遭遇
現在、ユリクスたちは路地裏にいた。ベングルから出発するためだ。本来ならベルゼヴィス王国の町々を楽しみながらサダン王国へ向かいたいところなのだが、それはリスクが大きいのでベルゼヴィス王国を出て、国境となる壁に沿って向かうことにしたのだ。実につまらない旅路だ。故に未だに文句を言う者はいる。
「ほんとに町を避けて行くの? つまらないわねぇ」
「町によってお店も違うはずですからね。もっと買い物を楽しみながら旅をしたいです」
「仕方がないだろう。文句なら特徴を知られているこいつに言え」
この場の者たちの視線は一斉にユリクスへ。ユリクスは着慣れた黒尽くめに戻っていた。
「あれ似合ってたんだし、いっそイメチェンしたままでよかったんじゃねぇか?」
「……絶対に嫌だ」
「個性崩壊面白かったんですけどね」
「やはり鬼だな貴様……。とはいえその方が楽だったのは確かだな」
はぁ、と大きな溜め息がこの場に響く。ユリクスは渋い顔をした。そんな中ティアが、はいっ! と挙手をする。
「はい、ティアの姉御、どうぞ」
「壁の上を歩いていけばいいと思う! そうしたら上から町を楽しめるよ!」
「なるほど、それはそれで面白そうですね」
「あたしたちくらいしかできないものね」
ふむふむとティアの意見を聞いた五人は前向きに検討する。ユリクスにはどうでもいい。そんな七人の意識を戻すように大きな咳払いが響いた。
「いつもいつも、オマエたちは何故こうも常識外れなのじゃ!? なんだ壁を歩くって!? ワシ疲れたんじゃが!?」
この場にはリルクもいた。七人と一匹を見送るためだったが、最後まで頭のおかしい連中にとうとう我慢できなくなったらしい。全力の叫びに七人は首を傾げる。
「常識外れって言われても、実際できることをしてるだけよね」
「そもそも普通に行動できなくなったのは私たちのせいじゃありませんしね」
「それでもダメじゃ! こんなことを続けていたら、何れ元の生活に戻れてもオマエたちは壊れたままじゃ!」
「壊れたとは失礼だな」
「まぁ、大丈夫だろ!」
「今は今を楽しまないとね」
「じゃあ壁の上を歩くってことで決定っス!」
「ダメじゃぁぁぁ!!」
「……うるさい。もう少し静かにしろ」
「誰のせいじゃ! 誰の!!」
「……うるさいのはお前だろ」
「そういうことではないわ!!」
ゼェ、ハァ、と息を切らすリルクは、キッ! と視線を鋭くする。とはいえ機嫌を損ねた子どものように見えるため全く怖くない。
「もうよい! 変なことをするならば総長に伝えてやるからの! 精々怒られて相棒にでもなってしまえ!」
「ゲオルグさんなら笑ってそうだよね」
「そうっスね」
「もう嫌なのじゃ! 早く行ってしまえ!! じゃが壁はダメじゃからな!」
「……何故壁にこだわるんだ」
「こだわるとかそういう問題ではない! オマエたちの常識はどこにいったんじゃぁぁぁ!」
やれやれ困った人だ。それは七人共通の思いである。困らせる原因となっているのは自分たちだとは気づかない。
リアナが嘆息した。
「仕方ないわね。壁の上を歩くのはやめましょう。ここまで言われたら可哀想になってきたわ」
「そうだね。お世話になったし、言うこと聞こう?」
というわけで、無駄に長いやり取りの末壁の外を沿っていくことになった。
「食料調達の度に町に侵入……入る予定だからな! そこで楽しめばいいだろ!」
「それでは出発だな」
「リルクさん、ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしていますね」
「お会いできる日をって……即ち戦場なんじゃが……」
「ではな」
「お礼くらいちゃんと言えばいいのに。イヴはせっかち過ぎ」
「……面倒なやり取りをするくらいならさっさと行くぞ」
「ここにも挨拶できない奴がいたわね」
「挨拶は十分じゃからはよう行くがよい」
弱々しく手を振るリルクにユリクスとイヴァンを除く者たちは手を振りかえし、一行は壁を越えるべく飛行した。問題なく国を出るときょろきょろと辺りを見回す。着地した地点とその周辺に人影はない。ティアを除いて皆なんとなく気配でわかっていたが、念の為確認は必要だ。とはいえ気配で確信していたユリクスだけは確認することなく馬車を取り出した。それをメラに取り付けて全員で乗り込む。さぁ出発だ。
御者台にはユリクスが座り、他の者たちは荷台に乗っている。整備された道ではないためいつもより大きな揺れはあるものの、誰も気にせず寛いでいる。だらだらしながら繰り広げられる話題はベングルでの思い出について。
「ベングルも趣のある楽しい町でしたね」
「そうね。もっと満喫したかったわ」
大人の女性二人は和やかに町での日々を振り返っている。余程ショッピングが楽しかったらしい。しかしユリクスを除く他の四人は少々渋面になった。
「こいつらは暢気なものだな……」
「俺たちゃ死にかけた思い出が強ぇからな……」
「この二人は戦ってないもんね……」
「ボクも精神的にすごい疲れたっス……」
馬車には温度差の激しい空気が漂っている。とはいえそれは荷台だけだ。何故ならユリクスだけは話に加わっていないから。というより……加われなかった。
――ざわり。
昨日からユリクスを蝕む胸騒ぎ。鳥肌が立ちそうなほどの不快感。馬車に乗っていてもとてもじゃないがゆったり寛ぐことなどできない。ひどく気持ちが悪い。
つんつんと突然背中を突かれた。反射的に一瞬体が硬直する。振り返ると仲間たちが不思議そうにこちらを見ていた。ティアが最も近くにいるので突いてきたのはティアだろう。小さく首を傾げている。
「兄さん?」
「……なんだ」
「えっと、町はどうだったのか聞いたんだけど……」
「珍しいっスね。兄貴が注意散漫になってるなんて」
「そうね。ぼーっとしてるように見えて何にでも反応するものね」
「なんか心配事でもあんのか?」
「……いや」
意識せずとも周囲に注意を向ける癖はついている。なのにそれが崩されていた。そのことに気づかされて、更にユリクスは覚えている胸騒ぎを不気味に感じる。とにかくこの状態はいただけない。仲間たちに気づかれないように小さく息を吐いて感覚を普段通りに戻した。
「……町についてはどうも思っていない」
「兄貴らしい回答っス」
ユリクスは何事もなかったかのように先程されたらしい質問に答える。仲間たちはユリクスの態度を特に気にした様子もなくその回答に呆れたように笑った。ユリクスは正面に向き直る。背後から再び仲間たちが和気藹々と話している声が聞こえてくる。それも含めて周囲に意識を向けた。やはりおかしい。気をつけていないとまた全ての意識を胸騒ぎに持っていかれてしまいそうだ。
出発してからどれだけの時間が経ったのだろうか。それすらわからず、ただひたすら胸騒ぎを感じ続ける。そして、それは唐突に訪れた。
「ッ!!」
一瞬で背筋が凍った。筋肉が硬直し、頭痛がするほど脳内で警鐘が鳴る。心臓が直接掴まれたような感覚。呼吸すら縛り付けられたかのよう。ユリクスは小さく舌打ちした。支配されそうになる体を無理矢理覚醒させて自身の意思に繋ぎ止める。呼吸をなんとか整えて周囲の状況を把握するために集中した。
背後では未だ仲間たちが談笑を続けている。ほんの少しだけ顔を向けて見てみればやはり誰一人として何も感じ取っていないようだ。ここまで強い感覚を、誰も。
自由を奪おうとするこの圧力。空間が切り離されたかのような異常性。この感覚、この状況を、知っている。一度だけ経験した。それを引き起こした者は――。
ユリクスは馬車から飛び降りた。驚いたメラが足を止める。同じく驚いた仲間たちからの視線が集まった。
「え、どうしたんスか?」
「……お前たちは町に戻れ」
「え?」
「……いいから、戻れ。絶対についてくるな」
「兄さん、一体どうし――兄さん!?」
ユリクスは走り出した。森に入り、とにかく奥へ。自身だけに向けられたものなのであれば自身が離れれば仲間たちに危険はないだろう。反対に、自身の存在が近くにあれば仲間たちに危険が及ぶ。それだけはだめだ。奴に会わせてはだめだ。遭遇してしまえば、確実に殺される。そう確信させられる感覚を叩きつけられた。
ただただ走り続ければ前方からとある気配が誘ってくる。いや、気配というには生優しい。これは圧力の塊だ。けれどユリクスは躊躇うことなくそちらへ向かう。すると。
「待って!!」
「っ!」
後ろから息を切らして仲間たちがついてきていた。また他のことに意識が向いていなかった。気づけなかったユリクスは舌打ちして足を止める。素早く振り返った。そして仲間たちに向けて軽い圧を放つ。仲間たちがびくりと体を硬直させて立ち止まった。
「……兄さん……?」
「……ついてくるなと言ったはずだ」
「ねぇ、どうしたのよユリィ……?」
「……いいから、早く戻れ」
「でも、なんか感じ取ったんスよね……? それなのにボクらだけ戻るなんて……」
「……いいから早くもど――ッ!」
「「「ッ!!」」」
ユリクスの背後から波のように重圧がこの場に流れ込んだ。それはユリクスだけでなく仲間たちをも襲った。仲間たちの顔が青ざめ、小さく震えだす。呼吸も満足にできない様子だ。ユリクスは再び舌打ちした。
「……わかっただろう。戻れ。たとえこの先についてこようとも……俺はお前たちを守ってやれない」
「……ぁ……で、も……」
「……行け」
絞り出したようなライトの言葉を聞かず、ユリクスは命令した。威圧感にひゅっ、と息を呑んだ仲間たち。きっとこれ以上は進めないだろう。今ここで怖い思いをしてしまったとしても、結果的についてこられないならそれでいい。その方がいい。
ユリクスは固まってしまった仲間たちを置いて再び走り出した。奴の元へと。自らが殺すべき相手の元へと。
走れば走るほど圧は強くなっていく。しかし自身を拒むものではないことには気づいていた。寧ろ誘われているような感覚だ。その誘いに応じる形になるのは癪に障るが、ここで無視するわけにもいかないだろう。する気もない。必ず殺すべき相手なのだから。
後ろから誰もついてきていないことを確認しながら走り続ければ森を抜けた。光を遮る木々がなくなり、視界全体が明るくなる。辿り着いたのは川辺だ。なかなかの広さがある。しかしユリクスは変化した景色など一切気にしていない。気にしているのは、意識を向けているのは、正面のみ。正面の対岸。そこに奴はいた。
「軽い挨拶程度とはいえ、私の圧を前にただ一人怯まずここまで来たことは称賛しようではないか」
「……俺だけ来るように仕向けておいてよく言う……」
人間離れした美を持つ青年。冷え冷えとした表情がより一層その美を際立たせている。忘れようもない。この、美しすぎる化け物は。
青年は悠然と一歩を踏み出した。川があるにも関わらずこちらへと歩み寄ってくる。川へと辿り着いた青年は、驚くことに川の上を歩いてきた。足元に魔力を感じることから魔法を使っていることは確かだろう。風魔法か、水魔法か。それはわからないが、どちらにせよこのようなことを平然とやってのける青年のその実力は疑いようもない。
川を渡りきった青年が足を止めた。先程よりも縮まったが、まだ十分に距離はある。それでも警戒は怠らない。この青年を前に、きっとこの距離など無いに等しいだろうから。全力で警戒しながらも臆さないユリクスは口を開いた。
「……お前が〝あの方〟、アウシディスか?」
「左様。再会を楽しみにしていたぞ、〝異端の獣〟。とはいえ、其方の位置は把握できる故いつでも会えたのだがな」
「……位置を、把握?」
「気づいておらずとも当然であろうな。たった一つの宝玉、それも中途半端に覚醒させただけの状態ではな。宝玉同士が惹かれ合う感覚を理解できずとも仕方なかろう」
なるほど、とユリクスは理解した。今まで何度も何かに惹かれるような感覚があった。ぼんやりしていたそれは宝玉が奴の位置を把握しようとする感覚だったのだと。位置を把握する目的だったとはいえ、こんな奴に惹かれているような感覚だったと思うと気持ち悪い。ユリクスはそういう意味でぞっとした。というより、もしやこいつが一番のストーカーなのでは? 再びぞっとした。
無表情の中にその思いを隠してユリクスは口を開く。
「……つまり、やはりお前が残りの宝玉を持っているということか」
アウシディスは冷酷に口元を釣り上げる。それが答えだろう。
「残り一つが見つからずもどかしい思いをしたものだ。何せ覚醒していない宝玉の位置はわからぬからな。だが、まさかただの人間が十年もその身に宿し続けていたとは。流石に驚いたものであったぞ」
「……ただの人間?」
「おやおや、よもや私を其方と同じ人間だと思っておったのか?」
「……お前は人間ではないと?」
「当然であろう。私を人間風情と間違えるとは不敬にも程があるぞ?」
「……なら、お前は一体何だ?」
問いを聞いたアウシディスの琥珀の双眸が深みを増した。この先の答えをユリクスは悟る。アウシディスの艷やかな唇が優艶に動いた。
「私は〝神〟である」
堂々と言い放たれた言葉。それに嘘はないだろう。己の内にあるものがそれを肯定している。ユリクスは視線を更に鋭くした。
「……神、か。俺は俺の中にある宝玉が神であることを知っている。他の六つの宝玉も同じだろうが……その内の一つが開放されたのか? お前は何の一族の神だ?」
今までのことを思い返せばその問いの答えは想像がついていた。
「どの一族でもない」
「……」
「私は七柱の神と敵対するもの。故に、宝玉を野放しにしておいて万が一にも他の神が復活することなど許さぬ」
「……それが、お前が宝玉を集める理由か」
「復活を防ぐこともそうだが、同時に他の神の力を得ることができるというのは実に愉快だ。奴らの悔しそうな姿が目に浮かぶ。加えて、奴らがかつて人間のために行ったことを私に模倣されたことに至っては悔し泣いているであろうな」
「……模倣?」
アウシディスは笑みを深めた。とても邪悪な笑みだ。
「神核を創ったことだ」
「……」
「多大な力を使ってまで人間などのために神核を創り出すなど、当時はなんと馬鹿らしい行為をしているものだと思ったが……だが創ってみれば実に役に立つものだ。何せ、多くの人間の意思を掌中に収めることが可能となったのだからな」
「……意思、だと?」
「あの日はなかなか面白い余興であった。人間たちは〝決別の日〟と呼んでいるらしいな?」
「っ!」
アウシディスが黒幕であることは知っていた。だがまさか人間の意思を支配して起こしたとでも言うのだろうか。……いや、神であるのならば可能なのかもしれない。
「……お前の創る神核の魔法は意思の支配か?」
「私は〝死〟の神である。故に正確には〝死の支配〟だ」
「……死の支配……? だがお前が支配したのは生きた人間だろう」
「そうさな。私が支配したのは死体ではない。支配したのは、神への信仰心の死だ」
「……信仰心の……死……?」
ユリクスには言葉の意味を理解することができない。しかし今何もわからないままではいけないとユリクスもわかっている。面倒などとは言っていられないのだ。そもそも、この神を前に気を抜くことなどできはしない。
アウシディスは悠々と話を続けた。
「当時の……今となっては遥か昔か。その頃の人間共は奴らへの信仰心を強く抱いていた。しかし現代はどうだ? 今の人間共に神、及び神から力を授かった神人族と呼ばれる者たちへ信仰心を抱く者は少ない。それどころか負の感情を抱く始末だ。信仰心の一切が消え、恐怖や恨みを持つ者たちへ神核を授けてやれば簡単に支配できた」
「……なるほどな。支配したからこそ、お前の指示の元動いた。どうりで各国で同時に殺戮が始まったわけだ」
これが〝決別の日〟の真実。人間族が抱く神人族への負の感情を利用した一柱の神の支配。
アウシディスが肩をすくめた。
「あの日で全ての宝玉を集める予定であったというのに、計画が崩れたのは遺憾であった。加えてここ最近、其方の宝玉を完全に覚醒させる計画も順調ではなかったが、それくらいは妥協するとしよう」
「……覚醒させる計画? 一体何のことだ?」
「なに、少しばかり力を入れて魔獣を作ってみただけのことよ」
「……魔獣を……作った……?」
「さて、もう話はよかろう」
アウシディスの纏う雰囲気が一層邪悪なものへと変わる。そして雰囲気だけでなく、実際に漏れ出ている魔力も魔獣のように歪んでいた。咄嗟にユリクスは黒刀を顕現する。
「宝玉を持ってきてくれた礼に多くを教えてやったが、もうこれ以上はよかろう。そも、其方は知ったところで関係がないのだからな」
その言葉でユリクスは理解する。奴は自分を殺す気なのだと。サダン王国で戦う予定であったが、どうやらここで決着がつくらしい。どうせ戦う相手なのだ、場所が変わろうがどうでもいい。ユリクスはいつもの構えをとった。
相手の出方を見ていれば、アウシディスの背後にある川に変化が現れた。そこかしこで水が浮いていく。数多の水玉が川の上を埋め尽くした。
(……来る)
水玉が一斉にユリクスへ迫った。高速で襲い来る水は矢のような姿へと変わり、命を奪う弾幕と化す。
ユリクスは前方に壁を作るように紫電を放出した。次々と発射される水の矢を相殺し続け、視界が悪くなっていく。相手の姿が隠れたその時。
「っ!」
危険を察知。咄嗟に頭を横へずらした。すると自身の頭があった位置を何かが高速で通り過ぎていった。弾幕が収まったため背後を見てみれば、木に王笏が突き刺さっている。
「おや、視覚に頼らず避けるとは。褒めてやろう」
自身が優位であることを疑っていない物言いだが、実際それが許されるほどの実力を有していることくらいユリクスにはわかっている。
王笏がひとりでに動き出し、アウシディスの元へと戻っていった。それを手にしたアウシディスの姿は王と呼ぶに相応しく厳然としている。しかしそれでもユリクスは怯まない。身体強化と雷魔法を施してアウシディスへと急迫する。黒刀で斬りつければ王笏と差し交わされた。全力で力を入れて弾こうとするが、王笏は微動だにしない。そこでユリクスは惜しむことなく宝玉の力を解放した。片目が琥珀へと変わったことを自覚する。
アウシディスがつまらなそうにわざとらしく溜め息をついた。
「やはり覚醒しきっていない宝玉の力などこの程度か」
「っ……!」
膂力、身体強化、魔法、そして宝玉。それらを使っていたにも関わらず簡単に黒刀が弾き返された。ユリクスは素早く後退する。そして間髪を容れず複数の《雷槍》を展開。発射した。正面、頭上、斜交いから攻める。
「児戯だな」
言葉と同時に、直撃しようとしていた雷槍の全てが一瞬で凍りついた。氷槍と化した槍たちは高い音を立てて砕け散る。その直後、足元から熱。ユリクスを囲むように炎の輪ができていた。咄嗟に網目のない《登龍の絶壁》を自身の足場に水平に展開。しかし。
「っ! ぐっ……!」
立ち昇った火柱が《登龍の絶壁》を穿ちユリクスへ届いた。強力な防壁のおかげで火力を弱めることはできたが、それでも炎はユリクスに火傷を負わせた。急いで退避したユリクス。重傷は免れたが……。
「ほれ、ちょこまかと動くでない」
「ッ……! ぐ……ぅ……!」
突如足に激痛。下を見ればいつの間にか自身の足に王笏が突き刺さっていた。それは再びひとりでに動き出しユリクスの足から乱暴に引き抜かれる。傷を塞ぐものがなくなり流血が止まらない。
「汚らわしい血で汚れてしまったな」
自身の元へと戻った王笏を見てアウシディスは言った。ユリクスを明らかに馬鹿にする声音で。ユリクスはそれに心を乱されることなくアウシディスを鋭く見据える。
「……自業自得だな」
「ほう、強がるか。早く諦めてしまえば楽になれるというのに」
「……そんなわけ……あるか……!」
痛みを感じながらもユリクスは魔法を発動。本来かなりの集中力を必要とする《雷龍支配の監獄》を宝玉の力で瞬時に展開。内部にいるアウシディスへと電流を流した。アウシディスの体が焼かれていく。だがアウシディスの表情から余裕が崩れない。訝しんでいると強風が発生し内側から紫電の檻が破壊された。アウシディスが負っていた火傷が一瞬で消える。
「なかなか面白い魔法ではあるが、この程度の威力では私には効かぬよ」
「……回復魔法か……」
「左様」
アウシディスは不死鳥の宝玉も所有している。その回復力は最早人知を超えているかもしれない。いや、人でない時点で目の前の存在そのものが人知の及ぶところではないだろう。ユリクスは敵の強さを目の当たりにして舌打ちした。同時に足元から危険を察知。飛び退ると自身が立っていた場所から大きな氷柱が何本も飛び出してきた。先程から働いている本能的な危険察知能力がなければとうに死んでいるところだ。飛び退ってから地面に着地したところで。
「なっ!?」
自身の両足が地面によって拘束された。ユリクスの足を包み込むように地面が動いたのだ。これには流石にユリクスも驚愕する。この状況ができあがった理由を悟る前にアウシディスがくつくつと笑った。
「あぁ、すまんな。私の変容魔法は地形に及ぶのであった」
「っ……」
変容魔法は身体に影響するのが常識だ。地形を変容させるなど聞いたことがない。動揺しつつも力尽くで脱出しようとするが、突如衝撃が襲った。
「ぐっ……ぁ……!」
全身に激痛。迸った多量の血が視界に映る。体中を切り裂かれていた。風魔法ではあるだろうが全く察知できなかった。速すぎて。痛みで表情を歪めるユリクスは理解していた。遊ばれている、と。至る箇所を切り裂かれているにも関わらず致命傷は一つもない。ただただユリクスを甚振るだけの攻撃。しかしこの先に待つのは確実に死だ。このまま拘束され続けるのはまずい。ユリクスは魔力を多量に使って全力で脱出を試みるが……。
――ぐにゃり。
視界が歪んだ。全身から力が抜けていく。けれど痛みは増していった。
「……なん……だ……」
「なに、先程の風に毒を混ぜておいただけのことよ」
風に毒を混ぜていた? つまり奴は本来不可能な異種の魔法の同時発動が可能ということだろうか。人間の不可能を可能にする存在。そして底が知れぬ力を持つ存在。これが、人外。
「……ば、けもの……が……」
もう言葉を発することも難しい。黒刀を地に突き立て、立っているのがやっとの状態だ。毒と出血のせいだろう。定まらない視界の中、アウシディスが自身へと歩み寄ってくるのがわかった。抵抗を試みるが体が言うことを聞かない。そして、アウシディスが目の前に立った。髪を掴み上げられる。
「あまりにも弱いな」
「……」
「そんな弱い自分のせいで、これから何人の人間が死ぬのだろうな?」
「っ……」
「その中には其方の仲間も入っておるであろう。其方に加担する者など目障りでしかないからな」
「……やめ……ろ……っ」
「無様だな〝異端の獣〟? さて、自分で覚醒させなければならなくなるのは面倒だが、まぁよかろう。貰うぞ」
アウシディスの手が胸元へと伸びてくる。恐らくこのまま宝玉を抜き取られ、殺されるのだろう。そして、自身の敗北のせいでこれから仲間たちに危険が及ぶ。ユリクスは動かない体を叱咤するが拘束から逃れられない。自身に伸びてくる手を歯噛みしながら見ていた。死をもたらす手がもうすぐ届く。だが――。
『させない!!』
どこからともなく透き通るような声が聞こえてきたかと思うと、激しい落雷が起こった。それを避けるためにアウシディスは飛び退る。そのまま頭上を見上げたアウシディスの表情は不快さを顕にした。
「まだ生き残りがおったのか……」
ユリクスも緩慢に頭上を見上げる。視界が歪みつつも、不思議とはっきりその姿を捉えることができた。
「……仕方あるまい。今日は退くとしよう。上位の眷属は仲間を呼んで煩わしいからな。殺すのは追い追いでよかろう」
そう言い残してアウシディスは風と共に姿を消した。拘束が解かれ、ユリクスはその場で崩れるように座り込む。ユリクスの側まで頭上にいた〝それ〟がゆっくりと降りてきた。〝それ〟の体はくねるように動いているのでわかりにくいが、全長は三メートルほどのようだ。ほんのりと青紫に輝く鱗と引き込まれるような琥珀の双眸が美しい。神秘を感じさせる生き物。そんな生き物から直接頭に響くような清らかな声が聞こえてきた。
『やっとお会いできましたね、ご主人様』
〝それ〟は、紛うことなき〝龍〟であった。
お読みいただきありがとうございます。




