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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通
一章・転移とコピー

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源一郎・四月四日・二

 本家の邸宅は、目抜き通りから通りを一つ隔てた場所にある日本家屋でございました。庭園は松と桜、イチョウを背景とした枯山水が川の流れを表現しており、思い出したように鳴る、水の滴る鹿威(ししおど)しが、庭園を訪れていた小鳥たちを脅かしておりました。


 屋敷の中ほどの一室に通された源一郎は、早速若衆への医療作業に参加しておりました。他にもお抱えの医師がおり、彼らと協力して作業を続けています。


「先生、こちらへ」


 襖を開けた照国の声に、部屋の医師全員が振り返っておりました。照国は源一郎を見据えております。


 源一郎は手を拭いながら、案内されるがまま照国の後に続きます。行きしな姿を現した全員が頭を垂れておりました。


 広い和室へ到着した照国はそこで控え、源一郎を先へと促しております。


 源一郎は音を立てぬように歩を進めながらもその人物を観察しておりました。


 木製の肘置きにもたれ掛かるようでいる初老の男性――草薙武雄は首までの白い髭を蓄えており、紋付き袴が体の一部であるかのように着こなした佇まいには深い威厳が窺えます。


「ウチの若いのが世話んなったそうで」


 重低音が響く声でございます。


「大したことはしておりません」


 さようにございます。


「謙遜がお上手だ。死ぬほどの怪我だって話だったじゃねえか?」


 後方に控える照国に申しました。


「へい」


 照国はそれだけを申して真っ直ぐに立っております。全身からは緊張の影が色濃く窺えます。


「見せてみろ」


 (いら)えてその場で武雄へと傷跡を広げてみた照国に、


「だらしねえ腹」


 武雄は破顔しております。が、途端笑止の文面通りにしてその面差しは停止しておりました。


「どんな手管を使ったんで?」


 さてどう答えたものでしょうか。誤魔化しは通用しそうにございません。


「ある生物を代わりに埋め込んだんです」


 怪訝そうな顔を浮かべた武雄が照国を手で招いております。矯めつ眇めつしていた武雄は、やがて平手で照国のどてっ腹を叩いておりました。照国が一瞬体を硬直させたのは、その緊張からではございません。


「聞いたこともねえやり方だが、まあ治ってるんなら構わねえか」


 些事(さじ)(かま)けない性質(たち)なのか、言って豪快に笑っております。


「その生物ってのはどこに?」


「もうありません」


 荷物と一緒に源一郎の部屋に運び出されておりました。今後同じよう処置してくれと言われても困ります。


 暫く源一郎を睨みつけるようでいた武雄は、


「まぁいい」


 申して空気を弛緩させたのでございます。


「先生、飯は?」


「まだ食べてません」


「なら用意させよう」


 柏手二つに照国と同じような年頃の中年が、応じて膝立ちのまま(ふすま)を開きました。


「先生に昼飯を」


 一礼を残して襖が閉じられます。上げ膳据え膳でございます。


「ありがとうございます」


 源一郎は綺麗な所作で平伏して礼をしております。見届けて、武雄が申します。


「死体の処理の当てがあるってのは?」


「ある廃ビルに持ち込もうかと」


「怪物に食わせるってのか?」


 源一郎は真っ直ぐに見据えて申します。


「はい。なのでこれはお願いではないのですが、できればあの廃ビルに人が入らないよう、人を立たせてくれませんか?」


「それがお願い以外のなんだってんだ?」


「可能であればというだけで、そうしなくても構わないからです」


 暫し武雄は考えを巡らせているようでございました。


「腑に落ちねえな。でも怪物退治をするためにダイナマイトがいるってんだろ?」


「はい、怪物は二種類いました」


 源一郎の後方から驚いたような気配がしておりました。


「そのうちの片方を、二週間後にダイナマイトで処理しようかと考えています」


 武雄は射るような視線を送っております。


「何故両方共()らない?」


「それは……」


 言い淀んでいる源一郎を遮るようにして武雄が申します。


「大方狂った人間なんだろ、怪物の正体ってのは。狂犬病の症状にも似てるように思ってる」


 言われてみれば、噂だけを頼りにするのならば筋が通るように感じられました。


「それで、先生は片方をどういう手管か知らねえが治したがってる。違うか?」


 源一郎は応えず、ただこの明晰(めいせき)な頭脳を持つ初老の男性を凝視しておりました。


「ダイナマイトじゃなくちゃいけねえんで?」


「恐らく」


 深く唸って、武雄は懐手をして思案しております。


「暴発してもいけねえ。直前に渡すってんじゃ駄目か?」


 暴発を恐れるというよりも、源一郎が良からぬことを企まぬ予防策でございました。


「それで構いません。ですが導火線だけは先に頂戴したいです。時間の目安を立てる必要があるので」


「わかった。それで、先生一人でやるつもりか?」


「いえ、もう一人荒事に慣れた連れがいます」


「そいつは連れていっちゃやれねえのか?」


 照国を顎で仰いでおります。


「場所が狭く、また危険です。作業は二人で行います」


「その連れってのはどこに?」


「正確には知りませんが、二週間後に待ち合わせています」


 静寂が部屋を満たしておりました。破ったのは襖を開ける音でした。先程の男性が、源一郎の前に膳に乗せられた食事を持ってきております。


「まぁ硬え話はあとだな。食ってくれ」


「いただきます」


 不躾な視線を浴びせられながら、源一郎は食事に手を付け始めました。




 庭先で、源一郎は導火線に火をつけ実験をしておりました。


(二メートルもあればいいな)


 多少余裕を持たせた長さでございました。




 夜半、源一郎は哲郎を(とも)なって黒い布を被せた担架を運んでいました。布の下にはいわれも知らぬ者の死体がございます。二人は上下とも黒い服装でいて、暗闇に覆われた通りの裏路地を行っております。


「ここまででいいです。先に帰っててください」


 担架を預けて死体を背負うべく屈むと、通りから人の気配がいたします。死体を隅にやり、自らもゴミ箱の影へと隠れました。

 懐中電灯を装備した警官が横切っていきました。遠のく足音を背に、源一郎は廃ビルの中へと足を踏み入れたのでございます。


 口に咥えた懐中電灯は少々大振りで、しっかりと歯で噛んでおらねばずり落ちてきそうな重さでございます。


 地下へと下り、入り口のある部屋まで参ります。死体を降ろして机をどけると、途端に腐臭が部屋に溢れました。


 半ば飛び出してくるような形で死体へと飛びつく怪物に、


「待て!」


 申した源一郎の言葉に怪物はピタリと動きを止めております。


「待てだ。そっちまで持っていけ」


 巣穴の中を指し示しております。怪物は言葉を正確に理解しているようで、両手と口を使って死体を運んでおります。

 中まで入ると暗闇からは、ぐちゅぐちゅとした咀嚼音が響いてまいりました。


 最早人間とは言えぬその在り様に、源一郎は深く息を吐こうとして腐敗臭に見舞われ、咽返るのでございます。


 臓腑が引っ繰り返るような吐き気に襲われながら、源一郎は机を押して入り口を隠したのでございます。


(無理だ)


 自らが行った、人間の遺体を怪物に与えるという(おぞ)ましい所業に源一郎の精神は(こら)えきれず、吐瀉物(としゃぶつ)を撒き散らすのでございました。


 目的を果たしたならば直ちに立ち去るのが得策です。ですが源一郎は暫くの間机に体を預け、荒い息を整えることに専念したのでございます。

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