邪神と源次郎たち・二
「片方が偽物って言ったよな?」
念入りに戸を閉めた源一郎は、座すと少年に問う。
「はい」
「俺には俺が橘源次郎として生きてきた記憶があるが?」
お前はどうだ? と源三郎を見やる。
「照らし合わせてみたらいいんじゃないか、お互い適当に交互に」
「俺もそう言おうと思ってた」
「だったらよくできてるな」
同じ顔の人間というだけで生理的嫌悪感が生じるのに、これである。しかしそれが自分だという確信もあるだけに、源一郎は余計に腹立たしかった。
一九八五年生まれの二五歳、幼少の頃から幹部自衛官になるための教育を施され、しかし一六の年に家出をし、そのまま中東の民間軍事会社へ就職。一番長く行動を共にしていた同僚達の名前も一致。二〇一一年、中東の国にいたところ、今に至る。
「一致してるな」
「そうだな」
沈黙が下りる。同じ容姿と経歴、或いは記憶を持った別の存在が目の前にいるという超常的な出来事に対してではなく、ただ一点。なぜ子供の頃の自分がわざわざ平和な国を飛び出して、戦闘行為に従事し続けた、その動機だ。
源一郎は、まだそのことに折り合いがついていない。恐らく目の前の源三郎もそうだろう。だから口に出せなかった。
源三郎をよく見てみれば、自分の記憶と同じだけの古傷があちこちにあった。腕には擦過傷、顔には切り傷や細々とした怪我の痕。服をめくれば、恐らく銃創も同じ場所にあるだろう。源一郎は無意識的に、服の上から腹の側部を撫でた。
先程まで感じていた嫌悪感は、いくらか薄らいでいた。
「片方は、僕が作った偽物です。二人のうちどちらかが偽物です」
「神様ってのはなんでもありか?」
「そうでもないですよ、暇を持て余しているだけで」
流石に信じるとは言えないが、自らを邪神と嘯く少年に、源一郎はこれ以上疑う意味と意義を見出せなかった。
源一郎は茶の入った湯呑を持ち上げ飲もうとして躊躇った。それを誤魔化すよう、半ば湯呑を叩きつけるようにして問い詰める。
「「目的は?」」
「良い質問ですねぇ」
待ってましたという風情だった。
「どちらが偽物か気になるでしょう?」
少年は立ち上がり、芝居がかった仕草で立ち振る舞う。
「確かめる方法は一つです。死んだ時に人の形を成さなくなるのが偽物です。なので二人には殺し合いをしてもらいます」
静寂に包まれた古びた家屋の中にはやんわりと、熱を帯びた殺気のようなものが侵食していき部屋を満たしていく。発生源は当然二人だ。もし少年が「今から」とでも言おうものなら、体躯に優れ、そのための技術を修めた二人は今すぐにでも始めるだろう。
湯呑からはもう湯気が上がらなくなっていた。
「一か月後にしましょう。五月一日の日曜日に決闘です。
今のままではきっとつまらない結果になります」
少年は終始満足気でいる。
「これから二人は異なる環境に身を置いてもらいます。事前に色々と仕込みもしておきました。その環境が、結果にどう違いを見せるかを知りたいのです」
「ん-、つまるところ、やたらと手の込んだロクでもない実験をしたい神様の遊びってことか?」
源三郎への警戒を解いた源一郎は、言って体を横たえた。
「実験と言えば実験ですが、シンプルに源次郎さんが好きなんですよ。だから増やしてみたし、殺し合わせたいのです。
そしてこんなことで本物が死ぬはずがないなというのもあり、でもそうなったらなったで仕方がないなと思っています」
多分玩具が壊れちゃった感覚と一緒ですね、と宣った。
いっそ怒りも湧かなかった。なんとなくだが、先程までのも今のにも、この邪神が言うことに嘘はないのだろうと感じていた。きっとそういう性質のモノなのだ。だからこその邪神と言えるのかもしれない。
「妖怪は居てもおかしくないと思ってたんだけどな」
言った源三郎は、邪神かなどと真面目な顔で一人ごつ。
「いやいい歳して妖怪とか、引くわ」
「いやそういうんじゃなくだな。昔夜の海で海坊主みたいなのを見たことがあって、多分スナメリなんだろうが。そうしたことが昔は説明がつかずにいて、妖怪として人の中に成ったんじゃないかって、そういう話だ」
「あー、そういう民俗学的な話ね。焦ったわ」
片方が贋作とはいえ、自分なのだ。血迷ったことを言われては反応に困る。
「今は文化人類学というんですよ」
逸れた話を戻すよう、源三郎は言う。
「既に違いがでてるように思えるが」
源一郎も気になっていたことではある。源三郎はどうにも無表情でおり、感情の起伏に乏しく思える。
「役割を演じているからでしょう? 源一郎さんが荒れれば源三郎さんが平静になり、またその逆もしかり。橘源次郎という人はそういう人でしたよ」
確かにそういうところはあるな、と源一郎は自覚していた。
「口調も違うようだが」
「差異が生じてきたのかもしれませんね。何がどう影響を及ぼすかわからないですから。だからこその実験なのです」
源一郎は、この邪神を享楽主義者のペテン師の類とカテゴライズした。であるならば、恐らく嘘は言わない。何故なら嘘八百で騙したところで『楽しくない』からだ。ゲームにはルールが必要で、それを逸脱すれば楽しみもなにもない。尤もイカサマ行為を楽とする手合いなら話は別だが。
いずれにせよ、真実を言っていると思い込むのも危うい。
結局のところ、人の身であれこれ考えるには慮外の事柄なのだろう。少年の言い分を信じるならばだが、なにせ相手は神とされるようななにかなのだから。
「まだ何か質問等ありますか?」
いくらでもあるが、時間は有限だ。
「片方が死んだ後、残ったほうはどうなるんだ?」
「そこはほら、勝者特典というやつですよ。勝ってからのお楽しみです」
死ねば死ぬし、勝ってもロクなことになりそうではない。
「環境の違いと言ったが、具体的には?」
「それも体験してからのお楽しみというやつですよ。さっきも言いましたが、お膳立ては済んでいます」
「面倒くさくなってるだろ?」
「はい」
「……なぁ源三郎? で良いんだっけか。そっちもなんとか言ってやったらどうだ?」
「うん。いやまぁ聞きたいことはあるが、概ねそっちが訊いてくれた。状況把握を怠るのは論外だが、如何せん俺の理解の範疇を超えていてな」
やはりどこか無気力な源三郎の様子が気になるが、それは確かにその通りだった。
聞きたいことは多くあるが、そもこの存在が馬鹿正直に答えるかも怪しい。意味のない嘘を言うような手合いには見えないが、意味のある嘘なら吐くかもしれない。そしてその見立ても正しいかどうか保証なぞされていない。聞くだけ無駄というよりも、厄介な情報を寄こされる恐れさえある。
そんな源一郎の考えを他所に、源三郎が尋ねる。
「いや一つ聞き忘れてたな。さっき俺を好きとか言ってたが、面識はないはずだ。どこで俺を知った?」
「面識はありましたよ。気付いてないだけで。ほら、サービスですよ」
言うやいなや少年の容姿は変貌していき、着流しの服装だけはそのままに、妙齢の女性のものへと変化した。彼女は中東にて、源次郎の知る顔だった。
「……なり替わっていたのか? それとも別に本人がいたのか?」
「種明かしほど無粋なものはありません」
彼女は英語圏の人間だったので、同じ声色で流暢な日本語を喋られると違和感が凄まじかった。
邪神は少年の姿へと戻りながら、
「言っておきますが、今後この手を使ってお二人を騙したりなどしませんよ。本来は傍観者としていたいのです。気まぐれにあれこれ弄繰り回したりはしますけど」
甚だ信用できないことを言った。
「好かれるようなことをした覚えも言った覚えもないんだが、何がどう好かれたんだ?」
大真面目な顔で源三郎は言った。
「いや何言ってんだ俺よ」
「俺だぞ? 人外ともいえ好かれる要素がわからん」
「それはまぁ、確かに」
自らが他人様に好かれる性格とは全くもって思えない源一郎にはぐうの音も出なかった。
「大体どういう好きなんだそれは。性別の区分もなさそうだし、玩具として好きってことか? 信者にでもなれってことか?」
二人の様子を半ば呆けた様子で見ていた少年は、やがて声を上げて笑い出した。
「好きなところはそういうところで、玩具としての好きで合っていますよ。信者は特にはいりません」
ああおかしい、とまだ笑っていた。
「源次郎さんって童貞でしたっけ?」
「「違う」」
違うが、まともな経験だったかといえば噓になる。数日の間体の感覚が変わってしまうから、源次郎は好んでしたいとも思っていなかった。
「いやはや、変に拗らせていますねぇ。やっぱり欲望が壊れちゃっているのですかね」
今後が楽しみです、と言いしな少年は二人に物を投げて寄こした。ネジ巻式の懐中時計だった。
「針は合わせてあります。もう夕方ですよ。源一郎さんはこれからが稼ぎ時です」
稼ぎ時の意味は分からなかったが、どうやら時間らしいということは察した。
「源一郎さんには先に言っておきますが、これからは見たり見なかったりしています。何かご用命がございましたら、人気のないところでお呼びいただければ、可能な限りは参上仕ります」
急に恭しくなった言い回しをする少年を気にするでもなく源一郎は問う。
「なんて呼べばいいんだ? 名無しの神だと恰好もつかんだろう」
少年は少しだけ意外そうな顔をして返答する。
「似たようなものではあるのですがね。無貌の神、アルレインとでもお呼びいただければ」




