006話 ジェムジェーオン北部方面戦1
帝国歴628年2月22日夜、イル=バレー渓谷。
イル=バレー要塞を発したカズマ・ジェムジェーオン率いる遠征軍は、デービス少将の北部方面軍を完膚なきまでに打ち破った。
外界には、夜の帳が静かに降りていた。
渓谷を渡る風は冷たく、戦いの熱を洗い流すように澄んでいる。
だが、旗艦船『トレメンタ』の司令室だけは別世界だった。
次の作戦会議のために集まった士官たちが、先ほどの激戦の余熱をまだ身体の奥に宿しており、空気は熱気に満ちていた。
カズマは司令室の入口で立ち止まった。
扉の向こうから、幕僚たちの熱を帯びた声が渦のように押し寄せてくる。
「俺たちはイル=バレー要塞で最前線に立ち続けてきたんだ。ほかの部隊とは練度が違う。いっそ、このまま首都ジーゲスリードに進軍してもいいのではないか」
「何を言っている! 兵力差を考えろ。ジーゲスリードには首都方面軍が無傷で残っているんだぞ」
「そんなことは百も承知だ。だが、グズグズしていると、シャニア帝国本隊がジェムジェーオンに介入してくるぞ!」
「『常勝の軍神』ヴァイシュ・アプトメリア侯爵が帝国の勅使として帝国軍を引き連れて、ジーゲスリードに到来するという、あの噂のことか」
「噂なものか、すでに準備に入っているという情報だ」
「暫定政権は、既にユウマ様を国主に担ぎだした。正式に、帝国から伯爵位継承を認めさせるつもりだろう」
「それを阻むためにも、早急に首都ジーゲスリードを奪還するべきだ!」
「それにしても、アスマ伯爵が亡くなったのをいいことに、ユウマ様を利用して帝国を味方につけるとは。……どこまで卑怯なんだ、あいつらは」
「マクシス・フェアフィールド元帥のことか」
室内は騒然としていた。
扉越しに、熱量に加えて、不穏な空気が混じり始めたのを、カズマはを感じた。
――だが、いまオレが入れば、彼らは本音を話さなくなる。
このまま、もう少し話を聞くべきと判断した。
「奴を元帥と呼ぶ必要はない。考えてみれば、アスマ・ジェムジェーオン伯爵が何者かに殺されたという報告をしたのも奴だ。それも怪しい」
「まさか。……マクシス・フェアフィールドが主君殺しの大罪を犯したとでもいうのか?」
「可能性としてはありえる」
「その話の真偽はともかく、忘恩の裏切り者であることは間違いない。ユウマ様を利用し、武家御三家フェアフィールド家の地位では飽き足らず、伯爵家そのものを乗っ取ろうとしている」
「フェアフィールドといえば、アンドレイ・フェアフィールド少佐。貴官は、何か聞いていないのか」
ひときわ大きいこの声は、ジョブス中佐だった。
空気が荒れ始め、扉越しにさえ緊張が刺すように伝わってくる。
――もう、入室すべきタイミングだ。
カズマは長い髪を後ろで強く束ね、扉を押し開けた。
入室した瞬間、アンナ=マリー・マクミラン大佐がカズマに気づく。
すぐに歩み寄って耳打ちした。
「カズマ様、私がこの場を収めます」
アンナ=マリーの表情は硬く、扉越しに想像していた以上に事態が切迫していることを物語っていた。
「いや、オレに任せてくれ」
カズマ軽くを手をあげて制した。
ジョブスの目に、この部屋に入室してきたカズマの姿は映っていなかった。
無言のアンドレイ・フェアフィールドに対して、ジョブスが怒声を浴びせる。
「アンドレイ……俺は、おまえを信じたい。だが……」
「……」
「黙っていないで、何か言ったらどうなんだ!」
ジョブスが身を乗り出し、テーブルを叩き付けた。
司令室の士官たちは半分が同調し、半分が辟易した表情を浮かべている。
ただ、全員の視線は、目が末席に座る男に向けられていた。
アンドレイ・フェアフィールド少佐。
暫定政府の中枢にいるジェムジェーオン防衛軍司令長官マクシス・フェアフィールド元帥の甥だった。
子供のいないマクシスは、アンドレイをジェムジェーオン武官御三家のひとつ名門フェアフィールド家の次期当主とすることを公言していた。
そのアンドレイが俯いたまま、机の下で拳を硬く握っていた。
手は震えていた。しかし、一切口を開こうとしなかった。
鬱積した不満が鋭い刃となり、いまにもアンドレイへと向けられようとしていた。
カズマは一歩前へ出た。
「落ち着け、ジョブス中佐。テーブルに罪はない。おまえの馬鹿力で強く叩きつけたら可愛そうじゃないか。それに、そのディスプレイは高いぞ。割れたら、俸給から修理代を引くからな」
場の空気とは裏腹に、カズマの声は軽やかだった。
「な、何だと!」
ジョブズの顰め面が振り返る。
カズマの姿を認めた瞬間、勢いがしぼんだ。
所在ない様子で身の置き場所を模索した。
「カズマ様! ……いらっしゃっていたのですか」
「ああ、さっきな」
「お人が悪い。声を掛けていただければ」
「到着したばかりだ。そして、いま、オレはジョブズに声を掛けている」
ジョブスが赤面した。
「みっともない姿を。……申し訳ありません」
「とにかく、座ったらどうだ」
「承知しました」
ジョブスがカズマに低頭し、席に腰を下ろした。
アンナ=マリー・マクミラン大佐は、胸の奥で張り詰めていた糸がふっと緩むのを感じた。
カズマ・ジェムジェーオンが、司令室に集まった幕僚たちの顔をざっと見渡す。
「皆は忘れていないか? あの混乱のなか、オレと兄ショウマのふたりを首都ジーゲスリードから救い出してくれたのは、他でもないアンドレイ・フェアフィールド少佐ということを」
この場にいる士官たちは、ショウマやカズマの口から聞いて、この事実を知っていた。
それでも疑念が消えないのは、アンドレイ自身が、あの日のことを一切語らなかったからだった。
ジーゲスリードが騒乱の極にあったあの時、アンドレイが、どのように、ショウマとカズマのふたりを発見し連れ出すことができたか。
その経緯を、アンドレイは誰にも話していない。
それは幕僚たちだけでなく、救われた当人であるショウマとカズマに対しても同じだった。
「しかし……」
誰かが呟いた。
この言葉こそ、アンドレイの現在の状況を物語っていた。
アンドレイの沈黙が、幕僚の間に疑惑を生み出し、暫定政府首班マクシス・フェアフィールド元帥への憤怒と絡み合って、反感となっていた。
「オレにとって、アンドレイは命の恩人だ。それに、今回の戦いでの活躍も、皆が目にしたであろう。あの姿を見ても、なお、アンドレイを疑うのか? オレはアンドレイに全幅の信頼を置いている」
士官たちの表情は複雑だったが、カズマの言葉は確かに彼らの胸に届いた。
北部方面軍との戦いでアンドレイが見せた戦果は、誰もが認めざるを得ないものだった。
――あとは、アンドレイが話してくれさえすれば……
心の澱はまだ残っている。
だが、次の作戦を確認するため、この場の最高位の大佐であるアンナ=マリーは、口を開かねばならなかった。
「次の作戦を確認してもらうため、、皆さんに集まっていただきました」
依然として、士官たちの表情は固い。
重苦しい空気が漂う中、突然、両手を広げ、場違いなほど明るい声で宣言する。
「さあ、軍議をはじめようじゃないか」
アンナ=マリーは思わず目を見開いた。
――どういうつもりなの?
カズマがアンナ=マリーのの視線を意図的に無視し、続ける。
「さあ、マリ姐、早速、作戦を確認しよう」
困惑と不愉快さが入り混じり、アンナ=マリーは皮肉を込めて返した。
「小官をお呼びになりましたか、カズマ様」
「どうしたのさ、マリ姐。いつもみたいに、カズマでいいよ」
アンナ=マリーは怒りを通り越し、呆然とした。
この場が公式の作戦会議であることを、カズマが理解していないはずがないのに。
「あれ、どうしたの。始めないの?」
「どうしたの、じゃありません。この場を何と思っているんです?」
「作戦会議だろ」
「そうです。その通り。いま、カズマ様は、正式な軍議の場に出席しております」
「この場が何なのか、質問したのはマリ姐じゃないか」
「軍議の場なのだから、もう少しまじめにして! ……ください」
アンナ=マリーの口調も所々、カズマに引きずられて砕けていく。
「硬いねえ、マリ姐。しばらく、お硬いギャレスと一緒に行動していたから、性格が移ったんじゃないの」
「移ってません」
ギャレス・ラングリッジ元帥の名が出た瞬間、アンナ=マリーの胸が強く締めつけられた。
ギャレスはジェムジェーオン軍統合幕僚本部長であり、彼女の直接の上官。
ジーゲスリードがマクシス・フェアフィールドの軍勢に占拠された際、部下を逃がすために自ら囮となり、暫定政府に拘束された。
逃がされた部下のひとりが、アンナ=マリーだった。
「あのギャレスが、そう簡単にくたばるわけないさ」
「そうだといいのですが……」
「マリ姐は心配性すぎるんだよ」
カズマの顔は楽観的で、何の心配もないように見えた。
――誰のせいで。
アンナ=マリーはカズマを強く睨みつけた。
「カ、ズ、マ、様」
「何だい、マリ姐」
「何度も言っているでしょう。小官のことは、公の場ではマクミラン大佐と呼んでくださいと」
カズマが大仰に怖がってみせた。
「マリ姐と呼べと言ったのは、自分じゃないか」
はぁ、アンナ=マリーは深くため息をついた。
「面白い」
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