第32話 街道の魔物
早朝。
宿町はまだ静かだった。
窓の外は薄い朝霧に包まれている。
コンコン。
控えめなノック。
「ノア様」
扉を開けると、アリスが立っていた。
「おはようございます」
柔らかい声。
ノアは軽く目をこする。
「おはよう」
「出発の準備が整っています」
アリスはそう言うと、部屋の中へ入った。
机に盆を置く。
「朝食をお持ちしました」
パンと温かいスープ。
簡単だが旅の朝には十分だ。
ノアは顔を洗い、身支度を整える。
戻るとアリスが待っていた。
翠の瞳が優しくこちらを見る。
「どうぞ」
パンを手渡される。
ノアは少し照れながら受け取った。
「ありがとう」
静かな朝食。
アリスは何も言わない。
ただ、いつもより少しだけ距離が近かった。
---
朝日が昇り始める頃。
一行は宿の裏口に集まった。
ヘレナはすでに馬に乗っている。
騎士たちも準備を終えていた。
ソフィアが短く言う。
「出るぞ」
御者が馬車を進めた。
街道へ。
王都まで、あと一日。
馬車は安定した速度で進んでいく。
朝の空気は冷たい。
草原の向こうに丘が見える。
そのときだった。
前方の騎士が声を上げた。
「魔物!」
馬車が止まる。
ノアは窓から顔を出した。
街道の脇。
黒い影が蠢いている。
狼のような形。
だが体はどこか歪んでいた。
「……あれが?」
ノアは小さく呟く。
「魔物だ」
ソフィアが答えた。
次の瞬間。
風が動いた。
ヘレナが馬から降りる。
剣を抜く。
一歩。
二歩。
そして。
一閃。
銀の軌跡が走る。
魔物の身体が裂けた。
次の瞬間。
霧のように崩れる。
ふっと消えた。
地面に残ったのは、小さな石だけだった。
ノアが目を瞬かせる。
「……消えた?」
「魔物は魔力の集合体だ」
ヘレナは地面の石を拾った。
淡く光っている。
「大地から溢れた魔力が形を持ったもの」
「だから倒すと霧散する」
ヘレナが近づき、魔石をノアに見せる。
「残るのは魔石だけだ」
ノアはそれを見る。
「これが魔石……」
「文明の基盤だ」
ソフィアは静かに続けた。
「魔石は消耗品だが」
「分解と結合ができる」
「魔道具の核になる」
ノアは頷く。
ソフィアはさらに言う。
「魔物は陸で発生する」
「だが海では発生しない」
「だから海路の交易は安定している」
なるほど、とノアは小さく呟いた。
ヘレナが言う。
「中央島では」
「これが日常だ」
ノアは少し苦笑する。
「確かに大変そうですね」
ソフィアが続ける。
「中央島は世界の中心」
「魔物の平均レベルも高い」
「だからヴァルグレイン辺境伯が置かれている」
ノアは静かに頷いた。
ヘレナが馬に乗る。
「行くぞ」
馬車が再び動き出した。
街道は緩やかな丘へ続いている。
そして。
丘を越えた瞬間。
ノアは思わず声を漏らした。
「……すごい」
遠くに見える巨大な城壁。
その内側に広がる街。
塔。
煙。
人の流れ。
ヴァルディア王国の中心。
王都。
ソフィアが静かに言う。
「着いたな」
物語は、新しい舞台へ進む。




