リアナの過去、そして未来へ
ガルダと話をした次の日、リアナは一人指定された位置の樹林の中にいた。
地面も、木々も、全てが白く染まった銀世界は実に幻想的で思わず見惚れる。しかしその美しさを語り合える仲間たちは今は側にいない。となると、思考は自然と今は亡き彼の元へ。
(この景色を……彼にも見せてあげたかったわね……)
仲間たちとの旅は楽しくて意識する機会が減っていたために、久しぶりに思いを馳せると鮮明に思い出すこととなった。心から愛した彼との時間を――。
◇◇◇
十三年前――。
(あぁ、またか……)
十三歳のリアナの前には三人の下品な男たちがいた。リアナを壁に追いやり、取り囲むようにしている。
「随分可愛い嬢ちゃんだな」
「こりゃ将来有望だな」
「今から俺たちと仲良くしとかねぇかい?」
にやにやと下卑た笑みを浮かべながらリアナに声を掛けてくる。
まだ少女である自分一人に対して複数の男たち。傍から見たら絶望的な状況だが、リアナは落ち着いていた。何故ならリアナは――。
(……あと一歩でも近づいたら全員まとめて急所蹴り上げてやるわ)
――実に強かった。あまりにもこういった状況が多過ぎて、この歳で既に大の男と渡り合えるくらいには強かった。
だから今回も自力でなんとかしようと思っていたのだが……。
「こっちです! こっちで女の子が絡まれてて!!」
どこからか人を呼んでいる声が聞こえてきた。
「げっ、やべぇずらかるぞ!」
その声を聞いた男たちは小物感たっぷりに急いで逃げていった。一連の出来事にぽかんとしていると。
「大丈夫かい?」
リアナよりも少し年上くらいの少年がひょっこりと現れた。整った顔にあどけなさのある少年だ。
「あんたが人を呼んでくれたの?」
「実は呼んでないんだよね」
「え?」
少年は自身の頬を人差し指で掻くと、はにかみながら笑った。
「人を呼ぶ時間もなかったし、俺自身腕っ節には自信がないから嘘をつくしかなかったんだよ」
てへへと笑う少年に、リアナは脱力して笑んだ。
「そうだったの。助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。とはいえ君に助けはいらなかったのかもしれないけどね」
「あら、どうして?」
「だって君、強いんだろう? 噂になってるよ」
「知ってたのに助けたの?」
「知ってたけど、放っておけなかったのさ」
お人好し、とも言うのだろうが、リアナにはその少年の優しさと強さが眩しく映った。
絡まれることが多く、男には良い思い出がないため極力関わりたくないと思っている自分が初めて強く興味をひかれた男性だった。気づけば自然と言葉を発していた。
「あたし、リアナっていうの。あんたは?」
「俺はレイシアだよ。よろしくね、リアナ」
「よろしく、レイシア」
これが、リアナとレイシアの出逢いだった。
それから毎日のように会い、急速に距離を縮めた二人が恋仲になるのは早かった。
共に過ごす幸せな日々が続き、三年が経った。リアナは十六歳、レイシアは十八歳になる。
(あぁ、またか……)
今日もリアナはレイシアとデートをする予定だったのだが、その待ち合わせ中のこと。
「美人なねぇちゃんだなぁ」
「これから俺たちとイイことしに行かねぇかい?」
二人の男に絡まれていた。いつものこと過ぎてリアナの目は虚無だった。今回も適当に撃退してやろうと思ったその時。
「こっちです! こっちで女性が絡まれてて!!」
どこからか人を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえてきた。
「げっ、やべぇずらかるぞ!」
男二人がその声を聞いて小物感たっぷりに急いで逃げていく。リアナは男二人を見送った後、はぁ、と一つ溜め息をついて言った。
「いい加減その手は通用しなくなるわよ、レイシア」
「だって俺腕っ節に自信ないし」
にこにこと人好きする笑みを浮かべながら現れたのはレイシアだ。
顔はいいのにもやしっ子のようなことを言うレイシア。リアナは思わず笑ってしまう。まぁだが、彼の芯が強いことは知っているので嫌いにはならない。寧ろ、普段飄々としているのに魔獣討伐などここぞという時にはその心の強さを発揮する彼のことをリアナは心から愛していた。
そっとレイシアの手を取る。
「行きましょう」
「あぁ」
今日も楽しいデートの始まりだ。
物腰柔らかなレイシアがリアナの買い物に付き合い、一緒に食事をして、景色を楽しみながら手を繋いで歩く。三年前からほとんど変わらない過ごし方。このゆったりとした平和な時間がリアナは好きで仕方ない。本当に幸せだった。
しかし、それに亀裂を入れる存在が現れる。
「あー! レイシア君だ!」
「……イリス」
その人物の登場にリアナは顔を歪める。桃色のツインテールが特徴的な同い年の女。イリスは数か月前からレイシアにしつこく絡むようになった。
「あれ? リアナちゃんもいたんだ! 気づかなくってごめんねっ!」
「……あんた、レイシアに何の用?」
「イリス、レイシア君と仲良くなりたいなーって!」
そう言うと、イリスはレイシアの腕に抱き着いた。リアナの中で不快感が生まれる。
しかしレイシアがそっとその腕を外させたことで不快感は少しだけ収まった。
「イリス、君、恋人がいたんじゃなかったかい? その人がいるのにだめだろう」
レイシアからの指摘にきょとんとした様子を見せたイリスは、何でもないようにまたきゃぴきゃぴと笑った。
「恋人なんていないよー? みんながイリスのこと好きなだけっ。イリスが好きなのはレイシア君だよっ!」
堂々とリアナの前でレイシアへの気持ちを吐くイリスにまた不快感が生まれるリアナ。しかしふと、そんなリアナを宥めるように繋いでいた手に力が込められた。
「悪いけど、俺が好きなのはリアナだから。君に気持ちが動くことはないよ」
「レイシア……」
らしくもなく顔が火照るのを感じるリアナ。
反対にイリスはひどく動揺したようだった。
「な、なんでなんでっ!? イリスはどんな男たちよりもレイシア君のことが好きだよ? レイシア君もイリスのこと好きでしょう? なんでリアナちゃんなのっ?」
レイシアがリアナでもあまり見たことがないくらいに真剣な面持ちになって、イリスを見下ろした。
「イリス、君がたくさんの男性に言い寄っているのは知っている。そして好きになってくれた男性を蔑ろにしていることも。……相手を大切にできない君を、俺が好きになることはないよ」
「え……」
厳しい口調で言い放たれた言葉。イリスの価値観、色欲に塗れたイリスの在り方に対しての明確な拒絶。思いやりの気持ちが強いレイシアにしては珍しい言葉と声音だった。
「行こう、リアナ」
「え、えぇ」
手を引かれて歩き出す。レイシアの強い一面を見られたことで、リアナはレイシアに惚れ直したことを自覚した。俯いていると顔に影が掛かった。顔を上げるとレイシアがリアナの顔を覗き込んでいる。
「あれ、リアナ顔赤いね。どうしたの?」
「……気にしないでちょうだい」
そう返すと、レイシアがくすりと笑った。
「厳しいと思われがちだけど、でも俺は、人を心から案じることのできる君が好きだよ」
「っ」
直球過ぎる愛の言葉にリアナの心臓がどくんと強く脈を打つ。
「はは、もっと赤くなったね」
「……あんたね、覚えておきなさいよ」
「えー、何されるんだろ。怖いなぁ」
歩き慣れた道を手を繋いだまま歩く。イリスのことは正直不愉快だが、レイシアと一緒ならばきっと幸せな日々を送っていける。リアナはそう確信していた。
……だが、それからたった数日後のことだった。
放たれる炎。燃やされる家々。人々の悲鳴。鼻を刺す血の臭い。
まさに地獄絵図だった。
「リアナ! こっちだ!」
レイシアに手を引かれて町を駆ける。身体強化を施して、ただこの地獄から脱するために走った。
途中で何度も人の死を見ながら、それでも生き延びるために走り続けて、そして。
漸く町外れに辿り着いた。
「ここまで来れば大丈夫かな……」
「そうね……」
なんとか二人で逃げのびたものの、たくさんの一族の仲間たちが犠牲になった光景を見てしまったためにリアナの中で激情が渦巻く。悲しみ、怒り、そして困惑。
人間族たちの突然の殺戮に心が追い付かない。ただそれでも、愛する彼が居てくれることが心強くてリアナは、油断した。
「リアナッ!」
隣にいたレイシアが突如リアナを自らの後ろに隠した。突然のことに何の反応もできなかったリアナの耳が拾ったのは何かが刺さる音。そして目に映ったのは、レイシアの体から流れていく多量の血。
それらを脳が認識した時、レイシアは後ろに崩れ落ちた。
「レイシアッ!」
咄嗟にレイシアの体を抱きとめる。レイシアの体には三本の矢が刺さっていた。太腿と、腹と、そして胸。心臓部からはずれていても、明らかに致命傷だった。強靭な神人族であっても助かるまい。
「そんな……どうして……レイシア……っ!」
毒を操る自分には手の施しようがない。流れる血は全く止まらずリアナは焦る。そんなリアナの正面から現れたのは。
「きゃはは! レイシア君が庇うと思ったイリスの予感的中っ!」
「ッ!」
イリスだった。神器と思われる弓を持っている。
イリスがレイシアを射貫いたのは明白。にもかかわらず、人を射貫いたというのにいつもと様子が変わらないのは異常だった。
イリスがわざとらしく片方の頬を膨らませる。
「レイシア君がいけないんだよぉ? イリスのこと愛してくれないから。だから死んじゃうんだからね?」
「……愛してくれないから……? そんな理由で、レイシアを射貫いたの……?」
「それに、この間のちょぉっとイラっとしたんだよねぇ。イリスのこと否定するなんてさ。男なんだから黙ってイリスのこと愛してくれたらそれでいいのにっ」
「ッ! あんたはなんでそんなにも……っ!」
「あはっ、あははははっ!」
リアナの言葉を遮るようにイリスが笑い出す。その不気味さにリアナは口を噤んだ。
「リアナちゃんのその表情最高だよぉ! その絶望した顔! すっごく見たかったの! リアナちゃんもいつもイリスにひどいこと言うから痛い目みてほしかったんだよねっ!」
イリスの狂気に満ちた言葉と笑い声にリアナは何も言うことができない。ただ暗い情念が己の中で荒れ狂い、視界を狭めていく。体の感覚が希薄になっていく。
「それじゃあ、イリスは〝神の六使徒〟としてやることがあるから行くね! 特別に逃してあげるから、精々自責の念に駆られながら生きてよ! それじゃあまたねリアナちゃんっ!」
リアナに背を向けると、イリスは弾むように歩き去っていった。その様子を呆然とリアナは見送る。
「……り、あな……」
「っ、レイシアっ!」
腕の中から聞こえてきたか細い声にリアナの意識は戻ってくる。リアナの頬に手を伸ばしてきたレイシアはもう虫の息だった。レイシアの死が近いことを感じ取って、リアナの頬を涙が伝う。
「レイシア……ごめんなさいっ……あたしが油断しなければ、こんなことには……っ」
レイシアがリアナの涙を震える手で優しく拭って、微笑んだ。
「……君が……謝ることは、何も……ないさ……」
「レイシア……」
「……でも……それでも申し訳ないと……君が君自身を許せないというのなら……ひとつ、約束……してくれるかい……?」
リアナは頬を撫でるレイシアの手を自身の手で包んで支えた。
「えぇ、なんでも言ってちょうだい……」
レイシアは笑みを崩さぬまま言った。
「……どうか、君の持つ……慈愛の心を、忘れないで……。憎しみだけに……囚われないで……君の……人を案じる優しさを……愛する、心を……どうか……」
正直、頷きたくない。約束を守れる自信がない。イリスを憎まないでいられるとは思えない。……けれど、レイシアとの最後の約束を守りたい。
リアナは力を振り絞って頷いた。
それを見届けたレイシアは優しく笑って、そして、息絶えた。
◇◇◇
十年経った今でも、レイシアの最期に交わした約束は鮮明に覚えている。だが、リアナにとってそれは酷な約束だった。
心から愛したレイシアを殺されて、憎しみに囚われないなんてできるはずがなく、愛する者を奪われる痛みをもう経験したくなくて再び人を愛することもできない。
愛する彼との最後の約束を全く守れていない。そんな自分に嫌気が差す。
「随分浮かない顔してるねぇ」
「っ……ガルダさん……」
弾かれたように振り返るとすぐ近くにガルダがいた。
ガルダの接近に気づくことができなかったことを猛省する。十年前もその油断でレイシアを死に追いやったというのに。
「一体何を思い出していたんだい?」
「……恋人との思い出よ。〝決別の日〟に殺された」
「そうかい。で、アンタは愛に怯えちまったわけだ」
「何故そう思うの?」
「わかるさ、顔を見ればね。それに、アンタはユリクスたちとの距離も測りかねてるようだから余計にな」
「……なんでもお見通しなのね」
リアナはガルダから顔を逸らす。
そう、リアナはユリクスたちとの距離を測りかねていた。それは精神的な距離だ。
仲間であるユリクスたちはリアナにとってもう特別……になりかけている。だが、これ以上大切な人たちにはしたくないと、特別な思いを抱かないようにしていた。何故なら、大切になればなるほど、それは同時に失う恐怖も大きくなることを意味しているから。
その考えを見透かしたかのようにガルダがふっと笑う。
「もう手遅れさ」
「何が手遅れなのかしら?」
「アンタは誰よりも人を愛する心を持ってる。どんなに大切にしたくなくとも、そうならないように意識している時点で、アンタの中でユリクスたちは十分愛する仲間たちなのさ」
「そんなことは……。それに、あたしはそんなに愛に満ちた人間じゃないわ」
「そうかい? なら今までに、アンタの愛を評価し、肯定してくれた人間はいなかったのかい?」
「っ」
――俺は、人を心から案じることのできる君が好きだよ。
レイシアの言葉が脳裏を過る。
――どうか、君の持つ……慈愛の心を、忘れないで……。
己の、人を愛する心を好いてくれた彼の言葉が甦る。
「なんだ、やっぱりいるんじゃないか」
「……」
「なら、アンタはアンタの愛を否定するんじゃないよ。それは己だけじゃなく、肯定してくれたソイツまで否定することになるからね」
ガルダはそう言うと踵を返して去っていった。
それを見送ったリアナは胸に手を当てて呟く。
「……人を、愛する、慈愛の心……」
己の愛する者は一体誰だ? ……レイシアを心から愛している。だから愛する彼を殺された憎しみが消えない。
ならば憎しみに身を委ねるか? ……いいや、視野を広げろ。憎しみに囚われて、今愛している者たちのことを見ないようにしていないか?
……している。今、ユリクスたちを一人でも失ったら、きっと己はひどく傷つく。何故ならば、もう既に愛しているから。見ないようにしていても、ガルダの言う通りもう手遅れなのだ。
これは恋愛感情ではない。これは友愛や家族愛のようなものだろう。けれど恋愛も友愛も家族愛も優劣はない。愛に、優劣はないのだ。
確かにレイシアを殺したイリスが憎い。この憎しみは消えない。けれど、〝あの方〟や〝神の六使徒〟たちが仲間たちを害そうとしているのならば、自分は仲間たちを守りたい。愛しているから。
憎しみのためだけに戦うんじゃない、愛する仲間たちのために強くなるんだ。
リアナは仲間たちへの〝愛〟を魔力に変えた。
辺りを膨大な魔力が立ち込める。
「そうよ、もっと、あたしは強くなるの」
――今は亡きレイシアのために。今を生きる仲間たちのために!
「もう二度と、愛する人たちを奪わせはしない……!」
リアナの大切な人を思う慈愛の心に、アメジストの神核は光を灯した。
お読みいただきありがとうございます。




