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生存の演算  作者: 端野ゼロ


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10/24

「お菊による中山信正の説得」

長雨が続く季節だった。

軒先から滴り落ちる雨音が、このところ絶え間なく続いている。


お菊が書いた文は、早馬によって中山信正の元へと運ばれた。

彼女は、それが父の死刑執行書であるとは夢にも思わず、夫との和解という未来を信じて、懸命に言葉を綴っていたのだ。


私と直家は、返書が届くのを待った。

この数日は、まるで底なしの沼に沈んでいくような、生温かく重苦しい時間だった。


やがて、早馬が戻った。

中山信正からの返書が届いたのだ。


お菊は、その文を大切そうに両手で抱え、直家の元へと駆け寄った。


「直家様、父上からのお返事にございます。……やはり、父上も私と同じ想いでいらっしゃいました」


お菊の瞳は、これ以上ないほどに輝いている。


沼城での酒宴に応じる、という快諾。

娘の願いに応え、婿との和解を祝うという、父としての慈愛に満ちた決断。

彼女にとって、それは平和への第一歩だった。


直家は、お菊から文を受け取ると、ゆっくりと目を通した。

その表情には、勝利の歓喜も、あるいは罪悪感という名の影も一片たりとも宿っていない。


ただ、淡々と情報の重要度を整理する、冷徹な算盤の珠を弾く音だけが、彼の脳内で響いているようだった。


「……そうか。義父上も、納得されたか」


直家が短く呟く。

お菊は安堵のあまり、その場でへなへなと座り込んだ。


張り詰めていた糸が切れ、安心と喜びが入り混じった涙が、彼女の頬を伝う。


私はその光景を、あえて見ないようにした。

彼女の善意が、父を死地へと招き入れる。


信正が沼城の門をくぐることは、即ち、屠殺場へと足を踏み入れることに他ならない。

お菊が流す涙は、父の血よりも重い意味を持ってしまっているのだ。


その時、直家が手元の文を、何の躊躇もなく行灯の炎にかざした。


パチ、パチ、と墨の匂いを漂わせながら、紙が端から黒く焦げ、やがて炎に呑まれていく。

中山信正という男が、最後に娘へ送った温かな言葉の数々が、瞬く間に灰へと変えられていく。


直家は燃え尽きた灰を見つめ、低く、独り言のように言った。


「……これで、沼城の門は開いた」


その声は、あまりにも静かだった。


部屋を出ると、軒先では雨宿りをする数羽の雀が、寄り添うように羽繕いをしていた。

彼女たちは、明日には死が訪れることも知らず、ただ冷たい雨をやり過ごすことに懸命だ。


私たちは、その雀の横を通り過ぎた。

雨は止む気配を見せない。


この濡れた泥の中に、私たちはこれから、取り返しのつかないほどの血を流し込むことになる。



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