金沢の日常④ 助手席の記憶
第4章 -重低音と次の約束-
極彩色の光がぐるぐると渦巻くディスコのフロアは、腹の底を直接叩くような重低音と、若い熱気でむせ返っていた。足の踏み場もないほど膨れ上がった人の波に押されるようにして、俺たちは広いスタンディングエリアへと流れ、その先のバーカウンターの隅に押し込まれた。
同級生の細川が、雑踏を縫うように長いバーカウンターを行き来して、メンバーにドリンクを配っていく。細川はディスコ慣れしているはずはないが、天然の世話焼きスキルが発現している。
丸顔の看護短大生は、尚子。彼女は、不慣れそうに白ワインのグラスの脚を指先でつまみ、落ち着かない様子。もう一人の女子は、静香。彼女はウーロン茶の入ったタンブラーを両手にしっかり包み、少し不安そうにしていた。
一方、俺の手にはシャンパンのグラスがあり、少し離れたところで同じようにシャンパンのグラスを傾けて、背伸びしているシバと村山の姿も見えた。その傍には女子3人が、銘々にグラスを傾けていた。彼女らはダンスフロアの方を眺めながら、音楽に合わせて体を揺らしていた。
尚子が、声を張る。
「すごい人ですね……。私、こういうところ初めてだから、なんだか胸が高鳴っちゃいます」
「平然と構えていればなんてことないさ」
俺は内心の動揺を隠し、慣れた風を装って笑ってみせる。彼女はそれを真に受けたのか、目を輝かせてぐっと身を乗り出してきた。
「そうなんですね。よく来るんですか」
「ときどきかな?」
「普段はいつも何しているんですか?」
ぐいぐいくる。
まだ3分の1ほど残っていたグラスを、カウンターの端に置いた隙に、慌ただしく行き交う店員にさっと回収されていった。
「普段か? まあ、講義が終わったら、家庭教師と塾のバイトに追われているかな」
「えっ、塾の先生なんですか? なんか意外……」
静香が、少し見直すような目を向けてくる。
「ああ、村山も塾で先生やってるよ。シバは無職だけどな」
俺が苦笑いを浮かべると、傍に来ていたシバが不満そうに割り込んでくる。
「おい、俺の悪口か?お前たちはちょっと塾の塾長に気に入られたからって...」
「なにかあったんですか?」
「シバは、面接で不採用になったんだ。あいつは女性が苦手で、ろくに会話が出来なかったんだよ」
「えー。でも、今は会話されてますよね」
「そう、あいつは、あいつで努力しているのさ」
シバの方を見たら、女子3人組へと歩み寄り、意を決して声をかけたところだった。すぐ後ろから村山と細川も加わって、どうやら良い感じに会話の輪になっている。
「ところで、君らは夏休みはどうしているの?」
「聞いてください!夏休みなのに臨時の講義がびっしりで、やっと今日から解放されて、2年の先輩が誘ってくれたから、こうして来られたんです」
「それはお疲れ様だな。俺たちは、後期から専門課程に上がるから、この夏休みには臨時講義とかは無くって、ずっと自由。だから、一昨日まで北海道に行ってきたんだ」
俺が言うと、尚子は「北海道ですか!いいなあ、すごいですね」と感嘆の声を漏らした。
そこへ、もう戻ってきたシバが、横からひょいと身を乗り出して話を挟んできた。
「そうそう!俺たち小さなリーザ・チャチャに男2人乗り込んでさ、5泊も車中泊でロクに服も洗えなかったけどな」
「あう…そうか? シバは、後部座席に特等席を作ってずっと寝ていて、こっちは運転で大変なのに、助手席はずっと空きのままで謎のドライブだったけどな」
俺がそう言い返すと、尚子がクスクスと笑った。
「えっ、なんか面白―い……!まるで冒険みたいですね」
それを聞いていた静香も、引き込まれたように声を弾ませる。
「その面白い話、聞かせてください!」
そのとき、グラスを片手に持った細川が、女子を引き連れて、柔らかな笑みを浮かべながら俺たちに声をかけた。
「みなさん、そろそろご一緒にフロアへ踊りに行かれませんか?」
細川に促されるまま、俺たちは飲みかけのグラスを近くのカウンターの端に置き、ミラーボールの光が激しく明滅するダンスフロアの波へと押し出されていった。重低音が胸の臓器を直接揺らし、周囲の熱気が肌を焦がすようにまとわりつく。
気づけばダンスフロアの真ん中で、俺は尚子と静香のちょうど真ん中に挟まれる形になっていた。四方を人の壁に囲まれた空間で、ふたりから身を寄せられる。
「さっきの北海道の続き!後で詳しく聞かせてくださいね」
耳をつんざくような爆音のなか、尚子が耳元に顔を近づけて叫ぶ。
「ああ後でな、ここでは踊ろう!」
◇◇◇
運よく空いたテーブル席に移動して、彼女ら2人に、洞爺湖でシバが凍死しそうになったこと、釧路湿原での霧、知床の熊の話をすると、彼女たちは「嘘でしょ!?」と声を上げて弾けるように笑った。
パッチワークの丘、ジェットコースターのような一本道、羊蹄山の夕焼けの話をすると、
「すごく楽しそう……。私たち、寮と学校を往復する毎日の繰り返しだったから、そんなふうに自由に旅ができるなんて、本当に羨ましいです」
尚子が、うっとりとしたように瞳を輝かせた。
シバは、ダンスフロアに下りていなかったようで、バーカウンター前の丸テーブルで、場慣れしている2年生女子の一人に捕まり、差し向かいでグラスを傾けていた。彼女は踊るより圧倒的に「飲みたい派」らしく、すっかり出来上がっている様子で、大分飲んでいるように見えた。
「それならさ、今度みんなでどこか出かけないか? もう1人、シバでも誘って4人で、例えば白川郷あたりまでドライブなんてどうだ?」
俺がそう切り出すと、彼女たちは顔を見合わせ、ぱっと華やかな笑顔を咲かせた。
「本当ですか? 白川郷、白山スーパー林道が新しくなって、行ってみたいねって話してたんです!」
こうして、ディスコの熱気と喧騒の真ん中で、俺たちは次の約束をごく自然に交わしていた。足元で借り物の革靴が少し窮屈だったが、胸の中にはそれ以上の確かな高揚感が広がっていた。
突然、店内の音量がガクッと絞られ、代わって重々しいアナウンスが天井のスピーカーから響き渡った。
『――まもなく、夜の十時を回ります。青少年保護育成条例および当店の規定により、二十歳未満のお客様の館内のご滞在は、ただいまの時間をもちまして禁止となっております。該当されるお客様は、スタッフの誘導に従い、速やかにお出口へご移動をお願いいたします……』
アナウンスが響き渡る中、フロアの隅では、黒服のスタッフたちが早くも実務的な動きを見せていた。
シバと差し向かいでグラスを傾け、すっかり出来上がっていたあの「飲みたい派」の女子の元へも、背の高い男性スタッフがすっと歩み寄る。
「お客様、お連れ様。お出口のほうへご移動をお願いします」
スタッフが淡々と声をかけると、彼女は「えー、まだ飲めるもん……」とトロッとした目で甘ったるく絡もうとするが、スタッフは慣れた手つきでそれをスルーし、優しく、しかし強引に彼女の肘を掴んで「ほら、お出口の方へどうぞ」と促した。
その隣で、シバが慌てて割って入る。
「あ、すみません!俺が連れて帰りますんで!」
シバはフラつく彼女の反対側の腕をしっかりと支え上げた。
一方、1年生の静香は、アナウンスが流れた瞬間に青ざめ、「あ……私も、もう出なきゃいけないんだ……」と小さく呟いていた。そこに女性スタッフがすっと近づき、静香の肩に軽く手を置く。
「お客様、申し訳ありません。十時を回りましたので、未成年のお客様はご退店となります。お出口へどうぞ」
彼女が不安そうに息を呑み、隣でどうしていいか分からず心配そうにしていた尚子が、すがるような目で俺に視線を向けてきた。
「しょうがない、行くか」
俺が声をかけると、尚子と静香はホッとしたように彼女たちも頷く。
帰り際、俺は入り口付近で、スーツ姿の村山に借りていた革靴を脱いで差し出した。
「おっ、助かったよ村山。靴、返すわ」
「おう、お疲れ。足元窮屈だったろ?」
苦笑いする村山と、隣でグラスを持った細川に向かって、「俺たちは出るけど、4人は楽しんでってな!」と声をかける。
細川とそして残りの女子2人から、「お疲れです、お気をつけて」「「そっちも楽しんで!」」と生暖かい声援が返される。彼らを背に、俺たちはスタッフに促されるまま、出口へと向かう階段を登っていった。
重い扉を押し開けると、夜風が生温い片町の空気に一気に包み込まれる。
地下の狂騒から引き剥がされ、夜の路上に放り出された俺たちだったが、
――「…もう少し…、このままで…お喋りされ…ませんか…」
女性の名残惜しそうな声がした。
「それじゃあさ、金大のキャンパスの中を通って帰ろうぜ。夜の校舎裏なんて、ちょっとした肝試しにもなるし、話しながら歩くにはちょうどいいだろ」
俺がそう提案すると、彼女たちは「わあ、楽しそう!」と目を輝かせた。
こうして俺たちは、夏の夜の静まり返った学内に向けて、街灯の影をくぐり抜けながら、ゆっくりと歩き出したのだった。
(続く)




