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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通
二章・漁村にて

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インスマスの夜・二

 村のあちこちでは、武装したインスマス面の者たちが、二人一組でまばらに獲物を探し回るように徘徊しております。中には顔までを覆い隠すほどフードを目深に被った者もおり、銀之助と穂波はできるだけ狭い路地裏を通るようにして移動しておりました。


「どこに向かうんですか?」


 穂波が小声で尋ねます。


「とにかく人気のないところへ向かいましょう」


 路地裏から通りを窺うと、妙に体格の横に広い外套を羽織った二人組がこちらへやってきておりました。銀之助は路地裏に戻り、ゴミ箱の裏に身を隠します。

 目深に被った外套のせいで視認できなかったのか、その人物は路地を無視して通り過ぎていきました。何故か二人とも裸足だったのか、ペタペタとした足音をたてて遠ざかっていきます。後には強烈な臭気が残っておりました。

 暫くしてから再度通りに顔を出し、人影がないことを確認すると、銀之助は申します。


「行きましょう」


 半ば追い立てられるようにして人気を避けて移動を続けた二人は、自然と村外れにある朽ちた日本家屋の居並ぶ場所まで来れました。銀之助は周囲の確認と、頭の中に地図を作ることと、方角を見失わないことで精一杯でございました。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 村全体が殺気立った物々しさに溢れているよう源次郎には感じられました。ホテルからの脱走が既に発覚してしまったのでしょう。

 警察署前の通りを一望すれば、タイミングの良いことに人通りはございません。源次郎は通りに躍り出るとリュックから先端の曲がった金棒を取り出し、警察署の位置を改めて頭の中に入れてから懐中電灯を取り出し、マンホールを開けて梯子を下っていきました。




 下水道もさほど年季が入っていないのか、そこまで臭気は感じられませんでした。懐中電灯の電気を灯すと、スイッチの音がやけに反響いたしました。上を照らし、梯子の長さを確認しております。

 下水道は見る限り特徴のない造りをしておりましたが、隅に一つ、表面をこそぎ落とされたネズミのようなものの死体がございました。源次郎はさして気に留めることもなく警察署の方角へと向かいます。

 正確な歩幅で計り終えて上を覗くと、下りてきた時よりも短い梯子がございました。地上ではなく、屋内の地下に通じているのでしょう。

 源次郎はその先の梯子の長さも確認すると、短い梯子まで戻って来て、懐中電灯を口に咥えて梯子を上り始めました。

 途中、甲高(かんだか)い子供の笑い声のような音色が、梯子を上る足音に紛れて反響して聞こえました。




 マンホールを下から押し上げると、そこは果たして警察署の地下留置所でございました。源次郎は檻の中以外に人がいないことを確認すると、そこから這い出しております。


「君は誰だ?」


 源次郎は問いかけの主を無視して三つの檻の中を観察します。向かって真ん中の檻には声を掛けてきた背広姿の人物がおり、向かって右手には、こちらに背を向けてぶつぶつと独り言を呟いている人物がおります。左側の檻には誰もいませんでした。


「随分と可愛がられたようですね」


 真ん中の檻の人物に申しました。顔にはしこたら殴られたような形跡があり、左目などは腫れて殆ど塞がっております。

 件の人物は改めて問います。


「君は? ここの者じゃないようだが」


 隣の囚人が、独り言を呟いては笑っております。


「穂波さんに頼まれて、一人こんなところに侵入してきた馬鹿な男ですよ」


「穂波君の使いか」


「お名前を伺っても?」


「秋山義治だ」


「人違いではなさそうですね」


 老人の口振りに嘘はなかったようです。ですがそうすると、老人の語った他の物事は如何だったのでしょうか?


「君は戦場帰りかね?」


 不意を突かれたように、源次郎は静止しました。


「それは難しい質問ですね。何故そのように? いや悠長に話してる場合でもない」


 鍵を探すため、源次郎は周囲を物色しております。


「口調こそ軽薄だが、実戦経験を経た軍人特有の重い雰囲気を纏っている」


「そんな立派なものじゃありませんでしたがね。お隣さんは?」


「私より先に捕らえられていた者だ。気の毒に、頭をやられてしまったらしい。この村の実情を知れば無理もないがな」


「お陰でこうして雑談してても気に留められなさそうですね」


 義治の隣に囚われている人物は、よくよく見てみれば、頬はこけ、背は丸まり、隈に塗れた目元は窪み、目玉はギョロギョロと周囲を忙しく駆けまわっていたりと、尋常な様子ではございません。

 源次郎は気付きました。彼は面相こそ様変わりしてしまっておりますが、昭一の家族写真に写されていた家族の残り一人の兄と思しき人物でございました。

 彼を連れてこの街を脱出することは叶わないでしょう。源次郎は心の中だけで詫びました。


「これで全滅か」


「何?」


「いえ、こちらの話です。そういえば、報酬の話をしていないんですよね」


「なんだ?」


「いえね、排他的な異教の村の警察署に単独で忍び込んで要救助者を助け出すことの相場っていくらなんですかね?」


 男性は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべて申します。


「……千円やる。頼むから、ここから出してくれ」


 鍵束は、杜撰(ずさん)にもこの一室の突き当たりの壁に掛けられておりました。


「この中にありますかね」


 複数ある鍵を試していくうち、カチリと嵌まるものがございました。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 銀之助と穂波は、建物の影に隠れながら歩を進めました。途中何度か住民たちをやり過ごしながら、村外れの廃屋に辿り着きました。住民の多くが村の中心部を目指しているようで、そう難儀はしませんでした。

 その古い日本家屋には、後付けだろう洋式の真新しいガレージが併設されており、窓から中を覗くと、銀之助の物と同型と思しき荷台付きの車を発見致しました。二人は窓を開け、中へと入りこんだのでございます。


 ガレージの中には人がおらず、漸く一息吐けました。


 月明りを頼りに改めて近くで見てみると、多少の改造は施されておりますが、車は確かに銀之助の物と同じでございました。

 しかしことここに及び、銀之助には車両窃盗への抵抗がございます。

 銀之助は死臭は感じても、源次郎の申した死体を直接目にしておりません。確かに銃器で武装した異様な風体の村民は目撃しましたが、実感に乏しいというのが正直なところでした。何分争いごととは無縁のままここまで生きており、また本人も柔和な性格をしておりました。


「死体というのは、本当にあったのですよね?」


「え? ええ、思い出したくないくらいには」


 言外に責められては、それ以上詰めることはできませんでした。


 銀之助は覚悟を決めてキーを差し、車の正面に回り、チョークを引いてエンジンに火を入れます。暖気をせねばエンストを起こしかねません。


 やけに長く感じる五分ほどの間、規則的な音を奏でるエンジンを背景に、誰にも勘付かれないよう願うばかりでございました。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 源次郎らは侵入した時と同じよう、下水道からの脱出を試みております。


「なにか子供のような声が聞こえるんだが」


「気にしてもしょうがありません」


 図太く申して、源次郎は降りてきたマンホールの下まで辿り着きました。




 マンホールの淵を少しだけ開け、通りを見渡します。人影はございません。今度は反対側を見渡しましたが、同様でした。

 できるだけ音を立てぬようにしてマンホールから這い出ると、義治に手を貸しました。


 源次郎は影から影へ忍ぶようにして、来た道を戻っていきます。消耗しているでしょうに、義治も探偵として何らかの訓練を積んでいるのか、足音一つ立てません。


 前方に見える裏路地の三差路から、それぞれ猟銃と水平二連散弾銃で武装したインスマス面の二人組が姿を現しました。その大きな瞳とはっきり目がかち合ってしまいました。

 源次郎はすぐさま遮蔽に身を隠し、義治もそれに倣います。銃声はすぐさま(とどろ)きました。散弾の音が二発聞こえたのを見計らって、源次郎は半身を乗り出して応戦致します。


 まずは猟銃を持った男へ向けて発砲しました。弾丸は男の胸のあたりを捉え、次いで鼻の中心部を穿ちました。

 再装填を終えた散弾銃の銃口が上がっていくのを目視して、再び身を隠しました。銃声は一発だけ響き、暫しの静寂がございました。

 源次郎はおもむろに身を乗り出し、すぐさま再び身を隠します。発砲音がいたしました。聞こえるや否や身を乗り出し発砲すると、弾は男の手に命中しました。散弾銃を落とし、逃げようと振り返った男の膝を源次郎は打ち抜きました。

 源次郎は散弾銃を拾い、倒れた男に跨って首を絞めるような恰好になり、顎を上げさせ捻りました。首の骨を折られた男は、もう動くことはございませんでした。


 その住民らは、遮蔽物に身を隠すことも伏せることもなく棒立ちでおり、細い路地で背中を向けての逃走を試みました。訓練されていない民兵にも劣る、劣悪な動きでございました。


「アンタ、銃は使えるか?」


 源次郎は急ぎ足で戻り、ボルトアクション式の猟銃を拾い、死体から自動拳銃とそれぞれの弾薬盒(だんやくごう)と弾倉を回収致しました。


「一通りは」


 義治は、ぞんざいになった源次郎の口調の変化も気にしておりません。今目の前で行われた蛮行にも。


「ならこれを」


 義治に猟銃と弾薬盒を渡します。源次郎は拳銃を一旦脇に吊るしたホルスターに仕舞い、散弾の入った弾薬盒を回収して弾を込めた後、手早く背嚢の脇に着けてあるベルトで散弾銃を縛り付けてから再度拳銃を取り出しました。


「ここは音が反響して分かりにくいはずだが、早く離れよう」


 申して源次郎は先を駆けていきました。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 遠くで数種類の銃声が散発的に聞こえました。


「本当に撃ちあってる……いや源次郎さんが一方的に撃たれているという可能性もあるのか」


 武装した住民たちの姿を思い返します。彼らは皆一様に殺気立っておりました。

 村全体が、銀之助たち余所者を殺しにかかってきているのです。

 銀之助は、ここにきて漸く危険な村であるという実感を抱けました。


「まだお加減が優れませんか?」


「いえ……私があんなことを言ってしまったせいで源次郎さんが危険な目に」


 それについては分かりきっていたことでしょうに、とは申しませんでした。


「殺しても死ぬような人じゃないですよ。大丈夫です、きっと」


 そのような気休めを言うのが精一杯でございました。銀之助とて、もう心の余裕はございません。源次郎の身が心配であり、また自らも切迫しております。


「入り口を開けましょう。貴女は車に乗り込んでおいてください」


「はい。……魚臭っ!」


 どうやら車内は、より濃く魚の臭いに満ちているようです。

 銀之助はなるべく音を立てないようにクランクを回し、ガレージのシャッターを開けていきます。

 それから運転席に巨体を潜らせると、穂波が追いやったであろう妙に生臭い外套を広げてみました。


「貴女はなるべく伏せていてください、外から見えないように。僕はこれを被ります」


 目深にフードを被れば、傍から見れば先程の住人と変わりないように見えます。


 車はゆっくりとした速度で、先の広場へ向けて発進致しました。

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