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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通


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邪神と源次郎たち・一

 曖昧で眠りのような意識の中で、橘源次郎(たちばなげんじろう)は一面まっさらな白い空間にいた。

 緩やかに浮上してきた意識を基に周囲を見やると、蠢くものが点々といた。明らかにヒトではない。この空間と同色の、円柱に両腕のようなものが生えた、植物を思わせる造形のなにかが、そこかしこに蠢いていた。壁は棚状になっており、彼らは緩慢な動作で本のようななにかを出し入れしている。

 なんとなく、図書館のようだと思った。

『同朋よ』

 右腕から聴こえた。音ではない。直接情報を脳にねじ込まれたような感覚だった。思うように動かぬ首をもたげてみれば、自らの右腕も彼らと同じ鋏状でいた。腕と表して良いのか迷うが、源次郎の右腕の先は、別の個体に挟まれている形だった。

『これから先は、我々にもわからない』

 接続された右腕に悍ましさを感じながら、源次郎は変な夢だと思っていた。

『夢ではない』

 真っ先に浮かんだのが警戒だった。思考を読まれた、そういう作りの体なのかと警戒したのだ。だが、如何せん体が思うように動かせない。

 腕をどうにか振り払おうともがくが、無駄な抵抗だった。そもそも運動に適した造りをしていない。

『どうか、無事の帰還を』

 敵意が感じられないどころか、心配されているような言葉に疑問が湧いた。が、意味のないものだと一人ごち、抵抗することを諦めた。意識の浮上を感じられたからだ。

『夢ではない』

 白い光に中へ包まれるような夢の目覚めの最中、源次郎は再び聴こえてきた情報が、妙に意識に残った。




「おはようございます!」

 大声に驚き反射的に身を竦ませる。まず最初に探したのは、自らの手に馴染んだ武器だった。

「はいはい敵じゃないですよ。ここに敵は居ませんよ、良い子にしていればですが」

 室内は、材質からして昔の物だとわかる、朽ちかけた平屋だった。

 はたと気付く。日本語だった。そして日本の造りの平屋だ。

「さぁ、まずは落ち着いて右を見てみましょうか」

 中東系の顔の造りをした褐色肌の美少年は、何が楽しいのか嬉しそうにそう言った。説明不能な自信のようなものを漂わせており、目の周りには移ろ気なユーモアの輝きが潜んでいた。凡そ人間離れした美貌である。

 言うとおりにすると、暗い部屋の中、正座をしていてもそれとわかる大柄な、着流しの上からでもそれと分かる筋肉を携えた、人相の悪い男が流し目でこちらを見ていた。つまらない物でも見るかのような冷たい目だった。

 その男は、まごうことなき橘源次郎こと自分の姿を(かたど)っていた。

「はぁ!?」

「まぁそういう反応にもなるよな」

 同じ姿の男はそう言って、小さな溜息を吐いている。張り付けたような無表情だ。

「はい落ち着いてください。これから説明しますから」

 人好きのする笑みを浮かべたままの少年に、見覚えはない。隣の男は既に興味を失ったのか、無表情のまま少年を見やっている。


「まずややこしいので呼び名を決めましょう。あなたが源一郎さんで、あなたが源三郎さんです。いいですね?」

「安直な」

 源次郎こと源一郎は呆れ、

「良い趣味をしている」

 無表情こと源三郎は皮肉を言った。

 (はた)から見れば、二人は全く同じ容姿と声をしていた。

「もう違ってきているんですね」

 少年は意外そうなそぶりだった。

「御覧の通り、二人は橘源次郎です。ですが、片方は私が作った偽物です。さてご質問は?」

「「作ったとは?」」

 二人して顔を見合わせた。

「そういうことができる存在だからです。邪神なんて言われて、怖がられたり崇められたり面白おかしくされたりしています」

 源一郎は言おうとして停止した。同じ姿の源三郎も、恐らく同じことを問おうとしていたからだ。どうぞ、と示された源一郎が言う。

「キミがか?」

「ですです。証拠と言われても今この場では難しいですが、人間ではない証拠なら」

 うぞり、と少年の腕が変化した。黒く太い筋線維状と化した触手をうねらせると、湯呑を掴んで締め付け割って見せた。

 ふってわいたあまりにも現実離れした光景に、源一郎は絶句していた。源三郎は、それでも無表情なままだった。

「この国のといわず、この星の人間全員を気まぐれに殺すこともできます」

 少年は、つまらないからやりませんけどね、と付け足し、触手を器用に操り囲炉裏で茶を淹れだした。

 とんでもないことを言っていた気もするが、それは核を保有する国々も同様であると源一郎は思った。

「国と言ったが、ここは日本なんだよな?」

 源三郎は言って、出された茶に躊躇した様子もなく口を付けた。隣の源一郎の鼻腔にも、懐かしい日本茶の薫香(くんこう)が届いた。

 少年は触手をしまい、人間の手となった腕で紙束を源一郎に差し出した。新聞だ。全体的に硬いフォントの一面の隅、日付の項には、右読みで大正十年四月二日とあった。

「今日の新聞です。そしてここは帝都です」

「タイムスリップに瞬間移動だと? 馬鹿馬鹿しい」

 馬鹿馬鹿しいが、断じることも難しかった。源一郎は立ち上がり、玄関へ向かう。三和土(たたき)に三つ置かれていた下駄のうち一つを引っ掛けるようにして履いてから、横開きのやけに低く感じられる戸を乱暴に抉じ開けて、覗き込むようにして外を眺めた。

 そこにはモノクロ写真で見たことのある光景が、色彩鮮やかに広がっていた。貧民窟(スラム)であるのか、乱雑に立て続ける開発のせいで配置の統一感に乏しい家屋の群れ。アスファルトなどない、整備されていない土を叩いただけの道路。着流し着物の出で立ちで行き交う人々。いやそもそもからして空気が違った。源次郎の知る日本よりもよほど不衛生で、それでいて澄んでいるよう感じられた。

 日本ではあるのに日本ではないような。不可思議な感覚に包まれていた。

「はぁ」

 いつの間にか脇から覗きこんでいた源三郎がそう嘆息している。

 源一郎が問う。

「どう思う?」

「……どうって訊かれてもな」

 先程からずっと、源三郎はいまいち反応が鈍いように源一郎には思えた。見た目だけが同じで、もし仮に少年の言うことを鵜呑みにして考えるならだが、同一人物として作られたにしてはお粗末ではないかと思えるのだ。

「タイムスリップではないと思う。俺が――俺たちがこの時代にいる時点で分かれてる。パラレルワールドになった可能性がある。まぁその辺はよく知らないけど」

 言われてみればそうだ。だがそれでも状況は呑み込めない。

 源三郎は戻って茶を啜りだした。丹念に冷まして少しずつ飲むあたり、猫舌なのは同じらしい。

「二人とも熊みたいですね」

 源次郎が散々周囲から言われてきたことを、少年は言って笑っていた。

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