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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通
二章・漁村にて

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老人と海

 食料品店を出た源次郎らは、まずこの広場の正面にある大きな建物に向かいました。錆びて消えかかった看板の文字をなんとか解読すると、ダゴン教団会館と書かれております。

 電鈴の類はなく、ノックをしても応答はなく、門扉を開けようとしても開かず。源次郎は諦めて、近くにあったバスの停留所へと赴きました。

 時刻表を確認すれば、一七時までバスは出ているようでございました。


 近くを通った住民に、港への道程を尋ねようとします。


「すみません、ちょっとよろしいですか?」


 源次郎精一杯の外行きの笑顔でございます。声を掛けられたインスマス面の住民は、


「さっさと家に帰りな余所者」


 それだけを残して去っていきました。穂波は堪えきれず吹き出しております。


「次はキミが行きなさい。港までの道を聞くんだ」


「いやいや、ここはもうちょっと源次郎さんに続けてもらって」


「遊んでる場合か」


 それもそうでした、と表情を改めてから、遠くの別の住民のもとへ駆けていきました。源次郎はゆっくりとした足取りで向かいます。


「聞けたよ。この広場を左に曲がって真っ直ぐ降りていけばいいそうで」


「一体俺の何がいけなかったというのか」


「人相とか、全部じゃない?」


 否定するなどできませんでした。


「しかしキミは物怖じしないな。ここの住民、話のとおりに不気味じゃないか?」


「そうかな? 愛嬌があって可愛いと思うけど」


「趣味が悪い」


「失敬だね」


「おまけに鼻も悪い」


「臭いなんて仕方ないじゃない。ただでさえ漁村なんだし」


「ああいうのがタイプってのは、相当だろう?」


「いや、そういう意味じゃありませんよ! 動物みたいに愛嬌があって可愛いって言っているんです!」


「ほう、ここの住民を人として見ていないと?」


「違うっ!」


 穂波は反応を完全に先読みされて、源次郎の手の平の上で踊らされております。


 港への道を歩みながら、源次郎は犬猫の姿を見かけないことが引っかかっておりました。漁村ですので、特に猫がいないことが奇妙でなりませんでした。




 港までは随分と歩かされました。堤防に船舶はあまり停泊しておらず、またやはり猫の姿はありませんでした。

 源次郎と穂波は、波止場に座り、陽気に歌っている老人の姿を見止めました。その背中の奥、沖合には大きな岩礁が見受けられます。

 近づいていくと、老人は源次郎らに向けて振り返りました。背筋が伸びており、顔もごく平凡な日本人男性のそれでございます。


 源次郎は視線の高さを合わせて問います。


「お尋ねしたいことがあるのですが、まずは一献(いっこん)如何ですか?」


 リュックから酒瓶と升を取り出し差し向けます。


「わかってますな、お兄さん」


 源次郎が日本酒を注ぐと、老人は一息で飲み干しました。源次郎は再度老人の升に注いだ後、


「キミはどうか?」


 申して穂波に升を差し出します。

 穂波は生唾を飲み込んだ後、断りました。


 既に乾いていた老人の酒に、三度酒を注ぎます。


「こちらの写真のご家族を――」


 写真を老人に手渡した時の、一瞬動揺したような手の震えと瞳の動きを源次郎は見逃さずにおりました。


「――ここ最近見かけたことはありませんか?」


「知らないですね。見たことがない」


 申して老人は源次郎から酒瓶を引っ手繰るようにして奪い取ると、手酌で酒を注ぎ始めました。


「では背広を着たこの人より背の小さい、背広を着た神経質そうな――」


「知らない。あたしはそんな連中見ていません」


 暫しの間、潮騒の音を背景に、老人が一人で酒盛りをしておりました。空には海鳥の類もおらず、村は自然の息吹が希薄なようであります。


 穂波が源次郎を見やると、彼は両肩を竦めて少し首をかしげる仕草をしておりました。


 二人が腰を上げて立ち去ろうとした時、老人が口を開きます。


「この村はですな、もう終わっちまってるんです」


 明治の初期に船乗りの桝船長が漂着していた外国人を妻として娶り、鉄鋼業に手を付けだして村が栄えたこと。老人が少年だった頃に見たその外国人は、西洋ではなくアジアのどこかの人種のようで、子供ながらに醜く思えたということ。

 鉄鋼業はすぐに軌道に乗り、桝一族が村で力を持つようになったこと。同時期にダゴン教団を設立し、信者が増えるにつれ漁獲高が上がっていったこと。金のような装飾品を纏うことが流行ったのだと老人は語ります。


「あの頃が、一番良かった」


 暫くすると、村には奇妙な面相をした人間が出入りするようになり、また生まれる子供も背を丸め、のっぺりとした顔つきで溢れていったと申します。


「所謂インスマス面ってやつですわ」


 村はより排他的、攻撃的になり、桝一族に立てついた、また都合の悪い人間が姿を消していったのだと言いました。

 老人は景気づけとばかりに連続して酒を煽って申します。


「これは今の今まで誰にも言えなかった、言わなかったことだがね。言うぞ。言うぞ。良いな? 良いよな?

 桝船長は生贄をダゴンと奴らに捧げ始めたんだ。あたしはこの目で見たんです。あの日の夜、的場のせがれをあの暗礁に、ダゴン教団に反対していた的場のせがれをあの岩礁に沈めたんだ」


 そしてある日の夜、今も見えるあの岩礁から、夜闇に紛れて怪物たちが上陸してきたのだと語りました。


「奴らは空き家や人の住まう家屋の中にまで入って来て。あたしは親父の言うとおりにして棚の中に潜んでいたんだ。そして見た。あの化け物を間近に。一晩にして住民の半数が行方不明になって、親父もその晩以降行方がわからなくなった」


 その晩の出来事は、表向きは伝染病ということで片がついたのだと申しました。


「いつどこで誰が見てるかも知れん。だからおれから言うことはないね」


 呼気を荒げて足元の海を見据えたままの老人は、赤ら顔でそう唐突に締めました。


「この女の子、またこの女の子がいた家族に見覚えはありませんか?」


 源次郎は改めて、酒の回り切ったであろう老人に問いました。


「見たよ。皆奴らに殺されたんだ。その娘だけが逃げたって話だ」


 言うことはないと申しながら語るあたり、相当に酔いが回っているのでしょう――或いは。


「生贄とは?」


「冗談だよ冗談。質の悪い冗談だよ。世間に広まってるって噂みたいにそれらしく語ってみただけだ。耳袋には及ばないが、それらしい話だったろう? 酒、ご馳走さん」


 酒瓶はすっかり空になっておりました。


「あの、ここ最近、この人ほどじゃないですけど背の高い、面長の男性を見かけませんでしたか? 背広を着て、この村に来たはずなんですが」


「そいつらもきっと生贄だな。四人で来た連中の一人だろ? いつものように警察署の地下にでも閉じ込められてるんじゃないかね。助けるなら急いだほうがいいぞ、これも冗談だけどな。イア、ァイアってな!」


 何がおかしいのか、げらげらと笑い転げております。もはや老人は酒に酔っているというよりは、狂人の類の体をしております。


「警察署はどこにありますか?」


「ダゴン教団会館の裏手の通りにある。まともに通してなんかくれねえぞ。まさか侵入するってか? お前さんたちも生贄の仲間入りだなあ! イイイイイイイイイイイア! イイイイヤアアアアアアアアアアアアァ! クトゥルフ、フタグン! フングルイ、ムグルウナフウウウ! クトゥルフ、ルリエエエエ、ウガ、ナグル、フタグン!」


 海を見つめたままの目を限界まで見開いて、急に金切り声を上げ始めた老人に、穂波は尻もちをつき後ろに倒れてしまいました。源次郎の手を借りて立ち上がると、二人は早々に波止場を後に致しました。


「狂ってる……」


 源次郎は何も答えずにおりました。


 去り際に源次郎が波止場を振り返ると、老人の姿は影も形もございませんでした。

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