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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通
二章・漁村にて

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インスマスの夜・三

 あれから三度銃撃戦を行いましたが、終わってみればあっけないものでした。素人を散逸的な運用などすれば、訓練を受けた二人の前では物の数ではございません。

 源次郎は銃撃戦の度、暴発の恐れが低い、発砲を経た銃と弾丸を全て回収しておりました。お陰でリュックの中は満杯で、左右には長銃が二丁ずつぶら下げられております。背面の重量が増した状態でも、その足取りが緩むことはございませんでした。

 源次郎の手には拳銃でなく、散弾銃が収まっております。


「ところでこれはどこに向かっているのだね?」


「合流地点へ。運が良ければ車が待っているはずだ」


「運が悪ければ?」


「徒歩でこの村を出なけりゃならない。この重い荷物はその時の為の備えだよ」


 ないよりマシというだけで、気休めの言葉に過ぎませんでした。


「なるほど」


「弾は足りてるか?」


「こちらはさほど撃っていないからな。そちらは聞くまでもないな」


「ああ」


「軍人ではないと言ったが、どこで訓練を受けた?」


「今話すことか?」


「どうなんだ?」


「……海外だよ」


「どこだ?」


「中東。大陸浪人をやってたんだ」


「なるほど。そういえばそちらの名前を聞いていなかったな」


「喋ってないと死んじまうのか? 橘源次郎だよ」


「字はどう書く?」


「なんなんだよ……柑橘系の橘で、源の次郎だ」


「出身は?」


「なんのつもりだ?」


 いよいよ怪訝に思ったのでしょう。路地裏で、源次郎は足を止めておりました。その途端、反応するように僅かに一瞬だけ義治の持つ銃口が源次郎へ向けて上がっております。源次郎の周辺視野は、その動きを見逃さずに捉えていました。


「別に。ただ気になっただけさ」


「後にしろ。いいな? いくら素人でも銃を持ってるんだ。油断すれば一瞬でやられるぞ。それにいい加減連中が集まってくるかもしれん」


 素人同然の民兵に殺された同僚は、過去に数多くおりました。


「了解ボス」


 広場へ出るところへ差し掛かった時、その道を塞ぐようにして異形の怪物が姿を現しました。間近で見た源次郎は反射的にその頭部に向けて散弾を発砲しておりました。脳症を撒き散らして、異形の怪物は仰向けに倒れます。


 外套を纏った二足歩行の姿は一見人型を思わせますが、倒れた姿は酷いがに股で、蛙のような両生類を思わせます。皮膚は全身青黒く、腹部だけが白いぬめり気を帯びていて、月明りを朧気に反射しております。首には肉が余って垂れており、手足には水かきのようなものがございました。


 広場が俄かに騒がしくなりました。源次郎はすぐさま引き返します。


「あれが成体か」


 義治が、走りながら申しました。


「成体?」


「院須升のものどもは、あのように成長したら海に還って永遠の命を得るのだそうだ。もっとも物理的に殺してさえしまえば死ぬらしいがね」


「ふぅん」


「随分と冷静だな」


「見たものを信じる性質なんだよ」


 裏路地を回りこむようにして進み、角から広場を見渡します。


 合流地点の脇に、荷台付きの車が一台ございました。運転席を見れば、フードを目深に被った俯き気味の巨躯の男性が座しており、その顔までは判然としません。


「あれだな」


 だというのに、源次郎には分かったようです。


「顔が見えないぞ」


「体格骨格でわかる」


 その時、動物の雄叫びのようなモーターホーン(クラクション)の音が二度、その荷台付きの車から発せられました。運転席の銀之助が源次郎に気付いたようで、フードを外して身を乗り出しております。


「あの馬鹿が。走れ。荷台に乗れ」


 銃声のほうが余程うるさくはありますが、いたずらに音を立てる状況ではありませんでした。


 二人は荷台に乗り込むと、運転席へ向けてすぐさま問います。


「穂波さんは居るな?」


「居ますよ。隠れてもらっています」


「所長は見つかったんですよね?」


「ああ乗ってる。フードを被って出してくれ。急ぐ必要はない。安全運転でな」


「道がわかりませんよ?」


 銀之助は運転席から身を乗り出したまま尋ねたのでございます。


「西北西に向かって走れ」


 源次郎は星と車体の前方を見て、


「丁度この角を左に曲がって、なるべく正面の方角に向かえ」


 そう申しました。


 言い終えると、源次郎は散弾銃を構えて伏せの姿勢を取りました。荷台の縁から見られないようにするためでしょう。義治もそれに倣っております。


 車は村の最も栄えている広場を抜け、ホテル義流間の前を通りがかりました。ここからであれば銀之助にも見覚えのある道でございます。ですが、ホテルの前に陣取っていた一団の内の一人が騒ぎ、源次郎たちの乗る車に発砲してきました。


「バレたな、飛ばせ!」


 念のため源次郎が足で車体を二度叩きました。途端に速度を上げた車は、石畳で激しく上下に揺らされております。

 飛ばせと言われても、初めての荷台付きの自動車の運転で、且つ普段から安全運転を行う運転歴の浅い銀之助の運転では、然程速度は出ておりません。すぐさまやってきた車の追手が源次郎の視界に収まっております。


 源次郎は膝立ちの姿勢をとり、散弾銃でまず運転席のガラスを狙い、発砲しました。散弾に見舞われたガラスは一面ひび割れ、運転席の視野を奪われております。ほどなくしてその車は停車し、中から銃を携えたインスマス面の面々が銃口を向けてきました。

 義治は揺れる車体の上ですぐさま猟銃の狙いを定めて発砲し、先頭にいた者の頭部に命中させました。程なくして源次郎たちの車は角を曲がり、射線が切られました。


「お見事」


「まぐれだ。あまり見えていない」


 薬莢を排出しながらぶっきら棒に義治が申しました。


「まぐれも実力だ」


「しかし、何故バレた?」


 車両後部が視界に入る前に発砲されておりました。


「さてな、この荷台付きの車の持ち主でもいたんじゃないかね」


「車両窃盗か?」


「人撃っておいて今更?」


「ここの住人の殆どはヒトではない」


「まぁそうだろうな。でもヒトじゃなかったら殺しても良いわけか?」


「……先程といい、やけに呑み込みが早いな。何を見た?」


 車が二台猛追してきました。源次郎は再度膝立ちになり、窓ガラスを破壊しておりました。


「連中は人間の骨格をしていない。遺伝にしても偏りすぎだ。種族が違うというなら納得がいく」


「君は遺伝学を修めているのか?」


 当時としては最新の学問でございました。源次郎は自らの失言を悔いるように顔をしかめております。


「別に、親は子に似るってだけの話で、それが行き過ぎてるんじゃないかって話だ。正式な学問としては知らないよ」


「なるほどな。しかし人外の存在など、そう結び付けられるものなのかね?」


「前にちょっと縁があってな」


「……詳しく訊かねばならんことが増えたな」


 小声での呟きは、車の騒音に紛れており、また繰り返し銃声を間近で浴びていた源次郎の耳には聞こえておりませんでした。


「なんだって?」


「出身はどこだ?」


「さっきの話かよ」


 その時、車両の速度がガクリと落ちました。何やら運転席で動きがあったようです。


「おいどうした!?」


「大丈夫です、運転を変わるということなので!」


「こんなトロい運転、私は許さない!」


 声が聞こえるや否や加速し、車は乱暴な運転で村を駆けていきます。車が故障したというのも納得がいくことです。


「大丈夫なのか、おたくの所員」


「……あれで優秀なところも沢山あるのだよ」


 義治が少々気分を害したようなのが、源次郎には意外に思えました。


「それで、君の出身の話に戻るが、どこだね?」


「やけに拘るな。東京は新宿だよ」


「中東で何をしていた?」


「大体今みたいなことだな」


「海外で良からぬ思想に染まったようなことは?」


 先よりの尋問じみた義治の質問に、源次郎は一つ思い浮かんだ単語がございました。そしてそれを敢えて口にしました。


「特高」


 二人して同時に咳ばらいをしておりました。


()()はないね。私情で渡航して、金のために働いてたんだ」


 などと事実ではございましたが、惚けております。


 特高とは特別高等警察の略称で、当時の日本政府や天皇制に反対する思想や言論、宗教や活動などを苛烈なまでに厳しく取り締まった秘密警察組織のことでございます。もっとも今は、悪名高い治安維持法が制定される前でございますから、その苛烈さは現代に聞き及ぶほどではございません。

 今で言えば、多分に穏やかになりましたが、公安警察がそれにあたるでしょうか。ですが現代の公安と大きく異なるのは、特高は市井に紛れて活動するところでしょうか。例えば表向きは探偵事務所を構えるなど。


「しかし彼女、女の身一つでこんなところまで出張ってきたんだ。相当アンタに惚れてるんじゃないか?」


「彼女が? ありえない」


「だったらなんで――」


 秋山義治という男が真実特高の人間であり、彼女がもし義治が特高の人間だと知っているとしたら? そこで思い至りました。「大変なことになる」というのは、そういうことなのではないかと。


「君は男女が二人一緒にいるというだけでそういう見方をする性質かね?」


「いいや、俺は違うね」


「であれば下種な勘繰りはやめてもらいたい。ただでさえ二人しか所員がいないのだから」


「二人きりだったら余計に意識するもんなんじゃないのか?」


「君ねえ!」


「とまぁ俺はさっきまでこういう痛くもない腹を探りまくられてたわけだが」


「……君、うちの所員にならないか?」


 唐突な話でございます。


「探偵のか? 冗談だろ。荒事以外何もできないぞ」


「大陸浪人だったと言ったが、今の仕事はなにかね?」


「……無職だが」


「だったら丁度いいじゃないか、うちに来たまえ」


「もう誰かの下につくのは懲りたんだよ。やるならノウハウがなくても自分でやるね」


「だったらそれも良い。そうするべきだ」


「はい?」


「設立費用はうちで持とう。何、時々協力してくれればそれで構わない」


「待て待て待て、なんでそんな話になる? 大体探偵ってのは、尾行したり調査したりするのが主な仕事じゃないのか? こんな目立つ図体で尾行なんて無茶だ。こちとら待ち合わせに使われるくらい目立つんだぞ」


 事実として街中での合流に、人波より一つ頭の抜け出る源次郎はいい目印にされておりました。


「君の暴力は装置として正しく使われるべきだ」


「べきべきべきって、なんでアンタに俺のことを決められなくちゃならないんだ?」


「私が特高の人間だからだ」


 源次郎にだけ聞こえる程度の小声ではございましたが、堂々と言いきりました。秘密警察である特別高等警察がその身分を明かす、その意味に察しがつかない源次郎ではございません。


『なんて一日だ』


「英語を喋れる学があるのか、猶更良い」


「学なんてない。中卒だぞ俺は」


「インテリかと思っていたが、意外だな。しかしそれでは大陸浪人であったことと辻褄が合わない。

 いずれにせよ、君は二十代そこそこに見えるが、それを鑑みれば一般的な学歴じゃないか?」


 当時としては、また源次郎の年齢を加味すれば、中等教育を受けていれば上等でございました。

 日本は大正時代に入ってから国家として教育に力を注ぎだし、それによって中等教育を受ける者が増加し、高等教育機関なども増設されました。中学校への進学が一般的になったのは、大正に入ってからでございます。


 余談ではございますが、源次郎は現代人にしては老け顔でございます。小学生の頃のあだ名が「おやっさん」でございました。現代人と比して、万人が大人びて見えるこの大正の時代において、源次郎は年相応に見られております。


「俺は躁鬱(そううつ)で、今は療養中なんだよ。勘弁してくれ」


「精神疾患には明るくないが、評判の良い病院なら紹介しよう」


「御免被る」


「何故断る? 退役軍人もかかるような病院だぞ?」


「ロクでもないと聞いてるからだ」


 この時代の精神病院は、牢獄にも等しいような環境のものもあったと、源次郎はものの本で読んでおりました。


「確かにそのような話も聞く。しかし君の戦闘能力は遊ばせておくには危険だ」


「だから病人なんだって。よく知りもしないくせに手前勝手なことを押し付けるな。病気が悪化する提案だぞそれ」


「勉強しておこう」


「報酬を受け取ったら、それでもう関わらないでほしいんだがな」


「君の能力を知ってしまった以上、そうはいかない」


「大したことはしてないつもりだが」


「寂れた村とはいえ警察署の中にまで単独で潜入し、私を救出し、そして村から脱出しようとしている。特異な能力と認めざるを得ない」


「たまたま運が良かっただけだよ」


 真実警察署近くのマンホールが、運良く地下の留置所に直通していただけのことではあります。


「まぐれも実力のうちなのだろう?」


「同じような働きを求められても困る」


「頼み方が悪かったかな。君のような人間を、首輪もつけずに野放しにしていては、公共の安全に関わるということだ」


「それで探偵社を立てろってことか。何かあった時に体よく使うために」


「理解してもらえたかな?」


「俺は高いぞ?」


「なに、こちらも安く安易に君を扱き使おうというわけじゃない。大きな目的としては監視だよ」


「助けるんじゃなかったよ」


「私の恩人であることには変わりはない。そう悪いようにはしないつもりだ。無論今後の君の行動如何によってそれは変わるがね」


「大体なんであんた一人で捕まってたんだ? 一人であんな村に乗り込んだわけでもあるまい」


「職務上の機密に関わる」


 それきり黙ってしまいました。


「これは独り言だが、あの村の警察組織の腐敗は聞き及んでいた。怪しげな宗教的指導者の独裁の元、警察組織まで支配されているという話があった。だから調査に向かい、しかし所詮一村落の出来事に過ぎないと油断していて下手をうち、何故か私だけが生かされたのだ」


 特高警察としての職務の一環であったということでしょう。そして犠牲者が出ているとも申しております。穂波の申した「大変なこと」には、もうなっておりました。


「帝都に戻ってどうするつもりだ?」


「……業腹だが、軍部と連携して事に当たる他あるまい。警察組織だけでどうにかなる範疇を超えている」


 当時、警察と軍は、国家の主導権を巡っての犬猿の仲でございました。表立った事件こそまだございませんでしたが、後に起こる大きな事件に発展する火種は燻っておりました。

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