源三郎・四月下旬・一
朝と夕の稽古は続いております。
奥襟をとった銀之助の手を捌き、源三郎は襟首を捻り上げます。じりじりと細かな応酬がありながら、二人の足捌きは流麗でございます。
まるで乱暴なダンスのようでございました。しかし本日の源三郎は、些か精彩を欠いておりました。
「二人とも、頑張ってくださいまし!」
そこに立花縁の存在がございますれば。
最早捨て鉢になった源三郎の体は容易に崩され、足を刈られたのでございます。
「どうしたのですか? 今日は随分とやる気がないよう思えますが」
申しながらも銀之助は感づいているようで、縁を横目で見ておりました。
「ギャラリー、観客がいると集中できないんだよ。どっかにやってくれ」
ふむ、と銀之助は何やら思案顔でございます。
「では今日は三人で会話を楽しむというのは如何ですか?」
「御免蒙る」
「何故そこまで避けるのですか?」
源三郎は、明らかに縁を避けております。
立ち去りかけた源三郎に、銀之助は続けて申します。
「どうでもいいのなら、気に留める必要もないでしょう? 何かがあるのですか?」
「子供とはいえ婚約者のいる女に近づきたいと思うかね?」
「もう子供ではありませんわ」
縁は申して二人に近づいて参ります。
『たわけ』
噴き出したのは銀之助でございました。
『英語も少しはわかりますわ。これでも私、優等ですもの』
『コイツよりはマシだな』
言われた銀之助は苦笑しております。
「源次郎さんは、中東のどちらにいらしていたのですか?」
「具体的なことは答えたくない」
「なにをしていらしたの?」
「答えたくない」
縁と言葉を交わせば、もう動かないはずの自らの心に動きが生じるのが不快でございました。そもそもこの見てくれだけは同一でいる少女は一体なんなのかと。源次郎の知る記憶の中の少女――竹中縁に類する何某かなのかという疑いが、源三郎の心を激しく動揺させております。
「ではこの先はどうするおつもりですか?」
銀之助は、仕事をどうするかと尋ねております。
「さてな。とりあえずは五月一日まで生き残ることだが」
答えになっていない返答に、銀之助は眉を顰めておりました。
「五月一日といえば、例の……源次郎さん?」
源三郎は、すでに格技場を出ようかというところでございました。
「にべもないですね」
銀之助は苦笑いを浮かべております。
「失礼な人ですこと」
縁の顔には呆れが混じっておりました。
「縁さん。これは立花先生が仰っていたことなのですが、源次郎さんは心身衰弱状態にあるそうなのです。ですのであまり無体なことはなさらないであげてください」
「無体なことなんて、していませんけれど」
叱責されるような、諭されているような言い様に、縁は歯切れ悪く応じております。
「どういった心的外傷があるのかわからないので、長い目で見てあげてくださいということです」
「……わかりました」
不承不承といった面持ちでございます。
「さて、朝食を頂きに参りましょうか」
二人は連れ立って邸宅へと向かうのでございました。
夜半過ぎ、俄かに住宅街を脅かせたのは、銃声怒号の嵐でございます。
作業をしていた源三郎は頭を低くして窓まで行き、様子を窺います。どうやら遠くで事件が起きているようです。
中庭に出た源三郎は、邸宅の窓から顔を覗かせる家人たちを、犬を追い払う仕草でもって中にいるよう示し、門扉の傍に控えておりました。
怒号は程なくして止み、周辺に駆けてくるものの足音などもいたしません。懐の、出来立ての手製のホルスターに銃を仕舞っております。
「どのような次第でしょうか?」
背後には銀之助がおりました。
「さてな。逃げてくる様子もなく、ここに危険はないだろう。だがあれだけの銃の量だ。ただごとじゃない」
「草薙組の方角でしたね」
「カチコミかな。ちょっと様子を見てくる。キミはここにいろ」
申して源三郎は銀之助を使って屋敷の塀を乗り越えたのでございます。
草薙組の邸宅は、風情豊かな敷地内全体に明かりが燦爛と輝いております。
見るからに筋ものたちが、喧々囂々と怒鳴り合い、また路地に人を放り投げておりました。
筋ものの男たちの一人が野次馬の中に白い長襦袢を着ている源三郎の姿を見止め、
「先生!」
駆け寄ってきたのは捨吉でございます。
「ご無事でやすか?」
周囲の人間は下がっていきました。
「無事です。それでは」
「待ってくだせえ! 怪我人がいるんで、治療をお願いしやす」
源三郎の顔には、面倒、と書いてありました。
「後生でやすから」
源三郎は頭を掻きながら、草薙組の邸宅内へと足を踏み入れたのでございます。
屋敷の玄関には、そこらここらに弾痕があり、途中の柱には長ドスが刺さったままでおりました。
「こちらの部屋でお願いします。先生の道具をもってきやす」
煎餅布団に寝かされた四人の患者たちが並んでおりました。それぞれ腹部をドスで貫かれていたり、胸を刺されて既に息絶えていたりと手の施しようがございません。
源三郎は人混みに紛れてそそくさと邸宅を正面から後にしたのでございます。
「如何でしたか?」
銀之助が意匠の施された門扉を開けております。
「ヤクザ同士の抗争らしい。迷惑な話だな」
「塀を高くする必要がありますね」
「別にこのままで良いんじゃないか? 今まで何もなかったんだろ?」
「それは、そうなのですが」
「寝よう」
申して源三郎は銀之助を置いて離れへと向かっておりました。




