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謎の青年

「太陽ぉぉぉぉぉっスー!!」

「元気ねぇライトは」

「まぁわからなくもねぇがな!」

「空気というのはこんなにも美味いものだったか」

「ずっと血の臭いが酷かったですからね」


 鉱山を出て、太陽に向かって両腕を伸ばして叫ぶライトと、その後ろで深呼吸をするリアナたち。数時間しか経っていないはずが外が懐かしく思える。ちなみにリューズは気を失っている解放者(リベレイター)の三人を抱えている。


 五人の後ろからティアを抱っこしたユリクスと寄り添うメラが出てきた。


「兄さん、もうそろそろ降ろしてほしいな。恥ずかしい」

「……あぁ」


 そっと腕から解放してやる。ティアは火照った顔を冷まそうとメラに抱き着いて顔をすりすりした。余計に熱くなりそうなものである。


 その後ろから、モテナと取り巻きたち。


「まったく、龍王たちが派遣されてきた時にはどうなることかと思ったが、なんとかなったな」

「これも全てはモテナ様のお力によるもの!」

「「流石モテナ様です!!」」


 鉱山を出てもモテナ様ワールドは健在である。


 キラキラと光を飛ばしているモテナたちに、リアナは腰に手を当ててやれやれと緩く首を振った。


「あんなこと言っちゃって、あたしたちが来てなきゃやばかったってのに」

「まぁ無事に片付いたんだし、言わせておいてやろうぜ?」


 ここは大人の対応、というわけで放っておくことにした。


 ユリクスが町へ続く道を見ながら呟く。


「……帰るか」

「そうだね」

「おい待て龍王」


 歩き出したユリクスをモテナが呼び止める。ユリクスは不機嫌そうに(かえり)みた。


「……なんだ」

「お前はどこに行こうとしている」

「……借家」

「馬鹿め、お前は私と一緒に支部長へ報告に行くと決まっているだろう」

「……お前一人でよくないか?」

「いいや、〝ギルド総長の懐刀(ガーディアン)〟として報告の義務がある。それに、私一人より、二人の見解を伝えた方が良いに決まっているだろうが」

「……」

「面倒くさいと顔に書いても無駄だ。行くぞ」


 ユリクスは長嘆息をもらした。それにティアたちは同情したような表情になる。


「兄さん、いってらっしゃい」

「夕飯の準備しておくっス」

「お話はユリィさんが帰ってくるのを待ってからしますね」


 全員から手を振られ、ユリクスは行かざるを得なくなった。借家でライトのコーヒーを楽しみながらゆっくりできると思ったのになぁと、後ろ髪を引かれる思いでモテナと二人、ギルドへと向かうのだった。




 ◇◇◇




「おうお前ら、依頼達成お疲れさん!」


 〝ギルド総長の懐刀(ガーディアン)〟二人が揃ってギルドを訪れるという、人々にとってまさに欣幸(きんこう)の至りである光景がそこにあり、ギルド内は沸くに沸いた。もちろんそれを放っておくギルド職員たちではなく、ユリクスとモテナの二人はすぐに奥の部屋へと通された。そして今、ギルド支部長アランに出迎えられたところである。


 長テーブルの長辺側に置かれたロングソファーの片側にアランが座り、その反対側にユリクスとモテナが座る。


 腕と足を組んで座り、我関せずといった様子のユリクスを余所(よそ)にして、モテナが畏まった態度で報告を始めた。


「無事、鉱山内の魔獣の討伐を終えました。魔獣が増えた原因はやはり解放者(リベレイター)でした。その男たちは後から龍王の仲間であるリューズ殿が連れてきます」

「了解だ。それで、何があったか詳しく聞かせてくれ」

「はい」


 モテナが鉱山であった出来事の詳細を話していく。ユリクスは腕と足を組んだまま座っているだけだ。これやっぱり自分いらなかったのでは? と思えてならない。早くライトのコーヒーが飲みたい。


 ユリクスが借家でどうのんびり過ごすかについて思いを馳せている間にモテナの長ったらしい説明は終わったようだ。


「なるほどな。鈍色の神核は戦意を喪失しただけで砕ける、と。後は魔獣を食らう魔獣か。総長にはしっかり伝えておく」

「よろしくお願いします」

「それにしても龍王よぉ……」


 突然自分に話題を振られてユリクスは意識をアランに戻した。目の前の男はにやにやしている。


「レージェと複合魔法を使って強ぇ魔獣を倒したんだって? 良い夫婦じゃねぇか。ん?」

「支部長! こいつとレージェは夫婦ではありません!」

「だが時間の問題じゃねぇか」

「ぐぬっ……」


 またレージェとのことか、とユリクスはげんなりした。早く帰らせろ。


「……もう話が終わったなら俺は帰るぞ」

「まぁ待て。確かに、鈍色の神核やら魔獣やら龍王のとんでも魔法やら、総長への報告は事欠かなそうだが、まだ帰さねぇぞ?」

「……なに?」

「支部長、まだ何か?」


 アランはふんぞり返って腕を組み、にやりと笑うと、二人にとってとんでもないことを言いだした。


「依頼のお疲れ様会兼お前らの親睦会をやるぞ!」

「「……は?」」


 ユリクスとモテナは揃って顔を顰めた。普段かみ合わない二人を同じ顔にさせるなど、アランにしかきっとできないことだろう。


 アランは二人のあからさまに嫌そうな顔など意に介さず続けた。


「お前ら同じ依頼をこなしたってぇのにまだぎくしゃくしてんじゃねぇか。折角数少ない〝ギルド総長の懐刀(ガーディアン)〟同士なんだ、仲良くしようぜ?」

「……無理だな」

「……お言葉ですが支部長、こいつとは無理です」


 二人の息の合った確然たる否定を前にして、アランは豪快に笑った。


「ふはっ! お前らって仲良いんだか悪いんだかわからねぇな! だが! これも一つの支部長命令だ!」

「……命令……ですか」

「……なんでも命令すればいいと思っているだろう」

「そうだぜ! 拒否権はない! 良い店知ってるから行こうぜ!」

「「……はぁぁぁ」」


 こうして、二人は無理矢理アランに連れられて酒場へと向かった。部屋を出た際に、〝ギルド総長の懐刀(ガーディアン)〟二人に支部長まで加わったことでギルド内がより騒然としたことは言うまでもない。




 ◇◇◇




 ここはスパイダリアに数多くある酒場の中でも、アラン行きつけの店だ。ギルドやユリクスたちの借家同様ログハウスのような外観をしており、内観も落ち着きある風情。天井ではシーリングファンがゆったりと穏やかに回り、シーリングファンに取り付けられたランプと各卓上に置かれたランプはオレンジに灯って心を静めさせる。点々と設置された観葉植物にも同様の効果がありそうだ。


 だが、ここはあくまでも酒場。そこかしこに空気をぶち壊す酔っ払いはいる。そう例えば、目の前とか。


「らからぁ! どうしてこんなにアプローチしてるのにレージェはふりむいてくれないんれすかぁ!」

「おうおう、そりゃつれぇなぁ」

「そうなんれすよぉ。しぶちょーわかってくれますかぁ?」

「おうおう、わかってるわかってる」


 ユリクスとアランの目の前ではモテナが盛大に酔っ払い、絡み酒を発揮している。主にレージェが振り向いてくれないことを嘆いていた。


「りゅーおー、おまえ、レージェにいったいなに言ってふりむかせたんらよぉ。このやろー」

「……別に何も言ってない」


 騎士然とした態度を意識しているいつものモテナの面影がどこにもない。実に残念な男だ。


「くそぉ、レージェ、なんれなんらよぉ……」


 とうとう涙ぐみ始めた。絡み酒に泣き上戸など面倒極まりない。ユリクスはげんなりした。どうやらモテナのこの態度にはアランも予想外だったようで、後ろ頭を掻いて苦笑している。


「いやー、まさかモテナがこんなに酒に弱いとはなぁ。しかも絡み酒とは」

「……本当に面倒な奴だ」


 二人してモテナは酒に弱いと認識しているが、実はもうボトルが六本開いている。一人ボトル二本の計算なのでモテナが弱いわけではない。ユリクスとアランの二人が強過ぎるのだ。モテナは一緒に飲む相手が悪過ぎた。まぁだが、安心して酔っ払えるという意味では幸運だったのかもしれないが。


「しぶちょー! さけもういっぱいくらさい!」

「いやもうやめとけや。な?」

「いやらぁ!」


 駄々っ子のようにいやいやするモテナにユリクスは嘆息した。アランも溜め息をついているが、迷惑そうな顔はしていない。それどころか、どこか安心したようですらある。何故そのような表情をするのかユリクスが不思議に思っていると、それを察したのか、アランがユリクスを見て笑った。


「モテナはいつも〝ギルド総長の懐刀(ガーディアン)〟としての責任と戦っているからな。こうして発散させてやれるなら今日来た甲斐があったってもんだ」

「……そのために連れてきたのか」

「お疲れ様会と親睦会っていうのも嘘じゃねぇ。それに、お前も割と酒好きだって総長から聞いてたしな」

「……別にそんなことはない」

「その割には酒が進んでるな?」

「……………………まぁ、美味いな」

「ふはっ!」


 アクアトラスの酒は果物が活かされたさっぱりした口当たりだったが、スパイダリアの酒は麦のうま味が感じられる、コクと深みのあるものだった。度数はアクアトラスの果実酒に比べれば高いが、悪酔いするほどではない。用意された肴も塩加減が絶妙で、正直ボトルあと二本は余裕だ。


 その思考が読まれたのか、アランがクツクツと笑って酒を(あお)った。


「その若さでそれだけ飲めりゃ大したもんだ。俺はよく総長と酌み交わすんだが、次の機会にはお前も呼んでやるよ」

「……別にいい」

「ふはっ! 遠慮すんなよ! お前もいたら総長も喜ぶだろうし面白そうだ!」

「……俺は静かに飲みたい」

「総長、支部長と飲めるってのに贅沢な奴だぜ!」


 ゲオルグや支部長たちと酌み交わせることを有り難いとは思わないので断っているのだが、アランには通じないらしい。


 ユリクスが静かに飲み干したグラスにアランの手で酒が注がれていく。ユリクスはアランに酌をしていないのだが、アランは特に気にした様子もなく自分のペースで自らのグラスに酒を注いでいく。


 暫く無言で、モテナの呻き声を聞きながら酒を飲んでいたのだが、ふと、アランがユリクスに穏やかに問い掛けた。


「スパイダリアはどうだい? 神人族から見て、何を感じた?」


 ユリクスは暫し黙考する。そして直球に言った。


「……特に何も思わない」


 その無愛想な答えに、アランは気分を害した様子もなく控えめに笑って言った。


「それが正解だ。スパイダリアは神人族に対して肯定的なわけじゃない。寧ろ、表に出ていないだけで否定的な連中の方が多いかもしれん。だからこそモテナはこの町で浮いている」

「……〝ギルド総長の懐刀(ガーディアン)〟だから、ではなくか?」

「もちろんそれもある。今でこそ〝ギルド総長の懐刀(ガーディアン)〟だから一目置かれているが……だが昔のモテナは異質という意味で浮いていた。神人族に肯定的な時点でもそうだが、何よりそれを隠さないってことがこの世界では変わり者だからな」

「……何故隠さなかった」

「理由は知らんが、モテナはずっと訴え続けていたのさ。神人族の無実を。だが、自分の言葉は誰にも届かない。だからモテナは己を鍛えた。〝ギルド総長の懐刀(ガーディアン)〟になれば、己の言葉と行動に強い意味が宿るからだ」

「……」

「モテナが〝ギルド総長の懐刀(ガーディアン)〟としての責任と戦っているのはそういうことさ。自分の行動で人々からの信頼が決まる。そしてそれは、人々に神人族への考え方を変えさせることに繋がるからな」


 モテナにそのような意志があったとは、ユリクスには考えもしなかったことだ。今の世界では、神人族を否定した方が間違いなく生きやすい。だが、何故それに逆らったのか。ユリクスには知る由もない。


「……何故、それを俺に話した。俺にも何か強い意志を持った〝ギルド総長の懐刀(ガーディアン)〟になれとでも言うのか」

「いいや」


 アランは酒を一口飲んで続ける。


「今話したのはあくまでもモテナの生き様だ。それをお前に押し付けるつもりはない。お前はお前の生きたいように生きればいい」

「……」

「ただ俺が言いたいのは、どうか道を踏み外してくれるなってことだ。お前がもしも神人族だと世間にばれ、悪の道に堕ちたのなら、一瞬で神人族への信頼は地に落ちるだろう。もう這い上がれない程に。それじゃあモテナ……いや、神人族を信じる全ての人々の思いが無駄になる。今までに出会った、神人族を信じる連中を苦しめるのは、流石のお前も心苦しいんじゃねぇのか?」

「……それは……」


 ユリクスは思い返した。目の前のモテナ、ギルド総長のゲオルグ、支部長たち、ダリオにメイシィ一家、奴隷解放軍、アクアトラスの民衆。


 彼らに対して、ユリクスに強い思い入れはなかった。……はずだった。だが、もしも彼らが苦しんだとしたら、自分はどう思うのだろうか。正直、()()()()()。何も思わないと断言できない。以前の自分なら、間違いなくどうでもいいと思っていたはずなのに。


 ……そして、わかることもある。それは〝ティアたちは悲しむ〟ということだ。それは嫌だと思う。この思いは確かなはずだ。


「……心苦しくなるのかは、正直わからない。だが、ティアたちはきっと悲しむ。それは……避けたい、と、思う……」


 ユリクスなりの精一杯に、アランはくくっと笑った。


「ま、そう思えるなら大丈夫か。お前は仲間思いな奴だし、仲間たちがいる限り、道を踏み外すことはねぇな」

「……別に仲間思いというわけではない」

「ふはっ! 自分が少し前に言った言葉を思い返せよな! 全く説得力ねぇっつの!」

「……」


 アルコールが回っているのか、それともユリクスの矛盾した言葉が余程面白かったのか、アランはゲラゲラ笑っている。


(……この酔っ払いめ……)


 ユリクスは一気に酒を(あお)った。


「いい飲みっぷりだなぁ、もっと飲め飲め!」

「れぇぇぇじぇぇぇぇぇ」

「おっと、こっちはもう無理だな」


 モテナがくしゃくしゃにした顔をこちらに向けながらテーブルに突っ伏して呻いている。アランはやれやれと首を振って立ち上がった。


「俺は連れてきた責任をもってこいつを連れて帰るわ。支払いは済ませておくから、お前は残った酒全部飲んじまってくれ」

「……あぁ」

「じゃあ、今日はお疲れさん。ほら行くぞモテナ」

「うぅ……れぇじぇぇぇ」

「はいはいレージェですよっと」


 アランは完全に酔っ払っているモテナに肩を貸して店から連れ出していく。


 テーブルに残ったのは、ユリクスと半分中身の残った酒のボトルとグラスのみ。ようやく静かになった空間にユリクスは息をついた。そして目の前に置かれたグラスを見る。麦の深い味がする酒は黄金色に輝き、早く口に運べと誘ってくる。


 ここからは静謐(せいひつ)酒宴(しゅえん)の時間だ。ユリクスは酒の誘惑に逆らわずグラスに手を伸ばそうとして――。


 突如、頭の隅で警鐘が鳴った。まるで一人になる瞬間を待ちわびていたかのようなタイミングで。


 本能に逆らうことなく周囲を警戒した。ゆったりとした足取りで背後から近づいてくる一つの気配。敵意は感じない。だが何かがユリクスの本能をざわつかせる。絶対に隙を見せるなと訴えかけてくる。しかしどうしても振り向けなかった。体が硬直し、無意識に息を詰める。心臓が早鐘を打ち始めるのを無理矢理抑え込む。こんな感覚をユリクスは知らなかった。落ち着け、落ち着けと体に命令を送る。体の隅々に意識を向けて、ぼやけそうになる感覚を覚醒させる。


 警戒は怠らず、なんとか体が言うことを聞くようになって、背後から近づいてきた気配が正体を現した。


「座らせてもらうぞ?」


 有無を言わさずその人物はユリクスの対面に座る。


 男だ。神秘を感じさせる白銀の髪と、全てを威圧する琥珀の双眸が特徴的な青年。冷え冷えとした笑みを浮かべるその顔は彫刻のように美しい。究極ともいえる美と、ユリクスでさえも圧する威圧感はこの場において異常。にもかかわらず、周りの客や店員が誰もこの青年を視界に入れないことが更にその異常さに拍車をかける。


 まるで自分たちのいるテーブルだけが切り離されたかのよう――否、切り離されたのだ。ここはもう酒場ではない。ユリクスは己の居る場所を戦場と認識した。呼吸を浅くし、神経を極限まで目の前の青年に集中させる。究極の美に見惚れるなんてことはない。油断をすればあるのは〝死〟だ。


 抑えつけていたはずのユリクスの心拍数が上がる。緊張から。それもある。だが、それだけじゃない。ユリクスの内の()()がこの青年を見て激しくざわつきだした。それが何かはわからないが、これはよくないものだ。それだけはわかった。胸奥のざわつきの不快さに、視界が歪みそうになる。


「そう気を張るでない。私は其方(そなた)を一目見に来ただけでな」


 優雅に頬杖を突き、目を細めて笑う青年にユリクスは警戒を解くことができない。解こうとも思わない。


 慎重に言葉を紡ぐ。


「……お前は、何者だ」


 問い掛けに、青年の口元がより深く弧を描く。


「今名乗る気はない。私はただ、龍の王の名を持つ男がどのようなものか見に来ただけ。そして其方には私の名を問いただす権利もない」


 随分上から目線の物言いだが、それが許されるだけの何かがこの青年にはあった。


 ふと、青年の双眸の琥珀が深みを増したように見えた。




 ――ドクン。




 ユリクスの心臓が一際強く脈打った。


(っ……なん……だ……)


 ユリクスが動揺するのと同時に、青年の口元が不気味に、心底嬉しそうに歪んだ。ユリクスの頭で鳴る警鐘がより強くなる。


「あぁ、やっとみつけた」

「……どういう……ことだ」

「其方も感じたであろう? なに、ちょっとした親近感というものよ」


 一刻も早くこの場を去らなくては。しかし何故か体がこの青年から離れることを拒む。一体自分の中の何がそうさせるのか。わからなくて、心と体に齟齬(そご)が生じて混乱する。


 黒レザーの手袋に覆われた手が汗をかき、蟀谷(こめかみ)にも冷や汗が伝う。親近感? いいや、己の内で生まれるのはそんな生優しいものではない。絶対的にこの男とは分かり合ってはならないという拒絶。抗えないほどの憤懣(ふんまん)と殺意だ……!




「兄さん?」




 心臓が痛いくらいに脈打った。自分の真横にティアが不思議そうに立っている。目の前の青年に意識が完全に向いてしまっていて、気づくことができなかった。


 激情に振り回されていた意識が正常に戻ってくる。だが、それと同時に湧き上がったのは焦燥感。


(……どうしてティアが……こんなところに……!)


 ユリクスの疑問と焦り、苛立ちを察したか、ティアが不安げに口を開いた。


「アランさんがここに居るって教えてくれて、もう夕飯ができたから呼びにきた……んだけど……っ!」


 視線を泳がせたティアが初めてユリクスの対面に座っている青年の存在に気づいた。そして青年の纏う威圧感に気圧されて咄嗟にユリクスに寄り添う。


 青年はティアを見て軽く目を見張った後、面白そうに口を開いた。


「ほう、斯様(かよう)な場所で会えるとはな。()()()()()()、ティア・フェニシス」

「……不死鳥の……神子(みこ)……?」


 青年から発せられた初めて聞く単語にユリクスは眉をひそめた。ティアを見ると、大きく目を開いて「不死鳥の、神子……」と小さく呟いている。左右で色の異なる瞳が細かく揺れていて、ユリクスは大きな不安を覚えた。


「おや、記憶を失くしたか? 其方は不死鳥の神子になるべく神子檻に入れられていたではないか」

「みこ……おり……」


 ティアの瞳が更に揺れる。これ以上はいけないとユリクスは判断した。多少落ち着いたとはいえ、未だに自身の内で荒れ狂い続けている激情を抑え込んで、青年とティアの間に割って入る。


「……おい、もうやめろ」

「神子檻での生活はどうだった? 家畜のように目的のためだけに生かされるのはどのような気分なのだ? ん?」

「あ……あぁ……」


 ユリクスの制止も聞かずに青年は話し続ける。ティアから意味のない声が漏れ始める。


「……やめろ」

「誰にも人として扱われず、ただ神子となるべく〝死〟だけを与えられ続けるというのはどのような心地なのだ?」

「やめろ!」

「あ、あぁ、あぁぁぁぁああああああ!!」


 ティアが頭を抱えて蹲り、絶叫した。どこまでも悲痛なその叫びは、今にもティアが壊れてしまうと思わせるには十分だった。


 店中の人間がこちらに視線を向け、何事かと様子を窺ってくる。そんなことには構わずユリクスは動きたがらない体に鞭打って立ち上がり、ティアを抱え上げて急いで店から出た。青年への警戒を解いてしまったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。すぐにでもティアを何とかしなければ。


 だからこそ、ユリクスは聞き逃した。青年がユリクスたちの方を向いて、楽しげに零した言葉を。


「さて、どう追い込んでやろうかの」


 青年は新しい玩具を見つけた子どものように、あるいは盤上の駒を自在に操るチェスプレイヤーのように、実に楽しげに、無慈悲に、笑ったのだった。






お読みいただきありがとうございます。


次回更新は26日です。

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