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第9話 アリスの胸の内

 朝の光が、侍女棟の小窓から差し込む。




 アリス・レインフォードは、鏡の前で深呼吸をした。




「落ち着きなさい、わたし」




 そう呟いても、胸の奥は静まらない。




 ヴァルグレイン家に仕えて一年。




 王都の貴族学院を卒業し、新任侍女として任命されたのが昨年の春。




 成績は優秀だった。




 礼儀作法、政治学、歴史、魔法基礎理論。




 侍女であっても、辺境伯家に仕える者は半端であってはならない。




 そう教えられてきた。




 そして実際、誇りを持って働いてきた。




 感情に流されず、 常に冷静に、 主家のために。




 それが自分の在り方だった。




 ――だったのに。




「……どうして、あんなに」




 鏡の中の自分の頬が、ほんのり赤い。




 ノアが来て、四日。




 屋敷の空気が、柔らかい。




 侍女同士の小さな衝突が消え、 兵士の怒号が減り、 厨房の緊張が解けた。




 そして何より――




 わたしが。




 落ち着かない。




(いけません)




 彼は客人。




 保護対象。




 主であるソフィア様が預かる存在。




 それ以上でも、それ以下でもない。




 なのに。




 昨日、中庭で視線が合った瞬間。




 ほんの少し微笑まれただけで。




 胸の奥が、じんわりと温かくなった。




 あんな風に見られたことはない。




 学院には男子生徒もいた。




 だが――




 違う。




 彼は、違う。




 ただ整った顔立ちというだけではない。




 隣にいると、不思議と呼吸が楽になる。




 肩の力が抜ける。




「……落ち着きます」




 無意識に口からこぼれた言葉を思い出す。




 あれは本音だった。




 計算ではない。




 恋、なのだろうか。




 いや、違う。




 まだ違う。




 そう自分に言い聞かせる。




 だが。




 今朝、衣装を整えるとき。




「今日もご案内いたします」




 と告げる声が、少しだけ弾んでいたことを。




 自覚している。




「わたしは、侍女です」




 貴族学院で教え込まれた言葉。




 主に仕える者は、己を律せよ。




 感情は持て。




 だが支配されるな。




 ノアは、主ではない。




 けれど。




 もし彼がこの屋敷に根を下ろすのなら。




 わたしは。




 その隣に、立てるだろうか。




 胸が、また高鳴る。




 廊下の向こうから、足音が近づく。




 銀色の気配。




(……いけません)




 そう思いながらも。




 翠の瞳は、自然と扉へ向いていた。

挿絵(By みてみん) 

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