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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通
二章・漁村にて

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悲劇と狂気と琴線と、とても大きな罪悪感

 講義を終えた銀之助は、帝都をどこへ行くともなく散策しておりました。先日まで行われていた縁の監視こと送り迎えの任を解かれ、久方ぶりに自由に足を伸ばしていたのでございます。

 ふと手持ちの方眼紙の残りが心許なくなっていたことに思い至り、行きつけの文具店へと足を向けることにいたしました。

 目的の文具店は銀之助の通う警察道場の近くにあり、現在地からはそれなりに距離がございました。

 銀之助はタクシーを呼び止め、窮屈そうに座席に座ると運転手に行先を告げたのでございます。


 方眼紙の購入を済ませ、店から出た銀之助の視界に飛び込んできたのは、過去に学友であった片倉(かたくら)昭一(しょういち)の姿でありました。


「昭一君!」


 声を掛けると、その様子のおかしさに気が付きました。

 俯き気味でいた昭一の顔が上がると、その顔色は満足に食事を摂っていないのか悪く、頬はややこけ、瞳の周りには隈が浮かんでおります。


「銀之助君か」


 声にも張りがございませんでした。銀之助の記憶するところでは、彼は胸を張って歩き、張りのある声でものを言う快男児でございました。しかし今は、その面影は見受けられません。


「久しぶりだね……つかぬことを聞くようだけど、何かあったのかい?」


 途端に泣き崩れそうな顔になった昭一に、銀之助は狼狽してしまいます。


「頼む、助けてくれ……話を聞いてくれるだけでもいい」


 銀之助は再度タクシーを呼び止め、今にも崩れ落ちそうな昭一を押し込めると、立花邸へと向かうのでございました。




 車内にて聞き出した取り留めのない語り口をまとめますと、このようになります。


 昭一の婚約者が、東京市は砂村近くの田んぼで外傷を伴なった死体となって発見された。

 砂村のその近辺は、警察も動かない無法地帯なのだという。

 婚約者の家族とも連絡が取れず、一人行く充てもなく帝都を彷徨っていた。


 話を聞いていたであろう運転手も、一言も発せないような有様でございました。


「なぁ銀之助君。君は道場の縁で警察に伝手があったろう? どうにかできないか?」


 なんとも答えられずにおりました。






 一方その頃、源次郎は邸宅の敷地内で車の運転の練習をしておりました。アクセルが現代でいえばウィンカー指示器のところにあったり、エンジンの掛け方が違っていたりと、如何せん現代の物とは仕組みがあまりにも異なっており、最早別物と呼べる代物でございました。


「クッソ、どうにも頭が混乱するな」


「充分に運転できていますよ」


 助手席に座る老齢の家令が申しました。


「咄嗟の運転ができなきゃ意味がないんですよ。公道で練習できれば良いんですが」


「違法行為ですな」


「ですよねぇ」


 そのようなやり取りの折、邸宅前に停車したタクシーから銀之助が下りてきました。今日は珍しく連れがいるようで、源次郎はそのまま様子を見ておりました。


「おかえり。友達か? 随分と顔色が悪いが」


「ただいま戻りました。昔の学友です」


「そういや銀は免許持ってるのか?」


「車の免許なら甲種を持っていますよ」


 免許を取得するためには車体検査証が必要であったため、銀之助は金之助から借金をして車を購入しておりました。


「今日の稽古は無しにしてください」


 これは源次郎が昭一の有様を見て率直に思った、過去の自分を投影した、何の気のない一言でございます。


「婚約者でも殺されたって顔してるな」


 傍らで俯いて黙していた昭一は勢いよく顔を上げ、運転席に座る源次郎に詰め寄っております。


「あんた、何か知ってるのか!?」


「んん?」


 源三郎は銀之助の顔色を窺っております。銀之助の顔には戸惑いと、ほんの少しの落胆の色が見えました。


「マジなのか?」


「……」


「それは、すまなかった。申し訳ないことを言った。ものの例えのつもりだったんだ、俺は何も知らない」


「……そうですか」


「昭一君さえよければ、この源次郎さんにも話を聞いてもらわないか? 正直に言うが、僕一人の手には余ることだよ」


 時間をおいて首肯した昭一を確認すると、銀之助は源次郎に目で邸宅を指し示したのでございます。




 女中に導かれて客間に通された一行は、彼女が給仕を終えるまで終始無言でおりました。源次郎は昭一の一挙手一投足を見逃さずにいるよう彼を見据え続けております。

 口火を切ったのは銀之助でございます。車内にて昭一から聞いたことを源次郎に申し伝えました。

 源次郎は話を聞きながら紅茶を口に含み、銀之助は語り終えてからカップに口をつけました。昭一の分の紅茶は手が付けられずに放置されております。


「これは僕の知る限りのことですが、その砂村の近くにある極一部は土着信仰のある排他的な地域で、かつては処刑場があったと聞き及んでいます。その村は漁業を主産業とした漁村で、明治の頃には精錬業で栄えたのだとか。

 推測や偏見の類に過ぎませんが、昭一君の婚約者家族に何かがあったのだとすれば、多分その村の出来事ではないかと僕は思います」


「やけに詳しいな」


「このくらいは、帝都で暮らしていれば嫌でも耳に入ってくる情報ですよ。行ってはならない場所として」


「行ってはならない場所か。なんでそのご家族は、そんなところに行ったんだろうな?」


 昭一は源次郎の呟きが聞こえていないのか、ただ只管(ひたすら)に紅茶を見つめております。

 昭一のその様子に嘆息し、そして話の内容を存分に咀嚼するようでいた源次郎は、


「昭一君はどうしたいんだ?」


 核心であるそれを問いました。


 昭一の瞳は落ち着きなく暴れまわり、前傾姿勢で食いしばった口の端からは泡のようになった唾液が噴き出しておりました。


「犯人を見つけて、八つ裂きにして殺してやりたい」


 充血した瞳は狂気を宿してさえおりました。


「昭一君、その考えは良くない」


 否定したのは銀之助でございましたが、源次郎は、


「良くないなんてことないだろう。人間なら当然の発想だ」


 あろうことか肯定しておりました。

 

 銀之助の知るところではございませんが、源次郎は過去に婚約者の復讐のために中東へ赴くような馬鹿をやらかしておりますので、それこそ当然の発想でございました。


「やった奴を許せないんだろう? 今も生きて呼吸をしてることが、どうしようもなく許せないんじゃないか? 殺してやりたいんだろう? それと同じくらい、何もできなかった無力な自分が許せないんじゃないか? そして普通に今を暮らしている赤の他人までも腹立たしく思えてきてるんじゃないか? 八つ当たりだとはわかっていても、自分がこんな目にあっていて、何故あいつらは平気な顔をして平和を享受できているんだってな」


「まさしく、まさしくその通りです」


「復讐は何も生まないと銀は言ったが、そんなもんは悲惨な目にあったことのない奴が(のたま)う詭弁なんだよ。復讐のために動いてないと、心がどんどん根腐れしていくんだ。自分の中の時間だけが止まったままで、精神的にダメになるんだ。

 俺はやるべきだと思うね」


「閉鎖的な村を相手に一人でですか? あまりにも現実的じゃない。

 ……先程から妙に具体的ですが、源次郎さんの経験談ですか?」


「あったと言ったらどうする? 意味のない問いだ。今は俺の話じゃなく、彼の話だろう?

 写真はあるのか?」


「こちらが家族写真で、こちらは彼女のものです」


 目標を得ていくらか正気付いたのか、昭一の言葉には力が込められておりました。

 写真には、両親であろう夫婦に挟まれるようにして二人の兄妹が映っていました。


「犯人を見つけ出すなんて言えないが、家族の足取りの調査までなら請け負ってもいい。学生さんとはいえ経費くらいはいただくがね。成果のほどは保証しかねるが」


「いえ、彼は今雑誌社で働いています」


「なんだ社会人か。だったら日当としては一〇〇円くらいかね」


「いくらなんでも高すぎますよ! それでは日当ではなく月給ではありませんか」


 源次郎としては、過去の自らの職での相場をこの大正の時代に当て嵌めたのですが、どうやら見積もりが甘かったようです。


「そんな大金を出すなら探偵社にお願いしますよ」


 先程まで様子のおかしかった昭一までもが面食らっておりました。


「探偵の相場は?」


「内容によるのでしょうが、概ね数円から十数円と聞き及んでいます」


 今更そんなはした金を貰っても、というのが源次郎の心の内でございました。源一郎が闇医者として荒稼ぎしていた金銭を源次郎は所持しております。


「ならやっぱり経費だけでいいな」


 高額な請求をしたかと思えば、いらないと申します。「この人大丈夫か?」と顔に書かれた昭一は、銀之助の顔を見やっております。


 源次郎は殺された婚約者の名前と身長を聞き出しました。彼女の写真を見れば、まだうら若き少女でございました。


「残された家族も連絡が取れないんだよな?」


「はい、いなくなっているのです。フィールドワークをご趣味となさっているご両親で、恐らくそのために砂村へ赴いたのではないかと思うのですが」


 最悪の事態を想定する癖が身についている源次郎は、この時点で一家全員の生存を諦めて、事に取り組むよう心掛けておりました。


「砂村のどこら辺に行ったと思う? 死体発見場所は?」


「憶測ですが、銀之助君が言ったように、かつて院須升(いんすます)と呼ばれていた漁村に行ったのではないかと思います。土着宗教の本部があるとの噂ですし、他にも色々と怪しい話のある土地ですので。彼女が見つかったのもその近辺の田んぼです」


 昭一が取り出した地図には印がつけられておりました。


「妙な地名だが、まぁそんなもんか」


 源次郎は奇妙な地名から、被差別地域ではないかと推測しておりました。


「じゃあその漁村に行ってみるが、くれぐれも過度な期待はしないように。如何せん情報が少なすぎる」


「お願いします。それでは僕はこれで。銀之助君もありがとう」


「連絡先を教えてくれ。電話はあるか?」


「はい、あります」


 昭一は地図の裏に住所と番号を書き加えて源次郎に渡しました。


「それでは失礼します」


 女中に案内され、退室していく丸まった背中を銀之助は見えなくなるまで見送っておりました。背が見えなくなると、源次郎に問います。


「何故一〇〇円などと仰ったのですか?」


「日本の金銭価値がまだいまいちわかってないんだよ」


「それに、どうしてそこまで協力的なのですか?」


「言う必要があるのかそれ?」


「事は僕の友人の話です。疑問に対する回答を聴く権利はあると思います」


「……いたずらに若者の傷を抉っちまった罪悪感と、共感できるからだよ。これでいいか?」


 予想はしておりましたが、いざそのように言われてみると、罪悪感に見舞われたのは銀之助も同様でございました。




 銀之助はその日のうちに知人の刑事に連絡してみましたが、返事はにべもないものでございました。


「あの土地には行くな」


「そうもいかないのです」


「……忠告はしたからな」


 昭一の言うとおり、警察は動いてくれないようでした。


 一体なんの力が働いているというのか。銀之助は先行きの見えない怪しげな、禁断の地とも呼べる院須升という土地に行かなければならない己に、言い知れない恐怖を感じておりました。

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