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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通


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11/15

源三郎・四月三日・一

 茫洋(ぼうよう)とした意識のままで、源三郎は不可思議な心持ちでおりました。眠剤を使いだして以降、夢を見ることはなくなっておりました。正確には、見た夢を覚えていることができなくなっていたのでしょう。朝方には脈絡のないフラッシュバックに襲われることが間々ございました。

 だというのに今日、印象としては白い夢を見たような覚えがございました。詳細は覚えておりません。

 そんなこともあるのか、と柔軟をしながらぼうとしておりました。

 銃の整備をしてから思い立ち、洋装を纏ったのでございます。


「おはようございます」

 あくび交じりに応じた金之助の頭は寝ぐせをこさえております。

「お早いですね。よく眠れましたかな?」

「お陰様で」

 金之助は朝の運動をしておりました。源三郎も倣っております。

 鳥の(さえず)りに包まれた帝都の朝は、大変うららかでございました。

「その、大変恐縮なのですが」

 口を開いたのは源三郎でございます。

「はい?」

「銃の購入を考えております。そして自分はお金を持ってません」

 身分証明を警察に届けなければ購入できませんが、それは源三郎と、銃に縁のない金之助の知るところではございませんでした。

 既に所持しているのに『購入を考えている』などと申したのは、昨日身ぐるみを剥がされていたためです。どこに隠し持っていたんだという話になりましょう。

 加えて申し上げますと、仮にも寝床を借りている身分でございます。家主に銃の所持の許可を求めるのは、源三郎にとっては当然の振る舞いでございました。

 運動をやめ、向かい合っております。柔和でいた朝の気配は硬直しております。

「今までに人を撃ったことは?」

「あります」

「これから撃つご予定でも?」

「身の危険を感じれば」

「家人を撃つつもりは?」

「ありませんが、状況によります」

「身の危険を感じれば、ですか?」

「はい」

「であるなら問題ないでしょう」

「はい?」

 空気は弛緩しておりました。

「嘘を仰っていないことくらいわかります。家の者に危害を加えられては困りますが、自衛のためなら仕方のないことです。それに家人が貴方に危害を加えるとも思えません」

 承諾されると思っていなかった源三郎は、些か拍子抜けした様子でございます。

「昨今は何かと物騒ですからね。有事の際は、皆を守ってくれると助かります」

 金之助は財布から百円取り出すと、源三郎に渡しております。吝嗇(りんしょく)さとは無縁の金之助でございました。

「店は目抜き通りにあったはずです。家を出て、右に少し行けば突き当ります。お代はこれからの働きで返してください」

 屋敷へ立ち去る金之助の背中に、源三郎は深く礼をしておりました。


 部屋に戻って棚から銃を取り出し懐に仕舞うと、源三郎は邸宅を後にしました。

 早朝の人通りもまばらな通りの端を行きます。路地裏や高所に目を配るのは、源一郎と同様でございました。十分ほど歩いた後、昨日のビルを目に止めておりました。

 今度は通りの反対側の店舗群を眺めながら帰路についたのでございます。




 邸宅の門を潜ると、そこにはブラウスにスカート姿の昨日の少女と大柄な青年がおりました。源三郎の存在に気付くと少女は肩口までの髪を撫でながら近づいてまいります。

「おはようございます。初めまして」

 記憶の中の少女そのままの朝の陽光に包まれたその姿に、源三郎は足元が覚束ないような、現実感を奪われたような気がしておりました。

「おはようございます、初めまして」

 オウム返しにそれだけを言うのが関の山でございました。

「昨日はありがとうございました。お陰様で傷一つありませんわ」

 青年も近づいてまいります。書生服に羽織った外套(がいとう)の上からでも見てとれるがっしりとした巨躯でおり、成長期に摂取した栄養価の高さを窺わせます。

 源三郎が熊なら、青年はゴリラのようでございました。

 青年は学帽を手に持ち、なにやら外国語を源三郎に向けて話しておりました。音の響きから中国の普通話、それからドイツ語だろうことは判別がつきましたが、源三郎にはその内容までは理解が及びませんでした。

 青年は続けて英語を話しだします。

『初めまして。お会いできて嬉しく思います。私の名前は黒田銀之助(ぎんのすけ)と申します。こちらの(ゆかり)さんの婚約者です』

 日本の学校教育の賜物でしょうか。銀之助の英語は、過分にしゃちほこ張った言い回しでございます。

 婚約者という単語が聞き捨てならず、源三郎は銀之助を矯めつ眇めつ眺めております。

『あなたは英語もわかりませんか?』

 銀之助は不躾な視線を気にするでもなく、ただ困ったように微笑んでおります。

『クソ硬い。もっと砕けて話すもんだ。俺は橘源次郎。瘋癲(ふうてん)の身の上だ。俺と同じくらいバカでかい日本人を久しぶりに見たんでね、ついまじまじと見ちまった。こんなもんでいいか?』

 目を瞠った銀之助は、少女に向かって申します。

「口は悪いですが、一朝一夕で身につくものではありません。どうやら本当に大陸浪人のようです」

 銀之助(ハイスペックゴリラ)の言に、少女は応じております。

「恩人に対して不躾ですことよ」

 (たしな)めるような口調でございました。

「改めまして、立花と申します」

 姓こそ違えど、名も記憶の中の少女と同様でございました。あと異なるのは口調くらいでございましょうか。

「柑橘系の橘源次郎です、木へんの橘」

「奇遇ですこと」

 学帽を被りなおした銀之助が咥えた煙草の先に火を灯しておりました。源三郎はライターと煙草を取り上げると、

『おいクソ野郎、煙草を吸うな!』

 言いながら煙草を足で揉み消しております。

「ええ? なんですか急に」

 源三郎の剛腕は構わず銀之助の胸倉を掴み上げようと襟元へ伸びました。しかしある種の武道を体得しているであろう体捌きで銀之助は体を捩り抵抗しようと致します。しかしライターを持ったままの源三郎の右腕は、用を果たして銀之助の重い体を捉えたのでございます。

『煙草は体に悪いんだ、特に未成年の体にはな。この子の婚約者を気取るなら、煙草はやめろ。わかるか?』

 源三郎の剣幕に二人は目を瞬かせております。

『今は煙草は体に良いというのが定説です』

『それは古い認識だ。本人だけじゃなく周囲にも癌や肺気腫、血圧心臓への悪影響がでる。絶対にやめろ』

『それは今の外国の最新の研究ですか?』

『そうだ。この子が大切なら今すぐやめるんだ。じゃなきゃお前を殺すぞ』

『……何故、そんなに?』

 はたと冷静さを取り戻した源三郎は、隣の少女を一瞥しております。取り残された縁は一人気を揉んでおります。

『脅し文句じゃない。絶対にやめろよ』

 申して銀之助を解放したのでございます。

「ちょっと警告をしただけだ。気にしなくていい」

 軽く(むせ)ている銀之助の背中に縁が手を添えておりました。

 源三郎は消した煙草を拾っております。

「それよりも昨日の飛び降りだが、なんであんな真似を?」

 気づかわしげでいた縁が源三郎を見据えます。どう話したものか悩んでいるようにも見受けられます。

「世を(はかな)むようには見えない」

 源三郎の知る少女は、そんなことをするタマではございませんでした。

「信じていただけるのかわからないのですが」

「信じられない話には慣れてる。世の中は不思議でいっぱいだよ」

 源三郎にとりましては、目の前の少女がまさにそうでございます。

「淑女にあるまじき振る舞いと笑わないでくださいね?」

 源三郎は鼻で笑っておりました。

「もう!」

 憤慨(ふんがい)しつつも縁は話し始めたのでございます。


 学院の生徒たちの中にある噂がございました。牛込区の目抜き通りにある廃ビルを、夜な夜な化け物が徘徊し、迷い込んだ、或いは肝試しに来た人間を喰らっているのだと申します。

 女学生の噂とは奇々なるものか、あっという間に尾ひれがついて、私は見た、あの子も見た、十五尺(450cm)を超す河童だ、いや人型だ、四つ足の獣だなどと取り留めもございません。

 噂の真偽を確かめるべく、縁は昨日の学校終わりに廃ビルへと赴いたのだそうです。


「一人で?」

「はい」

 親子揃って豪胆なことでございます。

「そこでその……本当に怪物と出くわしまして、本当に臭くて、気持ちが悪くて。逃げている間に屋上に出てしまって、追い詰められて飛び下りたんですの」

「なるほど」

 信じがたい話ではございますが、源三郎には笑い飛ばすことなどできないのでございます。

「あとが大変だったんですよ。縁さんが飛び降りたという話を聞いて、(ぼく)は気が気ではありませんでした。もう二度とあんな真似はしないでくださいね」

 余談ではございますが、気絶した源三郎を運んだのが銀之助でございました。周囲から奇異の視線を浴びながら、源三郎の重い体を三十分間背負ったのでございます。

 (ひしゃ)げた車の修理は、金之助が手配しているところでございました。

 返事を寄こさぬ縁に、銀之助はしかめ面を浮かべております。

「信じてくださいますの?」

「ん? まぁあったって言うんだからあったんだろう。後で確認してくる」

「それは危ないですわ」

 会話の流れを断ち切りました。

「ところで俺は二五だが、二人はいくつだ?」

「僕は二〇です」

「私は一五になります」

 恐らく二人とも数え年でございます。

 現代の価値観では中々考え難い年齢での婚約関係でございますが、当時としては別段珍しいものではございませんでした。

「行かないでくださいね」

 縁は心配そうに申しまして、銀之助は横眼をやりながら。邸宅へ去っていく二つの背に向かい、源三郎は嘆息(たんそく)一つ置いております。

 一五歳。記憶の中の少女の享年でございました。

イカ釣りキス釣りに行きたいンゴねえ。でも書いちゃうンゴねえ。でも書いてて面白いか自分でもわからいンゴねえ。


ですので少しでも面白いと思っていただけましたら、フォローやご評価などを入れていただけますと嬉しく存じます。

皆様からの応援が励みと自信に繋がることと存じます。


謹んで宜しくお願い申し上げます。

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