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無貌の神の転移奇譚  作者: 小峠 通
一章・転移とコピー

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源一郎・四月四日・一

 泥濘(ぬかるみ)に嵌ったかのような肉体に鞭を打ち、源一郎は朝の支度を整えております。本日はいつも以上に体と頭が重く感じられておりました。


(酒でも飲んで現実逃避できる人間だったらよかったんだが)


 源次郎は酒を嗜みません。理由は様々ございます。まず酒を呑んだところで現実は何も変わらないということ。次に酔っぱらっている時に有事が起こったら困るということ。そして睡眠導入剤と酒の同時使用が禁止されていることなどがございました。


 程なくして訪れたツルの顔もまともに見られず、怪訝そうな間がありました。


「若先生、大丈夫ですか? 顔色が優れないようですけれど」


「ええ、ちょっと体調が悪いようです」


 (うそぶ)き体を敷きっぱなしでいた布団に横たえたのでございます。


(俺はどうすればいい?)


 寝返りをうつと、陳列された薬瓶が視界の隅を掠めました。


(それだけはない)


 もし何かがまかり間違って自ら果てることとなった際は、無難に切腹と心に決めております。

 考えを振り払い、瞼を閉じておりました。





 起きてきた照国に、早速申します。


「ダイナマイトを調達することはできますか?」


「藪から棒になんでやすか……まさか」


「怪物退治としゃれこむことになりまして」


「いけやせんって!」


 縋るようでいる照国に、源一郎は声色冷たく申します。


「昨日のお話をなかったことにしても良いんですよ?」


 死体の処理の話でございます。照国は深夜のうちに、捨吉を組へと使いに出しておりました。


「一度あった話を反故にしちゃあ、あっしの面目も潰れれば、先生の身も危うくなりやす」


「ダイナマイトを貰えれば、二人とも安全なままでいられますね」


 何かを言おうとした照国の口は果たせず、


「兄貴、可惜組が来やした!」


 上がり框につんのめった捨吉でございます。


 源一郎は銃とドスを手にとり懐に忍ばせながら、


「奥の部屋へ、裏口もあります」


 指示して表へと半身を覗かせたのでございます。


 右には人影が薄く、左を見れば、抜き身のドスを携えた筋ものたち六人が通りを練り歩いております。三人を先頭に、後ろにまた三人が並ぶ縦列でありました。

 慣れたものなのか、長屋の住人の姿は人っ子一人ございません。扉は硬く閉ざされいるばかりでございました。


 源一郎は半身を乗り出し、一、二、三とテンポ良く発砲し、鉛玉は先頭集団三人の太腿をそれぞれ正確に捉えておりました。


「てめえ!」


 怒号と共に駆け出しております。


 再び轟音が三度響きます。標的が走り出したためか、大腿部へと狙いを定めた射撃は、今度は全て外しておりました。


 戸を閉め鍵を掛けると、排莢しながらひったくるようにして黒いマスクを装着し、駆け出し裏口へと躍り出ました。積み上げられた木桶を登って屋根に辿り着き、銃弾を装填しております。


「おい」


 屋根へ登った源一郎は、戸を蹴破ろうとしている三人の男へ銃口を向けながら申しました。男達は怯んだように後退(あとずさ)っております。


「三人を抱えて出直してこい。早く止血しないと死ぬぞ」


 それぞれに顔を見合わせて、三人は撃たれた三人に肩を貸して、罵詈雑言(ばりぞうごん)を捲し立てながらも源一郎の言に従ったのでございます。


 源一郎はその姿が見えなくなるまでそのままの姿勢でおり、男達が角を曲がると漸くその腕を降ろしました。


 裏に回って屋根の縁を掴み、ぶら下がるようにして下りて参ります。


 裏口の戸を開けると、玄関に向かって照国が、そしてその後ろに控えるようにして捨吉が匕首を構えておりました。


「一先ずは追っ払いましたよ」


 源一郎の言葉に二人は息を抜いております。


「なんかうるせえなあ」


 今頃奥の部屋から出てきた寝ぼけ(まなこ)の哲郎の頭を照国が思い切り引っぱたいたのでありました。


「これで千円とダイナマイトですね」


「わかりやした、わかりやしたよ先生。あっしの負けでさあ」


 どかりと腰を降ろして膝を叩き、照国は続けて申します。


「もうここにはいられやせんでしょう?」


「あの感じだと、また来るでしょうね。困ったものです」


「先生には、組の本家に客分として来ていただきやす。そこで医者を続けてくだせえ」


 組お抱えの闇医者になれ、と申しております。


「そうですか。確かにそこなら安心できそうですね」


 溜め息を吐きながらも申します。


 ここにいればいつ何時襲撃を受けるかわからず、また源一郎を囲い込むことにより組は利を得る形でございます。断るという選択肢はございませんでした。


「千円は確かに支払いやすので」


「ダイナマイト三本もです、直ちに」


「へい。捨。仔細オヤジに伝えてこい」


「へい」


 頷き飛び出しておりました。


「……つまり、どういうことで?」


 哲郎は拳骨をお見舞いされたのでございます。




 外に出ると、長屋の住人達の姿がございました。血痕を水で流している者、塩を撒いている老人、騒ぎは終わったと周囲に広める人々。貧民窟の逞しい人々の姿がございました。


 歩み寄ってきたのはツルでございます。顔は憂いがかっておりました。


「闇医者は廃業です。お世話になりました。ありがとうございました」


 それだけを申し、源一郎は顔を伏せるようにして戻ったのでございます。心はどこか安堵しておりました。




 しばらくしてやってきた若い衆らに照国は指図を飛ばしております。


「先生の荷物は全部持ってこい! 大概が医療器具に薬の類だ、乱暴に扱ったらただじゃおかねえぞ!」


 応答に鷹揚(おうよう)に頷き、作業に取り掛からせたのでございます。


「地袋にある金庫は置いていっていいですよ。重いですし」


「だそうだ! ぬかるんじゃねえぞ!」


 揃った返事に応じてから、源一郎と連れ立って長屋を出ていくのでございます。


「しかし先生、一体どういう治療をしなすったんで? まるで手妻(てづま)みてえに治ってやがる」


「もう薬品がありません。二度とはできない手品ですよ。期待されては困ります」


「へぇ」


 腑に落ちない様子の照国でございます。


 源一郎の世話になっていた長屋の住人達が、名残惜し気にその背中を見送っているのでございました。

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