幕間 モテナ
モテナ視点です。
私の住む堅苦しい家とは違う、木造のあたたかみのある家。
肌寒いある日、火が穏やかに燃える暖炉の前で、幼い私は座っている女性の膝の上に頭を乗せて微睡んでいた。優しく頭を撫でてくれる手がとても心地いい。不意に、頭を撫でる手と同じくらい優しい声が上から降ってくる。
「モテナ、人を信じて、思いやれる人になるのですよ」
その人の口癖だった。両親が忙しく、いつも一人だった私を家に呼んでもてなしながら、事あるごとにそう言っていた。
私はその言葉を子守唄にして、安穏な眠りについた。
◇◇◇
「……夢か」
いつもの堅苦しい部屋で目を覚ます。名家として恥じない内装をしたこの部屋で目覚めることなど普段は何とも思わないが、懐かしい夢を見ると少し寂しく感じてしまう。
懐かしい、子どもの頃の夢。あの女性は蠍の一族だった。思いやりがあり、あたたかい人だった。――だが、〝決別の日〟に殺された。
神人族は人間族を支配していたと皆は言う。だが、そんなはずはなかった。確かに人によっては犯罪に手を染める者もいる。だがそれは人間族も同じだ。蠍の一族の皆が悪人のはずがなかった。何より、あの人が悪人のはずがない。あの人との日々が、私が神人族を信じるに足る十分な理由だ。
しかし何を言っても皆は神人族を獣族と謗り、神人族を信じる私を異常者とする。両親ですら私から距離を取った。だが何を言われようと、私は神人族の無実を主張し続ける。それが、少しでも神人族の、彼女のためになるのならば。
幸いなことに、私の努力は認められ、総長に〝ギルド総長の懐刀〟としての地位を与えられた。私の発言力は強くなった。それ以来、決して大きくはないが、それでも少しでも人々の神人族への考え方を揺らがせたという手応えはある。これからも全ての神人族のため、精進していくつもりだ。
(それにしても、随分久しぶりに見たな)
久しぶりに見た懐かしい夢が、私に何かを伝えてくるかのようだった。
身支度を整えて、日課の散歩に出る。困っている人はいないか、ギルドに重要な依頼は掲示されていないかなどの確認のためだ。
道を歩きながら、空を見上げる。十年前と何も変わらない空だ。彼女や神人族が惨たらしい目に遭ったというのに、空は変わらず美しいままだ。それは有り難いことでもあり、納得し難いことでもある。夢を見たせいか、今日はより憎たらしく見えてしまう。
(いかんな……空に当たるなど……)
ドンッ
空を見上げながらぼんやり歩いていると、人とぶつかってしまった。私としたことが情けない。俯いた女性の淡青色の髪が目に映る。
「っ……すみませんっ」
「いや、こちらこそ前を見ていなかった。申し訳ない」
顔を上げた女性と目が合った。目を疑った。目の前に、彼女によく似た女性がいる。幼いながらに、愛していた彼女によく似た女性がいる。
「あの……」
女性が戸惑ったように声を掛けてくる。
彼女に似ていると言ったが、似ているのは顔だけだった。目の前のこの女性の表情は翳っていて、自信がなくて、不安げで。
(一体何が、君をそんな顔にさせる……?)
確かに気になったのは顔が似ていたからだ。でも、一目見ただけでこの女性の抱える何らかの傷に気がついてしまって、放っておけないと思った。私が、目の前のこの女性の翳りを取り除いてやりたいと思った。……何より、惚れた。
「少し私と来てくれないか!」
「えっ」
勢いよく女性の手を取って歩く。ここでは人目が多い。大事な話はできるだけ人の少ない所の方がいいだろう。
話をするのに良さそうな場所に着いて、女性に振り返る。そして気持ちを堂々と伝えようと息を吸う。こういうことは勢いが大事だ!
「私と交際をしてほしい!」
「えっ」
女性が体を引いた。心なしか表情も引きつっている。……しまった、唐突過ぎたか。
私は一旦切り替えのために咳払いをして掴んでいた女性の手を離した。まずは自己紹介だな。
「いきなりこんなところに連れてきて申し訳なかった。私はモテナ・イデスバーンという。君の名前を聞いてもいいか」
名前を問うと、女性は目をぱちくりさせてから少しだけ笑んでくれた。
「私はレージェと言います」
「そうか、いい名だ」
「ありがとうございます」
やはり素敵な女性は名前も素敵だ。
「それでレージェ、どうか私と交際してほしい」
よし、今度は落ち着いて伝えられた。私がイデスバーンの人間であることも伝えたし、この私の纏うオーラで只者でないことも伝わっただろう。加えて顔も彼女ほどではないが整っている自覚もある。いける!
「困ります。私はあなたのことをよく知らないですし、誰かと交際しようとも思っていませんから」
なにー!? まだ押しが足りないか!?
「そこを何とか頼む! 一目で君だと思ったんだ!」
「私は思ってないですから」
……この私では不服……だと……そんなばかな……。私は彼女こそが運命だとはっきり感じたというのに!
「何故私ではだめなんだ!」
「先程も言いましたが、私は誰かと交際しようとは思っていませんから」
「そこを何とか!」
「困ります」
誰かと交際する気がなかったとしても、私を前にすればその気持ちも揺らぐものではないのか!?
衝撃を受けていると、レージェが踵を返そうとする。
「すみません、これから行くところがありますので、これで失礼します」
「待ってくれレージェ!」
「待ちません。では」
レージェはそのまま待たずに行ってしまった。
こ、これが塩対応……。まさか私がそのような対応を受ける日がこようとは……。だが! 彼女は私の運命! 決して諦めんぞ!
「諦めないからなー!」
私は己を奮い立たせるように叫んだ。
◇◇◇
日課の散歩で歩いていると、花屋が目に留まった。どうやら今日は水色の花を多く売っているらしい。
(美しい……レージェによく似合いそうだ)
私は水色の花をメインにした花束を作ってもらい、購入した。
よし、この時間ならばレージェはあそこにいるはず。レージェがいつどこにいるのかは大体把握している。なんせ私と彼女は一心同体の運命なのだから!
目的の場所に向かえば、やはり彼女はいた。今日もまた、美しい顔を翳らせて歩いている。今日こそその翳りを取り除いてやれたら……。
「レージェ!」
駆け寄ると、レージェは困ったように笑って私を迎え入れた。いつか心から笑ってくれないものか……。
「こんにちはモテナさん」
「あぁ。今日も君に会えるとはなんて良い日なんだ」
君に会えるだけで私はこんなにも幸せだというのに、レージェの表情が少し引きつった気がする。何故だ?
まぁそれより、今日はこの花束をプレゼントしなければ。
「レージェ、これを君に」
花束を差し出す。レージェは更に眉をハの字にして頭を振った。
「すみませんが、受け取れません」
もしや、これを受け取れば交際を了承することになると思っているのか?
「別にこれを受け取ったからといって交際スタートというわけではない。ただ、君に似合うと思って見繕ったんだ。ただ受け取ってくれるだけでいい」
レージェは更に表情を翳らせて俯いてしまう。私はどうして彼女がそんな表情をするのかがわからなくて困惑した。そんな顔をさせたくて用意したわけじゃないんだ。どうか顔を上げておくれ。
「レージェ、どうして俯くんだ? 花は好きではなかったか?」
「いえ、そういうわけでは……ただ、私はその花に相応しくないので」
相応しくない?
私は理解ができなかった。花というものは、短い命を最大限輝かせて我々の生活を華やかに彩ってくれる有り難いものだ。自分たちの都合で好き勝手使っている時点で、人間が花に相応しくなろうというのがおこがましい。花だけではない。人間が自然と釣り合おうというのが無理な話だ。人間は花を含め、自然に感謝しなければならない。
私は踵を返そうとする彼女の腕を捕まえた。
「相応しいとはなんだ? 花は愛で、楽しむものだ。私たちの生活を華やかにしてくれるものだ。ただ一方的に、私たちの都合で、私たちの生活に豊かさを与えてくれる花という有り難い存在に釣り合おうという方が無理な話だ」
レージェの表情が強張った。それが徐々に悲しげな色に染まり、俯く。
(しまった……言い過ぎたか)
自分の価値観を説教がましく伝えてしまったことを後悔する。価値観は他者に押し付けるものではないというのに。
「すまない、随分偉そうなことを言ってしまった。ただ君にこれを受け取って欲しかっただけなんだ」
視線を下げると、レージェが手を伸ばして私から花束を優しく攫っていく。
驚いて彼女を見ると、彼女は花を暫く見つめてから、口元をほころばせて笑った。
「ありがとうございます。大切にしますね」
その笑顔は初めて見る翳りのないものだった。満面の笑みには程遠いが、それでも、本当に美しかった。
(……やはり、レージェが好きだ)
私は花束を支えていない方の彼女の手を取った。
「私と交際してほしい!」
すると、レージェの表情が固まった。
◇◇◇
「お前たち、少しいいか」
「「「はい、モテナ様」」」
私は家で従者のエーレ、ビード、シーダを呼びだした。三人が襟を正して私に向き合ってくる。
この三人を含む使用人たちは皆、私が神人族を信じていると知っていてもなお献身的に仕えてくれる。有り難いことだ。
私もしっかり三人に向かい合う。
「私は今日、レージェに〝ギルド総長の懐刀〟であることを告白する。お前たちにも協力してもらうぞ」
「「「もちろんです!」」」
きっと私が〝ギルド総長の懐刀〟であることを知れば、レージェの中で私への評価が変わるはずだ。そう確信して、私は三人を引き連れてレージェの元へ向かった。
いつもの時間、いつもの場所へ向かうと、道を歩くレージェを見つけた。
「レージェ!」
振り返ったレージェが、私の後ろにいる三人を見て首を傾げる。その仕草もなんと愛らしいことか。
私は後ろの三人に目配せしてからレージェに向き合った。
「聞いてくれレージェ。実は君に隠していたことがあるんだ」
「隠していたことですか?」
私はレージェがしっかりこちらを見ていることを確認して、自慢の金髪をかき上げた。
「実は私は、〝ギルド総長の懐刀〟なんだ!」
「「「よっ、モテナ様!!」」」
決まった。私は手応えを確信する。
レージェを見ると、目を大きく見開いて愕然としていた。疑っているのか? まぁ〝ギルド総長の懐刀〟など数人しかいないからな。信じられなくて当然か。
私は金色の魔力証を魔道袋から取り出した。
「嘘ではないぞ? 魔力証も金色だ」
魔力証を見せた瞬間、レージェは表情を大きく歪めて走っていってしまった。
「なっ、あの女!」
「モテナ様から逃げるなど!」
「今すぐにでも捕まえてきます!」
エーレたちが走り出そうとするのを手で制止する。
「モテナ様?」
「私が行く。お前たちは先に屋敷に帰っていろ」
「ですがっ」
「彼女のことは私に任せてほしい。それから、あまり彼女のことを悪く思わないでくれ。何か事情があるんだろう」
「「「……かしこまりました」」」
三人を置いて、私は彼女を追いかけて走り出した。
走りながら彼女の先程の表情を思う。あれは、〝恐怖〟に歪んだ顔だ。きっと、いつもの翳りある表情の理由に、私が〝ギルド総長の懐刀〟であることが関係しているのだろう。
彼女の恐怖を取り除いてやりたい。その一心で私は彼女を追う。
彼女に追いつき、腕を掴む。彼女が恐怖で表情を歪めたまま振り返った。
「待ってくれレージェ! 一体どうしたんだ!」
「ッ!」
彼女が抵抗しようとして、足を縺れさせた。後ろに倒れ込みそうになる。
「危ないっ!」
咄嗟に手を出して、彼女の後頭部を左手で守る。だが右手は地面に着こうとして着地点を誤り、彼女の左胸へ。柔らかい感触がして冷や汗をかいた。
「すっ、すまないっ! 触るつもりはなかっ……た……」
柔らかい感触の中に、明らかに肌ではない硬い感触を感じ取る。それは丁度心臓の位置に当たる部分。そこにある硬いものといえば……。
今までの彼女の翳りある表情の意味を、ようやく理解した。
レージェが何かを言っているが、今はそれよりも周囲に人がいないかを確認するのが先決。彼女が神人族であることが周知されるのは避けなくては。
レージェを助け起こしながら周囲を警戒するが、幸いにも人はいなかった。ほっと息をつく。
「……よかった。周囲に人はいないな」
「え……」
「気づいたのが私だけでよかった」
「どういう……ことですか」
そういう反応になるのも仕方ないだろう。今の世界で神人族は非常に生きづらい。神人族であることが露見してしまえば生きていられないと思ってしまうだろう。
私に知られてしまったのも相当の恐怖であったはずだ。私は深く頭を下げた。
「まずは触れてしまったこと、そして君の秘密を暴いてしまったことを謝罪する。申し訳なかった。」
「え……」
私は顔を上げて続ける。
「それから、安心してほしい。私は昔から神人族を信じている。だから決してこのことは口外しない。墓場まで持っていく。……私を、信じてくれないか」
どうか信じてほしくて、安心してほしくて、恐怖から解放されてほしくて。私はありったけの思いを乗せて言葉を紡いだ。
それがどうやら伝わってくれたようだ。彼女はすすり泣き始めた。
「ふっ、うっ……」
「怖かったろうに。大丈夫だ、君のことは私が守る」
胸を貸しながら、私は決意する。かつて守れなかった神人族たちのために、彼女のために、今苦しみながら生きているレージェを守ろうと。
◇◇◇
食事会を終えて、龍王たちが去っていく。
『私、強くなりたいんです。もう震えているだけではいたくないんです』
食事の場で、レージェはそう言った。凛と背筋を伸ばして、強く輝く瞳で前を見据えて。
その姿に今までの彼女の面影はなかった。
私では変えられなかった。私では彼女の翳りを取り除いてやることはできなかった。それがとても悔しい。だが彼女が前を向けたのならば、それ以上に喜ばしい。
彼女はこれからいばらの道を歩もうとしている。止めたい気持ちはある。しかしそれでもその道を行くと決めた今の彼女の方が余程美しい。
龍王とその仲間たち、神人族たちの輪の中に彼女は入っていく。そこに私が入ることはできない。それを少し寂しくも思う。だが、せめて私は死んでいった神人族たちのために、そして今を生きる神人族たちのために、尽くしていきたいと思う。
例え道が違っても、彼らの力になる覚悟を己に刻み付けるように、彼らの進んだ先に背を向ける。
――どうか、愛する彼女とその仲間たちの未来に、幸あらんことを。
お読みいただきありがとうございます。
これで四章終了です。
次回更新は少々長めに間を頂き、21日を予定とします。よろしくお願い致します。




