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第2話:女神の降臨と真実〜俺の命を食い潰していた寄生虫どもへ。バフなしの世界でせいぜい足掻け〜

落下していく。

風が耳元で轟音を立てて通り過ぎ、迫り来る奈落の底からは、無数の魔物たちが飢えた咆哮を上げて俺を待ち構えている。

ザイードの冷酷な嘲笑と、リリアの軽蔑に満ちた視線が、暗闇の中で何度も何度も脳裏にフラッシュバックしていた。

俺は、あいつらのために命を削り、寿命をすり減らしてきた。来る日も来る日も、スキルの反動で血を吐きながら『因果律固定』を使い続け、あいつらの致命的なミスを『奇跡』という形で覆い隠してきたのだ。

ザイードが不用意に敵の群れに突っ込んだ時も、リリアが回復魔法の詠唱を間違えて味方を吹き飛ばしそうになった時も。

俺が裏で、俺自身の命を代償にして世界の確率を書き換えていた。

だというのに、得られた報酬は裏切りと、この冷たい暗闇への落下だった。


「ギルルルルルッ!!」


鋭い牙を剥き出しにした魔狼の一匹が、獲物を見つけたとばかりに大きく跳躍して俺の首元へと迫る。

死の恐怖よりも、どす黒い怒りと、あまりにも遅すぎた後悔が胸を満たしていた。


(許さない。俺の命を、思いを踏みにじったあいつらを……絶対に)


しかし、どれほど強く念じたところで、今の俺は空中で身動き一つ取れないただの餌でしかない。削り取られた寿命と、ザイードから受けた暴行による深刻なダメージで、指先一つ動かすことすらできなかった。

迫り来る無数の牙と爪が、俺の肉体を四方八方から引き裂こうとした、まさにその刹那だった。


世界が、反転した。

いや、そう錯覚するほどの圧倒的で暴力的なまでの光の奔流が、俺の体をすっぽりと包み込んだのだ。


「――我が愛しき半身に、薄汚い牙を立てようなどと。万死に値するわ」


凛とした、それでいて絶対的な零度を感じさせるほどに冷たい声が、奈落の底に響き渡った。

それはどこから発せられたのか分からない。だが、その声が空気を震わせた瞬間、俺に襲いかかろうとしていた魔物たちの動きが完全に静止した。

まるで時間そのものが凍りついたかのような異常な静寂。

そして次の瞬間、金色の光が魔物たちを呑み込んだ。

悲鳴を上げる間すらなかった。何百という魔物の群れが、光に触れた端から音もなくチリとなって消滅していく。抵抗すら許されない、神の御業としか思えない圧倒的で理不尽なまでの消去だった。


俺の落下もまた、柔らかい光のクッションに包まれるようにして止まっていた。

ゆっくりと冷たい石畳の上に下ろされた俺の前に、空中に漂っていた光の粒子が集束し、一人の女性の姿を形作っていく。

思わず息を呑んだ。

そこから現れたのは、この世のものとは思えないほどに美しい存在だった。

腰まで届く波打つ金糸の髪が、自ら発光するように煌めいている。透き通るような白い肌は傷一つなく、切れ長で大きな双眸は深いサファイアのように青く、そして澄んでいた。

背中には光り輝く純白の六枚の羽が広がり、身に纏う薄絹のドレスは、彼女の豊満でありながらも均整の取れた肢体を優美に包み込んでいる。

神々しい。その一言に尽きる。人間がどれほど想像力を働かせても到達できない、絶対的な美の結晶がそこにあった。


「……アレス。私の、愛しいアレス」


彼女は俺のそばに膝をつき、まるで壊れ物を扱うかのようにそっと俺の頬に手を添えた。

その手はひんやりと冷たく、けれど信じられないほどに心地よい温もりを内包していた。

俺はこの女性を知っている。

直接顔を合わせたことはなかった。だが、その魂の波長は、俺が物心ついた時からずっと感じていたものと同じだった。

俺の固有スキル『因果律固定』の源であり、俺が命の共有契約を結んでいる絶対的な存在。


「あなたは……フォルトゥーナ、様……?」

「ええ、そうよ。あなたの幸運の女神、フォルトゥーナ。……ああ、なんて酷い傷。あのゴミ虫ども、私の愛しいアレスにこんな酷いことをするなんて」


フォルトゥーナの美しい顔が、深い悲しみと、それを上回る激しい怒りに歪んだ。

彼女がそっと俺の胸に手を当てると、そこから温かい金色の光が波紋のように広がっていく。ザイードに蹴り飛ばされて砕けた肋骨が、顔面を潰された痛みが、削り取られた寿命の反動で悲鳴を上げていた臓器が、みるみると再生していくのが分かった。

まるで時間が巻き戻るかのような、いや、それ以上の完璧な治癒。疲労感すらも消え去り、体の奥底から得体の知れない力が湧き上がってくる。


「……傷が、治った。それに、こんなに体が軽いなんて、いつ以来だろう」

「当然よ。私が直接顕現して、あなたの生命力を完全に修復したのだから。それにしても、あなたは本当に馬鹿ね。どうしてあんな価値のない人間たちのために、自分の命をすり減らしていたの?」


フォルトゥーナの言葉には、呆れと、そして深い慈愛が込められていた。

彼女は俺の白く変色していた髪の毛を指先で優しく梳きながら、悲しげに目を伏せる。


「私はあなたと契約した時、力を与える代償として『因果律を書き換える度に対象の寿命を削る』という制約を設けたわ。それは、あなたのような心優しい人間が、他人のために力を使いすぎないようにするためのストッパーだった。それなのに、あなたは……自分の命が尽きかけているのにも気づかず、あの愚か者たちを守り続けていた」

「……俺は、約束を守りたかったんだ。幼馴染だったリリアと、一緒に世界を救うって。だから、俺が裏方として支えれば、あいつらは立派な勇者と聖女になれると思って」


俺の情けない言葉に、フォルトゥーナは深くため息をつき、そしてひどく冷酷な笑みを浮かべた。


「立派な勇者? 聖女? 冗談も休み休み言ってちょうだい。あんなもの、ただの無能な操り人形よ。あなたが裏で糸を引いていなければ、王都を出て最初のスライム討伐で死んでいたわ」

「え……?」

「あなたも薄々気づいていたはずよ? ザイードという男の剣術は、ただ力任せに振り回しているだけ。重心はブレブレで、隙だらけ。あんな素人以下の剣撃が急所に当たっていたのは、彼に才能があったからじゃない。あなたが『敵の急所が自ら剣に向かってくる』ように因果律を捻じ曲げていたからよ」


フォルトゥーナの言葉は、俺が信じたくなかった現実を容赦なく抉り出した。


「リリアという女の魔法に至っては、詠唱のタイミングも魔力の制御も三流以下。基礎理論すら理解していないわ。彼女の魔法が暴発せずに敵を的確に捉えていたのも、あなたが『魔法が完璧に成功する確率』を無理やり100パーセントに引き上げていたから。あなたが命を削って奇跡を演出してあげなければ、あの二人はとっくの昔に魔物の胃袋の中よ」


確かに、俺が因果律固定を使う時、凄まじい抵抗と命の削り合いを感じていた。

本来なら絶対に起こり得ない事象を無理やり現実にするのだから、当然の代償だと思っていた。

だが、それはつまり、あいつらの実力が『絶対に起こり得ない』ほど低かったということだ。


「あの二人は、あなたという絶対的な幸運のバフに寄生していただけの寄生虫。あなたの命を食い潰して、自分たちが天才だと勘違いして増長しただけの底抜けの愚か者よ。そしてあろうことか、その宿主であるあなたを不要だと言って切り捨てた。……ふふっ、本当に滑稽ね。バフが消えた自分たちがどれほど無力か、全く理解していないのだから」


フォルトゥーナの青い瞳の奥に、暗く冷たい炎が揺らめいた。

それは神としての絶対的な怒り。自らの愛しき契約者を傷つけた者たちへの、容赦のない断罪の意志だった。


俺はゆっくりと立ち上がった。

体が驚くほど軽い。今まで常に重くのしかかっていた、命を削る苦痛が完全に消え去っている。

自分の両手を見つめ、そして静かに拳を握りしめた。

俺は何のために生きてきたのだろう。

あんなクズたちのために、自分の命を差し出し、裏で血を吐きながら微笑んでいた自分が、本当に馬鹿らしく思えた。

幼い頃の約束なんて、ただの幻想だった。リリアはとっくに俺を裏切り、ザイードと共に俺を嘲笑っていた。俺が血を吐いて手に入れた平和を、あいつらは自分たちの手柄として享受し、そして用済みになればゴミのように捨てたのだ。


「……フォルトゥーナ様。俺は、間違っていた」

「ええ。あなたは優しすぎたのよ、アレス。でも、もうその必要はないわ」


フォルトゥーナは立ち上がり、俺の正面に立つと、両手を俺の頬に添えた。

彼女の美しい顔が近づき、天界の花のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「契約を更新しましょう、アレス。他人のために命を削るような歪な契約はもう終わり。これからは、あなた自身の幸せのためだけに私の力を使って。あなたの望むままに、世界を書き換えていいのよ」

「俺自身の、ために……」

「そうよ。あなたは私と命を共有する存在。あなたが望むなら、どんな奇跡でも、代償なしで引き起こしてあげる。もう寿命を削る必要はないわ。私が、あなたの絶対的な幸運となって、世界中のあらゆる理不尽からあなたを守り抜く」


彼女の言葉が、冷え切っていた俺の心にスッと染み込んでいく。

もう、他人のために傷つく必要はない。

誰かのために泥を被る必要もない。

俺は俺のために生きる。俺を裏切り、ゴミのように捨てた奴らが、これからバフなしの世界でどんな地獄を見るのか、この目で見届けてやる。


「……分かった。契約を更新しよう、フォルトゥーナ。俺はもう、誰のためにも奇跡は起こさない。俺の力は、俺自身のためだけに行使する」

「ふふっ、素晴らしいわ。その冷たい目、とても素敵よ。これでようやく、私たちは本当の意味で一つになれる」


フォルトゥーナが俺の唇にそっとキスを落とした瞬間、俺の体の中に凄まじいエネルギーが奔流となって流れ込んできた。

それは今まで感じていたような、命を削る痛みを伴う力ではない。

世界そのものが俺の味方になり、あらゆる確率が俺の都合の良いように書き換えられていくような、圧倒的な全能感。

これが、本当の『因果律固定』の力。制限を完全に解除された、神の力そのものだ。


「さて、どうする? アレス。ここから地上に戻る? それとも、このままこのダンジョンを踏破して、あの愚か者たちよりも先に栄光を手に入れる?」


フォルトゥーナが楽しげに微笑みながら問いかけてくる。

俺は周囲を見渡した。

本来なら、ここは人類未踏の最高難易度ダンジョンの最深部。先ほどはフォルトゥーナの光で一掃されたが、まだ奥底には強力な魔物たちが潜んでいるはずだ。

だが、今の俺には何の恐怖もない。

むしろ、この新たなる力を試したくてうずうずしていた。


「このまま進もう。ここは最高難易度のダンジョンだ。俺一人で、いや、フォルトゥーナと一緒にここを踏破して、最高の宝を持ち帰る。そして……」


俺の脳裏に、俺を突き落とした時のザイードの嘲笑と、リリアの冷蔑の眼差しが蘇る。


「……あいつらが、確率通りの地獄の中で泥水にまみれて這いつくばる姿を、高みから見下ろしてやる」

「ええ、それがいいわ。彼らは今頃、自分たちに訪れた『普通の運命』に絶望し始めている頃でしょうね。自分たちがどれほど無力でちっぽけな存在だったか、思い知ればいいのよ」


俺たちは並んで歩き始めた。

行く手には、強大な魔力を帯びたダンジョンの奥深くから、再び湧き出してきた魔物の群れが立ちはだかる。

しかし、俺が剣を抜く必要すらなかった。

俺が歩みを進めるだけで、天井の硬い岩盤が『たまたま』崩落して魔物を押し潰し、魔物同士が『偶然』足をもつれさせて同士討ちを始め、足元に隠されていた致死のトラップが『奇跡的』に魔物の足元でだけ作動する。

俺は何もしない。ただ普通に、散歩でもするように歩いているだけだ。

それだけで、俺に害をなそうとするすべての事象が、100パーセントの確率で俺に都合の良いように改変されていく。


例えば、通路の真ん中に設置された見えないワイヤーの罠。それに気づかず足を引っかけようとした瞬間、どこからともなく飛んできた小さな蝙蝠がワイヤーに触れ、俺の代わりに罠を発動させて散っていった。

例えば、壁に擬態して待ち伏せていた巨大な人食いスライム。俺が近づく直前に、突然地下から熱水が噴出し、スライムは一瞬にして跡形もなく溶け去った。

さらに、ただ歩いているだけで、壁の隙間から『偶然』古代の金貨がこぼれ落ちてきたり、魔物がドロップした超レアな魔法石が足元に転がってきたりする。


「すごいな……。これが、本当の奇跡の力か。今まで命を削ってやっていたことが馬鹿らしくなるくらい、簡単じゃないか」

「当然よ。私の愛するあなたが、この程度の雑魚や罠に煩わされる必要なんてないわ。世界はあなたの望むように動くの。あなたの歩く道こそが、絶対的な正解なのよ」


フォルトゥーナは俺の腕に親しげに絡みつき、豊かな胸を押し当てながら、崩れゆく魔物たちを冷ややかに見下ろした。

俺の心は驚くほどに凪いでいた。

絶望も、悲しみも、もうない。

あるのは、己の力に対する絶対的な自信と、これから始まるあいつらの転落劇に対する冷酷な期待だけだ。

俺は薄暗いダンジョンの奥へと進みながら、遠く離れた場所で起きているであろう惨劇に思いを馳せた。


なあ、ザイード。お前のその自慢の剣は、ちゃんと敵に当たっているか?

なあ、リリア。お前のその完璧な魔法は、味方を吹き飛ばしたりしていないか?


奇跡は偶然じゃないぞ。

俺が命を削って作ってやった、特等席のバフだ。

それが消え去った世界で、今までどれだけ自分たちが恵まれていたかを思い知り、せいぜい泣き叫びながら、己の無能さを呪うがいい。

後悔して俺の名前を呼んでも、もう遅い。

俺はお前たちを、絶対に許さないのだから。


「アレス、少し休まなくていいの? 先ほどまで寿命を削り続けていたのだから、魂の修復には少し時間がかかるかもしれないわ」

「いや、大丈夫だ。不思議なくらい力が溢れてくる。それに、こんな薄暗い場所で立ち止まっている暇はない。早くこのダンジョンを制覇して、あいつらがどうなっているか確認したいからな」

「そう。あなたがそう言うなら、私はどこまでもついていくわ。あなたの見たい景色を、一緒に見せてちょうだい」


俺たちはさらにダンジョンの奥深くへと足を進めた。

ここからが、俺の本当の人生の始まりだ。

そして、あいつらにとっては、終わりの始まりとなるだろう。

もう遅いのだ。世界はすでに、俺のために回り始めているのだから。

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