「支配の残骸と、新たな地獄の礎」
沼城での殺戮は、記録の上では「急病による当主の死」と「混乱に乗じた宇喜多の介入」として処理された。
歴史とは、勝者が書き換える都合の良い物語に過ぎない。民衆は、その背後に流された血の量など知る由もなく、ただ新しい主を恐れ、あるいはその威光にすがるだけだ。
私は、執務室で積み上げられた書状の山を眺めていた。
中山信正の遺した政務、沼城の修繕、そして周辺国への根回し。
直家は、宴の翌日にはすでに筆を執り、この地を宇喜多の支配下に組み込むための緻密な計算を始めていた。
「職家」
直家が顔を上げることなく呼ぶ。
その声は、相変わらず感情の起伏を一切排した、乾いた響きだった。
「備前の地図を広げろ。次は、松田の動向だ」
私は無言で、地図を広げた。
そこには、宇喜多を取り囲む敵対勢力が、あざ笑うかのように点在している。金川城、砥石城、そして各地の国人衆。
彼らはみな、中山の死を知り、次に宇喜多がどのような牙を剥くのかを疑心暗鬼の目で探っている。
「松田元輝は、中山の死をどう受け止めているか」
「……中山派の生き残りを密かに抱え込み、宇喜多への警戒を強めております。彼らは我らを、正当な後継者ではなく、沼城を力で奪った『簒奪者』として見なしているようです」
私の報告に対し、直家はふと筆を止めた。
その細い指先が、地図の上の松田領をゆっくりとなぞる。
「簒奪者、か。……悪くない響きだ」
直家はかすかに口角を上げた。
それは笑みではない。獲物の首元を見つけた蛇が、その鱗を震わせるような、捕食者の予兆だった。
「正統性など、民の胃袋と恐怖を支配すれば後からついてくる。松田は、誇りと面子に縛られている。……それが、あいつらの弱点だ」
直家は再び筆を走らせる。
その筆致には、迷いがない。彼は一人の命を奪うことにも、一城を乗っ取ることにも、何ら変わらぬ熱量で取り組んでいる。
私は、彼の背中を見つめる。
その背中には、相変わらず「呪いの黒」が纏わりついているように見えた。
沼城を手に入れ、領土を広げれば広げるほど、彼が背負う死者の数は増え、その重圧は増していく。
だが、直家はそれを厭う様子を見せない。
それどころか、彼はこの重圧こそが、自らの生存を証明する唯一の糧であるかのようにさえ感じているのだ。
「職家」
直家は筆を置き、私の方を向いた。
その瞳は、陽光を反射して青白く光っている。
「この地獄の果てに、何があるか知りたいとは思わぬか」
私は、不意を突かれた。
地獄の果て。それは、彼らが望む「天下」なのか、それとも誰もいない荒野なのか。
「……私の役割は、直家様の背を見守ることにございます」
「そうか。……なら、そのまま見続けていろ。お前が私の背を拭き続けている限り、私は止まらぬ」
それは、盟約の再確認だった。
かつて乙子城で交わした、あのおぞましい誓い。
執務室の窓からは、沼城の城下を見下ろすことができる。
昨日の今日だというのに、城下では市場が開き、人々が日常を取り戻そうと行き交っている。
その営みのすべてが、宇喜多直家という巨大な歯車に巻き込まれ、翻弄されていくのだ。
私は窓辺に立ち、風を感じた。
吹き抜ける風は、少しだけ生臭かった。
沼城を得た私たちは、もはやかつての弱小領主ではない。
血を吸い、肉を喰らい、膨れ上がっていく怪物の心臓。
私は、直家の背中越しに見える、終わりのない戦の予感に、静かに目を閉じた。
ここが、私たちの新しい墓場になるのかもしれない。
それでも、私たちは歩みを止めることはできない。
直家が歩く限り、私もまた、その影を踏み続けていくのだ。
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