金沢の日常⑧ 助手席のお土産
金沢日常編(夏) エピローグ -日常のなかの非日常-
翌朝、目が覚めると、床の上では尚子と酔っ払い女子が、畳に額をすりつけるようにして完璧な土下座をかましていた。
「「昨日は、ご迷惑をおかけしました……っ!」」
ちなみに、酔っ払い女子の名は京子と言い、医療短大の2年生だった(静香と尚子も含め、彼女たちの学校の正式名が医療短大だと、この時初めて知った)。
「俺だから無事なのであって、もし邪な男に引っかかっていたらどうするつもりだったんだ」
「ぐぅ……おっしゃる通りです……」
もっともな説教をひとしきり垂れた俺に、京子は平身低頭でうなずいた。だが、ふと尚子の姿に目を留めると、首を傾げた。
「にしてもさ、尚子ちゃん……? なんでそんなぶかぶかの男物のTシャツと短パンなんか着てるわけ? もしかして昨日……」
「ひゃ、――っ!? ち、違います京子先輩! これは昨夜、服が濡れちゃったから貸してもらっただけで、別にそういういかがわしいことは一切――っ!」
尚子は顔をトマトのように真っ赤に染め上げ、両手をブンブンと激しく横に振って必死に弁解する。その慌てふためく様子に、京子は「ふーん、怪しーの」とニヤニヤ意地悪な笑みを浮かべるのだった。
「そもそも、私が先輩の部屋に泊まったのは、京子先輩を守る為に、この先輩を監視することが目的だったんですから、感謝されることがあっても、そんな後ろめたいことなどありません!」
尚子の胸を張った言葉に、俺は心の中で「何なんだかな……」と呆れていた。
だが、その横で。
「……って、待って」
京子が血の気が引いた顔で、部屋の時計を凝視した。
「そんなことより、早く家に帰らないと。もうすぐお父さんが帰ってきちゃう」
京子の実家は、厳格な医者の家系で、昨夜は父親が宿直医で夜勤だった為、その目を盗んでコンパに参加したのだった。
京子を、まずは無事に実家へと送り届けることになった。
自宅の町内が近づくにつれ、京子の顔面はみるみる青ざめていく。
「やばい、親にバレたら……!」
仕方なく、尚子に無理やりハンドルを握らせ、俺は身を縮めて後部座席の足元へと潜り込んだ。
車が自宅の敷地に入るやいなや、待ち構えていたかのように母親の雷が落ちる。
「京子! いったい、どこをほっつき歩いてたの!」
「えっと、その……昨日は友達の家に泊まってました……!」
京子が冷や汗を流しながら必死の言い訳を絞り出していると、タイミングの悪いことに、夜勤明けの父親が険しい顔で玄関に現れてしまった。そして、車内の後部座席で息を潜めていた俺と目が合ってしまい、一触即発の緊迫した空気が走る。
「おい、そこの男はなんだ?」
「あ、あの……っ!」
冷や汗が背中を伝う中、尚子が震える声で前に出た。
「私、医療短大1年の尚子と言います……! き、昨日は京子先輩も一緒で、私の彼氏の家に……その、みんなで泊まっていました!」
「……君は、その尚子くんのボーイフレンドなのか?」
父親の鋭い視線が俺を貫く。俺は引きつる顔を必死に抑えながら、力強くうなずいた。
「はい。彼女の前で、他の娘に変な真似をするような男じゃありません。そこは信用してください」
「……ふむ。男の顔に免じて、今回は預かろう」
厳格な両親の前で、外泊の代償はあまりにも重かった。父親から言い渡されたのは、数日間の外出禁止、いわゆる「自宅謹慎」だった。
京子は昨晩の記憶がディスコの時点で途切れており、街をふらふらしていたところを俺たちに保護されたという筋書きで取り繕って乗り切ったのだが、別れ際に父親から「うちのバカ娘が、皆様にご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした!」と、深々と頭を下げられてしまった。
さらに、詫びの印にと手渡されたのは、ずっしりと重い高級な西洋陶器のティーセットの箱。恐縮し、引きつった笑みを貼り付けながらそれを受け取るしかなかった。
――しかし、部屋に帰って開封すると、その蓋やカップの底には、誰もが知る某有名製薬メーカーの大きな社名ロゴが堂々と印字されていた。
車を発車させ、京子の家から離れたところで、尚子は顔を真っ赤にして、か細い声で呟いた。
「先輩、さっきは先輩が私の彼氏だって言ってすいませんでした……っ」
「気にするな。君が、俺のTシャツを着たままだから、『お似合いのカップルだ』って言ってすっかり騙されていたな。よくやった」
「うう、でも……ちょっと待って。あのお父さんは一言も『お似合いって』なんて言ってませんから……!」
京子を実家に送った後、俺の部屋へと戻った。尚子は自分の寮に戻るため服を着替えようとしたが、絶句して固まった。
「えっ、嘘……? 私の下着、どこにもない……!」
「は?」
「昨日、ここで服を脱いで、他の服はあるのに……!」
しかたなく、俺のブリーフを履いたまま帰っていった。
それから2日経って、俺が自分の洗濯物を干していたら、その中に彼女のパンティーが混ざっているのを見つけた。浴室に入る前に、俺が脱いだ服を無造作に洗濯機へ放り込んだ際、彼女もそれに習って自分のものを混ぜてしまったらしい。
「……まったく、あれほど『しっかり見張り番をする』って意気込んでおいて、こんな置き土産を残していくとはな」
手紙の封筒に丁寧に畳んで包み込み、自分のカメラバッグの奥へそっとしまった。
(明日にでも返してあげて、もう一度説教をしよう)
俺は心に誓った。
◇◇◇
昨日、スーパーの写真屋へ足を運んだ。あの北海道旅行で、自分のカメラを使って撮影した現像フィルムを受け取るためだ
だが、カウンターで手渡された封筒を開けてみると、津軽海峡のフェリーの甲板で――確かに彼女に向けてシャッターを切ったはずの1枚目が、どこにも入っていなかった。フィルムはno.2から始まっていた。
店員に尋ねると、「1コマ目は光が入ってしまったり、巻き上げに傷が入ったりしてダメになることがよくあるんですよ」と言われてしまった。彼女の姿を手に入れたかったのに、残念でたまらない。
――残したいシーンは、2枚以上撮るべきだと、この時に固く誓った。この教訓は、これからの旅で活かす。
教訓を胸に刻みながら、現像された写真を持ってシバのアパートに向かう。その助手席には、シバがいつまでたっても引き取りに来ない、シバの叔母さんへのお土産の熊の木彫りが鎮座していた。
「どれどれ、どれもいい写真だな。全部くれ」
シバは差し出された写真をパラパラとめくりながら、満足そうに言った。
「全部か? じゃあ、全部渡すよ。1枚25円な。俺の分は焼き増しするから、番号控えさせてくれ」
「……ってあれ? お前は、自分の分は全部じゃなくていいのか?」
「ああ当たり前だ、シバしか映ってない写真は要らないからな。あと、野口家の写真は野口にあげるからこれらは2枚だな」
「ところでさ……フェリーで会った彼女の写真は無いのか?」
シバの問いに、俺は苦笑いを返した。
「1コマ目は、光線もれでパーになったんだよ」
「そうか、お前もか」
シバはそれ以上深くは突っ込まなかった。
◇◇◇
ちゃぶ台の上のメモ帳には、明日のドライブの予定時間が書き殴ってあった。
大騒動の尻拭いと深い精神的疲労がようやく落ち着いて、明日は約束通り、俺とシバ、そして尚子と静香の4人が乗り込み、白山スーパー林道を抜けて白川郷へ向かうのだ。
「……まあ、何とかなるか」
今日までの夏の日常で、リーザ・チャチャは、バイトに買い物に、そして新しい知り合いとの出会いに活躍してくれた。あの北海道での思い出は、写真には残せなかったけれども、とっくに俺の日常の一部になっていた。
明日は、白川郷旅行で、リーザ・チャチャは活躍してくれるだろう。だから、一旦、日常の話はここまでにする、俺たちの夏の日常の記録を聞いてくれてありがとう。
(金沢日常編(夏) 完)
本作は、この話で完結と致します。
続編の白川郷編は、「秋の文芸展2026」のテーマは「旅」にてと考えています。




