源三郎・四月二四日
朝起きると、源三郎の枕元には和紙の紙片がございました。そこには日付日時と場所、またその際は徒手空拳でいることが明記されておりました。
源三郎は紙片を財布に入れ、柔軟をし、朝の支度を整えました。
「おはようございます」
「おはよう」
充分に準備運動をして、格技場にて源三郎と銀之助は一礼をして組み合っております。
平日は朝と夕の稽古が日課となっておりました。日曜日である今日は、恐らく午前中いっぱいをここで過ごすことでしょう。
「ここでの生活には慣れましたか?」
少々息の上がった銀之助が申しました。連日の稽古に心肺機能が向上してきたのか、初日ほどではございません。今では源三郎の不意を突いて技を決められることも間々ございました。
「勝手がわからないことが、まだ多いな」
源三郎は異なっており、平穏で怠惰な生活に、体には少々鈍さを感じておりました。
「ここのところ、行方不明者が減ったようです」
警察道場に伝手をもっていた銀之助は、知り合いの刑事から聞き出した話を申しておりました。
「あの日から減ったそうですよ」
「そうか」
あくまでも喋る気はないと、源三郎は小手返しを仕掛けております。
急に手首を極められた銀之助の体は堪らず横に流れていきます。源三郎は手首をそのままで肘を押し返すようにして、受け身をとれないでいた銀之助の体を地面へ滑り込ませております。
「なんですか? 今のは」
「柔道じゃない、別の武道だよ」
「他にもやってみせてください」
「人に教えられる身分でもなければ、好き勝手に教えて良いことでもない」
「仰ることはわかりますが、教えてください」
銀之助の瞳は子供のように輝いておりました。
「どうしても見たければ、柔道以外の技で対応せざるを得ない状況でも作るんだな」
「言いましたね?」
じゃれ合うような稽古は続いております。
「廃ビルの地下にはほら穴があって、そこが崩落していたそうです。あなたがやったのでしょう?」
大の字に寝転がっている銀之助が申しました。
「俺だけじゃない。俺ともう一人いる」
襟元を弾かせて、源三郎が申しました。
「どなたですか?」
「もう一人の俺だ。俺は分裂できるんだよ」
真顔でそんなことを申す源三郎を横目にやりながら、銀之助は荒い呼吸を整えておりました。
源三郎は帯を直し、一礼を残して去っていくのでございました。
「いってらっしゃいませ」
「いってきます」
女中といつもの挨拶を交わし、源三郎は出ていきます。その足取りは急いでいるふうでもないのに早く、途中人々を追い抜くような足取りでございます。
日暮れ前には目的地である原っぱへと辿り着きました。
東京市のはずれにあるその周辺は開けており、民家の類はございません。山の中腹になっており、見下ろせば遠くに長閑な佇まいでいる田畑や民家が、反対側には鬱蒼と茂る竹林がございました。突き抜けるようでいる空の遠くは夕暮れが顔を覗かし始めており、心地よい風が源一郎の体を撫でていきました。
竹林に足を踏み入れると、柔らかい土の上に竹の枯れ葉が満ちております。靴で掘り返された土の香りが鼻腔に舞い込みました。風を強く受ける地形なのか、竹林の中だというのに枯れ葉が時折舞い踊っておりました。筍なのか、所々で足裏を刺激されております。昼日中でも完全には陽が届いておらず、風があるのに湿った気配に満ちています。
源三郎は持ってきた大きなシーツを土で満遍なく汚すと、可能な限り枯れ葉を集めて風呂敷で包み、シーツを抱えてその場を後にしたのでございます。
邸宅へと戻ると、
「おかえりなさいませ」
女中の出迎えに応えて源三郎は離れの室内へと向かいます。
汚したシーツに枯れ葉を縫い付けております。久々の針仕事に、作業は遅々として進んでおりません。
ヤツならどうするか――同じことを考えるはずだ。そう至った源三郎は、シーツを捨てるため、再び離れを出ていくのでございました。
邸宅内に銀之助と縁の姿を見止め、何事かを申し伝えるのでございました。




