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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通


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10/15

源一郎・四月三日・二

 昼前にツルは食事を持ってきてくれました。源一郎はまだ暖かいそれを二つに取り分けております。茹でたほうれん草と鳥レバーを潰して味付けした物でした。お(ひつ)もございます。

 二人分の食事と水を盆にのせ、奥の部屋へと参ります。

「起きてますか?」

「へい」

 脂汗はいくらかマシになっておりました。

 用意された盆を前に、照国はじっと源一郎を注視しております。

「食欲がありませんか? 無理やりにでも食べてください。血が足りない」

「いえ先生。あっしらの世界では、目上の人間よりも先に箸をつけちゃならないんでさ」

(毒見待ちじゃなかったのか)

 失礼なことを考えて、源一郎は申します。

「いただきます」

 頬張れば、別段語ることもない味付けでございました。みりん、醤油、塩で味付けされたろう肝臓は、特有の触感と臭気がございます。源一郎の食事の所作には育ちの良さが現れております。

「いただきやす」

 一方かき込むようにして食べる照国でございます。

(目上ねえ。懐かれたもんだな)

 直接治療を施したのは自分ではないが、説明は困難を極めます。『身命お救いくだすった』のはアルレインでございます。

(まぁ説明できんしな)

 大して量のない食事はすぐに食べ終わりました。

「失礼しやした先生」

 照国はまだかっこんでおります。元々照国のための食事なので、源一郎より量が多ございました。

 食べながら、照国は申します。

「あっしらの流儀では、目上の者より先に食べ終わらなけりゃならねえんです」

 上役より後から食べ始め、先に食べ終えなければならないと申しております。

(ヤクザ社会面倒くせえな)

 源一郎には関係のない話でございました。

「気にしなくていいです。自分は他業種の人間ですから。ゆっくり召し上がって下さい」

「すいやせん」

 それでもペースは落ちませんでした。

「それじゃちょっと風呂に行ってきます。留守をお任せしても?」

「へい。いってらっしゃいやせ」


 身綺麗にして帰ってくると、照国の手下と思しき筋もの二人が弁当を手に訪ねておりました。




 散漫に訪れる患者を捌いていると、もう日暮れでございました。源一郎は銭湯の折武道袴に着替えております。

 助手として扱き使われた筋もの二人は名を銀次、捨吉といい、顔には疲労の色が窺えます。

「手伝ってもらってすみませんね。一人じゃどうにも手が回らず」

 一先ずの患者を片付けてから、源一郎が申しました。

「とんでもねえ!」

「先生は兄貴の命の恩人なんでさ、このくらいなんでもねえ。どうぞ遠慮なく扱き使ってやってくだせえ」

 むさ苦しいことこの上ありません。

 二人は照国をここへ担ぎ込んできた張本人でございます。アルレインとその施術を目撃していたはずですが、何故だか源一郎が処置したものとなっているようでございました。

 あれだけ印象的であろうアルレインを忘却することなど、現実的ではございませんでした。

(どうせアイツの仕業だろうが)

 多分に漏れず、考えても致し方ないことでございました。

「若先生」

 ツルの声でございます。源一郎が戸を開けると、昨日と同じように土鍋を抱えておりました。

「あら、今日はお客さんがいるんですね」

 言って食器茶碗などの準備を整えております。着物は昨日と違っており、また異臭もしませんでした。

 心得たもので、食事は鉄分を多く含んだものでした。

「ありがとうございます」

「私達はお外で食べてきます。さ、行くよ」

 子供を連れ立って平屋を出ていきました。上機嫌でございました。

「すげえ別嬪さんだ」

「こら失礼だろ、先生のイロだぞ」

「違います。ただの面倒見の良い人妻です」

「人妻かあ」

 捨吉は余計にたぎるものがあったのか、頬が紅潮(こうちょう)しております。

「あの人に何かあったら許しませんよ?」

 振り返って笑顔で釘をさす源一郎に、二人は閉口したのでございます。




 その日の夜、小さな問題ごとが発生しておりました。銀次と捨吉が泊まり込むと申すのです。

「これ以上先生にめんどうかけてどうすんでい!」

 囲炉裏を囲える程度には回復した照国に一喝されておりました。

「自分は別に構いませんよ」

 源一郎としては一人二人増えたところで構わないどころか、手数が増えて便利なので歓迎する事態でございます。

「もうちょっと身嗜みに気を遣ってもらえると助かりますけどね」

 手洗いうがいは徹底させておりしたが、手下二人は少々臭います。

「なら今から交代で風呂にいってきやす」

 言いしな銀次は出ていくのでございます。

「あ、待てこら!」

 急に動こうとすると痛むのか、照国は脇腹を抑えております。

「何か理由があるのでは?」

 源一郎と照国は、捨吉へと目をやります。恐らく一番の下っ端だろう捨吉は、それだけで身を縮めておりました。

「理由があんのか?」

 へい、と前置きしてから観念したように捨吉は申します。

可惜(あたら)組の連中が、兄貴を狙っているようで」

 どうやら敵対勢力の一部が弱っている照国を狙っているのだそうです。

 はん、と言うと照国はドスを取り出し、

「錆にしてやらあ」

(本当にそんなこと言うんだ)

 源一郎は湧き上がる笑いを堪えております。

「それになあ、護衛だってんならここに先生がいらあ」

 面相を整えるのに必死な源一郎は、二人から注がれる視線をいなしております。

「確かに先生は相撲取りみてえにでけえですが」

「体格の問題じゃねえ。先生の立ち居振る舞いを見りゃわからあ。お前らが束になってもかないやしねえよ」

 心の内で感心しながらも、源一郎が申します。

「自分もずっと家にいるわけにはいかないんですがね」

「その時はその時でさあ」

「家の中で刃傷沙汰は勘弁願いたいんですが」

 照国は答えずドスを仕舞っております。

「迷惑料込で、金は支払いやす」

「おいくらですか?」

 照国は顔を背けております。

「貴方の命のお値段と、迷惑料はおいくらですか?」

 筋ものを恫喝しております。

 暫しの沈黙ののち、照国が申します。

「先生、ちょいとこちらへ。お前はそこにいろ」

 奥の部屋へ行く照国の後を、ガーゼと包帯を手にした源一郎が追います。


 蝋燭明かりの中、源一郎は照国の手当てをしております。暗くて判然とはいたしませんが、傷跡は朝方よりもより馴染んだように見受けられます。現代の医学に対して冒涜(ぼうとく)的と言えるほどの治癒効果をもたらしておりました。

「傷の具合はどうですかい?」

「順調ですよ。照国さんの回復力がすごいんですかね」

 いい加減なことを申しております。

「あいつらの前じゃ言えやせんが、なんだか(たま)さか痙攣(けいれん)しやがるし、時々痛いったらねえんです」

「そのうち落ち着きますよ」

 多分、とは付け加えずにおりました。

「しかし凶暴な野犬がいたものですね」

 暫し沈黙が部屋を支配しておりました。

「野犬じゃねえんです」

 ぽつりとした声色は、どこか覚悟を決めた者のように見受けられます。

「怪物に食いちぎられたんでさ」

「怪物」

 アルレインの言葉を想起しておりました。

「馬鹿みたいな話だとお思いでやしょう?」

「いいえ。あの傷は、確かに野犬では説明がつきません」

 せいぜいが噛みつくことであって、人間の脇腹を嚙みちぎるほどの重さを備えた犬がこの時代の日本にいるなど想像が及びませんでした。

「噂はあったんです」

 横向きに寝たまま、照国は申しました。

「怪物のですか?」

「ええ。ウチの縄張り(シマ)にある廃ビルに、夜になると化け物が出るってんで」

 周辺施設の客足への影響もございますれば、しかし怪物でございます。まともに取り合ってはいなかったそうです。

「昨日の夕方、そのビルで飛び降りがございやして。なんでも化け物に追われて飛び降りたって話で」

 夜になってから廃ビルを探索していると、実際に地下で噂の怪物に出くわし腹を嚙みちぎられたのだと申しました。

「ドスで矢鱈滅多にさしてやったんですがね。そしたら逃げていきやがって。なんとか階段を這い上がって、銀と捨の顔を見て、それきりです」

 それきり膝を抱えて震えており、黙しております。

(怪物。怪物ねー)

 一笑に付すことなどできずにおりました。邪神がいるくらいですから、怪物もおりましょう。

(怪物を酷い目に合わせたり合わせなかったり、か)

 怪物に襲われ致命傷を負った患者を治療したのがアルレイン、ということでございます。作為的なものを感じずにはおれませんでした。首を突っ込めということなのだと源一郎は判断致しました。

「怪物を倒すには、どうしたらいいんでしょうね」

「先生、信じていやせんでしょう?」

 照国からは失笑が漏れておりました。

「そんなことはありませんよ。ただ純粋な疑問です」

「そりゃダイナマイトとか、囲んでハチの巣にしちまうとか。それでどうにかなるとも思えやせんがね」

「ちなみにどこのビルです?」

「いけやせん、先生」

 起き上がり、源一郎を見つめております。その瞳には、恐れが色濃く反映されております。

「先生の身になにかあっちゃいけねえ」

「商売上がったりなんでしょう? どうにかしないと自分も困るんですよ、報酬的に」

「上がったりってほどじゃございやせん。報酬はどうにか用意しますんで」

「だからおいくらですか?」

「それは……」

「払う気がない?」

「そんなことはございやせん」

 逡巡するようでおりました照国はやがて、

「五百円です」

 ぴしゃりと言い放ちました。

「治療費と、何かあった時の迷惑料。込みで五百円で如何でやすか?」

「治療費が五百円、何かあったら千円、或いはその程度によって値段を上げる。これでどうです?」

「……はい」

 源一郎は、正直金などよりも、ビルの情報が欲しゅうございました。銃で脅すことも、言葉で脅す手管も浮かんでおりましたが、致しませんでした。照国らと敵対するのは得策でないと考えたためでございます。噂になっているくらいですから、情報源はなにもこの男に限った話ではないと引き下がりました。

「お騒がせしましたね。まずは傷を治すことに集中しましょうか」

 言い捨て部屋を立ち去るのでございました。


 折を見て、武道着の内側にポケットを複数増設しておりました。

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