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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通
一章・転移とコピー

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橘源次郎・五月一日

「先に帰っていてくれ」


 一部始終を目にしていた源次郎は、食事を終えてはしゃいでいる二人に先に帰るよう申し付けておりました。


「何故です? 一緒にお帰りになればいいのではありませんか?」


「用事がある」


「なんのご用ですの?」


「キミたちには関係のないことだ」


「ここまで連れてきておいて、それはないでしょう?」


「ピクニックは楽しめただろ? あとは二人でよろしくやってくれ」


「もう! ……でもまた行きましょうね。今度はどこか別の場所に」


「ああ、そうだな」


「では僕たちは帰りますが、源次郎さんも気を付けてくださいね? 銃撃戦があったばかりですし」


「ああ」


「その見た目ですし」


「やかましい。人のこと言えんだろう」


「銀之助さんは端正な顔立ちをしてらっしゃいますわ」


「ありがとうございます。縁さんもいつも可愛らしいですよ」


「はいはい、わかっています」


 二人は怪訝な顔をしながらも、野原を後にしたのでございます。




 二人の背中が完全に見えなくなるまで見送ってから、源次郎は粘土の元へと赴き、呟きます。


『だから交流を持つなと言ったんだ』


 ボロの着流し一つを残し、亡骸(なきがら)ともいえぬ土塊(つちくれ)のように変わってしまった源一郎を見下ろす源次郎の脳裏には、怪物狩りの夜の会話が去来しておりました。






 あの夜の帰り道、裏路地を駆けながら、二人にはこのような会話がございました。


『なんでまともに動けるんだって聞かれてもな。死ぬつもりでやったとしか言えない』


『死ぬつもりでって……正気か? お前だって死にたくないだろう?

 俺だって死ぬわけにはいかない。元の時代に帰って殺さなきゃいけないヤツがいる』


『やっぱりそっちはそうなんだな。

 そっちは二〇一一年五月二日以前の俺なんだ。だから心が死んでいない』


『どういうことだ?』


『俺たちの復讐は果たされない。散々手を汚してきた結果がそれだ』


『何を言っている?』


『俺は蚊帳の外だった。俺はキミよりもう少し先の俺なんだよ』






「お前が残れば良かったのに」


 凍てついた心は動かず、目の前の出来事をただ無感情に受け入れるだけでございました。ぽつりと呟けば、代わりに泣きだした空が竹林を濡らし始めております。

 泥に塗れ風に吹かれた着流しが、不自然な形に歪んでいます。漁ってみれば、そこには斧状の石が一つございました。


 源次郎はそれを地面へと突き刺して、その場を後にいたしました。






 武田組へ赴けば、門前払いを喰らっておりました。


「ここに俺と同じ見た目をした医者がいるはずなんだが」


「てめえみてえなでけえやつ、一度見たら忘れるかよ!」


 足蹴にされ、歯牙にもかけない様子でございました。






 長屋へ赴けば、上等な衣服に奇異の視線を浴びておりました。


 源次郎の視線は、場違いに綺麗な装いでいる母娘(おやこ)の姿を捉えておりました。母娘は源次郎を不審なものでも見るかのようにして避けて通っていきました。


 長屋の扉を開けようとしても、鍵がかかっており、ガタガタと揺らしていると怒号が飛んでまいりました。


 腑に落ちない思いで貧民窟を後にしております。






 雨の止んだ帝都の目抜き通りは燃えるようなオレンジでいて、人々の喧騒がどこか遠くに感じられました。家路を急ぐ人々の足並みの中で、源次郎の足取りは重く、かねてよりの速足ではございません。






「おかえりなさいませ」


 宵闇が住宅街を包む中、恐る恐る帰宅すると、女中頭の千代子が申して頭を垂れておりました。


「……ただいま戻りました」


 胸中には安堵するような不安感。そのような正体不明の感情がございました。


 離れに戻ると、源一郎の荷物と思しき銃、匕首、財布、頑丈な造りの箱、また数多くの薬瓶の類など。そして一葉の写真が部屋にございました。開いた窓枠には黒猫が一匹おりまして、一声鳴いて飛び降りていきました。


 写真を手に取り見てみると、そこには砂漠を背景に四人の男女が映っているものでございました。源次郎がとうの昔に焼き捨てていたはずのものでした。

 大柄な黒人男性が後方で豪快な笑みを浮かべており、右手には軽薄さを隠そうともしていないような白人の男性、左手には鋭い視線を向ける不機嫌そうなロシア系と思しき女性が。そして中央には、まだどこか幼さを残した源次郎が、白人男性に無理やりに両口端を釣りあげられながら、その容姿とは不釣り合いな、極度に荒んだ瞳をカメラに向けておりました。

 会社のプロパガンダとして利用されていた頃から脱していようかどうかという、微妙な時期の写真でございました。


 源次郎は窓へと腰かけて、

「おい、ムボウ、ムボー」

 夜に問いかけても返事はございません。


 源次郎は机の上の遺言めいた手紙を破り捨ててから、窓を閉めております。


 絢爛(けんらん)たる帝都の夜闇に、怪物の慟哭が鳴り響いたよう感じられました。

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