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神との対話

「……はっ……はっ……」


 苦しい。苦しい。苦しい。息が乱れる。脈打つ心臓が痛い。


 重すぎる苦しみをなんとかしたくて胸を押さえて必死に抗う。己の内で急速に溢れ出てきたただ一色の〝怒り〟。いや、溢れ出るなんて生優しいものではない。体と心を内側から呑み込もうとする奔流だ。自身を見失いそうになる。視界が大嫌いな〝赤〟に染まっていく。


「ッ……う、ぁ……『憎い……』」


 うわ言のように言葉が漏れた。自我と〝神の宝玉〟の意思が重なり始めているのがわかる。人間への憎悪が、怨恨が、憤怒が、意識を掻き消そうとする。


 徐々に自身の内から人間性が失われていく。あやふやになっていく。己とはどんな存在であっただろうか。


 ふと、()()()()()()()である人間の気配に意識が向いていく。目の前に立つ苦々しい存在。操られたかのように意思とは関係なく顔が緩慢に持ち上げられる。


「『……憎い……人間が……憎い……』ッ……!」


 抑えきれない憎悪。口から吐き出してもその強さは変わらない。体が目の前の人間に襲い掛かろうとするが、僅かに残った自我がそれを拒む。だが、自我がどんなに抗っても己の内で荒れ狂う憎悪は弱まらず、弱まらないどころか限界を知らないかのように強さを増していく。心が侵食され、支配が進んでいるのがわかる。大嫌いな〝赤〟に染まっていた視界が黒く塗りつぶされていく。僅かに残っていた自我が消滅しようとしている。抗う理由さえわからなくなってきた。


「『人間は……赦さぬ……!』」


 もう、自我は疲れ果てた。


 体は勝手に動く。目の前の光景を他人事のように眺める。自分の体が何をしているのかを認識できない。水の中を揺蕩(たゆた)うような感覚だけが残っている。


 そんな中、一つの叫びが頭に直接響いてきた。




『ユリクス! 今のアンタは独りじゃないはずだ! 過去じゃなく現在(いま)と向き合え! アンタが今度こそ守りたいものはなんだッ!!』




 ――守りたいもの。




 ゆらゆらと定まらずにいた意識に届く。けれど怒りに呑み込まれた意識は重くて、考えることを放棄したくなる。このまま目を瞑って完全に委ねてしまいたい。


 そう、思った時だった。




 ――声が、聞こえた。




 ――兄さん。


 己の全てを受け入れてくれる声。




 ――兄貴。


 己を心から慕ってくれる声。




 ――ユリィ。


 からかいつつも慈愛を向けてくれる声。




 ――ユリクス。


 不器用ながらも寄り添おうとしてくれた声。




 ――ユリィ。


 柱のように揺らがず支えてくれる声。




 ――ユリィさん。


 自身の弱さを嘆きながらも力になろうとしてくれる声。




 一人一人の顔と思い出が過る。それが引き金となって意識が揺さぶられる。揺さぶられて、自身が何者なのか、自身の()()()()()が思い出される。まさか自分が他者の声なんかで揺さぶられるとは。驚きの中に若干の呆れも含ませて、〝ユリクス〟は自身の意識を引き戻した。


 引き戻して最初に思うこと。それは引き戻してくれた仲間たちへの感謝。……ではなく。




 ……相変わらず騒がしいな。




 ユリクスは、ユリクスだった。


 ここで大人しく寝ていたら後から何を言われるかわかったもんじゃない。絶対碌なことを言われない。全力でからかいにくる。それは面倒この上ない。なんとしてでも回避したい。




 ……起きよう。




 ユリクスはとりあえず全方位に向けて紫電を放出した。ただの目覚ましだ。目覚ましはしっかり機能して、ふよふよしていた感覚が定まる。すると、自身は何もない空間にいた。確かな床があるわけでもないのに真っ直ぐその場に立っていると認識できる。ユリクスは辺りを見回した。


 本当に何もない黒に染まった空間。自身の手を見ればそれは視認できるが、自分以外は何も見えない。何かの奥深く、〝深淵〟と呼ぶに相応しい場所かもしれない。これが自分の意識の深いところだとしたら随分不快だな、とユリクスは顔を顰める。はぁ、と溜め息を一つついてから面倒な気持ちを隠すことなく言葉を放った。


「……で、どこにいるんだ?」


 今となっては自分がなんのためにここに来たのかわかっている。故にこの言葉を向けた相手は決まっている。そして、反応があった。周りの空気が厳粛なものに変わる。奴が来たのだろう。相手が誰かわかっていて〝奴〟と思っているユリクスにもちろん恐れはない。恐れどころか面倒くさいから早く終わらせたいとまで思っていたりする。


 目の前に燦然と輝く球体が現れた。大きさは人の頭ほど。あの日、己の怒りに呼応した存在。恐れはないが、油断ならないことはわかる。ユリクスは少しだけ気を引き締めた。球体が瞬く。


『神である我と対話しようなど随分と烏滸(おこ)がましいな、人間』

「……俺の内に入っている奴に言われたくない」


 球体――神が馬鹿らしいというように鼻で笑った。


『お前自身が我を受け入れたのだろう?』

「……若気の至りだった……」

『……』


 ユリクスの軽い返答に神が若干唖然としたように感じた。ユリクス自身も当時を思い出して遠い目をする。


 しばらく沈黙した場だが、また空気が引き締まった。


『お前は我の()()()()()ために来たのだろう? だが、それは我がお前を喰らうということだ。宝玉を手に入れた者は神に等しい力を手に入れるなどと言われているようだが、それはただ我ら神に喰われただけのこと。実に愚か』

「……俺は他の奴らのように愚かなことをするつもりで来たわけじゃない」

『ほう? お前は自分が特別な存在だとでも思っているのか? 大愚(たいぐ)だな』

「……いいや、俺は自分が特別などとは思っていない。ましてや俺が、()()()()()()()()などとは」


 ユリクスは引き締めていた気を緩めた。警戒していた瞳が凪ぐ。そして独白するように話始めた。


「……母さんは、俺は神に愛されたのだと言った。だから強い力を授かったのだと。……だが、違う。当然、お前は俺を愛していないし、俺もお前に愛されているなどとは一切思わない。だから俺もお前に喰われる対象にある」

『そうだな。我は〝憤怒〟の化身。我はお前の怒りを容赦なく喰らう。お前を使って全ての裏切り者たちに裁きを下すために』

「ならそれでいい」

『なに……?』


 ユリクスは普段の口調をやめ、()()()()と答えた。


「お前は俺の怒りを喰らうといい」

『ほう?』

「お前の怒りは尤もだ。そして、俺の怒りとも一致する。〝決別の日〟を起こした奴への憎しみが」


 ユリクスの凪いでいた瞳に怒りが宿る。決して消せぬあの日生まれた怒り。消すつもりのない怒り。


 それを感じ取ったのだろう。目の前の神が楽しそうに笑った気がした。


『ならばお前は我に全てを委ねると?』

「違う」


 きっぱりとした否定に神が不審に思っていることを感じ取る。ふと、先程から少しだけ神の感情を感じ取れるのは自分たちが重なっているからだということに気づいた。今はそんなことどうでもいいが。故にユリクスは続ける。怯むことなく。恐れることなく。対等に。


「俺の怒りはいくらでも喰らえ。そしてお前は人間を憎め。お前の感情などどうでもいい。勝手にしろ。……だが、俺はお前に俺を委ねない」

『……』

「お前が勝手に俺の怒りを喰らうなら、俺は勝手にお前の力を利用する。それだけだ」

『そんなこと、我が許すとでも?』

「知らん。お前が勝手にするなら俺もそうすると言っただけだ。……ただ、俺はお前と違って対価は払ってやる」

『対価だと?』

「そうだ」

『聞いてやろう』


 ユリクスは一拍おいて口を開いた。


「お前は裏切った人間が憎いんだろう? 俺もそうだ」

『なら人間を裁くと?』

「……それでもよかったんだがな」


 ユリクスは今までの経験、思い出、そして感情を振り返るように胸に手を当て視線を下げた。


「……俺は、全ての人間が憎かった。ずっとその感情だけを抱えて生きていくのだと思っていた。……だが、あいつらと共に過ごして、変わった。変えさせられた。確かに、十年前のあの日に植え付けられた憎しみは消えない。だがそれでも俺は……」


 神を真っ直ぐに見据える。


「全ての人間を一括りにしないあいつらと同じように生きたい。繋がりのできた人間との縁を大切にする生き方をしたい。あいつらと……同じ景色(せかい)を見てみたい」

『……ならばどうするつもりだ? 我に何を差し出す?』


 ユリクスは決然と頷く。これから話すは神との取引。そして同時に、自分の覚悟を示すことでもある。正直神にどう思われるかなどどうでもいい。けれど自分の覚悟は絶対に曲げたくない。即ち、これから話すは取引であり、それ以上に自分への誓約だ。


 ユリクスは切り出した。


「一つ、誓いを立ててやる」

『誓い?』

「お前と俺の憎しみを生み出した元凶、〝あの方〟とやらを必ず殺す。必ずだ」


 神が見定めるようにこちらを見ているのを感じた。


『……其奴が何者であってもか?』

「……どういうことだ?」

『……まぁよい。ならば殺せ。それを我の力を使う対価として受け取ってやろう。……ただし』


 神の威圧感が高まった。


『我はお前の怒りを喰らい続ける。お前が怒りに身を委ねるなら、我は容赦なくお前自身を喰らってやる。人間を守りたいと言うのであれば、精々我の力を勝手に利用してみせよ』


 球体が眩く光る。ユリクスが目を眇めて見ていると、球体の形に変化が現れた。徐々に大きくなり、やがて大蛇のような姿へと。間違いなく、それは龍であった。威厳あるその姿にもユリクスは怯まず、目を逸らさない。今の自分には決して違えたくない覚悟があるのだから。


『その強き覚悟が続くといいな、人間?』


 光が強すぎて見えないが、龍の口元が釣り上がったような気がした。龍は姿を霧散させようとしている。そんな確信を得たユリクスは最後に問いかけた。


「……一つ聞きたい。お前の言う〝裏切り〟とは何に対する裏切りだ?」

『お前が知る必要のないことだ』


 神は冷然と一言だけ答えると、一際強く輝いた。真っ黒だった辺り一面が真っ白に染まる。先程まで不快感を拭えなかった空間が一変し、居心地良くすら感じられた。それは神に認められたから……とは一切思わないが、今回の件で己の心境には確実に変化があった。それ故の現象なのだと勝手に思っておく。


 大きくなる光に包まれていくことにユリクスは抵抗しない。これで意識の世界から出られることが本能的にわかるからだ。


 薄れゆく意識という感覚の中、ユリクスは最後に呟いた。


「……やっと面倒事が片付いた……」


 ユリクスは最後までユリクスであった。




 ◇◇◇




 眠りから覚めるように意識が浮上して、ゆっくりと瞼を開ける。目の前には見守るような眼差しで己を見下ろしているガルダがいた。ユリクスはぼんやりしたまま溜め息をついた。


「……つかれた」

「おう、お疲れさん」


 自分が何をしていたのか知っているくせに随分軽い挨拶だな、とユリクスは呆れた。とはいえそれがガルダであり、自分も対して変わらない(たち)であることに気づく。はぁ、とまた一つ溜め息をついた。


「……というより、何をしている」

「ん? 何ってなんだよ?」

「……この体勢だ」


 現在、ユリクスの頭はガルダの膝の上に乗っている。所謂(いわゆる)膝枕というものだ。ユリクスの機嫌は降下した。


「おいおい、この冷たい雪の上に頭を乗せるよりマシだろ。アタシの気遣いに感謝しな。身体強化を施しているとはいえ、そこそこ冷たいんだからよ」

「……雪の上のほうがマシだった」

「素直じゃないねぇ」

「……早く解放しろ。頭を押さえるな」

「悔しかったら抜け出してみな」

「……」


 ユリクスはかなり疲弊していた。ここまで疲れを感じたのは久しぶりだ。恐らくガルダはそれに気づいているのだろう。だからこそユリクスの体力ができるだけ早く回復するようにという理由で解放しない。素直じゃないのはどっちだとユリクスは内心でまた溜め息をついた。膝枕から抜け出すのは諦めて、ユリクスはガルダに問いかけた。


「……どれくらい寝ていた?」

「ほんの数分だよ」

「……数分? それだけしか経っていないのか?」

「意識の中では時間の感覚が違ったんだろうね」

「……そうか」


 ガルダが労るようにユリクスの髪を梳いてきた。ユリクスは抵抗できずにそれを受け入れる。


「で、向き合ってみてどうすることにしたんだ? まぁ聞かなくてもなんとなくわかるが」

「……〝神の宝玉〟の力を利用することにした」

「アンタならそうすると思ったよ。その様子じゃ上手くいったんだね?」

「……油断はできないがな。宝玉は神そのものの意思だ」

「やっぱりそうか……。宝玉が神の意思を持っているのなら大人しく力を貸すとは思えないね。呑み込まれないように気をつけろよ」

「……あぁ。……それから、取引をした。力を利用することへの対価だ」

「対価?」


 ユリクスは小さく頷く。


「……奴は〝決別の日〟を起こした者を強く憎んでいる。だからこそ、〝あの方〟とやらを必ず殺すと誓ってやった」

「……なるほどね。恐らくかなりの強敵だぞ? 実に得体が知れない。それでも決めたんだね?」

「……あぁ。俺とてひどく憎んでいる。旅を通してその対象が全ての人間じゃなくなっただけだ。元凶は必ず殺す。取引とは関係なく、俺の意志だ」

「ならアタシは何も言わないよ。力は貸してやる」

「……感謝する」


 素直に礼を伝えると、ガルダは少しだけ目を見張った。そして彼女にしては珍しく優しさを隠さずに微笑んだ。なんだか居た堪れない。


「……そろそろ起きる」

「回復早いねぇ。アタシとしてはもう少し愛弟子を可愛がっていてもよかったんだが」

「……いいから早く解放しろ」

「わかったわかった」


 ガルダに補助されながらユリクスはガルダと共に立ち上がる。服についた雪を払ってからガルダをじっと見た。


「ん? なんだい?」

「……………………怪我はしてないか?」


 ユリクスの小さな呟きにガルダが大きく目を見張った。そして腹を抱えて。


「あっはっはっ!! アンタねぇ! 心配くらい素直にしろよな! なに恥じらってんだよ! ははっ!」

「……うるさい黙れ。笑うな」 


 こんな反応がかえってくることは予想できていたが、実際にされると実にうざい。まぁ自分のせいで危険に晒してしまったことはわかっているので言葉の撤回をするつもりはないが。ユリクスはガルダの爆笑に耐えた。


 暫くして笑いが収まると、ガルダは小さくユリクスに笑んだ。


「心配すんなよ。アンタはちゃんと抗った。だから怪我はしてないさ。アンタはよく頑張ったよ」

「……怪我がないならいい」

「おう」


 ガルダが頭を撫でようとしてきたのでそれは緩く払い落としておいた。予想していたのであろうガルダはくつくつと笑う。


「さて、アンタは無事乗り越えたし、他の奴らも多分大丈夫だろ」

「……そうだな」

「随分信頼してんだな」

「……そう、かもしれない」

「……ほんとに素直じゃないな……」


 呆れた視線を向けられつつ、ユリクスはガルダと共に隠れ里へ向かった。話を聞く限り、ガルダは再び全員の元を回って様子を見にいくらしい。それを聞いたユリクスも一度くらいは他の連中の様子を見てみるかな……なんて思いながら隠れ里に辿り着くと……。


「ライトだけ魔獣と戦いに行ったなんてずるいわよ! ちょっと場所教えなさいよ!」

「さっさと場所を吐け」

「今回ばかりは擁護できねぇよ……。というわけで教えてくれや」

「ライト君、吐けば楽になれますよ?」

「レージェが一番怖いね」

「ガウ……」

「うわぁぁぁん! 助けてぇぇぇ!!」


 なんだかとても近寄りたくない輪が出来上がっていた。あれ? こいつら真剣に修行してたんだよな?


「……おいユリクス、コイツら大丈夫か?」

「……頭の方は手遅れだ」


 事が収まるまで全力で気配を消して火の粉が降りかかるのを回避した二人である。






お読みいただきありがとうございます。

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