「沼城・和解の酒宴の幕開け」
沼城の大広間は、祝宴の熱気に包まれていた。
漆塗りの膳に並ぶのは、色鮮やかな季節の料理。
お菊が嬉しそうに、父・中山信正の杯へ酒を注いでいる。
その手元は、幸福に満ちた喜びでわずかに震えていた。
「直家殿、こうして再び杯を交わせるとは思わなんだ。……お菊の願い、叶えてくれて礼を言う」
中山信正の豪快な哄笑が、広間に響く。
彼は上機嫌で、豪奢な朱塗りの杯を煽った。
その光景を、私は給仕の影からじっと見つめていた。
私の鼓動は、広間の喧騒をよそに、凍りつくような速さで打ち鳴らされている。
もし、ここで私の表情が崩れれば。もし、私の呼吸がわずかに乱れれば、この精緻に積み上げられた罠は崩壊する。
だが、直家は違った。
「義父上、こちらこそ。……これからは、手を取り合い、共にこの備前を潤しましょう」
直家は、実に朗らかに微笑んでいた。
私たちが乙子城で幾度となく見た、あの無機質な瞳の男とは、まるで別人だ。
声音は柔らかく、目尻には親愛の情さえ滲んでいる。
誰もが疑わない「婿殿」の顔。いや、それどころか、天下の情を一身に受ける、慈悲深き若領主の仮面を完璧に演じきっている。
お菊がその直家の横顔を見つめ、満ち足りた表情で微笑む。
彼女には、夫が今、どれほどの殺意をその笑顔の裏に隠しているのか、想像すらできない。
直家は、中山の杯が空になるのを待たずに、再び徳利を傾けた。
トトト、と。
酒が杯を満たす涼やかな音が、不思議なほど静寂を伴って耳に届く。
中山は酔い、笑い、宇喜多との未来を語り続ける。
彼は自らが、今まさに屠殺場へ自ら歩を進めていることなど、露ほども気づいていない。
広間の外では、名もなき夜虫が、等間隔の拍子で鳴き続けている。
それは、まるで死刑台の刻を数えるメトロノームのようだった。
私の背筋に、冷や汗が流れる。
直家は、中山の杯に酒を満たすと、そのまま己の杯にも注ぎ、陽気に杯を掲げた。
その時だった。
直家の右手の指先が、さりげなく、しかし硬質な音を立てて、畳を二度叩いた。
――合図。
それは、この宴の終わりを告げる、地獄への招待状だった。
直家の指先が畳から離れることはない。ただ、淡々と、死の静寂を待ち続けている。
宴は最高潮に達し、中山は無防備にその喉を晒した。
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