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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通


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9/15

源一郎・四月三日・一

 日の出とともに目覚めた源一郎は、お礼の品々の代わりに財布があることに気が付きました。隣には注文通り、匕首と安全靴が(たたず)んでおります。懐に匕首を仕舞う所作は緩慢としておりました。

 最初に行ったのは、銃の点検でございます。見慣れぬ銃を、それでも分解清掃をし、油を塗って懐に忍ばせます。

 まだ薬の残る体を引きずり財布の中身を広げていると、中から小さな和紙が出てきました。インクで『季節外れのサンタさんより』と書かれております。紙片を雑に放って紙幣を数えると、五二八円と銭が少し入っておりました。とうの源一郎は知る由もありませんが、この時代の公務員の初任給が七〇円でありますから、大変な金額でございます。

 中身を財布に仕舞ってから、覚束ない手つきで囲炉裏に火をいれております。

 柔軟の後隣の部屋を覗くと、アルレインが治療を施した兄貴分がささやかな(いびき)を立てておりました。

(助かるような傷じゃなかったはずだ)

 起こさぬよう包帯とガーゼをずらすと、そこには確かに人の肉がございました。傷のあったであろう端こそまだら模様が楕円を模っておりますが、血色の良さから血液が通っていることは見てとれました。

 布団を戻し、部屋を移ります。

 茶を淹れ丹念に冷ましながら少量口に含むと、熱と味に舌が刺激され、緩やかに頭と体が起きてきます。

(夢じゃ、ないな)

 地袋を開け、昨晩アルレインが仕舞いこんだ厳重な箱を取り出します。まともに開けようとして開けず、蓋部分をずらすよう横から力を加えてみると、かちりとした感触と共に蓋が開きます。

 そこには宇宙が広がっておりました。

 スライムのような不定形でおり、表面は絶えず変化する玉虫色の油膜のようで、その実色彩は絶えず変化しており何色とは申せません。地球上に存在するすべての生命の根源たるそれは、一目見て、アルレインが失われた彼の肉体を埋めるべく取り込ませたモノだと理解しました。

 源一郎はおもむろにそれに(かじ)りつき咀嚼(そしゃく)嚥下(えんげ)致しました。濃厚な生命そのもののスープのようで、料理の味に頓着しない源次郎にとっても美味に感じられる一品でございました。

 スライムは抗議するよう甲高く『てけり、り』と声を上げております。その音に正気を取り戻したのか、源一郎は乱暴に蓋を閉ざし、地袋の奥にしまいこんだのでございます。

 吐きだそうとしても涎や胃液しか込み上げてこず、スライムは源一郎の身の内に取り込まれたようでございました。

(なんだったんだ、あれは)

 おもむろに着流しを捲り、腹部を撫でております。異常はないようです。ついでとばかりに体の動作確認をしております。体臭は感じられませんでしたが、鉄錆びた血の臭いが僅かにいたしました。

 源次郎は毎日風呂に入れるような環境にはおりませんでした。一日入らなかったくらいではどうということもございませんでした。しかし、それはそれとして入れるのならば入りたくもありました。

(銭湯、朝から空いてるのかな)

 詮無きことと切り替え、押し入れに布団を仕舞い、替えの下着と武道着と袴を取り出し縮緬(ちりめん)の風呂敷で一纏めに包んでおります。

 再度奥の部屋を確認しても、変わった様子はございません。

 裏口のつっかえ棒を確認し、玄関から出て後付けの鍵を閉めました。

 いざ参らん。未知なる帝都に湯屋を求めて。


 結末を申しますと、人づてに銭湯は数軒見つけましましたが、どれも早朝につき閉店中でございました。




 徒労に終わった散策も、無意味なものではございませんでした。ドヤ街まで足を延ばした源一郎は、周囲の地理を僅かばかりですが把握できました。射線や物陰を意識してしまうのも職業病でございます。

 平屋の前まで戻ってくると、見知った姿がございました。

「あら若先生、おはようございます」

 通りの掃き掃除をしていたツルでございます。

「おはようございます」

 ツルは(いぶか)るようでございました。

「朝帰りですか? お元気ですこと」

「違います。ちょっと銭湯を探しに」

「銭湯でしたら昼過ぎにもならないと開かないでしょう」

 申して自らの臭いを嗅いでおります。

「おつるさん、これを」

 懐手して財布を取り出し百円札を押し付けております。

「え?」

「これで鳥の肝臓とほうれん草を使った食べやすい料理を作ってほしいんです。あと今後も色々頼むかもしれません」

 戸惑ったようでいたツルは受け取ると、百円札を袖口へ忍ばせております。

「こんな大金、間尺(ましゃく)に合いませんよ」

 源一郎は、ツルのその言葉を知りませんでしたが、言わんとすることは理解したようでございます。

「お子さんに良い物でも食べさせてあげてください」

 困惑は不快へと移行しております。

「……まさか本当に変なことでも考えてるんじゃないでしょうね?」

「変なこととは?」

 旦那の失踪した妙齢の女性に大金を渡し『色々頼む』と申した意味を、源一郎は認識しておりません。今のところ数少ない顔見知りの一人だから頼るかもしれない、それ以上の意味はございませんでした。

「とにかく料理をお願いします。できれば今から」

「とは言っても、まだお店も開いてやしませんよ」

「できるだけ早くでお願いします。患者の血が足りないので」

 腑に落ちない様子ながらも、ツルは箒を片手にそそくさと自宅へ戻っていくのでございました。




 源一郎が家に戻ると、奥の部屋から人の動く気配がしておりました。

「死んだかと思ってやしたんですがね」

 兄貴分が目を覚ましておりました。

「まだ寝ていたほうが良いですよ」

 座る男は脂汗を浮かべたままでございます。

「先生でやすかい?」

「そうですね。若先生なんて呼ばれてる闇医者です」

 源一郎の指示に逆らい、男は立とうといたします。

「ちょっと」

「お控えなすって!」

 腹部を負傷している人間が出せる声量ではございませんでした。思わず飛びのき源一郎は懐のドスに手を伸ばしておりました。

「ご当家の仁義、失礼ながらお控えなすって」

 遠い間合いで(うめ)き上げるような声に、源一郎は警戒を緩めて背筋を伸ばしました。

 男は中腰で片手を膝につき、もう片方の腕を斜め下前方にかざし、手の平を上に向けた姿勢で(うた)います。

「早速ながらご当家、三尺三寸借り受けまして稼業仁義を発します。

 手前粗忽者(そこつもの)なればこの仁義あります事、前後間違いましたる節は真っ平ご容赦願います。

 手前生国(しょうこく)を発しますは大日本帝国は関東にござんす。されど実親旅芸人にござんして、全国津々浦々旅していたことから、手前故郷と呼べる土地はありやせん。

 しかして稼業縁持ちまして、身の片親と発しますは草薙組草薙武雄(たけお)に従います若いもんにございやす。

 性は武田、名を照国(てるくに)

 手前身命(しんみょう)お救いくだすった御仁(ごじん)、以後面体お見知りおきの上、向後万端(きょうこうばんたん)宜しくお引き回しの程お頼み申します」

 所謂(いわゆる)仁義を切ったのでございます。

 源一郎は全ての言葉の意味はわからずとも、なぜだか拍手をしておりました。

「どうも、これはご丁寧にありがとうございます?」

 自己紹介をされたということだけは解っておりました。

 それが限界だったのか、武田照国は、布団に尻もちをついたのでございます。

「ああもう」

 源一郎が照国を布団に寝かせると、

「あっしの手拭いはございやせんか?」

 照国はそんなことを申しました。源一郎はこれかな、と布団の下に潜り込んでいた手拭いを引っ張り出します。

「ありがとうございやす」

 言って男は顔を拭っております。草臥(くたび)れた手拭いには剣紋の家紋が拵えております。

 この時代、所謂ヤクザ者と呼ばれる渡世人(とせいにん)たちは、手拭いを名刺代わりにしておりました。そこに記された家紋が身分証明だったのでございます。使い古されているほど年季がいっているということでございます。

「喉は乾いていませんか?」

「水をお願いしやす」

 源一郎は大きめの湯飲みを三つ取り出し、囲炉裏に下げたやかんから白湯を注いでおりました。

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