城内は地獄の煮っ転がしだ」


あまりにも、卑劣で、確実な一手だった。

戦う前に、敵はすでに壊死し始めている。


「……承知いたしました」


私は頭を垂れた。

直家の背中には、以前よりもさらに色濃く、黒い影が纏わりついているように見える。


私たちは金川城へ向けて、新たな「毒」を放った。


これによって、どれほどの絆が引き裂かれ、どれほどの疑心暗鬼が城内を蹂躙するのか。

金川城から吹き下ろす風は、もはや鉄の味すら通り越し、腐敗した肉の臭いを漂わせている気がした。


備前の地で、見えない亀裂が音を立てて広がっていく。

それを耳にする者は誰もいないが、私たちは確かに、その破滅の予兆を聞いていた。



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