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傷ついて

 現在、一行は小さな湖の(ほとり)にいた。ユリクスを除く三人と一匹の意識は未だ戻っておらず、テントの中で眠っている。備蓄していたティアの涙を使用したことで、ユリクス、ライト、レージェの傷は大分癒えた。一番重傷だったユリクスが、最も意識が戻るのが早かったのは流石というべきか。


 戦いの後、ティアの涙で手当てを施してからリアナがティアを、イヴァンがレージェを背負い、リューズがユリクス、ライト、メラを担いで荒野を歩いた。休憩をしばしば挟みながら数時間歩くと、森に辿り着いた。身を隠すように森に入って歩いていると、小さな湖を発見したのである。


 湖同様湖畔も小さいがテントを張るには十分だった。一時ここを拠点に休憩しようと決め、リアナたちは腰を据えたのだ。


 湖には反対側へ続く、欄干のある反り橋が架かっている。どうやら少しだけ人の手が入っていたことがあるようだ。だが湖も橋も周辺も綺麗とは言い難いので、今ではもう管理されていないのだろう。


 湖畔に辿り着いてすぐに目を覚ましたユリクスは、三人と言葉を交わすことなくふらふらと移動した。今は反り橋の上で一人、欄干に寄りかかって湖の中を眺めている。


 湖に映っているのは己の顔だ。本来瑠璃色であるはずの瞳が黒ずんで見える。表情もいつもの無表情を通り越して空虚なものだった。汚れた水に映る自身の顔をじっと見つめ続けている。すぐ横に気配が近づいてきていても、吸い込まれたように目を離さない。


「自分を責めているのか」


 イヴァンが欄干を背もたれにしてユリクスの横に並ぶ。


 イヴァンの問い掛けにユリクスは反応を示さない。


「俺は貴様がどうしてぼろ雑巾のようにされたのかは知らんが、それでも最後、俺たちを守った。それで十分ではないのか」


 時間が経ち吹き飛ばされた雲が戻ってきたのか、戦いの前よりも曇った空を眺めながらイヴァンはぽつりと言った。その声音にはわかりにくいが、気遣いが宿っている。イヴァンは顔を鷹揚(おうよう)にユリクスへ向けた。ユリクス同様不器用なイヴァンなりに、まるでユリクスの傷に薬を塗るように、ゆっくりと話しかける。


「貴様にとって、己を許せないこととはなんだ? 一体何に、苦しめられている?」

「……」


 その問い掛けで、初めてユリクスは表情を動かした。苦しげに、眉間に皺を寄せる。


「……俺は、あの子を裏切った。酷く、傷つけた」

「……」


 イヴァンにはユリクスとシオンの間でどのようなやり取りがあったのかわからない。だが、口を挟まずにユリクスの次の言葉を待った。


「……あの子は、俺をずっと待っていたと言っていた。俺もずっと、会いたかった。……だが思い返してみれば、十年間で俺がしてきたことは、己を鍛えることと、師匠の言いつけに従って依頼をこなしていたことだけだ。……積極的に探していたわけじゃない」

「……」

「……その結果、十年も待たせた。ずっと、心細い思いをさせていた」

「敵の中で、か」

「……あぁ。あの子は〝決別の日〟の被害者だ。にもかかわらず、ずっと〝神の六使徒(ディーオ・アポストロ)〟たちと一緒にいたようだ。どんなに怖かったことか……」

「だが結局、あの者は自ら敵になることを選んだようだぞ」

「……そうさせたのは俺だ」


 ユリクスが欄干の上で拳を握りしめる。


「……正直なところ、生きていると信じきれていなかったんだ。俺の見ていないところで、十年前に死んだんだと、どこかで諦めていた。あの子はずっと待っていたのに」

「客観的に考えれば、あの惨劇の中で生き残っていると考える方が難しいと思うがな」

「……それでも、あの子が俺を信じて待っていたことに変わりはない」


 自身を責め続けるユリクスに、イヴァンは口を噤む。客観的に考えればいくらでもユリクスを擁護できる。しかしそれをユリクス本人が望んでいないことなどわかりきっているのだ。


 ユリクスは湖に映る自身を睨め付けながら吐露し続ける。


「……あの子だけじゃない。俺はティアのことも、裏切った」

「ティアを?」

「……あの子は、自分を思ってくれるなら、ティアを見捨ててみせろと言った。不死鳥の一族は甦るのだからと。あの子の魔法がティアに向かっていく時、俺は一瞬動けなかった。不死鳥の一族は甦るのだから、一度くらい許されるのではないかと……思ってしまった」

「だが貴様はティアを守ったのだろう?」

「……結果的にはな。だがその一瞬の躊躇いで、俺は二人を裏切った」

「貴様にとってあの者も、もちろんティアも大切であることなど話を聞いていてわかる。躊躇いも仕方ないと思うが、貴様はそれでも自分を許せないのだろうな」

「……あぁ」

「なら俺が何を言っても無駄だな」

「……すまない」


 イヴァンは慣れない慰めをしようとしたことが馬鹿らしくなって笑った。だがそれでも、ユリクスから離れようとはしなかった。ただ黙ってそこにいる。


 すると、一つの気配が近づいてきた。


「よう、俺も入れてくれや」


 リューズが煙草を咥えながら歩み寄ってきた。欄干を背もたれにして煙草に火をつけ一服する。


「リューズ、俺にもくれ。あとこいつにも」

「……」

「おう、いいぜ」


 ユリクスとイヴァンが煙草とライターを順に受け取り、火をつけて一服しようとした。しかし。


「「ゴホッ、ゲホッ!」」

「がっはっはっ! 吸ったことねぇのに無理するからだ! 可愛い奴らめ!」

「可愛くないっ!」

「……可愛くない」


 むせながら勢いよく否定するイヴァンと一拍遅れて否定するユリクス。


 慣れない煙草は苦いだけだしむせもする。だが、むせた際に胸の内にあった暗い感情も、少しだけ一緒に吐き出せたようにユリクスは感じた。湖に映る自身から、煙草の先端から漏れていく煙に視線を移す。自然と顔を上げる形になって、ほんの少しだけ、前を向けたような気がした。


「……俺は、まだ間に合うだろうか。……ティアは……あの子は……許してくれるだろうか」


 誰に言うともなくユリクスは煙を見ながら呟いた。その様子を横でイヴァンとリューズが見つめる。


「そんなこと、本人たちに直接聞けばいい」

「……話を聞いてくれるだろうか」

「そんなことは会ってみないとわからないだろう」

「……そうか……そうだな」


 まずは向き合うところから。ユリクスは目を細めた。


 リューズが煙草を口から離して、ははっと小さく笑った。


「ユリィ、お前ぇさんが強くなろうと自分を鍛えたことは間違っちゃいねぇ。それはこれからもだ。俺たちゃ、自分の望みを掴み取るために強くならなきゃならねぇ。それが今回の事でよくわかった。そういうことで、足踏みするのは終わりでいいだろ」

「そうだな。俺たちは前に進まなければならん。そうだろうユリクス」

「……そうだな。前に、進まなくては」


 もう過ぎた出来事は変えられない。それは定められた過去でしかない。変えられるのは未来だけ。ならば、進もう。そして、未来を確実に己の望むものにするために、強くなろう。


 三人は煙草を吸い殻入れに捨て、テントに戻ろうと欄干から体を離す。すると、リアナが歩み寄ってきていた。


「ティアたちが目を覚ましたわ」

「……そうか」


 四人でテントへと戻る。ユリクスの表情は空虚なものではなく、元のただの無表情に戻っていた。


 四人でテントに入る。するとそこには寝ぼけ眼の三人と一匹がいた。


「よく寝たっスー」

「少し体は痛いですけど、睡眠は十分取れたので気分はいいですね」

「あと五分……」

「ガウ」

「メラ、痛い。起きるから踏むのやめて」


 長いこと起きなかったことを心配していたというのに、この様子。主にリアナが呆れて脱力した。


「あんたたち、心配したこっちの身にもなりなさい……」

「すみませんリアナさん。手当てありがとうございます」

「いいのよ」


 起きて早々お腹が空いたとライトが騒ぐので、とりあえず食事を取ることにした。テントの中で干し肉やパンを食べる。


 各々傷を癒すように誰も話さず、穏やかな時間を過ごす。全員で向き合ったのは食事が終わってからとなった。


 最初に切り出したのはユリクスだ。ティアに向き合う。


「……ティア」

「どうしたの、兄さん」

「……すまなかった」


 ティアが首を傾げる。何を謝られているのかわかっていないようだ。


「……俺は、お前を裏切った。お前が死ぬかもしれないとわかっていても、動くのを躊躇った」

「あの時の?」

「……あぁ」


 説明されて合点がいったようだ。だがティアは表情をほころばせている。その表情にユリクスは目を見張った。


「裏切られたなんて思ってないよ。だって、兄さんにとってあの時は大事な選択を迫られていたんでしょう? 全部は話を聞いてなかったけど、なんとなくわかってるよ。それでも私を助けてくれた。とっても嬉しい」

「……」

「まぁ、兄さんにとってはあの子を切り捨てることになったみたいであんまり良いことじゃないんだろうけど……」


 そう言って眉をハの字にするティア。いつもユリクスの機微を察するティアは今回も察していたようだ。その上で、裏切られたとは思っていない、嬉しいと言う。本当に自分には出来過ぎた子だと、ユリクスは俯いた。そしてティアだけでなく、全員に向き合って言った。


「……妹だ」

「「「……」」」

「……シオン・ドラグリア。俺の実の妹だ」


 場が暫く沈黙する。そしてティアが破った。


「そんな気はしてた。だって、あの子が怒ったのって私のせいでしょう? 私が兄さんを〝兄さん〟って呼んだから、怒った」

「……お前は悪くない」

「でも、あれで兄さんが初めて会った時、〝兄さん〟って呼ばれるのを嫌がっていた理由がわかったよ。シオンを傷つけたくなかったんだよね? でも、その思いを私が無下にした」

「……お前が自分を責める必要はない」


 ティアは首を振った。決然と、ユリクスを見つめる。


「責めないし、謝らない。私は兄さんを〝兄さん〟と呼ぶことをやめない。それは今までの兄さんとの全てを、否定することになるから。……それとも兄さんは、否定してほしい?」

「……」


 ユリクスは思い出す。ティアと出会い、そして共に過ごした日々を。全て尊くて、大切な思い出。それを否定したいかどうかなんて、考えるまでもない。


「……今までのことを否定したいかどうかなど、あの時お前を守った時に、もう答えは出ている」

「ふふ、愚問だった?」

「……そうだな」


 ユリクスの答えに、ティアは頬を緩く染めて笑う。それからまた、表情を真剣なものに変えて言った。


「私にも私の、兄さんとの繋がりがある。シオンには、シオンの繋がりがある。シオンと私は似ているようで、違う。だから私、今度会ったらちゃんとシオンと話がしたいの」

「……そうか」


 ティアは強かった。しっかりと自分という存在をわかっている。だからぶれない。その姿がどんなにユリクスの支えになっているか、本人はちゃんとわかっているのだろうか。ユリクスはティアの頭を撫でた。ティアは決然とした表情を崩してそれを甘受する。


「どうやら、ティアの方が余程強かったようだなユリクス?」

「……そうだな。俺もまだまだだ」

「まだまだといえば、ボクらもっスねぇ」


 ライトが頭の後ろで手を組んで天を仰ぐ。


「あの戦いの時、途中から力がみなぎってきて青い炎を使いこなせてたのに、今はもう無理っぽいスもん」

「私も今は氷魔法使えそうにないです」

「そう言えば、二人とあとユリィとティアとメラも淡い光を纏ってたかしらね?」

「ガウー」


 メラがティアを見る。それにつられて他の者もティアを見た。視線を向けられたティアは俯き気味に首を傾げた。


「あの時は無我夢中で……私にも何が起こったのかさっぱり……」

「そういえばティアの姉御、瞳の色戻ってるっスね」

「瞳の色?」


 ティアが自分の目を指さして首を傾げる。


「そういえば、ティアさんの瞳が両方とも琥珀になっていましたね」

「それから……見間違いかもしれないっスけど、最後ボクらを守ってくれた時の兄貴も……琥珀だったような……」

「……俺も?」


 ユリクスとティアが顔を見合わせる。二人共自覚がないので変わっていることなど気づかなかった。


 ただ、ユリクスは少し引っかかっていた。スパイダリアで出会った青年の双眸も琥珀だったこと。ゲオルグが、琥珀の瞳は見たことがないと言っていたこと。考えてもその意味はわからないが。


 リアナがはぁっと息を吐いた。


「考えてもわからないものは仕方ないわ。魔法に関してはこれからも特訓を続けましょう。それから、わかったこともあるわね」


 リアナの言葉に、リューズが真剣な面持ちで続く。


「〝神の六使徒(ディーオ・アポストロ)〟のメンバーか」

「そう。人魚の一族を滅ぼしたゼス・バリアス、鷲獅子の一族のネグル・グリファス、蠍の一族のイリス・スコープの他に――」

「俺の息子を殺した妖狐の一族のロイド・フォクシー」

「兄さんの妹のシオン・ドラグリア」

「あともう一人名前を言っていたかしら?」

「……ジークハルトっス」


 ライトが重々しく答える。


「それってライトが前に言ってた炎虎の一族を率先して滅ぼしたって人?」

「そうっス」

「見事に全員関係があるってわけね……」


 空気が重くなる。


「……強く、ならないと」


 誰もが険しい表情で黙り込む中、ライトが呟いた。


「みんなで強くなるんスよ。〝神の六使徒(ディーオ・アポストロ)〟を……〝あの方〟って奴を止めるんス」


 ライトの言葉に、ユリクス以外が頷く。そしてユリクスは鋭く前を見据えて言った。


「……奴らの元にシオンがいる以上、俺も関わるつもりがないとは言えない」

「兄さん……」

「……それから、師匠に会わなくては」

「師匠っスか?」


 師匠という言葉にライトたちが首を傾げる中、ユリクスは自分の胸に手を当てた。


「……俺の中には、何かがある。それを知らなくては」

「何かって……ユリィ、それ、あんたが倒れる直前の膨大な魔力と関係があるの?」

「……恐らく、ある」

「膨大な魔力って?」


 ティアがリアナに問い掛ける。ライトとレージェも視線で問う。


「そういえばあんたたちは先に倒れたから知らないわね。……ユリィは倒れる直前、尋常じゃない魔力を放出したのよ。人間が持てないであろう、魔法でもないのに可視化するほどの魔力をね」

「魔力を感じたんじゃなく、目で見えたんスか!? 紫電でもなく!?」

「そうよ」


 ティアたち三人が愕然とする。


「……俺のことをよく知っているのは師匠……ガルダだ。俺はガルダを探す。お前たちはどうする」


 ユリクスからの問い掛けを受けて、全員が勝気な笑みを浮かべた。


「もちろん、ついていくよ兄さん」

「強くなるためには兄貴の側にいるのが一番っスからね」

「〝神の六使徒(ディーオ・アポストロ)〟がどこにいるのかもわからないし、ついていくしかないわね」

「寧ろ、ユリィと一緒にいた方が会えそうだしな!」

「ふんっ、会える可能性の高い選択をするだけだ」

「私も、皆さんと共に」


 全員の強い視線を受け取って、ユリクスは頷いた。


「……なら、旅は続行だ。シーガラスに行き、それからまだ行っていない国へ行く。それでいいな」


 六人と一匹は強く頷いた。


「まぁまずユリィたちは傷を完全に癒すこと。それから出発しましょう。ここは人にも見つかりづらそうだし」

「……俺は問題なく動けるが」

「全身大火傷負ってる奴が何言ってんのよ。安静にしてなさい」

「……」


 リアナにきつく言われ、何も言い返せないユリクスに周りの者はくすくすと笑った。


 数日はここで療養。それから一行はシーガラスに向かうことにした。




 ◇◇◇




「シーオンちゃんっ!」

「……イリスさん」


 サダン王国の王城にて、廊下を歩いていたシオンにイリスが後ろから声を掛ける。振り向いたシオンの瞳は光を失い、闇を孕んでいる。


 その瞳を見て、イリスは内心でほくそ笑む。純粋な子が綺麗に、真っ逆さまに堕ちてくれた、と。


「イリス、シオンちゃんがちゃんと仲間になってくれて嬉しいなぁって!」

「そうですか」

「うん! これからよろしくね!」

「はい」


 それだけ言葉を交わすと、シオンは廊下の奥へ向かって歩いていった。それを見送ったイリスは口元に手を当てて可笑しそうに笑う。


「ふふっ、シオンちゃんってば幸運なのかなっ。あれが見つかって、用済みになったからって消される寸前にちゃぁんと仲間になるんだもんっ! 〝神の六使徒(ディーオ・アポストロ)〟が五人になっても面白かったけど、これはこれでありっ!」


 上機嫌に笑いながら、きゃぴきゃぴとシオンとは反対の方角へ歩いていく。もちろん、行き先は敬愛してやまないあの方の元。


「でも、結局のところ、あの方にとってシオンちゃんなんて捨て駒なんだけどねっ! ふふっ!」


 心底楽しそうに、イリスは廊下を跳ねるように歩いていった。






お読みいただきありがとうございます。


次回更新は18日です。

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