立花縁・四月三日
「いきなり僕の胸倉を掴んだのですよ? 信じられますか?」
夕食の席で、金之助は源三郎への印象はどうかと尋ねておりました。銀之助は、金之助に源三郎の今朝の所業を訴えておりました。
「言えばわかるというのに。ただの狼藉者ですよ、あの人は」
憤懣やるかたない様子でございます。
「でも煙草を吸わないよう注意されたのでしょう? 実は有害だからって。銀之助さんのお体を心配なさったのじゃないかしら?」
縁は諭すよう冷静に申しました。
「煙草が体に悪いというのも怪しいものです」
当時の識者の一部には源三郎の言うような意見もございましたが、気脈の流れを整えたり、魔除けとして体に良いとされる意見が大衆に根強くございました。
「実際に体に悪いと主張なさる先生方もいらっしゃるね。周囲にも害があるのだとも。
この際どうかな? 私と一緒に禁煙してみるというのは」
例にもれず金之助も喫煙者でございます。この時代、男性の喫煙率は八〇パーセントを優に超えておりました。
将来の義父親である金之助に言われてしまえば、否やはございませんでした。
「縁はどう思った?」
金之助に水を向けられ、縁は思案を巡らせております。
よくわからないというのが一つでございました。今日初めて少しばかり会ったの人間の本質を読み解けるほど、縁は達観しておりません。
「なんだか安心する人だけど、心配にもなる人、でしょうか」
呟いて、縁自身が不意を打たれておりました。
「乱暴者ですよ? どこに安心できる要素があるのですか」
「なんとなくそう思っただけですもの」
ありえないはずなのに、一回り近く歳の異なる橘源次郎の幼少期を知っているような、奇妙な既視感が縁にはございました。今日一日の間、源次郎と名乗った青年を思い出す度ずっとその曖昧な感覚を掴もうとして果たせずにおりました。
「縁を盗られるんじゃないかと嫉妬しているのかな?」
「いいえ、まさか。暴力的な人が嫌いなだけですよ」
柔道に心を捧げてきた銀之助は、武や暴力といったものに一家言あるようでございます。
「朝は仲良く筍を掘ってらしたのに」
「そこは僕も大人ですから」
自ら申し上げることではございません。
「私の知る大人の男性は、陰口を叩かないものですわ」
「いえしかし、今だってまだ寝ているというではありませんか。昼寝をしたかと思えば夜まで寝ていて。凡そ真っ当な人間の生活習慣ではありませんよ」
「ごちそうさまでした」
聞くに堪えないといった様子で縁は部屋を出ていくのでございました。
自室のベッドに寝そべり、縁は一人考えております。瞼の裏に浮かぶのは、眉根を寄せる大きな男性の姿でございます。
女性として惹かれているなどということではございません。荒々しい振舞いだった男性に、それでもどこか懐かしいような安堵感を覚える橘源次郎なる人物が、なぜだか気に掛かるのでございます。
思い見るうち微睡が訪れ、縁の意識は深い眠りの中へと誘われるのでございました。




