お喋りな店員
院須升の外れは朽ちた日本家屋で溢れておりましたが、中心部に入ると洋風の建物で統一されております。建物群はそれほど年季が入っておらず、また道々にはマンホールがあり、下水道が通っているようです。
村全体の規模としての土地は広く、それらはこの村の歪な豊かさを際立たせております。
「タクシイはここまでそうは来んでしょうから、帰りはバスをお使いになるがよろしいでしょうな。すぐにお戻りになるなら私は待ちますが」
「いえ、いつまでかかるかわからないので、どうぞ帝都へお戻りになって下さい」
「わかりました。それでは皆様お気を付けて」
院須升地区にあるただ一つの宿泊施設だというホテル義流間の前の広場で三人は降りました。漁村とはいえ、それだけでは説明がつかないほどの魚の臭気で満ちております。
周囲にまばらにいる人々からの不躾な視線に、運転手の話が、少なくともその部分だけで言えば事実であることが確認できました。想像以上に排他的なようでございます。
「さて。まずは腹ごしらえですかね」
道草を食っていたため、時刻は昼をとうに過ぎておりました。
「手早く済ませたいところだが」
「そうね。適当な食料品でも売っている店に行きましょう」
源次郎に対してのみ、ですます口調を辞めた穂波が申しました。源次郎には気にしたふうもございません。
「すみませーん!」
物怖じもせず住人に声を掛けながら走っていく穂波の背に、二人は歩いて続きます。
声を掛けられた住人は、確かに運転手の申したとおりの特徴をしており、そして生臭い、温められた魚のような体臭が漂ってまいります。
「この辺りに食料品店はありませんか?」
住人は真っ直ぐな丸い目で穂波を凝視するようでいた後、指先で店の入り口を指し示しました。
「ありがとうございます」
食料品店へ向かう三人を、通りにいる住人たちがじっと見つめておりました。
店内は閑散としており、いかにもお手製の弁当やおにぎりなどが置いてあるだけでございました。
適当に品を選び、会計をしていると、
「お客さんたち、他所からの人でしょう?」
まだ二十歳にもみたないであろう店員が、そう声をかけてきました。店内には他の従業員らしき姿は見受けられません。
「そうですが、なにか?」
答えたのは源次郎でございます。
「昼飯でしょう? だったらここで食べていくといいですよ。その代わりに話し相手になって下さい。おれは院須升の外から来る人と話がしたいんです。ここの人間といったらこう、あれでしょう? だもんだから、話し相手に飢えているんです」
用意された椅子に腰かけながら、銀之助が源次郎に向けて視線を送りました。
「だったら丁度いいですね。この家族を見ませんでしたか?」
そう言って差し出したのは、昭一から預かっていた写真でございます。
「見たよ、見た見た。一週間くらい前だったかな。この店に来て、今みたいに話したから覚えてますよ」
少なくとも、件の家族がこの村を訪れていたことは確定いたしました。
「どんな様子でしたか?」
「どんな様子って聞かれてもな。普通の家族で、旅行かなにかしてるんじゃないかって思いました。いや旅行にしちゃこんな村を選ぶのはどうかと思うけど、そこはまぁ好き好きだし」
「どこに行ったとか、わかりませんか?」
「いやぁわからないな。図書館はないかって訊かれて、ないって答えたのは覚えてるけど。あ、そうだ。ここの宗教がどうのって聞かれたので、これを渡しましたよ」
申して棚から取り出したのは、表紙に「ダゴン教団」と書かれた怪しげな薄い冊子でございました。
流し読みすると、曰く母なる海を崇め、海に祈ることで豊漁を授かり、死後は海に還るといったような内容でございました。これがこの地に根差す信仰の教義なのでしょうか。
源次郎が銀之助に冊子を手渡していると、穂波が問いかけます。
「じゃあ、この人たちよりも頭一つ分小さくて、面長で、線の細い感じの中年男性は見かけませんでしたか? 背広を着て、いかにもお堅い感じの人です」
「わからないですね。少なくともこの店には来ていないと思いますよ。おれは大体毎日ここにいるので」
「そうですか」
見るからに落胆した様子の穂波でございました。
それからの青年は、自らの身の上話を始めました。なんでも村に下宿はしているものの、住まいは東京市の外れにあり、暇さえあればその家に帰っているのだそうです。家族は彼が院須升で働くことを嫌がったそうですが、釣りが好きなようで、海に近いこの村を職場として定めたのだとか。
話は飛んで、彼と同じく他所から来たであろう老人の話に移りました。その老人は大の酒好きであり、酔わせてしまうと、てんでおかしな村の歴史を語ってくれるのだとか。
源次郎の袖口を、穂波が軽く引っ張っております。食事はとうに終えておりました。
源次郎は英語で銀之助に語り掛けます。
『なぁ、こちらの嬢ちゃんが他所を探したいようだ』
『暫くの間離してはもらえなさそうですね。僕に任せて行ってきてください』
『合流場所はどうしようか? 少なくともこの村に一泊は遠慮願いたい』
『時刻を確認していませんが、夕方でもバスはあるでしょう。ホテル義流間の前に、一六時頃では如何でしょうか? それまでに僕が来なかったら、ここまで迎えに来てください』
『わかった』
源次郎が席を立つと穂波もそれに倣い、店内から高めの酒と升を二つ調達すると、会計を済ませました。
「急に外国語を話し出すから吃驚しちゃったよ」
「ちょっとな」
「例の老人を探すなら、海辺に行くと良い。今頃の時間帯は波止場の辺りをフラフラしてることが多いですよ」
「ありがとう」
店を出ていく背中に、
『彼女の護衛をお願いしますね』
そう銀之助が声を掛けました。護衛という単語を持ち出されては、元本職としては感じ入るところがございましたが、
『村ぐるみだとすると、拳銃一丁じゃどうにもならん』
申して店を後にしておりました。その背中を追いかけながら穂波が申します。
「源次郎さんって、見かけによらずインテリなのね?」
「失敬だし、インテリではない」
二人の背中が見えなくなってから、青年は尋ねます。
「あの二人って、交際してるの?」
「そう見えますか?」
「見える見える。袖を引っ張ってたもの。今も仲良さそうだったし」
「まぁそう見えますよね」
「違うの?」
「今はあの二人のことよりも、この村の話をしていただけませんか? 例えば先程のご家族のことなどで、何か思い出せるようなことはありませんか?」
「そう言われてもなぁ。村の悪口だったらいくらでもでてくるけど」
「話してみてください」
青年が申しますところは、以下のようなことでございました。
この辺りの住民は皆不愛想で、見知らぬ者には敵意を持っている。余所者の中には行方不明になってしまった者さえいるのだそうで。
いくつかの地域には決して足を踏み入れてはいけないということ。例えば桝精錬所付近や、特にこの広場の正面に座すダゴン教団会館などは、極めて物騒らしく、会館からは夜になると奇妙な声が聞こえ、奇怪な法衣を着用している住民で溢れかえるのだそうです。
「明らかに変な儀式をやってるに違いない」
院須升の住民たちについてといえば、こそこそと人目を忍んでいて、少なくとも昼日中にうろつく人物は少ないのだそうです。せいぜい見かけるのは、村を見回りでもしているかのように徘徊する人たちと、漁業に出る人たちくらいなもののようで。
住民同士はなにやら硬く団結しているようでいて、自分たちは世間とは別の、より真実の世界を知っているのだとでもいうように、村の外、殊更帝都のことを敵視しているのだそうです。
住民の風貌については、特にじっと人を見つめたまま瞬きをしない開きっぱなしの二つの目が特に気味が悪いようで。
住民は大変に水が好らしく、川と港の両方で、季節関係なしに泳ぐのだそうです。沖合の悪魔の暗礁までの競泳は盛んに行われていて、彼がよく見かけるその辺りの連中は、がっしりとして丈夫そうに見えるのだとか。
見かけるのは大抵若い者ばかりで、たまに見かける年嵩の者ほど汚れた顔つきをしているのだそうです。
青年は、そうした住民の相貌を「インスマス面」と呼称しておりました。そしてそれは年を重ねるにつれ勢いを増す奇病の類なのではないかと。
彼は村に姿を現さない、もっと醜悪な連中が、村のどこかに閉じ込められているのだと信じている様子でした。半ば倒壊した家屋からは、時折何とも言えない奇妙な物音を聞くことがあるそうで。
こうしたことの詳細は、不愛想な村の連中からは聞き出せるはずもなく、ただ一人そうした質問に答えてくれそうな人が、先に話した老人なのだと。
その老人は半世紀以上生きた年寄りですが、普通の顔をしていて、村の北側のあばら家に住んでいるのだそうです。日がな一日酒浸りで、少々頭がやられているらしく、ここの住民とはまた違った形でこそこそとしていて、時折怯えるように後ろを振り返る癖があり、素面の時には住民以外とは口を聞こうともしないのですが、酒が入ってしまうと、帝都でも噂になっているほど有名な、その思い出話の一端を話してくれるのだそうで。
しかしその内容も、結局のところ狂人のたわごとに過ぎず、到底ありえない恐ろし気な現象を、不完全に仄めかすだけなようです。
ただ住民は、老人が酒に酔って他所から来た者と喋るのを嫌っていたので、この老人に話しかけるのは危険だとも申しました。
「あの人酒を買っていったけど、大丈夫かな」
「……大丈夫でしょう、きっと」
実のところ、銀之助は酷く狼狽しておりました。彼の話や運転手の話をまるきり鵜呑みにしているわけではありませんが、教団や奇形、精錬所の話などは、噂と一致しております。行方不明者も多発しており、そして事実としてこの村を一週間前に訪れた少女が殺されていたのです。
そして何よりも、彼曰くするところのインスマス面でございます。先程穂波を眺め、そして村を訪れてから浴びていた、穿つようで無機質な視線。あれは凡そヒト科のものとは思えませんでした。
合わせていた両掌が硬く結ばれていることに気付き、外すことにやや難儀していました。
青年はその後もたっぷりとこの村を牛耳る桝一族のことなどを語り、気付いた頃にはもう一六時を過ぎておりました。約束の時間を過ぎてしまうほどにお喋りな青年に付き合ったのは、決して銀之助の人付き合いの良さに起因するものだけではありません。
銀之助は三人分の食料を買い込み風呂敷で包むと、漸く店内を後にしたのでございます。
源次郎らの迎えはございませんでした。




