第58話 第二の席
夜。
屋敷の廊下。
アリスは静かに歩いていた。
足取りはいつも通り。
だが。
胸の奥は、少しだけ落ち着かない。
(……ノア様とソフィア様)
昼間の空気。
夕食時の視線。
すべてが繋がっている。
ノアの部屋の前で足を止める。
コンコン。
「ノア様」
「どうぞ」
扉を開ける。
ノアはベッドに座っていた。
「アリス」
少し安心したような声。
アリスは微笑む。
「少し、お話よろしいでしょうか」
「うん」
アリスは椅子に腰掛ける。
他愛のない会話が始まる。
今日の出来事。
王太子のこと。
中央島のこれから。
穏やかな時間。
そして――
ふと、会話が途切れた。
静かな間。
アリスはゆっくりと口を開く。
「ノア様」
「ソフィア様と……お話されたのですね」
ノアは少しだけ驚く。
「……うん」
一拍。
「ソフィアと恋人になった」
アリスは一瞬、目を閉じた。
そして。
柔らかく微笑む。
「おめでとうございます」
その声は、揺れていなかった。
ノアは少し戸惑う。
「……ありがとう」
アリスはそれ以上は聞かなかった。
「それでは、おやすみなさい」
一礼。
そのまま部屋を出る。
---
侍女部屋。
数人で使う簡素な部屋。
他の侍女たちはすでに休んでいる。
静かな空間。
アリスは自分の寝台に腰を下ろした。
「……」
小さく息を吐く。
(……当然ですね)
ソフィア・ヴァルグレイン。
辺境伯。
そして。
ノアを拾った人物。
それに。
ノアの様子。
分かっていた。
最初から。
自分ではないことも。
それでも。
胸の奥にある想いは消えない。
「……私は」
小さく呟く。
(どうしたいのでしょう)
答えは出ている。
だが。
踏み出すには理由が要る。
(ノア様の気持ちを確かめるか)
(それとも……)
コンコン。
ノック。
アリスは顔を上げた。
「……はい」
扉が開く。
そこにいたのは――
ソフィアだった。
「来い」
短い一言。
アリスはすぐに立ち上がる。
「はい」
---
ソフィアの私室。
静かな空間。
執務室とは違う、私的な部屋。
ソフィアは奥へ進み、振り返る。
アリスはその場で一礼した。
「失礼いたします」
「座れ」
「はい」
向かい合う。
少しの沈黙。
そして。
ソフィアが口を開く。
「ノアと話した」
その一言で。
すべてを察する。
「……はい」
ソフィアは続ける。
「私はノアと恋仲になった」
はっきりとした言葉。
アリスは静かに頷く。
「承知しております」
「そうか」
一瞬、間。
そして。
「その上で言う」
ソフィアの視線が真っ直ぐ向く。
「アリス」
「お前を、ノアの妻として認める」
時間が止まる。
「……え」
思わず声が漏れる。
理解が追いつかない。
だが。
次の言葉で現実になる。
「ノアもお前を好いている」
「……っ」
胸が強く打つ。
息が詰まる。
「……本当、ですか」
かすれる声。
ソフィアは頷く。
「嘘は言わん」
「私が確認した」
沈黙。
アリスはゆっくりと頭を下げる。
「……ありがとうございます」
その声は震えていた。
喜びを隠しきれない。
ソフィアは続ける。
「これからは」
「主と侍女の関係ではなくなる」
アリスが顔を上げる。
「私的な場では」
「気楽に接して構わん」
一瞬の迷い。
だが。
アリスはしっかりと答えた。
「……承知しました」
その声は、どこか柔らかい。
ソフィアは小さく頷く。
そして。
「ノアのことは引き続き任せる」
「お前が最も側にいる」
アリスは力強く言った。
「お任せください」
迷いはない。
覚悟は決まっている。
ソフィアは満足そうに息を吐く。
「……よし」
短い言葉。
アリスはもう一度、深く頭を下げる。
その表情は――
確かな喜びに満ちていた。




