源三郎・四月三日・二
金之助から許諾を得た源三郎は、アルレインの申し伝えに従い、洋館の図書室へと赴いておりました。主が文学者であるためでございましょう、蔵書量は夥しいことこの上ございません。朝焼けが存分に照らす天井高いそこは、古い本と木の匂いに満ちており、どこか訪れた者の心を落ち着かせる働きがあるようでございました。
文学の棚を通り過ぎ、文化風俗の類の棚も過ぎ、洋書の類が整列しているところで足を止めておりました。
『宇宙からの色』『時間からの影』『ピックマンのモデル』『ナコト写本』『エルトダウン・シャーズ』など、源三郎が寡聞にして知らない文献類でございました。その中から『名状し難き生物図鑑』という本を取り出すと、机に腰かけ読み耽ったのでございます。
本は生物図鑑の体裁をしており、挿し絵と文章とで構成されておりました。
『ティンダロスの猟犬』曰く、時間を遡った存在を獲物と定めてどこまでも追いかけ、一二〇度以下の角さえあればそこから悪臭と共に出現し、獲物を食い千切るのだ、と書いてありました。
さて時間旅行を終えた自らはどうであろうか、と源三郎は斜に構えております。
『食屍鬼』曰く、ゴムのような弾力のある皮膚でいて、二足歩行だが猫背で犬のような姿勢。早口で泣くように話し、見る者に不潔で不愉快な印象を与える腐肉漁り、と記述されておりました。
グールって、西洋の伝承のグールとは違うんだな。そんな考えを他所にページを捲ります。
『シャンタク鳥』曰く、象以上の大きな体を持ち、頭部は馬に似ており、全身には羽毛の代わりに鱗が生えている。人間の言葉を話せないが、人語を解することができる、と記載されております。
その怪物の容貌は、昨夜見た竜のシルエットに酷似しておりました。
再びページを捲ると『無貌の神』の項目でございましたが、源三郎は窓枠に飛び乗る影に視界を攫われております。欠伸をしている黒猫でございました。
「橘様。橘源次郎様、いらっしゃいませんか?」
女中の呼ばわる声がいたします。
源三郎は本を閉じて元の場所へ仕舞い、図書室を後に致しました。
仕舞われた本の中から一葉、また一葉と紙片が抜け落ち、黒猫が咥えて去っていったのでございます。
源三郎と銀之助は、共に上着を脱ぎ、屋敷の裏庭の竹林で筍掘りをしております。始めは初めての作業に慣れず筍を折ってしまっていた源三郎も、今や鍬とシャベルを使い分け、存分に収穫を得ております。
「朝は、なぜあのように怒ったのですか?」
日曜日である今日は、銀之助の学業もお休みでございます。女中達からここぞとばかりに使われているのでありました。
銀之助は息を上げながら、次の筍を足で探しております。
「将来美人になるであろう婚約者を持つお前さんに嫉妬したんだ」
横に生えた筍の周囲を鍬で削っております。
「胸倉を掴まなくとも、聞く耳は持っているつもりです」
「そりゃ悪かった。俺の周りにはそんな賢いやつはいなかったんでね、っと」
シャベルを押し込み、筍の根本を切断致しました。
源三郎だけで、既に麻袋三つの量を確保しております。
「こんなもんでいいんじゃないか?」
「まだまだ足りませんよ。先生のご知己の方々や、僕も学友に配りたいですから」
「二人でやる作業量ではない」
不平を垂れながらも源三郎は、肩で息をするでもなく事務的に筍掘りに集中しておりました。
大量に掘り出された筍は、立花邸の庭に並べられた十個のドラム缶によってアク抜きを施されたのでございます。
昼日中を過ぎたころ、源三郎は件のビルへと足を延ばしておりました。手には屋敷からせしめた懐中電灯と銃がございます。
建物の造りは今とは違い、窓が少のうございます。
足元を照らせば、犬猫か山羊でも立ち入ったのかそれら動物の足跡と、夥しい数の人間の靴跡が見受けられました。ちょっとした心霊スポットと化しているのでございましょう。
無駄とは思いつつも物陰から物陰へと射線を切りながら、一階を探索し終えて二階、三階と移動していきます。周囲に生き物の気配は感じられませんでした。
屋上へ出ると、緊張に湿気ていた源三郎の肌から風が熱を奪っていきます。周囲を見渡しても、屋上には他の生物の影も形もございません。
昨日縁が通っただろう道を行き、目抜き通りを見下ろしております。
「相も変わらず度胸のあることで」
ふと、風が死臭をたおやかに運んで参りました。
勢いよく振り返ると、そこには異形なるものがおりました。
『動くな!』
通じるはずがございません。
「動くな!」
化け物は笑うように多くの口を歪ませております。源三郎の言葉を解さないのかゆったりとですが、しかし確実に近づいて参ります。
一瞬だけ下に目をやって、充分に人のいない空間を見つけました。
源三郎は一歩前に出て再度振り返ると、まるでプールの飛び込みのような恰好でビルから飛び降りたのでございます。
最初に地面についたのはつま先でございます。勢いに逆らわずに膝を折り、右手側部へと力を流します。右肘、右肩ときて背中、骨盤左部、最後は全て同時に、横に倒した左膝下部と右足の裏と右手でもって激しく地面を叩きました。合気道の受け身の姿勢でございます。
昨日の少女の行動に得心した源三郎は、周囲のどよめきを無関心に服を払うと、ビルの屋上を睥睨してから走り去ったのでございます。
頼りになる人物は、一人しか浮かんでおりませんでした。
屋敷へ戻ると早々に風呂の入れ方を教わり入りました。
図書室へと戻り、先程の本のある項目を熟読致しました。
太陽がまだ燦爛と輝いている中、離れに戻った源三郎は、薬瓶から二錠含んで体を休めました。
途中、源三郎の様子を確認しに音を立てずに来室した女中の気配に一度だけ目を覚ましておりました。




