幕間 レージェ
レージェ視点です。
「絶対にここから出てはだめよ。いいわねレージェ」
「お母さん……!」
だめ、行かないでお母さん。
物陰に私を押し込んで、お母さんは行ってしまった。行かせてはいけない。死んでしまうから。二度と会えなくなってしまうから。
わかっているのに、私の体は石になったかのように動いてはくれない。
部屋の扉が開いて、誰かが入ってくる。母の切迫した声が聞こえる。それが徐々に呻き声になって、叫び声になって、悲鳴になった。
目が使えない代わりに耳が鮮明に音を拾って、嫌でも何をされているのかがわかってしまう。想像したくない方法で乱暴される音が続き、母が弱り切ったところで首を絞める音がして、最後には肉が抉られる音がした。
部屋中に響き渡る男の高笑いを聞きながら、私は声を出さずに泣いていた。震えていた。怯えていた。
男が去っていくのを音と気配で感じ取る。私は暫く動けなくて、やっと動けるようになった時には家の外で響いていた悲鳴や轟音も止んでいた。
震える体を叱咤して物陰から這い出て、見たものは。母の、凄惨な、死体。
昂る感情のままに私は口を開いて……。
◇◇◇
「おかあさんッ!!」
呆然と辺りを見回す。そこは見慣れたスパイダリアの宿の自室だった。
「……ゆ……め……?」
自分が今ベッドの中にいて、そこから跳ね起きたことがわかった。体中が汗でびっしょり濡れていた。そして目からも涙が溢れ出て、顔も濡れた。
「もう……いや……」
何度も何度も夢を見る。その度に自己嫌悪に陥って死んでしまいたくなる。でも、自死なんてしてしまったら、命を懸けて私を守ってくれた母の死を無駄にすることがわかっているから死ぬこともできない。まるで生きていながら地獄にいるようだとさえ思う。
私は暫くベッドの中で泣いていた。
泣いて泣いて、一頻り泣いてから、ようやくベッドから出る。体が重かった。きっとシャワーを浴びたら少しはマシになるはずだと、シャワールームへと向かった。
シャワールームにある鏡に、自分の顔が映る。母によく似ている。でも、それだけ。顔だけ似ていても母の前向きさも、勇気も、私にはない。
鏡を見ていたくなくて、汗だけ流して早々にシャワールームを出た。
どんなに憂鬱でもお腹は減る。朝食を作ると、食材が切れてしまった。
「買い物に行かないと……」
朝食を食べてから、重い体に鞭打って外に出た。
店に向かって歩いていれば、多くの人が私に視線を送ってくる。男性なんてあからさま。母譲りの顔が整っている自覚はある。でも、私にはどうしてもそれが理由には思えなかった。臆病な自分の醜さを見られているようで息が詰まる。
(……やめて……見ないで……)
私は足早に店へ向かった。俯き気味に歩いていたから気づかなかった。ドンッと人と正面からぶつかる。
「っ……すみませんっ」
「いや、こちらこそ前を見ていなかった。申し訳ない」
男性が謝罪をしてきたので、私も顔を見て謝らなければと顔を上げた。すると、男性がわかりやすく瞠目した。その表情に私は戸惑う。
「あの……」
声を掛けようとして、男性に両手を勢いよく取られた。
「少し私と来てくれないか!」
「えっ」
私の答えを聞かずに男性は私の手を引いてどこかに連れていく。連れていかれたのは人気のない場所。私は身の危険を感じた。男性が振り返る。長い金髪が揺れた。
「私と交際をしてほしい!」
「えっ」
私は男性の勢いに押されて碌な反応ができなかった。それに気づいてか、男性が咳払いをして掴んでいた私の手を離した。
「いきなりこんなところに連れてきて申し訳なかった。私はモテナ・イデスバーンという。君の名前を聞いてもいいか」
イデスバーンといえばスパイダリアの名家だったはず。雑な対応はできないと判断した私は心を落ち着かせて口を開いた。
「私はレージェと言います」
「そうか、いい名だ」
「ありがとうございます」
これで帰してくれればいいけれど、多分そんなことにはならない。
「それでレージェ、どうか私と交際してほしい」
「困ります。私はあなたのことをよく知らないですし、誰かと交際しようとも思っていませんから」
「そこを何とか頼む! 一目で君だと思ったんだ!」
「私は思ってないですから」
モテナさんが鳩が豆鉄砲を食ったような表情で見てくる。もしかしてこれで了承してもらえる自信があったんです?
「何故私ではだめなんだ!」
「先程も言いましたが、私は誰かと交際しようとは思っていませんから」
「そこを何とか!」
「困ります」
これいつまで続くんでしょうか……。イデスバーン家の方だから雑な対応はいけないと思いましたが、なんだかこの人相手なら大丈夫な気がしてきました。
「すみません、これから行くところがありますので、これで失礼します」
「待ってくれレージェ!」
「待ちません。では」
私はモテナさんを置いて買い出しに向かった。後ろから「諦めないからなー!」という声が聞こえてきましたが、まぁ、いつかは諦めてくれるでしょう。
◇◇◇
「レージェ!」
道を歩いていると声を掛けられる。振り返ると、そこにいたのはモテナさんだ。
駆け寄ってきたモテナさんは花束を抱えている。
「こんにちはモテナさん」
「あぁ。今日も君に会えるとはなんて良い日なんだ」
そう言いつつほぼ毎日会っている。行動パターンが読まれているようで恐怖を感じます。
「レージェ、これを君に」
モテナさんが差し出してきたのは花束。水色の花がメインで、どの花も美しく咲き誇っている。私には、似合わない。
「すみませんが、受け取れません」
「別にこれを受け取ったからといって交際スタートというわけではない。ただ、君に似合うと思って見繕ったんだ。ただ受け取ってくれるだけでいい」
そうモテナさんは言ってくれるけれど、どうしても私に似合うとは思えなかった。私はこんなに美しくない。懸命に咲き誇っているこの花たちに、相応しくない。
「レージェ、どうして俯くんだ? 花は好きではなかったか?」
「いえ、そういうわけでは……ただ、私はその花に相応しくないので」
そう言って、踵を返そうとした。でもモテナさんが手を掴んで引き留めてくる。
「相応しいとはなんだ? 花は愛で、楽しむものだ。私たちの生活を華やかにしてくれるものだ。ただ一方的に、私たちの都合で、私たちの生活に豊かさを与えてくれる花という有り難い存在に釣り合おうという方が無理な話だ」
――何も言い返せなかった。モテナさんは花を、いや恐らく、全ての物に敬意を払って生きている。素晴らしい人だと思う。反対に、そんな考えを抱けなかった自分に嫌悪感が生まれる。
「すまない、随分偉そうなことを言ってしまった。ただ、君にこれを受け取って欲しかっただけなんだ」
モテナさんがばつが悪そうな表情で謝罪してくる。謝る必要なんてないのに。
ばつが悪いのは私の方だ。私は花束を受け取った。受け取った花は本当に美しくて、思わず口元が緩んでしまった。
「ありがとうございます。大切にしますね」
お礼を伝えると、モテナさんは目を大きく見張った。どうかしたんでしょうか?
首を傾げると、モテナさんが私の花束を支えていない方の手を取って勢いよく言った。
「私と交際してほしい!!」
……この人さっき受け取ってくれるだけでいいって言いましたよね?
呆れた表情を向けてしまったのは許してほしいです。
◇◇◇
「レージェ!」
道を歩いていると声を掛けられる。もうこの声は覚えてしまった。モテナさんだ。
モテナさんには毎日のようにアプローチをされている。でも今日は初めて一人ではなく、従者と思われる三人の男性もいた。
今日は一体何をするつもりなんでしょうか?
「聞いてくれレージェ。実は君に隠していたことがあるんだ」
「隠していたことですか?」
モテナさんは自分から何でも話してくれるので大体のことは知っていると思っていたのですが、どうやらまだ何かあったようです。
モテナさんが突然長い前髪をかき上げ、そして決めポーズらしきものを取って言った。
「実は私は、〝ギルド総長の懐刀〟なんだ!」
「「「よっ、モテナ様!!」」」
目の前で、決め顔で告白したモテナさん。
私は、頭が真っ白になった。
〝ギルド総長の懐刀〟。つまり冒険者の中でもギルド総長に認められるほどの実力者。
呆然としていた私にモテナさんが近づく。
「嘘ではないぞ? 魔力証も金色だ」
モテナさんが出したのは紛れもない〝ギルド総長の懐刀〟の魔力証。
それを見て私は、恐怖で逃げ出した。
とにかく走る。できるだけ遠くへ。
(〝ギルド総長の懐刀〟に、神人族であることなんてばれたら……!)
殺されてしまうかもしれない。そう思ったら足が勝手に動いていた。
がむしゃらに走って、そして、腕が掴まれた。反射で振り返る。
「待ってくれレージェ! 一体どうしたんだ!」
「ッ!」
モテナさんに追いつかれた。他の三人はいないみたいだけれど、それでも恐怖で体が震えた。私の様子にモテナさんもただ事でないと思ったのか、心配そうな表情で私を見遣る。でもきっと、その表情も、私が神人族だと知ったら歪んでしまう。
逃げようとして、足が縺れた。後ろに倒れそうになる。
「危ないっ!」
衝撃を覚悟して倒れた。すると、二か所に手の感触を感じ取る。一か所は後頭部。私が頭を打たないように守ってくれた。そしてもう一か所は、左胸。
さっと血の気が引いた。
「すっ、すまないっ! 触るつもりはなかっ……た……」
モテナさんが何かに気づいたように目を見張る。恐らく、胸に埋め込まれた神核に気がついた。私は己の最後を覚悟した。
「……殺すなりなんなりしてください。抵抗は、しませんから」
「……」
モテナさんは黙って私を起こしてくれた。そして警戒したように周囲を見回す。その様子に私は首を傾げた。
「……よかった。周囲に人はいないな」
「え……」
「気づいたのが私だけでよかった」
「どういう……ことですか」
モテナさんは深々と頭を下げた。
「まずは触れてしまったこと、そして君の秘密を暴いてしまったことを謝罪する。申し訳なかった」
「え……」
モテナさんは顔を上げる。
「それから、安心してほしい。私は昔から神人族を信じている。だから決してこのことは口外しない。墓場まで持っていく。……私を、信じてくれないか」
モテナさんの目はとても真摯なものだった。そこに嘘はないとわかる。
ずっと怯えて生きていた私に、初めて光が差した。私は……泣いた。
「ふっ、うっ……」
「怖かったろうに。大丈夫だ、君のことは私が守る」
私は暫く、モテナさんの胸で泣き続けた。
◇◇◇
「レージェ!」
道を歩いていると声を掛けられる。もう大体気配を察知できるようになった。モテナさんだ。
「レージェ、今日こそ私と交際を!」
「お断りします」
今日も今日とてモテナさんに言い寄られる。モテナさんは根は良い人だとわかっているけれど、どうしても残念さが目立つ。とてもじゃないが恋愛対象には見れない。
それに、私はまだ、誰かに好きになってもらいたいと思えなかった。どうしても過去の光景が、自分の臆病さが頭を過って自己嫌悪の渦に飲まれる。
だからどうか、早くモテナさんが私の醜さに気づいて離れてくれますように。そう願うしかなかった。
「何故なんだレージェ! どうして頷いてくれない!?」
「何度も言っている通り、その話はお断りさせていただきます」
「私の何がいけないというんだ!」
「もう放っておいてください」
何日経ってもモテナさんは諦めてくれない。その度に自分の醜さを思い出して嫌悪して、もううんざりだった。
ふと、ギルドの方へと視線を向けた。その方角を見たのは偶然だった。でもそこで一人の男性と目が合った。いや、合ったようで合っていなかった。
その男性の瞳は他の人とは違った。綺麗な瑠璃色の瞳は私を見ているようで見ていなかった。……醜い私を、見ていなかった。
この人なら醜い私を見ないでくれる。外見だけ見て、間違っても好意を持たないでくれる。そう思ったその時には、私の足はその人に向かって走り出していた。
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次回更新は7日です。
次回の幕間と用語集で章が変わります。




