008話 ジェムジェーオン北部方面戦3
帝国歴628年2月22日夜、イル=バレー渓谷。
旗艦船『トレメンタ』の司令室では、次の作戦を巡る軍議が続いていた。
アンナ=マリー・マクミランの意識は、今この時へと戻る。
その最中、カズマ・ジェムジェーオンが、軽い調子で口を開いた。
「十五年前、マリ姐が自分でそう呼べと言ったんだよね。そうだよね」
ぷつん。
長く張りつめていた糸が、音を立てて切れた。
アンナ=マリーの堪忍袋は、とうに限界を超えていた。
「カズマ、いい加減にしなさい」
気付けば、拳が振り下ろされていた。
「おお、痛て!」
「公の場では、私のことを階級付でマクミラン大佐と呼ぶこと」
「わかったよ……」
カズマが大げさに頭を抱えた。
アンナ=マリーはハッとした。
――これでは、どちらが公私をわきまえていないのか。
君臣のけじめを逸脱しているのは、自分の方だった。
だが、士官たちは、むしろ楽しげに笑っていた。
この場にいる誰もが、カズマとアンナ=マリーの幼い頃からの関係を知っている。
そして、アンナ=マリーは気付いた。
いつの間にか、張り詰めた空気がどこかに消えていた。
いまでは、カズマを中心に柔らかな空気が広がっている。
――カズマなりの配慮。
士官たちは、戦闘で気持ちが高ぶり、極度の緊張を強いられている。
それを和らげるために、カズマが自ら進んで道化に徹したのか。
――いや、違う。これは計算じゃない。
カズマの自然体の笑顔を見て、アンナ=マリーは悟った。
カズマは意識的にこの行動を選択したのではない。
天性の感覚で、場の空気を変えてしまった。
――それにしても。
ショウマとカズマ、『勝唱の双玉』と呼ばる双子の兄弟のことを想いやった。
身体の大きさ、これ以上ない端正な容貌、外見は驚くほど似ている。
だが、ふたりから受ける印象は全く異なる。
兄ショウマは静、弟カズマは動、だった。
ショウマには鋭利で繊細な完全性を、カズマには無邪気さを伴った奔流のようなダイナミズムを持っていた。
カズマが姿勢を正し、軽く頭を下げた。
「マクミラン大佐、申し訳なかった」
アンナ=マリーは、背筋を伸ばしたのち、頭を深く下げた。
「陳謝すべきは私の方です。カズマ様に対する無礼は、不敬罪に問われてしかるべきです」
「マクミラン大佐、頭をあげてくれ。今回の件は、全面的にオレが悪い。詫びる必要はない」
「しかし……」
「オレが調子に乗り過ぎたのは、この場の全員が認めるだろう。頭をあげて、本題の作戦会議を始めてほしい」
アンナ=マリーは頭を上げた。
カズマがニコッと笑い、無言で頷く。
「……分かりました。作戦を説明します」
カズマと士官たちの視線が、一斉にアンナ=マリーのもとに集まった。
ゴホン、アンナ=マリーは照れ隠しに咳払いをひとつ入れて、指揮テーブルのキーボードを操作する。
「皆さんの活躍によって、初戦はこれ以上ない戦果を挙げました。しかし、トマソン少将が率いるハイネス駐留軍の2個師団が、こちらへ向かっているという情報が入っています」
ディスプレイに映し出された情報に、士官たちの目が鋭くなる。
「次の戦闘まで1日もないのか……」
ハイネス駐留軍との予想遭遇時刻、ディスプレイに〈20時間後〉と映し出されていた。
「この20時間で、兵士たちに休息を与え、陣形の再編成を行います。各隊の現状を報告してください」
大隊長以上の士官たちが、次々に報告を行う。
北部方面軍との戦闘は、考えうる最高の戦果を収めた。
それでも、全兵力の3分の1は補修を必要としていた。
この状態で、次の戦いに出撃するのは難しい。
20時間後、無傷のハイネス駐留軍の2個師団と戦闘が始まる。
損傷した戦力を考慮すると、兵力差は1.5倍。
次の戦闘までに、出来る限り損傷を修繕し、戦力を回復できるかが、勝敗を分ける。
さらに、物資が不足し始めていた。
次の戦闘が持久戦となった場合、こちらの軍需品が、相手より先に尽きる可能性が高い。
「……なかなか厳しい状況だな」
思わず、カズマの口から洩れた。
いつも冗談交じりに明るく振舞っている分、その一言は司令室の空気をさらに引き締めた。
その時。
コンコン。
司令室のドアの外側からノックされた音が響いた。
士官たちの視線が、ドアに集まった。
アンナ=マリーはドアの向こうに言葉を掛けた。
「会議中です。どのような要件ですか」
「至急の報告があります」
短い返答。
室内の緊張がわずかに高まる。
アンナ=マリーは周囲の士官たちの表情を確認し、最後にカズマを見る。
カズマが小さく頷いた。
「入ってください」
扉が開き、下級士官が姿を現した。
「失礼します」
「報告を」
下級士官が近づき、アンナ=マリーの耳元で短く囁いた。
その瞬間、アンナ=マリーの眉間に深い皺が刻まれる。
カズマがその表情を見て、苦笑を浮かべた。
「マクミラン大佐がそのような表情をするとは、良くない情報なのだろう。この場にいるオレたちにも聞かせてもらえないか」
「……はい」
一拍置き、アンナ=マリーは告げた。
「イル=バレー要塞が、バルベルティーニの攻撃で陥落しました」
司令室の空気が一瞬止まり、空気が凍り付いた。
士官の誰かが、かすれた声で呟く。
「そんな……」
カズマが小さな声で応答した。
「そうか。『守護二神』をもってしても、防ぎきれなかったか」
守護二神。
イル=バレー要塞に装備されている強火力の長射程の荷電粒子砲と中短射程の散弾粒子砲の呼称だった。
これまでに幾度となくイル=バレー要塞を守り抜いてきた象徴。
だが、今回の作戦において、イル=バレー要塞に残した兵の数は、余りに少なかった。
絶大な威力を誇る『守護二神』をもってしても、バルベルティーニの攻勢に耐えるのは難しいと分析していた。
不落と信じてきた要塞が堕ちた。
この報せは、想像以上に士官たちの心を抉った。
「つまり、オレたちがイル=バレー要塞を出撃した直後に、バルベルティーニが攻撃を仕掛けてきたということだな」
アンナ=マリーは、カズマの言葉の裏に潜む意図を、読み取った。
「カズマ様のご推察の通りでしょう。暫定政府が情報を流したのだと思われます」
要塞に残った兵力が僅かであることを、敵国のバルベルティーニ伯爵国が知る術はない。
だが、事実として短時間で強襲を決断してきた。
バルベルティーニが確信に至る情報それを与えたのは、ジェムジェーオン暫定政府以外に考えられなかった。
士官のひとりが、押し殺した声で呟いた。
「……暫定政府は売国奴だ」
落胆と焦りが入り混じった言葉だった。
退路としてのイル=バレー要塞が陥落した現実は、重くのしかかった。
カズマが問う。
「レッドマンたちの安否は」
イル=バレー要塞駐留軍司令レッドマン少将は、僅かな兵とともに要塞に残留し指揮を続けていた。
「生死不明です。ですが、要塞を守っていた士官たちの一部は、脱出したとの報告があります」
「そうか」
重苦しい沈黙が、司令室を覆った。
ははは、カズマがその場に似つかわしくないほど軽やかに笑い声をあげた。
「やはり、兄貴は凄いな。このケースすら想定していた」
厳しい報せの中で見せたカズマの余裕に、士官たちは戸惑い、互いに顔を見合わせた。
だが、カズマは断言した。
「大丈夫だ。現在の状況は、兄ショウマが事前に想定したシミュレーションの範囲内だ」
重苦しい空気が、わずかに緩和した。
――カズマは嘘をついていない。
確かに、ショウマ・ジェムジェーオンはこの事態を予想していた。
潜伏していたイル=バレー要塞で、ショウマと共に行ったシミュレーション。
その時、ショウマは言った。
「初戦で激突するデービス少将の北部方面軍との戦いは、充分に勝機がある。本当の勝負は、次戦のトマソン少将が率いるハイネス駐留軍との戦いだ」
そして、
「もし暫定政府がバルベルティーニに情報を与え、イル=バレー要塞が早期に陥落した場合、我々は退路を失う。そのうえでハイネス駐留軍が持久戦を仕掛けてきたら、その時は生死を分ける一戦になる」
いま、その最悪の状況が現実となった。
イル=バレー要塞が堕ちたいま、次の戦いは、絶対に短期で決着させねばならない。
だが、この状況にも、カズマの視線は前だけを向いていた。
「兄貴、ショウマは、必ず状況を打開する策を持っている。オレたちは必ず勝てる」
その言葉に押されるように、士官たちは拳を握りしめた。
――信じて進むしかない。
アンナ=マリーは、迫り来るハイネス駐留軍を迎え撃つ準備を戦闘部隊に指示し、補給部隊には可能な限りの修復と補給を命じた。
ハイネスから出撃したトマソン少将の部隊との戦いは、刻一刻と迫っている。
退路を失った軍は、攻勢に出るしかない。
アンナ=マリー・マクミランとカズマ・ジェムジェーオンは、次の戦闘が苦しい戦いになることを、深く覚悟した。
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