金沢の日常⑤ 助手席の酔っ払い(その1)
第5章 -缶酎ハイと白い幽霊-
ディスコを出たすぐの路地裏、シャッターの降りた酒屋の軒先に佇むビールの自販機。キャンパスに行く前に、水分の調達だ。
小気味よい音を立てて缶ビールを2本引っ張り出すと、尚子が「私、ビールはちょっと苦いから……」と、隣の棚にあったカラフルな缶チューハイのボタンを押した。シバと差し向かいですっかり出来上がっていたあの酔っ払いの女子は、トロンとした目で「私はもっと強いのがいい!」と、度数高めのストロング系の小酎ハイを選んでご機嫌そうに抱え込む。そして、未成年の静香は、少し申し訳なさそうにしながらも、隣の自販機にあったジンジャーエールを選んだ。
それぞれの缶がガコンと鈍い音を立てて取り出し口に転がり出る。プシュッと夜気を裂く乾いた音が上がる。
「ぷは……生き返るわ」
アルコールが乾いた食道を駆け抜ける感覚に思わず息が漏れる。尚子は「甘くて美味しい!」とチューハイを揺らし、静香もジンジャーエールの炭酸でシュワシュワと喉を鳴らした。酔っ払った女子はすでに小酎ハイを半分ほどあけ、「もう、冷たくて最高ですね!」と声を弾ませる。
その脇で、シバが頼もしい手つきで財布から千円札を取り出した。
「お前ら、それだけで足りるのか。夜はまだこれからだろ」
シバはそう言って次々と、追加で缶チューハイを5本もガコンガコンと吐き出させた。店を出るときに回収したショルダーバッグに、5本の缶チューハイを無理やりねじ込んだ。茶色のキャンバス生地が不格好に膨らんでいる。脇に抱え込み、どこか誇らしげに鼻を鳴らす。
「重いだろ、それ……」
俺が呆れたように声をかけると、シバは「いいんだよ、飲んで歩けばそのうち減るんだから」とニヤリと笑った。
彼女たちは小さな肩掛けポーチを揺らしている。一方、俺は完全な手ぶらだった。
「おい、お前マジで何も持ってねえのか」
「あぁ、身軽なほうが歩きやすいだろ」
シバが呆れたように肩をいからせ、冷えた缶の重みに顔をしかめる。手ぶらの俺は、パタパタと風を孕むシャツの軽やかさを味わいながら、夜の喧騒をすたすたと抜けていった。
中央公園では、夏休みの解放感に浮かれた若者たちのグループがあちこちで気勢を上げており、俺たちはそれを避けるように、足早に通り抜けた。
公園の端にぽつんと置かれた木製のベンチに、俺たちは吸い寄せられるように腰を下ろした。
ディスコの重低音にさらされ続けていた耳には、夜の公園を包む虫の声と、風に揺れる木々のざわめきが心地よく響く。疲れた足を休めるように、それぞれの缶を傾けた。
「ふう……やっと座れた」
酔いが回っている彼女は、すでに少しとろんとした目をシバに向け、「シバくん、もう1本頂戴?」と言っている。その隣で、シバが重そうに抱えていたショルダーバッグをドサッと下ろし、一本彼女に差し出す。シバのバッグの隙間からは、まだ残っている缶チューハイの頭がのぞいている。
静香は、ベンチの端に行儀よく腰掛け、ジンジャーエールの缶を両手で包み込んだまま、静かに夜空を見上げている。
酔っ払い女子の空き缶と、俺のビールの空き缶を持って、近くのごみ箱を目指して歩き始めた。
その背中を、尚子が「あっ、私も一緒に行きます!」と、小刻みな足取りで、ちょこちょこと後ろをついていく。
カコン、と軽い金属音が響いて空き缶がごみ箱に放り込まれると、尚子はふふっと満足そうに笑い、くるりと踵を返した。
その帰り道も、俺の歩幅に合わせるように、ぺたぺた、ちょこちょこと足音を立てながら、まるでひよこのようにぴったりと背後をついてベンチへと戻ってくる。
シバの横で酔っ払い女子は「冷たいのちょうだいよ〜」と甘ったるい声を出す。
シバは重そうに抱えていたショルダーバッグのファスナーを開け、冷えた缶チューハイを二本取り出し、続けて俺に放り投げた。
「ほら、お前もまだいけるだろ」
「お、サンキュー」
「はい、これ」
俺は一本を、隣の尚子に手渡す。彼女は「あ、ありがとうございます……!」と両手で大切そうに受け取り、トロンとした目で嬉しそうに微笑んだ。
缶のプルタブを引くと、景気のいい音とともに白い微量の霧が舞う。一口喉に流し込むと、火照った体に冷たさが心地よく染み渡った。
その様子を、ベンチの静香が、羨ましそうな、どこか切なげな視線をこちらに向けている。手元のジンジャーエールはもうすっかり飲み干され、空っぽの缶を寂しそうに転がしていた。
「飲むか?」
俺は自分があけた缶チューハイをふと差し出してみたが、彼女は慌てて首を横に振る。
「ううん、二十歳になってないからダメです……! お酒は大人になってからです」
そう言って真面目な顔で唇をきゅっと結ぶ姿に、思わず苦笑いが漏れる。
「そうだな、未成年は法律違反だからな。お預けだ」
俺が缶を引っ込めると、彼女はちょっと悔しそうに小さく唇を尖らせた。その横顔に目を細めつつ、俺は彼女の隣へと静かに腰を下ろす。
夜風が木々を揺らし、心地よい湿り気を帯びた風が吹き抜ける。すると、さらに反対側の隣に、尚子がぴたりと隙間なく座った。
「なあ、お前、けっこう酔ってる?」
「酔ってません」
「この娘、けっこう酔ってるよな?」
「ああ、ええ、酔ってますね」
苦笑しながら静香が相槌を打つ、尚子はカッとなったように上半身を起こした。
「酔ってません!酔っていると言うのは、あそこにいるあの女のような状態のことで、私は素面です!」
彼女が指差した先では、さっきから度数高めの小酎ハイを空けて完全に出来上がっている酔っ払い女子が、ベンチの背もたれにもたれかかっていた。
「いや、お前も十分そっち側の人間だから……」と頭を抱え、静香はくすくすと楽しそうに肩を揺らした。
静かな夜の公園に、尚子の強がりな声だけが響いた。
「よ~し、学内に行ってみよう」
俺が立ち上がると、ベンチに腰掛けていた彼女たちも「行こうか!」と弾かれたように立ち上がった。ベンチの空き缶をシバがまとめて自分のショルダーバッグに押し込み、肩に担ぎ直す。
急な傾斜の「宮守坂」へと足を踏み入れる。
酔いの回った足取りで、尚子が「うわ、意外と坂がきついですね……」と小さく息を弾ませる。そのすぐ隣では、切れ長の目の女の子が、アスファルトを踏みしめながら静かに前を歩いている。
シバはその少し後ろで、すっかり出来上がって眠そうな酔っ払い女子の腕を引いて、「ほら、転ぶなよ」と呆れながらも面倒を見ていた。
街灯の明かりがまばらになるにつれて、周囲の気配は一層静まり返り、聞こえてくるのは自分たちの足音と、夏の夜の虫の音ばかりだ。
傾斜を、俺は静香と並んで一歩一歩踏みしめながら歩いていく。不意に背後からガサリと草木が擦れる音がして、振り返った。
少し遅れて、シバが酔っ払った女子の腕をぐっと引っ張り、その背中を尚子が「よいしょ、よいしょ」と両手で押し上げるようにして、必死の面持ちで坂を登ってきている。酔っ払い女子は足元をふらつかせながらも、どこか楽しそうにふにゃふにゃと笑っていた。
「がんばれ」
俺が声をかけると、尚子が息を弾ませながら「もう、そのペースについていけないです〜」と弱音混じりの笑顔を返す。静香も振り返ってその様子を見つめ、くすっと上品に笑った。
やっとのことで宮守坂を登りきると、かつての加賀藩の面影を残す二の丸跡へとたどり着いた。
図書館の入り口前にある石段に、俺はどっかりと腰を下ろす。シバはショルダーバッグを下ろし、「はぁ……足パンパンだわ」と大きく息をついた。
「お疲れ……。この辺りは二の丸跡でさ」
俺は息を整えながら、周囲の暗がりを指さして説明を始めた。
「あっちの先へ抜けると、薬学部の植物園があって、変な草花の匂いがしたりしてちょっとしたジャングルみたいなんだよ。で、こっちのほうへ行くと、国の重要文化財にもなってる三十間長屋があるんだ」
「ええっ、お城の中を歩いてるみたいで、なんだかすごいですね……」
尚子が、物珍しそうに周囲の闇と古い建物のシルエットを見渡し、少しワクワクしたような声をあげる。
「いや、城跡だよ。金沢大学は城跡にあって、でも、来年から追い出されるのさ」
ひんやりとした石段に腰を下ろして一息ついたのもつかの間、急に「ひゃっ……!」と、絞り出すような悲鳴が上がった。
声の主は、さっき小酎ハイを何本も空けてすっかり出来上がっていた酔っ払い女子だった。立っていた彼女は三十間長屋の方角を指差したまま、ガタガタと全身を震わせている。
「……今、あそこの石垣の上を……白い、女の人がすーって横切った……!」
(続く)




