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 あいつはいつの日からか毎日のように俺の演奏を立ち聞きしていた。時間にすると三十分程度だな。長く居座っている方だし、話しかけてくるんじゃないかって身構えていたけれど、一向に口は開かなかった。

 俺の方から声をかけてもいいんだが、あいつは微妙な距離感を保っていた。無視をする事は出来なけれど、話しかけるには距離が遠い。

 いつ頃からそれが始まったのかは記憶にない。けれどあいつは確かに毎日忘れ物をしては数十分後に戻ってくるっていう日々を繰り返していた。

 始めに気がついた時の忘れ物は大きかった。大きなリュックを置き去りにした。

 演奏をしながらも大きな忘れ物が気になっていると、あいつはシレッと戻って来てはまるでスーパーで買い物カゴを手に取る様にそのリュックを手に取りそのままの方向に進んで行った。

 どういう事なのか理解に苦しんだ。忘れ物なら手に取った後は着た道を引き返すのが普通だ。そのまま真っ直ぐに歩き去るなんて置き引きじゃないかと疑ってしまう。

 あいつは次の日もやって来て、今度は帽子を忘れていった。

 必ず戻っては来るけれど、やっぱり何度来ても踵は返さない。同じ方向からやって来てはそのまま通り過ぎる。忘れ物をした事を悟られたくないのか? 疑問が募っていく。

 何故だろうな? どうでもいいやとは思えなかった。物凄く気になる。まるで恋だ。あいつが来るのを日に二度も待ち焦がれていた。

 あいつの忘れ物は、次第に過激さを増していった。財布を忘れた時は少し焦ったよ。誰かに盗まれないようにジッとその財布を睨みつけていた。パスケースと携帯電話の時も同様だ。まぁ、道端に落ちている物を拾うのは案外と勇気がいる。

 あいつの奇行は二週間続き、三週間目に悪化した。

 裸のバンジョーを肩からかけて歩いているだけで異常だ。しかもそのバンジョーを忘れていく。あり得ない。俺はその瞬間音を止めた。にも関わらずあいつは無反応で立ち去った。

 ハーモニカやらトライアングルやらカスタネットの小物を忘れる事もあれば、カバンから取り出して一瞬だけ眺めたプリントやらアナログレコードを忘れる事もあった。

 挑発しているのか? だったら成功だよ。イライラは募るばかりだ。

 俺はこう思っている。観客を魅了するミュージシャンは感情的で我儘でなければいけない。決められたスコアを決められた通りに演奏するのはつまらない。クラシックと呼ばれる音楽でさえ、作曲当時の作者や時代背景の感情を再現させる事を重要視している。俺は今を重要視する。本能が楽しめる音楽は、感情を露わにしているものだけだ。

 俺の感情ダダ漏れ演奏により、数少ない観客が減っていった。最終的にはあいつだけになってしまったんだよ。全く、迷惑な話だよな。

 まぁ、あいつはきっと狙っていた。そして俺は、望んでいた。

 その日あいつは一枚の紙切れを落としていった。千円札ほどの大きさだ。遠目にはそれが何のか分からない。風が吹けば飛んでしまいそうだったけれど、その日は風の一つも吹かなかった。観客はお陰様で誰もいなかった。すぐに拾おうかとも思ったけれど、それはやっぱり癪だよな。俺は普段通りの演奏を続けた。元々俺は他人に聞かせる為に吹いていた訳じゃない。ただの練習だ。誰もいないからって落ち込んだりいつもと違う演奏をしたりはしない。まぁ、その時々の感情はダダ漏れだけれどな。

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