007話 ジェムジェーオン北部方面戦2
帝国歴628年2月22日夜、イル=バレー渓谷。
旗艦船『トレメンタ』の司令室では、次の作戦を巡る軍議が続いていた。
軍議のなかで見せるカズマ・ジェムジェーオンの無邪気な笑顔が、アンナ=マリー・マクミランの意識に、十五年前のあの日の記憶を呼び起こした。
アスマ・ジェムジェーオン伯爵の正室ミズホ・ジェムジェーオン様が若くして亡くなられたあの時。
ジェムジェーオン武官御三家のひとつ、マクミラン家のひとり娘だったアンナ=マリー・マクミランは、1歳年下で伯爵家の長女シオン・ジェムジェーオンと、面識がある程度の間柄に過ぎなかった。
ふたりは皇族や貴族の子女が通う同じ女学校に在籍していたが、活発で軍隊の戦術論やASシミュレータなどに興味を抱くアンナ=マリーと、淑やかで華や料理に興味を抱くシオンとの間に接点はなかった。
ミズホ様の国葬が終わって二日後、アンナ=マリーは母から言われた。
「シオン様たちが淋しがっているので、遊び相手になってあげなさい」
「えぇ……」
「そんな顔しないの。必ずグランドキルンの西天宮に覗うのですよ」
アンナ=マリーは渋々承諾した。
――面倒で仕方ない。
そう思いながら数日をやり過ごしたが、母は忘れていなかった。
再度の催促により、ついに伯爵邸へ向かうことになった。
ジェムジェーオン伯爵家一族が住む『グランドキルン』の内廷、西天宮。
幼いころに両親と訪れたことがあったが、ひとりで来たのは初めてだった。
アンナ=マリーはそびえ立つ建物を見上げ、息を呑んだ。
――こんな場所で暮らすなんて、想像もつかない。
ただただ、感嘆した。
入口では、警備の人間が待ち構えていた。
アンナ=マリーは、自分の名を告げた。
受付名簿を持った別の警護の人間が、詰所から現れて、アンナ=マリーを確認し丁寧に頭を下げる。
「お待ちしておりました」
案内されて建物の奥へ進み、ようやく玄関に辿り着く。
警護が去り、アンナ=マリーは意を決して扉をノックした。
「マクミラン家のアンナ=マリーです。シオン様はご在宅でしょうか」
二度ノックしたが、反応がない。
――もう一度だけ。誰も出てこなかったら帰ろう。
そう決めて、アンナ=マリーは最後のノックを試みた瞬間、ドアが開いた。
「アンナ=マリーさん、ですか」
現われたのはシオン・ジェムジェーオンだった。
泣いていたのだろう、まぶたは腫れ、紅潮した眼が痛々しい。
だが、その姿さえ。
――美しい……
女のアンナ=マリーでさえも、一瞬、凍り付いた。
この世のものとは思えない造形物。
アンナ=マリーとて周りから美しいと言われてきたが、シオンの輝美は同一のベクトル上にない別次元のものだった。比較することなど、おこがましい。
ただ見つめるだけで、胸の奥がざわめき、落ち着かなくなる。
「どうかいたしましたか」
シオンの柔らかな声に、アンナ=マリーは我に返る。
「あ、はい。アンナ=マリー・マクミランです」
「よかった……」
「シオン様。その、……ご機嫌はいかがですか」
言ってから、自分が舞い上がっているのに気づき、内心で頭を抱えた。
――何を言っているのだ。私は。
シオンが涙の跡を残したまま、ふっと頬を緩めて微笑んだ。
「わざわざ、アンナ=マリーさんに訪問していただき、とても嬉しいです」
「いえ、そんな……」
「さあ、こちらに」
シオンがアンナ=マリーを屋敷のなかへと招き入れた。
「失礼します」
自分の訪問を迷惑がるのではないか、アンナ=マリーはそう考えていた。
だが、シオンの表情には、そんな気配は微塵もない。
「本当に来てくださったのですね」
「私などが、お邪魔してよろしいのですか」
アンナ=マリーの言葉に、シオンが顔を曇らせた。
「ご迷惑でしたか……」
「いえ、そういう意味ではありません」
「アンナ=マリーさんを呼んでほしいと言ったのは、私なのです。学園で、いつもお姿を拝見しておりました」
「そうなのですか」
意外だった。
アンナ=マリーは、先を歩くシオンの後姿を見詰めた。
シオンはジェムジェーオン伯爵家の長女で、さらにこの美貌だ。
女学校で知らぬ者などいなかった。
当然、アンナ=マリーもシオンを見知っていたが、自分とは生き方が違う人間と決めつけていた。
淑女教育を掲げる学園に息苦しさを感じ、密かに、エスカレータ式に女子大学に進むのではなく、軍士官学校に進もうと考えていた自分とは、別世界の人間だと。
そのシオンがアンナ=マリーのことを気に掛けていたとは、思いもしなかった。
アンナ=マリーはシオンに従い、奧の大部屋に通された。
そこには、ジェムジェーオン伯爵家の姉弟たちがいた。
姉弟が一斉に、入室したアンナ=マリーを見上げた。
母ミズホを亡くしたばかりの彼らは、皆、悲しみを抱えた表情をしている。
『勝唱の双玉』と呼ばれる双子の男子ショウマとカズマ、次女のサヤカ。
幼いながら、この世のものとは思えない美しい姉弟たちだった。
自分自身に後ろめたさを抱くほどだった。
最も強い視線をアンナ=マリーに向けてきたのは長男ショウマだった。
泣きじゃくる妹サヤカをあやしている。
次男カズマはしょんぼりと、ひとりで座り込んで床の絨毯の毛をむしっていた。
シオンが力なく口を開いた。
「私、……駄目なんです。母様が亡くなったことを考えると、胸が苦しくなって。私が姉弟のなかで一番のお姉さんなのだから、弟や妹の面倒をみなくてはいけないのに」
「シオン様……」
「アンナ=マリーさんは私のことをどう思われてましたか? 何もできないお人形だと思っていませんか」
「いえ……」
アンナ=マリーは否定したものの、ばつが悪かった。
正直なところ、シオンのことを、典型的なお嬢様で、両親や周りの期待に沿って着飾るだけの人間だと思っていたからだ。
「無理しなくてもいいのです。事実、私は何もできないのですから」
「ミズホ様を亡くされて、気が弱くなっているだけです」
「頭では分かっているのに……結局、私ひとりでは何も成し遂げられない」
シオンの大きな目に、涙が溜まる。
弟妹たちも、悲しげな表情で俯いている。
アンナ=マリーはシオンを慰め、弟妹たちに笑顔を作りながら話しかけた。
そうして数十分が過ぎたある瞬間、アンナ=マリーの胸の奥で、何かが弾け飛んだ。
――つくづく、私は……
居ても立ってもいられなくなってきた。
「みんな、聞いて」
シオン、ショウマ、カズマ、サヤカの4人姉弟が、一斉に顔を上げた。
「私は決めたわ。今日からシオン様のお姉さんになる。だから、あなたたちにとっても、もう一人のお姉さんとなるわ。これからは、私のことをお姉さんと呼びなさい」
ショウマ、カズマ、サヤカは、大きな目を瞬いて、お互いの表情を伺っていた。
そして、三人ともがアンナ=マリーをじっと見つめ、無言のまま、頷いた。
シオンはアンナ=マリーの両手を取る。
「ありがとう、アンナ=マリーさん」
「いえ……」
アンナ=マリーは、勢いのまま凄い事を言ってしまったと後悔した。
そして、シオンの喜ぶ顔を見たら、発言の撤回は許されないと悟った。
「これからは、わたしのことを『シオン』と呼んでください」
「そんな……」
「アンナ=マリーさんは、お姉さんなんですから」
最終的に、シオンの勢いに押し切られた。
――ええい、ままよ。
アンナ=マリーは、シオンの両手を握り返した。
「私のことも『アンナ=マリー』で」
シオンが微笑んだ。
その微笑みは、十五年経った今も、アンナ=マリーの胸に鮮やかに残っていた。
こうして、アンナ=マリーは、シオンの親友かつ姉に、10歳のショウマとカズマ、4歳のサヤカにとっての姉かつ母親の代わりとなったのだった。
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