源三郎・四月二日・一
源一郎の長屋を出てから、アルレインと源三郎は連れ立ってうらぶれた夕暮れ道を歩いている。道幅は大人が五人も並べば埋まるような狭さだった。行き交う人々はアルレインのエキゾチックな美貌に釘付けになり、また時折その隣を行く時代にそぐわぬ巨体の源三郎に慄き道を譲っている。
『どこに行くんだ?』
英語だった。源次郎が慣れ親しんでおり、周囲の目――いや耳を気にする必要もなくなるからだ。
『いいところです』
当たり前のように流暢な、東海岸訛りの英語を返すアルレインは、やはり楽し気でいる。
源三郎は能面のような顔のまま、特に話題もなく歩く。
しばらくすると、少し大きな通りへ出た。先ほどまではスラムのような風情だったが、今はドヤ街の様相でいる。喧嘩でも起こっているのか、喧騒が耳に煩い。
『源次郎さんとは、もっと早くにこうして直接関わりたかったのですよね』
この邪神がそんなつまらないミスをするとは思えないが、源三郎は念のため掘り下げる。
『俺は源三郎だろ?』
『源三郎であり、推定源次郎です』
無意味な言葉遊びだった。再び無言で歩いていく。
『なにか言ってくださいよ。抑うつ状態ですか?』
会話をしたいというのなら、付き合わないでもない。
『安全靴が欲しい。下駄じゃ歩きにくい』
『ご用意しましょう』
『拳銃に弾にフルニトラゼパム、自動小銃に軍用ナイフ、硫黄木炭硝石とアルミと錆びた釘とジェルと夢と希望と』
『最初の三つまでです』
『クソったれな自由は?』
『ないです』
道は石畳となり更に歩きやすくなっていた。真っ当な住宅街の趣だった。賑やかな喧騒に包まれた夕暮れの街は、それでもどこか寂し気でいる。
『俺はいつから目を付けられてたんだ?』
言葉が通じるということは、意思の疎通が可能であるということだ。当然の言い回しだが、その違いは源次郎にとってとても大きい。言葉が通じなければ、直ちに命のやり取りに発展するような環境に長くいた為だ。
『いつ、とはっきりと断言するのは難しいですね』
大通りに出た。退勤時間なのか、人波が激しい。
『嘘じゃないですよ? ヒトの言葉の限界なのです』
言ってアルレインは手を繋いだ。はぐれないためだろう。人混みから頭一つ抜けた源三郎はまだしも、小柄なアルレインの姿は時折消える。
『人がすごいな』
目抜き通りのなるべく隅を行くが、人まみれでいる。源三郎は、東京都は新宿の人混みを思い出していたが、今のここはそれより無秩序でいる。
袴に着物、スーツにハンチング帽。和洋折衷の人々に、統一感に乏しい旧式の建物や車。
彩り鮮やかな大正浪漫の世界だった。
もう動かないはず、燃え尽きたはずの源三郎の心に、わずかな揺らぎが生じていた。孤独感だ。自分はこの世界からしてみれば異物である。これまでいた世界から取り残されてしまったという感覚が、実感として源三郎を包みこんでいた。
『つきましたよ』
言ってアルレインは手を離した。周囲は少しはマシになっていた。
目的地も何もない。三階建ての廃ビルを前に立ち止まった二人に舌打ちをして、男が一人車の側へと避けていった。
『ほら、あれです』
ビルの屋上を指差している。暮れかけた夕陽を正面に受けた人影があった。
『自殺かな? 世も末だね』
『よく見てください』
人影は後ろ姿で、何かから逃げるよう後ずさりしている。際まで来てしまい、源三郎のいる下へと一瞬顔を向けた。
「――は?」
定かではない。定かではないが、夕暮れを正面に受けて照らされた、瞬きの間に見えたその人影の顔は、源次郎のよく知る人物そのものに思えた。
『飛び降りますよ』
言うやいなや、小さな人影は飛び降りた。
体は反射で動いていた。傍らの車を足場に登り、落下に合わせて体を車の間に滑り込ませる。爆発のような音が響いた。衝撃を受けた腹と背中には激痛が、後頭部には鈍痛が走り、源三郎は意識を手放した。
暗転していく周辺視野から最後に取り残されたのは、抱え込んだ形でいる、怯えたような少女の顔と、邪神の薄い笑みだった。




