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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通
二章・漁村にて

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お喋りと、変な女と院須升・一

 数日後の朝のことでございます。銀之助は武道袴に風呂敷姿で、源次郎は背広にネクタイで背嚢を背負った格好で、邸宅前にてタクシーの到着を待っておりました。


「こう言ってはなんですが、少し奇妙な格好ですね。背嚢が背広に似合わない」


「やかましい。実用性を重視したらこうなったんだよ。しかし俺から誘っておいてなんだが、本当に来て良かったのか? 多分だが、危険な目に合う可能性が高いぞ」


「元々僕も同行するつもりでしたし、危険は承知の上ですよ」


「足手まといにはならないでくれよ。容赦なく見捨てていくぞ」


「僕の柔道が達者なのはご存じでしょう?」


「道場でのお遊びと実戦とではものが違う。大体飛び道具を持ち出されたらどうするつもりだ?」


「逃げます。それはもう一心不乱に」


「はぐれたら置いていく」


「源次郎さんはそんなことしませんよ」


「随分と買ってくれてるな。俺は悪い意味で期待を裏切る男だぞ」


「なんですか、それ?」


 そのような会話を繰り広げるうち、さほど時間を要さずにタクシーはやってきました。行先を告げると運転手は、


「あの院須升に行くんですか?」


 と、何やら知ったような口ぶりでございました。


「ああ、その前にこの地図に書いてある辺りに寄ってほしいです」


 源次郎は申して地図を渡しました。


 この運転手がどうにも怪談好きの類の人物だったようで、聞いてもいないのに饒舌に院須升の歴史を語ってくれました。


「院須升をめぐる話には、恐らく聞いても噴き出すようなものもあると思いますよ。例えば明治の初めの頃に(ます)船長が悪魔と取引をして、地獄の獄卒(ごくそつ)どもを連れてきて、村に住まわせていたとかいう話や、明治の中頃には波止場に近いある場所で、悪魔崇拝と人身御供の儀式が行われているのを目撃した人々がいるという話などがそれです」


 仏教なのかキリスト教なのか、源次郎は心の中だけでぼやいておりました。


「ですが村の老人たちのうちで、港の沖合にある岩礁を悪魔の暗礁と言っていますが、その岩礁のことを話してくれる酔っ払いの老人がいたら、その話は是非聞いておいたほうがいいと思いますね。

 その岩礁は一・五キロメートルほどのでかい岩礁で、ごつごつした凸凹(でこぼこ)だらけの岩の塊みたいなものだそうです。昔、船乗り連中が航海を終えて港に帰ってくる時などは、この岩礁を避けるために、より大きく迂回していたのだそうで。

 話というのは他でもありません。その岩礁に、時々大勢の魔物が姿を現して、その辺を這いまわったり、村の高いところにある洞窟みたいな穴や、うち捨てられた廃墟に出たり入ったりするというのです」


 銀之助は曖昧な笑みで相槌をうっていて、源次郎に至っては聞いているのかいないのか、窓の外の景色を見やっております。


「今お話ししたことは、明治の中頃にあの伝染病が大流行した時よりも前の話で、この伝染病では、住民の半分以上が命を落としたのだそうです。あの伝染病がなんの病気だったのかはっきりしたことは知りませんが、当時はそれはまぁ酷いもので、町中が大騒ぎで、ありとあらゆる蛮行が起こり、その結果栄えていたあの村は、見るも無残な姿になってしまったというわけで。今あの村に住んでいるのは、せいぜい二百やそこらでしょうな」


 源次郎が欠伸を嚙み殺しておりました。医学生である銀之助は、昨夜までの恐怖よりも興味が勝ったのか、


「伝染病とは、今も院須升にあるのでしょうか?」


 そう尋ねておりました。


「いやぁ、そんなことはないと思いますよ。だったらとっくに全滅しているはずです」


「そうですか、安心しました」


「伝染病はないでしょうが、別の物ならありますな。

 あの村の連中の感情の底に流れているものというのは、なんのことはない、人種的な偏見なんです。といっても、私は何もそういう偏見を持ってはいかんというわけじゃありません。私自身からしたところで、院須升の連中はやはり嫌いで、あの村にはどうにも行く気になれませんな。ああいや、今回は仕事なので行きますがね。

 まぁなんですな。院須升の連中の背後には、何か土着のカルト宗教とか、そんなことがあるには違いありませんな。神社仏閣、道祖神の一つもないときています。

 結局のところあの村は、沼や入り江が沢山あって、他所とはいつも連絡が遮断されるような形になっているものですから、詳しいことはよくわからないんですよ」


 運転手が語るうち、車はいよいよ帝都の中心部から出ようとしております。


「今院須升に住んでいる連中には、確かに妙な特徴がありますな。あの連中の中には、妙に頭が狭くて鼻が平たくて、それに眼は膨らんでいて開きっぱなしみたいにじっと人を睨んでいるような面相の者がいるんですが、そいつらの皮膚ときたら、サメ肌で吹き出物だらけだし、首の両側は皺だらけでくびれていて、おまけに若いうちから禿げるときています。背筋も曲がって前かがみでいて、歳を取った連中は、それはもう見られたもんじゃありません。犬猫の畜生ですら、あの連中を嫌がっています。まだ自動車のない頃には、馬のことで随分厄介なことがあったものです。

 帝都や近辺の町村でも、あそこ出身の者を相手にするものは誰もいません。あいつらが帝都へやって来る時も、誰か余所者が院須升の漁場で漁をしようとする時も、どこかこう余所余所しい様子をしていますよ。

 妙なことに、他には一匹もいないのに、院須升の港の外には魚がうようよいるんです。まぁ貴方方も、一度あそこで釣りでもしてごらんなさい。そうすれば、奴らからどういうあしらいを受けるのかわかるというものです」


「院須升に宿泊施設の類はありますか?」


 問うたのは源次郎でございます。


「ええ勿論、院須升にもホテルがありますよ、一軒だけ。ホテル義流間(ぎるま)と言いましてね。でも安宿で、お勧めしたくはありませんな。

 二、三年前に、このホテル義流間に泊まったことのある工場の監督がいましてね。その男は、その宿のことで色々と気味の悪いことを話してくれました。その男の話では、他の部屋から話し声が聞こえてきたと言うんです。ところが同じ階の他の部屋は全て空き部屋でした。だからこそ、怖くなったんですな。どうやら外国語で話していたらしいですが、一番怖かったのは、時々聞こえてくる独特の声だったそうです。その声は、この世のものとは思えぬような――そうそう、消え入るような、とか言ってましたな――そんな声だったものだから、まともに寝ることなんてできなかったそうです。そうやってずっと待っていると朝日が出て明るくなったそうですが、その話し声は一晩中続いていたというのです。

 その男は、院須升の連中は、俺のことをじろじろ眺めて何か警戒しているような様子だったと言っていましたな。桝精錬所を妙な場所で見つけたとも言っていました。

 桝家の連中が精錬する金の原料を、一体どこから仕入れてるのか、それもずっと謎でした。正規のルートから買った形跡はないくせに、連中は数年前に金塊を大量に船で運び出したんです。金鉱山なんてあるはずもなく、採掘ができるほど人数がいるわけでもないのに。

 宝石とか貴金属の装飾品を桝家の女たちが身に着けているのを見たことがあるとか、そんんあ噂もありましたっけ。

 それについでの噂は、昔、件の桝船長が悪魔の暗礁で海賊が隠していた宝を見つけたのだとか、未だにそうだと思っている連中もおりますな」


 車は街を外れ、車窓越しには田舎じみた風景が広がっておりました。


「例の伝染病で、あの村の良い血統は絶えてしまったに違いありません。とにかく今ではあの村の名家も他の金持ち連中も、非常に程度が悪いんです。

 さっきも言ったとおり、あの村全体に住んでいる人は、恐らく二百人いかないくらいだと思います。ですが連中に言わせると、村中どこにでも人が住んでいるそうですがね。

 院須升の連中の情報を絶えず掴んでいるなんて、誰にもできやしませんよ。学校の職員や、人口調査の係員たちは、えらい骨を折っていますよ。あの土地の者でない者に余計な詮索をする者がいたら、きっと冷淡なあしらいを受けますよ。実際のところ、聞いた話ではあの村で行方不明になった商人や役人の数は一人二人じゃないそうですし、気が変になってしまったために精神病院に入院させられた男もいるそうです。村の連中が、その男にひどい仕打ちをしたに違いありません」


 お喋り好きの運転手の話が一段落した折、助手席に座っていた銀之助の視界は、田園風景の中で立ち往生している車を発見しておりました。


「故障しているのかもしれません。あの車のところで止まってもらってもいいですか?」


「承知しました」


 車と共に止まったお喋りに、安堵している銀之助でございました。

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