ライゼル領の大地
おかしいな、以前のこの方は、もっとハキハキと自分の考えを述べる方だった気がする。
それなのに、今の彼女は俺に怯えてらっしゃる?
俺は困って深呼吸。馬車の中にいた侍女らしき女性に挨拶がてら助力を乞おうした。
――のだが。
「それではわたくしどもはこれで」
ミューゼア嬢を残して馬車は走り去ってしまった。残されたのは鞄一つと彼女のみ。
「へ?」
去ってしまった馬車を眺め、俺は目を丸くした。
公爵令嬢に侍女一人も付けず、魔物の森の手前で置き去りとか。えええ? まだ町にも着いてないのに?
俺は横にいるミューゼア嬢の顔を見た。
「ええと……。これはいったい?」
「…………」
ミューゼア嬢はしばらく俯いていたが。
「私はセルベールの家からも疎まれているのです。厄介払いみたいなものなので、ここでほっぽり出したのでしょう。当然、侍女すらもつきません」
えええ? なんて言葉を掛ければいいんだ。
いや、俺がオロオロして彼女の不安を煽ったらいけない。大きく深呼吸、よし笑顔でいくぞ、女性恐怖症だなんて言ってられない。
「大丈夫ですよミューゼア嬢! この領地にも魔狼肉の串焼きやパパラ米って名物があるんです!」
「パパ、え?」
「パパラ米です! 痩せた土地でも育つ魔族領の人気者で、モチモチのパンが焼けるんです!」
「魔族りょ……?」
ミューゼア嬢が不思議そうな顔で俺を見る。キョトン、と彼女の動きが止まった。
女性に見つめられて目を泳がせてしまう俺。ススス、と視線を逸らしてしまった。
――のだが。
彼女は少しビックリしているようだった。
なんか目を丸くしている気がする。
「あ、あの……!」
「はい?」
「あなたは、本当にギリアムさまなのでしょうか?」
「それは、どういう……?」
どういう意味? 俺は今も昔もギリアム・グイン、それ以上でもそれ以下でもないですよ?
「あ、いえ。こちらの話です。ギリアムさまは怖い方とお聞きしていましたので」
ああ。昔の話だな。
確かに俺は意地の悪いガキだった。
だけど――。
「あ、あの……ミューゼア嬢。覚えて、おられないのですか?」
「はい?」
「いいのです、なんでもありません」
そっか覚えてないか。当時の俺なんか、ゴミカスのようなガキだったから仕方ないかもしれない。
「ともあれ町に向かいましょう。魔物の森は危険です、私から離れないでください」
手を差し伸べてみようとして、やっぱりやめた。
女性の手を取ったりしたら怖くてシャックリが止まらなくなりそうだ。
彼女をほんのり守りながら、俺は鬱蒼とした森の中を進んだ。
この森には出会ったら面倒な森の主、鋼黒竜ヴェガドと呼ばれるエンシェント級のドラゴンも居るけれど、奥に入らない限りはそう出会うものじゃない。
とはいえ魔物自体は多いので、普通商人や旅人は難儀する。今日もまた、途中で魔狼が襲ってきたので、剣の鞘で追い払った。
それでもしばらく歩けば、森が開けてくる。
「改めまして。――ようこそミューゼア嬢、ここが我が領ライゼルの町です」
「え、……あ? こ、ここがですか……?」
森の木々が途切れた瞬間、俺の目の前に広がったのは、どこまでも続く水の鏡だ。
春の陽光を受けてきらめく水面は、青い空と白い雲を完璧に映し込み、まるで天と地が一つに溶け合ったような幻想的な光景を生み出している。
ところどころに植えられたばかりの小さな苗が、春風にそよぐ緑の点となって水面に揺れていた。
「すごい……」
ミューゼア嬢が呆然と呟く。田舎すぎて驚かせたかな?
「まま、こちらへ。町へはこのあぜ道を通っていくのが近いんですよ」
やはり彼女の手を取るでなし後ろを着いてきて貰い、蛙の鳴く道を進む。ゲコゲコ。
すると。
「ギリアムさまー、おめでとうございますー」
「ライゼル領ばんざーい、奥方さま、ばんざーい!」
田んぼや畑で仕事中の領民に見つかってしまった。
皆、笑顔で手を振って歓迎してくれるのは嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい。
「ありがとうみんな! またあとでなー!」
手を振り返しつつ、早歩きで逃げる俺。自然、苦笑いが漏れる。
「急ぎましょう。ここはうるさくて敵いません――って、ミューゼア嬢?」
彼女は田んぼのふちに座り込んで、両手で水を掬っていた。
「……綺麗な水。とても良いお水ですね」
「ありがとうございます」
「この土地の水は、とても田畑に使えるようなものではないと聞き及んでいましたが」
「水質を良くするため魔法士を雇って研究をしたんです。大変でしたよ、魔法士が『これもう新魔法の開発みたいなものだ』って音を上げるくらいに」
やっぱりあのことを覚えておられないのかな?
少し寂しい。
「住民の皆さんも、明るくて幸せそう。私の知っているこの土地の皆さんは、もっと暗い顔をして、毎日の生活に苦しんでいたはずなのですが」
「まだまだ苦しんでおりますよ。魔物が多いせいで収穫は潰されやすいですし、もとが痩せた土地だから効率よくいかないのでしょうな、なかなか田畑も広がらなくて」
「なにを仰るのですか、こんな大規模な田畑は穀倉地帯でもそうそう見れません」
え、そうなの?
俺は他の都市をあまり知らないから。
「こんな大きな水田、見たことがありませんよ」
「そうでしたか。はは、なんだか自分が褒められてるみたいでテレますね」
「あなたを褒めてますよ、ギリアムさま。ここの領主であるあなたを」
え? あれれ? 褒められたのか。
素直に嬉しい。
「ライゼル領ギリアム、原作では民など顧みずに恐怖で領地を支配する方だったはずなのに……」
どことなく遠くを見る顔で、ミューゼア嬢は独り言ちた。
え、なに? げんさく? なんのことだろう。
突然遠くを見ながら呟いたミューゼア嬢に、俺は首を傾げてみせた。
「げんさくとは……、いったいなんのことでしょう」
「あ、すみません、こちらの話です。とにかく私の知る限り、あなたはそんな穏やかな顔で笑うような方ではなかったはずなんです」
「や、これは手厳しい」
苦笑い。
確かにだ。昔の俺のままなら、彼女が言うような禄でもない男に育っていただろう。
「なにがどうなって、こういうことに……?」
「もし、俺が変わったというのでしたらそれはミューゼア嬢、あなたのお陰かと」
「私……の?」
ええい、言ってしまおう。思い出してくださるかな?
「はい。覚えておられませんか、父がセルベール公爵家に支援の申し出をしにいったとき、俺も一緒でした。あのときの貴女の『予言』が、俺を変えてくれました」




