「沼城前夜、包囲する秀安の重苦」
沼城の周囲を覆う闇は、まるで底なしの淵のように深い。
だが、その城郭から漏れ出る灯火だけが、夜を切り裂くように華やかに揺らめいている。
あれは、死へと続く宴の明かりだ。
私は城を少し離れた茂みの中に身を潜め、眼下に広がる沼城の光を眺めていた。
内では、中山信正ら有力者が酒に酔いしれ、宇喜多との和解という甘い夢を語らっていることだろう。
外側には、秀安率いる伏兵が、息を殺して潜んでいる。
彼らは今、どのような面持ちでこの宴の音を聞いているのか。
先ほど、密偵が戻った。
秀安たちは、すでに配置についている。だが、その報告を携えてきた密偵の顔には、隠しようのない動揺が張り付いていた。
「……秀安様は、動かぬ石像のように、ただ月を見上げておいででした」
その言葉だけで十分だった。
彼は、自分が今から行おうとしている「裏切り」の重さに、押し潰されそうになっているのだ。
正義を重んじる若き武将にとって、友と信じた相手を、祝いの席で屠る。その行為は、魂を削り取るような苦行に他ならない。
しかし、直家にとってそれは、ただ不確定な要素を排除し、一兵も損なわずに大勝利を得るための、淡々とした作業に過ぎない。
私は、手元の手配書を最後の確認のために指でなぞる。
血の匂いを呼び込むための、完璧な手筈。
城の麓の草むらで、野兎が微かな足音を立てて駆け抜けていく。
この闇の中で、私たちは息を潜め、獲物が油断しきって喉を晒す瞬間を待っている。
刻々と時は過ぎ、夜が更けていく。
沼城の灯火が、時折、風に煽られて大きく揺れた。
私は胃の奥が冷たく凍りつくような感覚を覚えながら、深呼吸をした。
この静寂は、数時間後には悲鳴と怒号に塗り替えられる。
すべては、直家の「生存の理」を完遂するため。
私は目を閉じ、雑音を消した。
聞こえてくるのは、遠くの森で鳴く夜虫の音と、自分の早鐘のような鼓動だけ。
沼城の門が開かれるまで、あと少し。
私たちは、戻ることのできない深淵の縁で、ただその時を待っていた。
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