金沢の日常⑦ 助手席の酔っ払い(その3)
第7章 -見張りの夜-
部屋に入ると、彼女は緊張した面持ちで佇んでいる。俺はまず、約束通りにお茶を淹れることにした。
「お茶を入れるから、そこのちゃぶ台のところに座りな。……まあ、もう少しで12時だけど、まだ夜は長いから。お茶より冷たいものの方が良いか? あるいは、ビールの方が良いか? あ、でも1年生だよな? 酒飲んでて良かったのか?」
俺が冗談めかして尋ねると、彼女はきょとんとした顔で首を傾げた。
「え? 私、二十歳ですけど」
「ああ、成人だな。じゃあ、このビールをどうぞ」
冷蔵庫から冷えた缶を取り出してグラスに注いで、彼女に差し出す。
「えっ、ビールですか......」
「まあ、飲んでごらんよ。これは、札幌で買ったお土産。サッポロビールの北海道限定なんだから、そんじゃそこらじゃ飲めないよ」
と、言うと、彼女はしぶしぶといった面持ちで口をつけ――そして、目をぱちくりと見開いた。
「……あれ? ビールって苦い飲みものだって思ってましたけど、これ、苦くないです……!」
サッポロクラシックの『スルッ』とする喉ごしに気づいたようで、彼女はすっかり警戒を解いて、ゴクゴクと美味しそうに喉を鳴らして飲み干してしまった。
ほっと息をついた彼女は、少し恥ずかしそうに視線を落としながら、ぽつりと話し始めた。
「……実は私、浪人してたんです。本当は金大に入りたくて頑張ったんですけどダメで……。でも、看護短大からも、大学への編入の道があるって聞いてここに決めたんです」
大学への憧れと、一歩踏み出した決意が、その声に滲んでいた。
「そうだったのか。まあ、編入もいいけどさ、大卒にこだわるより、しっかり看護師の資格を取る方が絶対いいって。手に職があるほうが強いぞ」
「……そうですか?先輩、なんか意外としっかりしてますね」
「おいおい、これでも一応先輩だぞ。しかも、俺も浪人してたから、年上の先輩だからな」
ちなみに、門限前に帰っていった静香は能登の輪島出身で、家族は名古屋に引っ越してしまった。残された彼女は進学に伴って寮に入ったものの、両親からの管理はすこぶる厳しい。なんでも、夜12時の門限前に必ず寮から実家へ安否確認の電話を入れなければならない『鉄の掟』があるという。
しかも名古屋で始まったISDNサービスによる発信元番号の表示機能が導入されており、もし寮以外の場所や公衆電話から電話を掛けようものなら一発でバレる仕組みだ。
だからこそ、あんなに青い顔をして焦り、門限に間に合わせるために必死で走って帰っていったのだと、俺は妙に納得した。
一方、目の前にいる尚子は、加賀市出身で、老舗旅館の1人娘だそうだ。どうもこの2人、いや酔っ払い女子も含めて、やけにブルジョアジーの匂いが漂っている。
そんな他愛のないやり取りを交わしていたところで、俺はふと自分の汗ばんだシャツに気づいて呟いた。
「俺、シャワー浴びたいんだけど、良いか? さっき酔っ払い女子をシュラフに寝かせるのに、えらい汗かいた」
そう言って、俺はよいしょと立ち上がる。
すると、尚子はパッと目を光らせて身構えた。
「あ、どこに行くんですか? 彼女のところに行くんじゃないですよね?」
「バカ言え! シャワーを浴びるんだよ」
「怪し~......。じゃあ、ここで見張ります!」
と言って、浴室前の床に座り込もうとする。
冗談半分で「一緒に浴びたら見張りもできて、汗も流せて、一石二鳥だろ」と言ったところ、彼女は少し考えたあと、真剣な表情で言った。
「......それもそうですね。見張り任務にご協力ありがとうございます」
と、なぜか敬礼した。どう見ても酔っ払いになってしまっていた。さっきのビールがトドメになってしまったようだった。
彼女はその場で白いブラウスのボタンを外し、フレアスカートを脱ぎ始める。健康的に日焼けした、しなやかな素肌が露わになる。
「とんでもない娘だ」と冷や汗をかきつつ、酔っ払いによる面倒な事態を避けるため「なるようになれ」と腹をくくって、俺も服を脱ぐ。
脱いだ服は、洗濯機に直行。生まれたままの姿の彼女と、一緒に浴室へ入る。
狭いユニットバスの浴槽内では立っているだけで、引き締まっていても程よく肉のついた体が触れ合う。そのたびに「俺」はどぎまぎしてしまう。理性が揺さぶられ、本能が煽られた。
(もしかして、この娘は俺を誘っているのか)
そんな邪念が浮かび、横目で見つつ、
「あ、あのさ……よかったら、背中を洗ってあげようか?」
と切り出したところ、彼女は少しも照れる様子を見せず、逆に勢いよく言い放った。
「えっ? いえ、私が洗ってあげます!」
差し出されたスポンジに、俺はあっさりと背中を洗われてしまった。
チラチラと視界に入る健康的な腰つきと、豊かな胸元の曲線に動揺を隠せない。「チャンスがあれば触れてみたい」という下心が頭をよぎるが、彼女は「よし」とシャワーで俺の背中の泡を流し始める。
「はい、きれいになりました」
彼女は自分の泡も流し始める。その姿が、たまらなく色っぽくって、彼女の方を向けなかった。
「もう出ますね」
背中で声がする。俺は、早く出てくれと思いながら、じっと待っている。
彼女が、浴槽のヘリをまたごうとした、その瞬間、キュルリと足元が滑った。
「キャ!」
俺は、とっさに振り返って、彼女をつかんだ。
「――っ、危ない!」
慌てて引き寄せたため、左手は背中側から彼女の左腰の上方へ、そして右手はあろうことか左乳房をしっかりと鷲掴みにしていた。
彼女は、キョトンとして、丸顔の大きな瞳をぱちくりとさせながらこちらを見つめてくる。逃げるどころか、状況がよく分かっていないらしい。
「あ、ありがとうございます」
俺は、右手で彼女の胸をつかんだまま、間抜けな返事をしてしまう。
「ど、どういたしまして......」
この状態をどうしたら良いのか、俺は高速で考える。しかし、右手が勝手に柔らかい胸の感触を確かめてしまっていた。蕩けるような感触で、もはや右手を離したくない。我を忘れて揉んでしまう。
彼女から、小さく声が漏れた。
「う、う...」
俺は、その声の方――その潤んだ唇を凝視してしまった。
濡れたままの彼女を抱きかかえるようにして浴槽の縁をまたがせ、浴室の外へと連れ出した。
彼女は、言葉を発する余裕もなく、どこか放心したような顔でその場に立ち尽くしていた。俺は慌てて乾いたバスタオルを手に取り、彼女の濡れた肌にそっと当てて優しく水滴を拭い去ってやる。
少しして現実の感覚を取り戻したのか、彼女は小さく呟いた。
「……あ、自分で拭く」
俺からタオルを受け取り、自分の手で濡れた体をしっかりと拭き上げた。
風呂上がり、きれいに畳んでおいたシャツと下着、短パンを身につける。彼女から「服を貸して」とせがまれて同じセットを渡すと、俺のブリーフを見てげらげらと大笑いし始めた。
「あははっ、おっきい、なにこれ......」
「おい、近所迷惑だから、大笑いダメ!」
慌てて口を塞いで制止する。
「そんなに笑うなら、履かなくて良い」
小声で叱ると、彼女はシュンとした。
「......ごめんなさい、履きます」
そう言って、彼女は大人しくなった。
ちゃぶ台を部屋の隅に寄せ、床にベッドのマットレスを敷くと、彼女は目を丸くした。
「マットレスだけなのですか?」
「そう、部屋が狭くなるから、ベッド本体は実家に持って帰ってもらったんだ」
そう説明して促す。
「疲れただろ、寝ていいよ」
しかし彼女は首を振った。
「見張りなので、寝ません」
と言い張り、マットの上で胡坐をかいて座り込む。
(そこは頑固なんだな)
と内心であきれつつ、このままこの娘と二人きりで、自分を抑えられる自信が、俺には無かった。
「俺はちょっと彼女を見てくる」
と言って部屋を出た。酔っ払い女子に、俺の欲望を抑える防波堤になってくれることを願った。
(まったく、あの娘......完全に目的を忘れている)
リーザ・チャチャの後部座席に寝かせていた彼女は、寝息を立ててすやすやと眠っていた。
「おい、起きるぞ」
そっと声をかけ、揺すり起こす。
(起きた……!)
寝ぼけた彼女を、何とかリーザ・チャチャから出した。おぼつかないが、支えればどうにか歩ける状態だった。ゆっくりと歩みを進め、ようやくの思いで2階の自室のドアの前にたどり着く。
ここからはお姫様抱っこだ。最後のひと踏ん張りで、マットに寝かせる。
部屋に残していた彼女は、俺のシャツと短パンを着たまま、タオルケットにくるまって寝てしまっていた。
酔いつぶれた彼女には、バスタオルを彼女の腰の下に敷いて寝かせる。
ひらひらとしたワンピースが、彼女がいかにもお嬢様タイプであることを示していて、緊張で手が震えた。
◇◇◇
俺はへとへとになって、もう横になろうと思ったが、彼女ら2人にマットを占領されている。「俺はどうしようか」と途方に暮れつつも、他に寝るスペースなどあるはずもなく、仕方なく2人の女性の真ん中に割り込むようにして横たわった。
▾▾▾
私の名はお里佐
私はあの男の部屋の片隅に佇んでいた。
泥酔してあの男に担ぎ込まれてきた現代の娘。その奔放さには呆れるほかはない。そして、もう一人の娘もだ。「見張り」などと称して、初めて会った男の部屋に上がり込み、あまつさえ狭い風呂場で肌を露にするなど、私の時代では考えられない。もはや異形の娘と呼ぶほかない。けれど、そんな二人の娘たちに振り回され、戸惑いながらも、あの男は優しく向き合っている。
――馬鹿ね。相変わらず、隙だらけの男。
▴▴▴
(続く)




